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宮の乱れ

今日は、会合の日だった。

高瑞が、この宮へとやって来る。

弓維は、それを心待ちにしていた。

あの日、父から黎貴との縁談の事を聞かされた時に、真っ先に頭に浮かんだのは、高瑞の事だった。

弓維は、いつものように来た高瑞の文への返信に、正直にその事を書いた。なぜか前はすんなりとそういうものだと受け入れられた事が、此度はどうあってもお受けする気持ちになれなかったこと、高瑞の事が頭に浮かんでこうして文のやり取りも叶わぬようになるのが嫌だったのだ…と。

すると、いつもならすぐに来る返事が少し遅れ、次の日の昼頃に、こう返って来た。

『すべては我が主に話さねばならぬ事を話してからであるかと。次の会合の日、お互いに話そう。』

弓維は、何のことが分からなかった。だが、高瑞は、どうしても弓維に話さねばならない事があると思っているようだ。

我は、高瑞様に嫁ぎたいのかもしれない。

弓維は、高瑞がもし、婚姻を申し込んでくれたなら、きっと受けたいと思うのではないか、と思った。

もちろん、自分が龍で、あちらへ行ったとしても、母のようにたった一人を守ってもらうことなど無理かもしれない。

龍は、龍しか生まないからだ。

それでも、高瑞の傍に居られるなら、と思う自分に驚きながら、弓維はこの日が暮れるのを、千秋の思いで待っていた。


会合は、先に上位の宮の者達には月見の宴での様子を話してはいたが、改めてそれを皆に話し、あちらでも月は見事だっただの、そんな話で終わった。

高瑞は、高晶が座っていた上位の場所に収まり、他の王と比べるとかなり若いのだが、それでもどこか威厳を備えているような、そんな雰囲気が既にあり、遜色も無く頼もしい限りだ。

会合の後の宴の席は、慣れないので酔ったようだと先に退席したものの、他の王からの印象はすこぶる良かった。

「誠に良かった。」焔が、満足げに言った。「あれの方が落ち着いておって王らしいわ。確かに高晶は外向きは上手くやっておったが、宮へ行ってみたら何やらごちゃごちゃしておって落ち着かぬでな。あまりあちらへ訪ねることもしておらなんだし。」

炎嘉は、頷いた。

「妃が至らぬと宮が乱れる。どこも気を付けて掛からねばならぬよな。我はひたすら炎耀の妃に頼っておるから、そろそろ炎月に良い縁があったらと思うておるところであるが、彰炎が己の皇女はどうよと、あれには皇女が20ほども居るのだ。あの中からなら、一人ぐらい良いのが見つかるやもとは思うのだがの。」

志心が、目を丸くした。

「20と?また多いな。どうするのだ嫁ぎ先は。いくら炎月でも全部は無理であろうが。考えて作らねば皇女は後々困ったことになるのに。」

志心もたった一人の皇女であった白蘭には手を焼いたのだ。20人もなど、考えられないのだろう。

炎嘉は、苦笑して答えた。

「嫁がせるのは諦めておると申しておった。軍神が欲しいというならやってもいいし、そうでなければ宮の中で終生守ってやったらいいかと。あれだけ居ったらそうなろうよ。我はどれも要らぬがの。」

焔が、顔をしかめる。

「また主は。選り好みも激しいと終生独り身ぞ。前世の維心がもう少しでまずいところであったのだろう。維月が来てからポンポン生んでああなったが、それまで臣下が気を揉んだと聞いておる。まあ、炎月が居るから良いのやもしれぬが、一人ぐらい居っても良いのやもしれぬぞ。」

「そっくりそのまま返すわ。」炎嘉は、焔を睨んで言った。「主こそ弟の子ばかりにかまけて。あれを跡目にと育てておるらしいではないか。己の子は残すことを考えておらぬのか。」

焔は、杯を置いてハアと肩で息をついた。

「もう諦めておる。前世の記憶など持って来るものではないな。後宮の乱れるのはもう飽き飽きなのだ。かと言って、一人に決めるほどの女もおらぬし。維心が羨ましいわ。」

思いもかけず自分にとばっちりが来た維心は、酒に口を付けようとしていたのを、下ろした。

「何を言うても維月はやらぬ。我にはあれ一人だし。他を当たってくれぬか。」

志心が苦笑する。炎嘉と焔は、ブツブツと文句を言いながら維心に背を向けた。維心はため息をついて酒を飲み、ふと翠明を見た。

「…そういえば、綾が来ておった。事前に維月と合わせておくとか言うて。影で聞いてみたが、あれは相当のものよ。だが、筝は公明の宮のものだとか。主、臣下に筝を作らせておらぬのか。」

翠明は、それを聞いてバツが悪そうにした。

「その…誰も知らぬのだ、作り方というものを。なので、公明の宮から職人を借りてこちらも今、励んでおるところよ。とりあえずは、公明の所の筝を幾つかもらい受け、それを使わせておる。」

維心は、頷いた。

「であろうな。維月が綾からそれを聞いて、我が宮の職人が作った筝を綾に贈ると言うて準備しておった。」と、焔を見た。「主も、嫁ぐ時筝ぐらい持たせてやれば良かったのに。いくらあの折は厄介払いと言うて、あの腕であるのに、それぐらいはの。」

