月見の宴へ
次の月の始め、維心は炎嘉と共に、白龍の宮の月見の宴に出るために島を出発して出て行った。
臣下達は擦り合わせなどふた月で出来ない、と嘆いていたのだが、蓋を開けてみれば、あちらはこちらが何を言っても、ではその通りに、の一辺倒で、話し合いというよりも、要求を通したような格好になって、ひと月で維心の出席は決まっていた。
楽の宴の話が出てこのひと月というもの、炎嘉からああでもないこうでもないと、楽の宴の演目の事などで問い合わせがあり、維月も弓維も、勝手に出る事にされていて、その日のために毎日必死に言われた曲を練習していた。
基本、自分達は女楽の部に出る事になるようで、そこへ出るのは維月、弓維、翠明の宮から綾、駿の宮から瑤子、高瑞の宮から晶子、舞子、炎嘉の宮から炎耀の妃の千子。
男楽の方は、まだ全部把握しきれていないという。維心は出るのに後ろ向きだったのだが、炎嘉に決定事項として扱われていて辞退したら何を言われるか分からない状態で、後は宴の時に居た、箔炎、焔、志心は出ないはずはないと思われていた。
そして、驚いたことに高瑞もどうしてもと言われたら出る事は出来る、と言っているらしい。
つまりは、高瑞はあの歳で楽も嗜むのだ。
そして、喪中という意識も無く、父王など居なかったという意識であるようだ。それがまた、宮を守る王の意識のような感じがして、無理をしていなければいいが、と維月は思った。
その他、どうやら大陸の神にももう、月見の宴の返しのような感じで、まだその宴にも行っていなかったのに、打診してあるらしい。
あちらはあちらで大騒ぎであるらしいが、恐らく今夜の宴はその話で持ち切りだろう。
とはいえ、炎嘉も維心もまだ気を許してはいない。
匡儀が、何を思って今回の宴に呼んだのか、まだはっきりわかっていなかったからだった。
いろいろ複雑な思いを抱えつつも、維心と炎嘉は並んで白龍の宮の到着口に立った。
なんやかんやでこちらにも長く滞在したので、維心も炎嘉もこの宮の事にはかなり詳しい。
輿から降り立つと、匡儀と彰炎が出迎えに出ていて、同じように並んで立っていた。
…匡儀とは、あの折背中を見送ったきりよ。
維心は、そう思いながら二人を見ていた。すると、隣りに立っていた彰炎が匡儀の背を己の肩でトンと小突いて、匡儀は前へと思い切ったように足を進めた。
「よう来てくれたの、維心よ。」と、炎嘉を見る。「炎嘉も。彰炎が楽の宴が楽しみでならぬと誘いが来てから毎日うるそうてならぬのだ。」
維心が、口を開いた。
「こちらもか。」と、隣りの炎嘉を軽く睨んだ。「こちらも我は出たくないと申しておるのに、どうあっても外してくれぬのだ。毎日毎日何を弾くと問い合わせて来おってからに。まだ時があるのに、もう疲れたわ。」
匡儀は、驚いたような顔をした。
「主もか。」と、匡儀は顔をしかめて彰炎を見た。「こやつも我は良いと申しておるのに、出ろ出ろと申して。ならば龍は出ぬという方向で良いかの。」
彰炎が、腰に手を当てて抗議するように言った。
「何を言う!せっかくではないか。主だって筝の音が良いのは知っておるのだぞ?胡弓だって弾くではないか。外せると思うてか。」
炎嘉が、目を輝かせた。
「お、誠か、彰炎よ。男の方では胡弓を弾くものが居らぬでの。維心は出来るはずだがやるとは言わぬ。では匡儀は胡弓ということで。」
匡儀は、焦った顔をした。
「待たぬか、我は出るとは申しておらぬと言うに。」
炎嘉は、さっさと彰炎と共に歩き出した。
「うるさいの、もう決まったのだ。それより南の庭だの?先に行くぞ。」
二人は、さっさと仲良さげに前を歩いて行く。
取り残された匡儀は、バツが悪そうな顔をして、維心を見た。
「その…維心よ。」維心は、匡儀を見る。匡儀は続けた。「我が悪かった。主があまりに最強であるから、ついむきになってしもうて。勝てるはずなどないのは、最初から分かっておったのよ。我の無駄な対抗心のせいぞ。すまぬな。」
維心は、目を見開いた。今ここで謝罪っ?!
