対面の日2
後ろでは、黎貴が夕貴を案じて振り返って言った。
「夕貴、問題ないか。」
夕貴は、扇をスッとずらして兄を見ると、頷いた。
「はい、お兄様。特に問題はございませぬ。」
維斗は、隣りでそれを聞いて、思ったいたより気が強そうな話し方と声であるな、と思った。維斗も、後ろの弓維を振り返ったが、弓維はというと近くに面識のある柚と楓が居るので、いくらか気が軽いようで、そちらを見てお互いに微笑み合っているのが見えた。
弓維は弓維なりに友が居てホッとしているようだったので、維斗も安堵して前を向いた。
すると、前では舞台上で舞いが始まったところだった。毎年のことなのだが、演者達の衣装が色とりどりに美しい。
…今年は衣装を新調しておるな。
維斗はそう思って見ていた。
すぐ前の維明は、珍しく黎貴に話しかけて何やら会話している。兄の事を良く知っている維斗は、少し驚いた。そもそも兄は、父と同じで自分から誰かに話しかけて会話しようという性質ではなかったからだ。
…兄が思いもかけず夕貴を気に入り、その兄の黎貴にいろいろ聞いているのでは?
維斗は、そんな仮説を挙げてみたが、それこそあり得ない、とすぐに打ち消した。そもそもがこの話があると聞いた時、維明は維斗に同情気味に視線を向けたからだ。どうあっても、自分にそんな話が来るはずはないと確信めいた気持ちで見ているのがそれで分かった。
維明はかなり良い歳であるにも関わらず、絶対に誰も娶ろうとしないのだ。
それは、父も母も仕方がないと納得しているようだった。なので、夕貴を気に入ってどうのなど、あの兄にはあり得ないのだ。
というわけで、この話を受けるとしたら維斗なのだが、維斗も正直気が進まなかった。
特に夕貴が気に入らないというのではなくて、誰かを娶ってというのが、実感がわかないのだ。
傍に居るのが父と母で、この二人の仲の良さは神世でも珍しいほどだと聞いている。
父の母への執着を見ている維斗からしたら、自分がこの今日会ったばかりの皇女にそこまで想えるかと言われたら、絶対に無理な気がしていた。
とはいえ、父から命じられたら娶らねばならない皇女。
維斗は、チラと夕貴を見た。
夕貴は、庶出の皇女だとは思えないほどしっかりとした風情でそこに座っていた。
そもそも匡儀が父だというだけで、母がどういった身分であったのかは知らされていない。神世では、余程素行の良くない者でない限り、あまり母の素性など重きを置かないところがあるからだ。
なので、こちらが勝手に庶民の出だと思っているだけで、そこそこの地位のある女だったのかもしれない。
その横顔は、驚いたことに少し維月に似ているように思えた。
王族の姫らしくと気を付けているのだろうが、珍しいものを見たい気持ちが前に出て、人の演者が舞う動きを身を乗り出して見ている。扇も、見るのに必死なようで顔から離れて隙間が開き、そして更に下へと落ちていた。
なので初めてみたその顔は、気が強そうな唇に、涼やかな目、黒髪に金色に近い茶色の瞳で、とても親近感があって、美しいと感じた。
母と似た様子に好感を持つなど、母離れ出来ておらぬようではないか。
維斗はそう思ったが、常日頃はもっと儚げな女神ばかりを見ていたので、珍しくそれを眺めた。
すると、夕貴はハッとしたような顔をして、こちらを見て、維斗が見ているのを知ると、慌てて扇を上げた。
「も、申し訳ありませぬ。このように弁えませず。」
慌ててそう言うのに、維斗は首を振った。
「いや、あちらの地では無いのだと聞いておる。なので、珍しいのだろうと微笑ましく思うておっただけのこと。」
夕貴は、扇の向こうで顔を赤くした。そうして、下を向いた。
「珍しいものが好ましいと思われまして。あちらでも、宮の宴で臣下が舞うだけで我を忘れて見入ってしまいまして。父によう咎められるのですわ。兄にも毎回、呆れられてしまい申して。」
そんなところも、維月に似ているなと維斗は思った。主に奥でのことなので、父は咎めたりしないが、母はよく恥ずかしそうにしていた。
これならば親しみが持てるやもしれぬな。
維斗は、そう思った。ツンと取り澄ました女も、儚げで小動物のような不安げな女もイヤほど見せられて来た維斗だったが、このような様は母以外に見たことがない。
「我は呆れるなどということはない。せっかくの催し、見逃してはもったいないゆえの。しっかり見ておけば良いと思うぞ。」
「…ですが…。」
