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接近

弓維は、楽しみにしていた高晶の宮の庭を、晶子と舞子と一緒にはしゃぎながら歩いた。

後ろから、高瑞が微笑ましく眺めてついて来る。

高瑞は、そんなに年上でもなく、まだ成人して少しの神だったが、まるでもう、300ぐらいの兄と、同い歳ぐらいに見えた。それぐらい、落ち着いていて大きな感じを受ける神だった。

何をしても許してくれそうな、大きな感じは、父には無い優しさだった。父も頼りになって、それは強い心強い神だったが、優しいかと言われたら、粗相をしたら叱られると、緊張してしまうのだ。

だが、高瑞にはその緊張感が無かった。

「高瑞様は、不思議なかた。」弓維は、思わず言った。「殿方には構えてしまってしようがなかったのですけれど、我は高瑞様がいらしていると、とても安心してしまうのですわ。」

それを聞いた晶子と舞子が、ポッと顔を赤くした。そして、二人で顔を見合わせて、後ろに居る高瑞に聞こえないように、小声で弓維に言った。

「弓維殿、それはもしかして…お兄様を?」

弓維は、え、と驚いた顔をした。そうなるの?

「え、え、あの、我は、そのようなつもりで申し上げたのではありませぬの。あの、誠に思うたままを、申し上げただけで。」

弓維は、赤くなってくる顔を感じて、扇を上げた。晶子は、言った。

「お兄様はあのように素晴らしいかたですもの。弓維殿がそのように思われても仕方がないと思うのですわ。あの、お兄様も、あれから弓維様の御手のことばかりおっしゃって。きっと、お兄様だってにくからず弓維殿のことを気にしていらっしゃると思うのですけれど。」

弓維は、とんでもないと扇を益々上げた。

「あの…そんなつもりでは。恥ずかしい限りですわ…。」

そこへ、高瑞が苦笑して割り込んだ。

「こら。何を申しておる。」

「きゃあ!」

三人は、びっくりして思わず叫んだ。高瑞は、その声に逆に驚いたが、胸を抑えて、困ったように笑った。

「聴こえておるわ。そう離れておらぬのに。」と、弓維を見た。「しかしながら弓維殿、我が今一度話したいと思うておったのは事実。少し歩かぬか?」

晶子と舞子が、喜んで飛び跳ねるように言った。

「まあ!行っていらしてくださいませ。我らはここで待っておりますからっ。」

「ええ、ごゆっくりしてらして!」

二人は、うきうきと見送っている。

弓維は、恥ずかしくて顔を上げられない思いになりながら、高瑞に手を引かれて庭の中を歩いて行った。


夕刻にはまだ少しあるが、空には薄っすらと月の姿が見えて来ていた。

弓維は、どうしてあんなことを言ってしまったのだろう、と思っていた。確かに正直に言ったのだが、本人が近くに居るのに、言うようなことでは無かったのだ。

高瑞が呆れられたかもしれない、と思いながら、弓維は下を向いてトボトボと歩いていた。

すると、高瑞が言った。

「弓維殿、あれらの言うことなど気にせぬで良いのだ。我は、主があのように申してくれて嬉しかった。」

弓維は、また赤くなった。嬉しいって…嬉しいの?我が、安心すると、言ったら…。

「あの…我は、つい気安くてあのように。まだ子供なのですわ。思うたことを全て口にしてはならぬのに。」

高瑞は、首を振った。

「素直で良いことだと思う。主は大変に美しいし、その性質も話しておる様や、あの文字からも見てとれる。なので我は…。だが、我は主に相応しゅうないと、何も言えずで。」

弓維は、え、と顔を上げた。

「それは、どういう意味でございますか?」

高瑞は、苦笑して息をついた。

「我は、龍王の娘であられる高貴な主に、一目で惹かれてしもうたらしい。あの時は、龍の姫などと高根の花であるのに、思うだけでも憚られるのにと、考えぬようにしておったのに。今は、晶子や舞子と取り交わす、主の文を見ては思い浮かべて居る日々であった。」

弓維は、こんなに直球で言われたのは初めてだったので、それこそ顔から火を噴きそうになった。

「あ、あの…我は、そのように言われたのは初めてであって、婚姻の申し込みをされたことはございますけれど、このような形では…あの…。」

高瑞は、頷いた。

「良いのだ。我はの、別に主に受け入れてもらおうとは思うておらぬのよ。と申すのも…我は、女神をこのように愛することが出来る日が来るとは、思うてもおらぬで。女神を慕わしいなど、思うことなど出来ぬと思うておった。何しろ、この生のほとんどを、恨み憎むことで過ごして参ったから。」

弓維は、驚いた顔をした。恨み…?