「…ちょっと待て。」維心は、匡儀を睨むように見て言った。「こんな立ち話の状態でそれを申すのか。」
匡儀は、頷いた。
「彰炎が、謝るなら先に謝っておけと申した。主が縁談を断って参った時には、やはり怒っておるのかと思うたが、ようよう考えたら確かに質を取ったり取られたりは、敵同士がやることぞ。我は、主と事を構えるつもりはない。あの折、頭に血が上って白龍の地位がどうのと考えた。だがの、軍神も臣下も申すのだ。あちらはただ同族の友であって、別に誰が上だの下だの無いのだと。我が白龍の王には変わりないし、我が何を危惧しておるのか分からぬと。ゆえに、我も無駄なことはせぬことにした。もちろん、主がこちらの覇権をどうのと言うたらこの限りではないが、主はこちらに全く興味がないようであるしな。」
維心は、まさかこんな形で折れて来るとは思いもしなかったので、肩透かしも良い所だった。
完全に毒気を抜かれて、困ったように言った。
「まあ…我は島の王であってこちらの土地まで面倒は見切れぬから。あちこち面倒なのよ。」
匡儀は、頷く。
「ならば良いのだ。」と、歩き出した。「では参ろう。遅れたらあれらがうるさい。彰炎が毎日参って楽の宴の件で頭が痛い限りでな。」
匡儀は、あっさりと歩いて行く。
維心は、その隣りをついて歩きながら、いったい何を警戒していたのだろうと、呆気に取られていた。
よく考えたら、こちらの神はあちらの神より直球で素直だったのだった。
それでも警戒して見るのは忘れないでおこう、と思った自分に、維心は内心苦笑したのだった。
宴の席では、炎嘉と彰炎が一方的に話しているのを、匡儀と維心がうんうんと聞くことに終始していた。
二人は何がそんなに楽しいのか知らないが、大変に息が合った様で、二人してはしゃぎながら楽の宴の話ばかりしている。
宇洲も正妃を連れて来るらしく、それがあの瑤子の母であるので、彰炎は言った。
「瑤子の母は、悠子と申してな。これもまた美しいのだ。どうせあれは自慢したいから連れて参るのよ。」
炎嘉は、杯を片手にふんと鼻を鳴らした。
「美しゅうても獅子であろうが。我は妃にするなら別の種族なら余程気に入らねば無理よなあ。」
彰炎が、何度も首を振った。
「それがの、別に違う種族でも良いわと思うぞ、あれを見たら。ほんに美しいし、淑やかでどう育ったらああなるのだと言うほどに完璧な動きよ。何でも臣下の娘らしいのだが、幼い頃から美しかったので、特別に師を付けてそれは丁寧に育てたらしいぞ。なので、臣下が宮へと王の妃に差し上げると連れて参った時には、宇洲は一目で正妃と決めたらしいからの。」
それは凄いな。
維心も炎嘉も思った。一目で正妃にとは、かなり思い切らないと無理だ。
「ほう…見てみたいもの。」
炎嘉が言うと、彰炎は手を振った。
「ま、今では少し歳も行っておるし、そこまでではない。やはり今は駿に娶られた瑤子よな。王族の血も入って更に品が良く美しく育っておったのに…駿の妃に決めてしもうて。もったいない。」
炎嘉は、苦笑した。
「だから同族であろう。あちらは獅子が絶滅危惧種なのだ。許してやるが良いぞ。」
彰炎は、酒を口に含みながら頷いた。
「分かっておるわ。」
維心は、別に美しくても何でも、他の男の妃に興味はなかった。自分には維月が居るし、少々手は掛かったが今では楽も嗜むし書も良くなったし、歌も詠めるようになった。維心が教えたら一生懸命励む様が、微笑ましく可愛くてならなかった。
時々拗ねたり我がままを言ったり大変だが、それでも己が悪いと思ったなら、素直に謝って維心に甘えて来るのがまた可愛かった。
何より、神世に他にないあの珍しい気も、維心を愛し、維心を離さぬようにとそうなった。
そう思うと尚一層、維月が慕わしくてならなかった。
…維月に会いたい。
維心は、今朝別れて来たばかりなのに、もう維月に会いたくて仕方が無かった。そろそろ昇って来た月を見上げて、明日まで会えないと思うと、自然ため息も出る。
すると、匡儀が脇から心配そうに言った。
「…酒が口に合わぬか。人世から紹興酒というのも取り寄せてあるがどうか?」
どうやら、匡儀は維心が退屈していると案じたらしい。
維心は、苦笑して首を振った。
「ただ、維月はどうしているかと思うただけ。我はあれと、一夜も離れるのが嫌での。本日も、連れて参れば良かったと思うておったのよ。」
匡儀もこんな様子で危険もなかったし。
維心は思っていたが、匡儀は、神妙な顔をした。
「あの珍しい気の妃であるものな。主はたった一人を守っておるのだろう?分からぬでもない。」
維心は、頷いた。
「我にとり、あれ以上の女など居らぬのだ。ゆえ、誰が美しいだの淑やかだの、別にどうでも良い。他は維月ではないからの。手は掛かるしいろいろ面倒も起こすのだが、それでも我にはあれしか居らぬ。」
匡儀は、感心したように維心を見た。
「主はハッキリしておるの。そこまで潔いと清々しいわ。逆に、それだけ迷いが無いというのも、羨ましい気もするがの。」
「こやつは維月を抱え込んで離さぬのだ。」炎嘉が、いつの間にか真側に居て恨めし気に維心を見て、言った。「我だって、少々撥ねっ返りでいろいろ面倒だが維月ならたった一人でも良いと思うた。あんな珍しい女は他にはおらぬ。だが、維月は一人ぞ。だからしょうがないし諦めたのだ。」
彰炎が、脇から割り込んだ。
「匡儀が負けるかもしれぬと言うた立ち合いをする女か?」彰炎は、酔っているのもあって、無遠慮に言った。「やめておけ、炎嘉。王が妃に負けておったら立つ瀬がないぞ?主、勝てぬのだろうが。匡儀がこてんぱんにやられておるのを目の前で見たと言うておった。」
炎嘉は、痛い所を突かれたのか、彰炎をギッと睨んだ。
「うるさいぞ、彰炎!主だって絶対に勝てぬわ!維心以外が勝てたところを見た事が無いからの!」
彰炎は、何度も頷いた。
「主に勝てぬのにその妃に勝てるはずなどなかろうが。我はもっと精進するから良いのだ。」
二人でギャアギャア言い合うのを見ながら、匡儀は苦笑して立ち上がった。
「…少し、歩かぬか、維心。」
維心は、ここに居てもうるさいだけだな、と思い、頷いて立ち上がった。
「参ろう。」
そうして、二人で夜の庭へと歩いて行った。