しかし、夕貴はちらりと回りを見た。どちらも見ても皇子達や皇女達がチラチラと物珍しげに会ったことのない夕貴や黎貴を見ているのが嫌でも感じられる。そんな中で、羽目を外す訳にも行かない。
しかし舞いは見たい。
維斗は、そんな気持ちが伝わって来て、クックと笑った。
「そうであるな。では…」と、考えた。「桟敷の下へ参るか。臣下が数名見張りに立っておるだけで他には誰も居らぬ。誰にも見咎められずに間近で見ることが出来ようぞ。」
夕貴は、パッと明るい顔をしたが、ちらと前の黎貴を見た。
「でも、兄が…。」
維斗は、察して前の維明に声を掛けた。
「兄上。」
維明が、振り返る。話していた黎貴も、必然的に振り返った。
「何ぞ、どうした?」
維明が言う。維斗は答えた。
「は。夕貴殿にはこのような舞いは初めて見られるようで、今少しハッキリと見せてやりたいものと。桟敷の下へ参ってもよろしいか。」
維明は、驚いた顔をする。
「下へ?それは良いが…立ち見であるぞ?確かに間近でよく見えるがの。」
黎貴が、夕貴を見た。
「主は?参りたいか。」
夕貴は、行けるのかと前のめりで何度も頷く。
「はい!ここでは落ち着かず…我はつい、身を乗り出してしまい申して。」
黎貴は、頷いて維斗を見た。
「申し訳ないが、では、妹を頼んでも良いか。これは珍しいものが好きで…確かに皆の目に触れるここで、見苦しい事などあってはならぬから。」
妹のことは、よく知っているのだろう。
維斗は、頷いて立ち上がった。
「では、父上にはよろしく申してください、兄上。行って参りまする。」
そうして、夕貴に手を差し出すと、夕貴は嬉々としてその手を取り、立ち上がった。
「…お兄様?」
後ろの弓維が、楓達と話していたのが、こちらを向く。維斗は言った。
「席を外す。主はゆっくりすれば良い。」
弓維が頭を下げる中、維斗は夕貴を連れて、桟敷を降りて下へと向かったのだった。
「あら?」維月が、振り返った。「まあ、維斗はどちらに?夕貴殿には何かございましたか。」
維明は、前の維月に答えた。
「あれは桟敷下へ参りました。何やら夕貴殿が、もっと良く舞いを見たいとか。」
「まあ…」と、前の維心を見た。「維心様、維斗が。」
維心は、半分振り返って答える。
「知っておる。匡儀も気取っておった。良いことではないか。」
匡儀も、隣で頷いた。
「あれはやはりまだ至らぬ所があって。珍しいものが好きなので、このように皆に見られておる場でそれが出てはと案じておったので、連れ出してくれて良かったことよ。それに、これで少しは話もしてお互いに知り合えばこれよりの事はないしの。」と、黎貴を見た。「主も。弓維殿と話さぬで良いのか。我も驚くほどに愛らしく美しい女神ぞ。維明とばかり話しておって。」
黎貴は、少し顔を紅潮させた。
「その…何をお話して良いことか。我はそういう事とは無縁で参りましたので。」
維明が、小声で言った。
「我らには妹で見慣れておりまするが、黎貴殿にとり初めて弓維を見て、驚かれたようで。あれは…父上にそっくりであって、近隣の宮の王や皇子が騒ぐほどの容姿。面食らっておるのですよ。」
どうやら、維明は黎貴が弓維をどう思ったのか、聞いていたらしい。
言われてみたら、弓維は今もあちこちからの視線に晒されていた。見とれてぼうっと呆けている神まであちこちに居る。確かに、あれだけ美しいのだから気後れもするだろう。
維心は、息をついた。
「まあ、我の皇女であって維月の子であるし、誰より美しいのはわかっておるつもりよ。」と、維月の手を握った。「主が産む皇女は皆、神世の男達に取り合いになるの。」
維月は、苦笑した。だからそれは維心様が美しいからなのに。
「維心様、私がお生みしましたが維心様の皇女であるので。瑠維といい、何かと噂になるのですわ。」
維心は、頷いた。
「だがの黎貴よ、もし弓維を気に入ったのなら、話した方が良い。あれが良いと申すなら、主なら我には異存はないゆえな。維明によう聞いて、何を話したら良いのか学べば良いわ。」
弓維のことなら維明より維斗なのだが、あいにくあちらも忙しい。
なので、維月も何度も頷いた。
「維明、ならばそのように。あの子も殿方と話した事はないし、きっと困ると思うわ。」
維明は、神妙に頷いた。
「は。弓維のことを知っている限りはお話しておきまする。」
黎貴は、困ったようにそれを聞いている。
弓維は、その時何も知らずに楽しげに柚と話していた。