交流
維心がいつもの政務へと出かけて行き、維月は気を取り直して、昨日茶会に来た皆に、茶会の来訪への礼と、また訪ねて欲しいという挨拶を書いて送った。
駿の宮からはすぐに返事が来たが、高晶の宮からは、高瑞と晶子、舞子からはすぐに来たのだが、母の明子からは少し、遅れて到着した。
午前中に送った書状の返事が、明子のものだけ夕刻になってから到着したのだ。
維月は、何か不都合があったのかしら、と気にしながら、その文を見た。
そして、理解した。
恐らくは、一生懸命何度も書き直したであろう、力の入った感じの文字で、どこか不安を感じさせる様子だったのだ。
明子が、書が得意でないのは、それで分かった。
そして、文を読み進めて行くうちに、書だけは誰も教えてくれず、王も見放しているのだと、子の高瑞に教えてもらおうにも、皇子に教わるなど外聞が悪いとかで、王に許してもらえないのだと、切々と綴られていた。
そんな明子に、維月は気の毒になった。自分だって楷書の文字しか書けなかったし、しかも上手とは言えなかった。
それを神世で美しい文字だと言われるようにまでなったのは、維心が手ずから毎日毎日維月について、手習いしてくれたからなのだ。
維心にしたら忙しいし面倒なことだろうに、維月が頑張って書いた書を見ては、良くなったと褒めてくれた。そして、励まして嫌な顔一つせず、付き合ってくれたのだ。
…高晶様は、薄情であられること。
維月は、無性に腹が立った。なので、明子にまた返事を書いた。自分が明子の指南をする、手本も書くし、宮へ訪ねてくれたら何度でもお教えするから…と。
維月がプンプン怒ってそれを折りたたんでいると、維心が戻って来て驚いた顔をした。
「維月?何を怒っておるのだ。」
断じて自分のせいではないはず。
維心は思ったが、それでも何を見て何を感じたのか分からない。
なので不安げに言ったのだが、維月は維心を見て、駆けて来て抱き着いた。
「維心様…!私は、維心様を愛しておりますわ!」
維心は、ホッとしたが何のことやらわからず、維月を抱き留めて言った。
「それは分かっておるが、いったいどうしたのだ。文か?」
と、文机の上にある、文へと視線を落とした。
そして、眉を上げた。あまり書が得意でない者が書いた書か?
「あの、明子様から。」維月は、維心の反応を見て、庇うように言った。「高晶様がお悪いのですわ。だって、学ぶ機会を与えて差し上げておりませぬの!私…明子様がお気の毒で。教えて差し上げようと思って、それでお返事を書いたところでした。あの、よろしいでしょう?」
維心は、何度も頷いた。
「良い。だが、どういうことだ?高晶は、確か詩織に通うとか何とか…そういえば、聞いたことがあるような。千夜も詩織の子で力が入っておったのだの。まだあのように幼いうちから、ほとんどここで育ったではないか。だからこそ、公明に嫁いだというのもあるし。」
維月は、首を傾げた。
「詳しいことは明子様もおっしゃらないので分かりませぬが、でも学ぶ機会ぐらいお与えになっても良いと思うのですわ。私だって、最初から全て維心様に教わったのですから。それなのに…高晶様に、腹を立てておったのです。」
高晶か。
維心は、大概迷惑だ、と思っていた。だから複数妃を娶るなら、己が御し切れる人数にした方が良いのだというのに。
「ならば主が教えてやるが良いぞ。弓維だってほとんど主が指南して良い文字を書くし、主なら出来よう。」
維月は、ふうと息をついた。
「でも…あちらの様子が気になりまする。お忙しいのは分かっておりますけれど、誰か軍神をお貸し頂けませぬでしょうか。」
維心は、ぎょ、とした顔をした。軍神を貸す?
「…何に使うのだ。」
維心の顔色が変わったので、維月は維心が何を考えているのか分かった。
「維心様、今維心様を愛しておると申しましたのに。私が申すのは、高晶様のご様子を密かに探って欲しいと思うただけですの。明子様は己の恥だと思われるようで詳しくは仰らないし、でも何やら不穏な様子を感じますの。」と、文を持ち上げた。「これに触れたら、明子様のお気持ちが手に取るように分かりまする。とても幸福な様子ではありませぬ。友になりましたのに、虐げられておるなんて、見過ごせませぬ。」
維心は、困った。とはいえ、他の神の奥宮の様子を暴くのは、さすがに気が退ける。
だが、維月は腹が立ってそれどころではないようだ。
今は何を言っても聞かないだろうと、仕方なく頷いた。
「…分かった。調べさせようの。だから気を収めるのだ、維月。まさかまた、高晶を不能にしたりしておらぬだろうの?少し落ち着け。」
維月は、驚いた顔をした。
「え、なぜに分かりまするの?」
やはりか。
維心は、諭すように言った。
「あのな維月、こんなことは他の宮ならしょっちゅうあることなのだ。我には理解出来ぬが、王は新しい妃に夢中になって先に入っておる妃には冷たくなったりするもの。それらを片っ端から不能にしておったら大変な事になる。とにかく、詳しい事が分かるまで、それは待たぬか。」
維月は、維心に言われて渋々頷く。
「はい…でも、1日ぐらい、疲れておるだけだと思うくらいでしょうし。もうしばらく放置致しますわ。治すのは、詳しい事が分かってからにいたします。」
それは早う調べてやらねば高晶がつらいな。