焔は、こちらに背を向けたまま顔だけこちらを向いた。

「…分かっておるわ。忘れておっただけ。今は別にもう良いし、筝を贈ってやろうと思うておる。やはり弾き慣れたものの方が良いだろうし、楽の宴の日に持って参るから。」

維心は、それに微笑した。焔も、少しは綾を見直しているようだ。

「ならばそれで良い。」

そう言えば、公明も公青から教わってそれなりに弾けるはずだが。

維心が思っていると、先に志心が言った。

「公明、主も出るのだろう?公青が主に教えておったのは知っておるぞ。」

維心が成り行きを見ていると、公明は少し、下を向いて言った。

「その…確かに我は筝と十七弦が弾けるのだが、妃がの。」

炎嘉が、顔を上げた。

「妃がどうした?」

いろいろあった高晶と詩織の皇女である、千夜だ。

龍の宮で育ってそれは素直で淑やかになっていたが、そう言えば今はどうしているのだろう。

「…あれの父母が処刑されたばかりでありましょう。それが世の倣いで、あれらが悪かったのは我も申したのだが、あれはどうしても高瑞を許せぬようで。あれも来ると聞いて、我が行くのを良く思うておらぬ。それに、行くなら共に参りたいようだったが、あれは生憎楽にはからっきしで。」

そう言えば、千夜には教えておらなんだか。

維心は、思い出していた。筝や十七弦などを教えていたのは維心で、維心は千夜の世話はしていない。

維月も己が教えるほどではないと思っていたので、娘の弓維には少しぐらい教えても、千夜にはおこがましいと言って自分が口出しするのをためらった。

もちろん、維心は他の宮の皇女の世話などしないので、教えることはない。

そうなって来ると、確かに千夜は弾けないだろう。

「…確かにの。楽は我が教えておったし、我は他の宮の皇女の世話などせぬからな。ならば我のせいか。」

「良い良い、高晶も楽は嗜んでおらなんだ。」炎嘉が、口を挟んで来た。「あの宮で王族が筝や三弦を弾くのは禁じられておったと聞いておるぞ。何しろ、高晶も詩織も出来ぬからの。なので、高晶が留守の時に、明子や寧々が弾いていて詩織に聞かれて諫められ、もっと弾けなくなったとか。高瑞や晶子、舞子は、明子に言われて度々伯父の多岐の宮へ行って、指南を受けておったらしい。千子(ゆきこ)が言うておった。」

千子とは炎耀の妃だ。

多岐の娘でもあるので、あちらの情報は入り放題なのだろう。ちなみに明子は多岐の妹になる。

「いろいろ面倒な宮であったのだな。」志心が、ため息と共に言った。「今は好きに楽を楽しめるのだろう。良かったと我は思うておる。公明も、そこのところをようよう妃に言うて聞かせて、当日は聞きに来るだけでも良いから参れ。主も、妃に振り回される王であってはならぬぞ。」

言われて、公明もだが、なぜか駿まで神妙な顔をした。それが気になった端に居た蒼が、駿を気遣うように言った。

「駿?どうかしたか。」

皆の目が、駿に向いた。駿は、翠明を気にしながらも、言った。

「それが…瑤子も女楽に出ると言うので、毎晩練習することを許しておるのだが、椿がの。夜中じゅう弾き散らかされては、ゆっくり休むことも出来ぬと申して、瑤子は椿に謝って、弾くのをやめてしもうた。この間の龍の宮での前練習でも、綾殿が参ると聞いておったし、瑤子もと声を掛けてもらったのだが、椿が許さぬで。母が来るのだから、我が行くとか言うて聞かぬで、結局弾きもせぬのにあれが行った。瑤子は、なので本番まで胡弓に手を触れることも出来ぬのだ。我は許したが、瑤子が出来ぬと申しての。」

維心は、ぴくっと眉を寄せた。

「…瑤子は具合が悪うなったと椿が言うておったと、維月から聞いたが?」

駿は、慌てて言った。

「いや、確かに具合は悪かったのだ、身籠っておって…今は何でもないが。」

炎嘉が、これまでのからかうような表情はどこへやら、真顔で言った。

「身籠って具合が悪いのは腹の子に気を乱されるからであるのは我だって、維心はもっと知っておる。そんなもの、主が正したら一瞬で治るであろう。」

駿は、そう言われて言葉に詰まった。

つまりは、そういう事なのだ。

それを確認するように、しばらくシンと静まり返って、誰も何も言わない。

ふう、と、静寂を破るように、志心がため息をついた。

「だから己で御しきれぬのならやめておけと申すに。」と、酒を己で注ぎながら、続けた。「どっちか離縁するが良いぞ。それではお互いにつらいゆえな。主は妃達を持て余しておるのだ。公明も、己で御しきれぬ妃は諦めて里へ帰せ。面倒が起こる前にな。」

維心も、炎嘉も焔も翠明も、蒼ですら黙ってそれを聞いている。

駿と公明は、困ったように視線を合わせ、どうしたものかと頭を痛めていた。

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