「それは…何かございましたか。」

高瑞は、頷いた。

「主には想像も出来ぬだろう事があって。我は、一生涯女神など娶らぬと思うておった。表面上は、特に何でも無いように接することが出来るのだが、内心ではただ、疎む存在であってな。そんな己も嫌であったし、偽りの己のまま、一生過ごすのかと絶望もした。それが…主に出逢って、変わったのだ。」

弓維は、ただ高瑞が話すのに聞き入った。何があったのかは知らないが、高瑞は女神を憎んで恨んでいたのだ。優し気な様子も、表面上の事だったと言っているのだ。それが、弓維と会って、変わったと。

「我が、何かのお役に立ったのでしょうか。」

高瑞は、それは嬉しそうに微笑んで、頷いた。

「ああ。主の前では、我は誠の心で笑っておられる。それに、主に嘘が無いのが分かるゆえ、信用することが出来る。あの美しく真っ当な、芯の強い優しく愛らしい文字。主の性質そのままぞ。我を、憎悪の感情から救ってくれた。我が主を愛することが出来た事で、我は偽りの生から救われたのよ。なので、我は主に感謝しておるのだ。それを、我は伝えたかった。」

弓維は、いったい何が高瑞にあったのだろうと思った。だが、踏み込んで聞くのはきっと無粋だろう。いつか、話してくれる時が来るかもしれないし。でも、この優しい美しいかたの、お役に立ったと思うと、なんだか嬉しい。

弓維は、微笑み返して、頷いた。

「高瑞様のお役に立てて、とても嬉しいですわ。我も、此度こちらへ母が連れて来てくださると聞いた時には、またお会いできると楽しみにしておりましたの。我は…想うて頂けるような、大した皇女ではないのですけど。でも、それでお楽になられるのなら、高瑞様の理想に近づけるように励みますわ。」

高瑞は、驚いた顔をした。我の理想に…。

「…少しは、期待しても良いのだろうか。」弓維は、びっくりして高瑞を見上げた。高瑞は続けた。「我のために、励んでくれると申すのだろう?主は…我に、嫁いでも良いと思うておるのだろうか。」

弓維は、また変なことを言ってしまったのだろうか、と驚いた。そうなるのか…でも…。

「…我は、父から勧められた、黎貴様と仰る方にも問われましたの。」弓維は、寂し気に言った。「あのかたとは、たった一日しかお会いしておらぬで、最初から婚姻の相手として紹介されました。でも、宮同士の関係が変わり、破談になりました。そんな我でも、良いと仰るのですか?」

高瑞は、真剣に話す、弓維の目を見つめた。ドキドキと動悸がする。まさか、弓維は了承してくれるのかも…?

「我こそ…過去に何があったか、主が知ったら恐らくは、我の事など…。」高瑞は、急に顔を硬くした。「…やはり、我などに嫁いで欲しいなど言えぬ。主が我の心を救ってくれたのは確か。主のように穢れのない女神が、我などに…。」

弓維は、不安げな顔をして、高瑞を見上げた。

「高瑞様…?」

高瑞は、思い切ったように、弓維の手を取った。

「行こう。」と、宮の方へと足を向けた。「我は、主に我を救ってくれたのだと知らせたかったのだ。それだけぞ。さあ、参ろう。晶子と舞子が待っておるぞ。」

弓維は、高瑞の硬い表情を案じたが、高瑞はそれから、何でもないように晶子と舞子と合流し、そうして宮へと、戻って行ったのだった。

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