その後
高晶は、臣下と共に居間に居た。詩織は、拗ねているようで、腹を立てていることを主張するためか、いつもなら居間で待っているのに、部屋に籠ってここには居ない。
筆頭重臣の、喜久が言った。
「王、本日は大変にお疲れ様でございました。龍王妃様はやはり、非の打ち所の無い貴婦人であられ、月の浄化を操れると聞いておった通り、宮の中はこのように清々しい様に。治癒の対でも、治療の術が良く効くようになったと先ほど報告して参りました。並々ならぬ貴重なかたであられますな。」
高晶は、渋々頷いた。
「確かにの。だが…」と、顔をしかめる。「あれはただ美しいだけではない。さすがに龍王が溺愛しておるだけあり、立ち合いの腕は龍王以外に勝てるものなど無いほど。怒らせてはと、神経を削ったわ。」
維月はもうとっくに怒っていたのだが、そんなことは高晶が知るはずもない。
喜久は、驚いた顔をした。
「やはり。あの隙の無い裾の捌き方を見て、軍神のようだと思うたのは間違いではありませなんだ。しかしながら…詩織様の采配、世の倣いとは違っておりましたでしょう。席の件でも、我ら肝を冷やしました。我らもご忠告致しましたのに、王はお聞き届けくださいませず。黙って立っておられるのを見た時には、宮がこれで失くなるのではと心底恐れましてございます。明子様がとりなしてくださらねば、どうなっておりましたことか。今少し、王におかれましても、お考えを改めて頂きたいものと。」
高晶は、ばつが悪く黙った。分かっていたはずなのに。龍の宮はどこより礼儀に厳しい宮だ。そこの頂点に立つ王の妃が、それに厳しいのは当然だった。今頃、そんな扱いだったと維心に話しているのではと、気が気でなかった。
自分にとっては可愛い詩織も、龍王妃から見ればどこの馬の骨か分からぬ女。そんな女と口を利く事など、維心が許すはずはない。そして龍王妃自身も、なぜに己がそんな者を相手にせねばならぬという、憤りもあったのだろう。
何やら、怒りのようなものが感じ取れたのだ。
対して明子と寧々に対しては、それは親しげで親しみを持って話していた。あの二人の父王はもう存命ではないが、兄弟が王なので、維心もそれを見知っている。事前にあれなら良いと言われて来たのだろう。
「…主らの言うように、あれを正妃にとはもう言わぬ。」高晶は、仕方なく言った。「外から見て、どう思うのか分かった。それに今少し礼儀をわきまえさせて、これからの来客に不都合がないようにしよう。明子に頼んで、礼儀を教えさせる事にする。」
喜久は頷いたが、言った。
「ですが王、明子様へのこれまでの理不尽なご対応、明子様がそれをお受けくださるか疑問でございます。一番最初に入られてから、高瑞様をお生みくださり、宮にご貢献なさっておるのに、あの仕打ち。労って差し上げぬ事には、もしも明子様のお口から、龍王妃様にあのようなことが知れたら、王はご批判されましょう。龍王様に宮の乱れを知られる訳には行きませぬ。」
高晶も、それは分かっていた。しかし、詩織が機嫌を悪くするし、あれらにつらく当たっていれば、詩織が機嫌良くしているので、つい当て馬にしてしまっていただけなのだ。
龍王妃と仲良くなって、交流しているのも気に入らぬようで、あまりに毎日うるさいので、勢いで交流を禁じてしまった。
そうしたら、龍王妃は自らここへ来るようなことになってしまったのだ。
考えたら、龍王が許しているのに、こちらが禁じたなどと言う事が維心に漏れたら、宮同士の関係にも関わって来る。
どうあっても、避けなければならなかった。
「…どうしたら良い。」
高晶が言うと、喜久はズイと膝を進めた。
「王、明子様を正妃にお決めくださいませ。」高晶は、目を見開いた。喜久はこの上なく真剣に続けた。「この上は、明子様にとりなして頂くより他、ありませぬ。跡継ぎをお生みになっておられる明子様なら、何ら遜色もない正妃になられまする。加えて龍王妃様ともあのように上手く対応をなさるご手腕。この先何か漏れる事があっても、明子様が龍王妃様に良いように申してくださいまする。詩織様はお若く王がお気に召されておるのは重々分かっておりますが、今のままではこの宮は格下の宮と龍王に蔑まれてしまいます。父王も祖父王も、このような事はなさらなかった。妃も皆わきまえていて、奥を乱す事などありませなんだ。それを、詩織様お一人のことで、宮の将来の序列にまで影響されるようなことが、あってはなりませぬ。」
高晶は、唸った。
確かにそうだったからだ。
詩織を娶ってから、ここまで拗れてゴタゴタとした状態になってしまった。