維心は思い、気は進まなかったが、帝羽に命じて、調べさせる事にしたのだった。
それから、維月は頻繁に明子へと文を遣わせた。
帝羽が調べに行っているようだったが、さすがに奥宮の事情となるとなかなかに難しいようで、あれから二週間経つがまだ調べられていないようだった。
高晶は何も言わないが、恐らく維月に不能にされたままで悩み始めているはずだ。
なので、維心は仕方なく義心を呼んだ。
義心は、いつものようにすぐに、居間へとやって来た。
「お呼びにより参上致しました。」
維心は頷いて、声を潜め気味に、言った。
「早速であるが義心、主、高晶の宮の奥のことは知っておるか。」
義心は、すんなり頷いた。
「は、ある程度は。帝羽に命じておられるので、何か新たな事をお探しかと、我は感知せぬでおったのですが。」
維心は、首を振った。
「違うのだ、維月がどうしてもと申して。」と、奥を伺い、更に声を低くした。「して、主が知っておる限りを言うてみよ。」
義心は、訳が分からなかったが、躊躇いがちにこちらも声を潜めて答えた。
「は。あちらには明子様、寧々様、詩織様の三人の妃が居られ、今申しました順に宮へ入られました。お子は明子様に三人、寧々様に一人、詩織様に一人。男子は高瑞様のみでございます。」
維心は、ため息をついた。
「それは知っておる。それから?何やら明子の扱いが悪いと維月が怒っておってな。何も言うては来ておらぬが、実は高晶は今不能にされておる。」
義心は、驚いた顔をした。
「確かに、明子様とは宮に入られた時にはそれはご執心であられて。次々に子を成され、それは仲睦まじかったと聞いております。それが、ある事件があってから、高晶様が明子様を疎んじられるようになって…。その時に入られたのが寧々様で。最近になって、新しく入った侍女であった詩織様をいたく気に入られ、そうして今では、詩織様の天下のような形で。それでも侍女出身であるのと、明子様が血筋も正しく皇子もお産みになっておられるのを差し置いて、正妃にしようとなさり、臣下に反対されておる状況です。」
維心は、眉を寄せた。
「事件?」
義心は、更に声を潜めた。
「は。高瑞様のご名誉にも関わる事ですので、我も王に訊ねられるまでは申しませんでしたが、高瑞様が書に興味を持たれて。指南しようにも高晶様もそれほどでは有られませず、明子様はもっと不得手であられたようで、侍女の一人に白羽の矢が立ちました。その時侍女は三百ほど、高瑞様はまだ百にも届かぬお歳しであられて。毎日励んでおる時に、その侍女は、あろうことか高瑞様に虐待を。」
維心は、眉を寄せたまま言った。
「虐待?」
義心は、下を向いた。
「は。その…性的に、ということでございます。」
維心は、盛大に嫌な顔をした。幼い子を任せるのに人選をしっかりしておらなんだのか。
「…また何と言う目にあったのだ高瑞は。して?」
義心は、続けた。
「は。それが…発覚した時、侍女は高瑞様のお子を身籠っておりました。高晶様どころか高司様も激高なさり、それでもその子に罪はないと、そのご誕生を待って、侍女を折檻の後で処刑され、お子は密かに育てられておりまする。そんなご事情ですので存在は伏せられておりまするが、高晶様のご友人の宮では知っておるようです。そろそろ百にもおなりのはずなので、公開も近いかと思われますが、母の事は終世表に出ては参りますまい。」
ということは、高瑞にはあの年でもう、子が居るのか。
「複雑なことよ。しかし、確かに子に罪はない。宮で育っておるのなら立派に育っておるだろう。して、なぜにそれで高晶が明子を遠ざけるのだ。決めたのは己なのだろう?」
義心は、また下を向いた。
「は。あの…明子様が書に堪能ならば、このような事にはならなんだと。高瑞様に教えられなかった、明子様が悪いと言われて、通うことが無くなったのだとか。」
維心は、さすがに腹が立った。
「己の事を棚に上げて何を言うておるのだあれは。高晶の書を見たことはあるが、大したものではなかったぞ。維月が怒るのも道理。誠に勝手なことよ。」
「そうですわ!」いきなり、後ろの奥の間の扉がバンと開いて、維月が言った。「誠に許しがたいこと!それなのに、外聞が悪いとか申して学ぶ事すらお許しにならないなんて!許せませぬ!」
義心が呆然とそれを見て固まっている。
維心は、慌てて言った。
「聞いておったのか。維月、だが知ったからとあちらにはこちらから何某か言えぬのだ。事が事なのだぞ?高瑞の気持ちを考えよ。被害にあったことが皆に知れ渡る事があってはならぬのだ。次の王なのだからの!」
維月は、怒りで顔を赤くしていたが、何度も深呼吸して自分を落ち着かせ、言った。
「…はい。分かっておりますわ。明子様もだからこそ、何も仰らなかったのですわ。でも、私は高晶様を元にはお戻し出来ませぬゆえ!」
不能の件か。
維心も義心も思ったが、とにかく維月をなだめようと必死に言った。
「あれを戻せと言わぬから。とにかく、主は高晶の鼻をあかしたいのだろう?ならば、明子の指南ではないのか。また文が来ておったぞ。今帝羽が持ち帰って来たのが結界を入った。主はそれに尽力すれば良いから。の?」
維月は、うーっと唸りながらも、何とか頷いた。
「はい…。」
するとそこへ、折よく帝羽が入って来た。