寧々の時は、寧々は先に居た明子とも、己が下手に出て上手く立ち回り、友のように過ごして仲良くしていて、嫉妬も無く、出過ぎる事無く、何事も控えめで自分に意見することも、機嫌を悪くしてとりなさねばならないことも、一切なかった。
詩織を娶ってから、こんなことになっているのだ。
考えたら、王の自分がいつもいつも、詩織の機嫌をとっているのも、おかしな話だった。
臣下にはいつも言われていたが、詩織可愛さに耳に入らなかったのだ。
「…ならば、明子を正妃に取り決めよう。」高晶は、言った。「我は己を見失っておった。我が良いならと思うて来たが、確かに明子にはつらい仕打ちをして参った。高瑞のことも、あれが悪いのではない。我とて書が得意で無くて、己への苛立ちをあれにぶつけてしもうて。それでも文句も言わず、あれはよう我に仕えてくれた。ならば、明子を正妃に。我も考えを改めねばならぬ。」
喜久は、ホッと胸を撫で下ろした。王が、目を覚ましてくださった。
「では、そのお手続きを始めまする。」
頷く高晶を見て、喜久は思った。龍王妃が来ると聞いた時にはどうなることかと思ったが、ああして他の妃がここに来る事で、他の妃の事に外側から見て気付く事が出来たのだ。
本当にありがたい事だと、喜久も他の臣下も心から思い、宮の奥の立て直しがこれで出来ると希望を持った。
一方、維心は怒っていた。
「見送りに出て来なんだと?」と、みるみる顔色を変えて言った。「我の正妃になんという無礼ぞ!王の高晶ですら出ておるのに、そんなどこの馬の骨か分からぬ女が出て来ぬ?許すわけには行かぬ!」
維月は、慌てて言った。
「あの、違うのですわ、私が無視しておったせいですわ!維心様も口を利く必要などないと仰っておられたし、私も笑顔すら向けてやらなかったので。しかも、他のお二人とは仲良くしておったのですもの、耐えられなかったのだと思うのです。確かに無礼なことなのかもしれませぬが、気持ちは分かるのです。」
だが、維心は首を振った。
「それが身分というものぞ。元より主は、我が許した事しか外では絶対に出来ぬ。それは主のせいではない。何のための神世の序列だと思う。力の差を分からせて統治するためなのだぞ。我に従うという意思表示のためにも、我の正妃の扱いは我と同等にせねばならぬのだ!それを…そのような扱い、我より己が上だと高晶が思うておると思われても仕方がない事なのだぞ!」
維月は、困った。
こうなると維心は頭に血が上っているので、こちらの言う事が入って行かないのだ。
「維心様、お鎮まりくださいませ。その他は問題なく楽しんでおったのです。」
維心は、キッと維月を見た。
「席の設えは?」維月は、ぐ、と黙った。「それだけでも聞いておって腹が立ったが、明子が変えたと申すから我慢したのだ。それを…」と、立ち上がった。「鵬!参れ!」
維月は、おろおろとした。このままではまずい事になる。
しかし、いきなりに呼ばれた鵬が、必死に入って来た。義心にも聴こえたらしく、共に入って来て膝を付く。
「維心様…どうか穏便に!」
維月が言うのに、維心は構わず鵬に言った。
「高晶に書状を送れ!」
鵬は、維月と同じようにおろおろと答えた。
「は…その、何と書きましたらよろしいでしょうか。」
維心は、側で険しい顔をしている義心を見た。
「主は知っておるな。席の設えもそうだが、高晶の妃が見送りに出ておらなんだと。高晶はそれを咎めて呼んだのか。」
義心は、険しい顔のまま、答えた。
「いえ。そちらに言及される事無く維月様を見送られました。」
そうか、それに怒っているのか。
維月は、合点がいった。妃の不始末を維月に詫びる事もなく、ただ黙って見送った事に下に見ていると怒っているのだ。
鵬が、慌てて言った。
「まさかそのような…高晶様には、上位の宮の礼儀に通じていらっしゃるはず。上から二番目の序列の宮の王であられるのですぞ。」
やはり、常識はそうなのだ。鵬も維心の怒りを、問題なく理解している。
維月は、必死に言った。
「お待ちくださいませ、明子様との関係もあるのです、私がそのような事を申したと、また明子様に御指南する機会が…、」
維心は、首を振った。
「軍神から報告を受けたと申す。主は我の名代だったのだぞ、維月。いちいち義心に注意させねばならぬような対応をしおってからに。我を侮辱したのと同じぞ!断じて許すわけにはいかぬ!」
鵬も義心も、頷いている。
維月は、大変な事になった、と、簡単に考えていたことを後悔したのだった。




