事情
高瑞が晶子と舞子、明子を連れて宮へと戻ってしばらく、高晶が宮へと帰って来た。
高瑞が本日の報告もあるのでそれを居間で出迎えると、高晶は言った。
「高瑞。龍の宮はどうであったか。」
高瑞は、頭を下げた。
「は、父上。たわいもない話をしておっただけで、大したことは申しておりませぬが、しかし本日は、皆で書を見せ合って楽しんでおりましたので、それだけでも我は大変に有意義でありました。」
高晶は、渋い顔をした。
「書?主は良いが明子もか?」
明子は、あまり書が得意ではない。それを龍王妃の前で披露したのかといい気はしないらしい。
しかし、高瑞は首を振った。
「いえ、それはございませぬ。確かに龍王妃様の御手は大したもので、我が追い求めておった文字であるのは分かり申しましたが、それは維斗殿の幼い頃に指南のために書き記したものを見せてもらって知ったことで、母上は何も書いておりませぬ。」
高晶は、ホッとしたような顔をした。
「ならば良い。明子は粗相はしておらぬか。晶子と舞子は?」
この父は、どうも母を軽く見ている節がある。
高瑞は、それでも何も言わずに、答えた。
「は。問題なく。晶子と舞子も、以前のように自信のない様ではなく、どちらの皇女とも遜色なく会話して接しておりました。母上は、龍王妃様と離れて話しておりましたが、親し気に仲の良い様子で、話し込んでおられました。」
高晶は、ふうと息をついた。
「そうか。おかしなことを言うておらぬか案じられるが、しかしあれも良い歳であるし、それぐらいは弁えておろう。では、主は下がれ。高湊はどうしておる?」
高瑞は、視線を落とした。
「…は。本日は軍神達に指南を受けていたとかで。乳母が面倒を見ておりましょう。」
高晶は、頷いた。
「ならば良い。あれももう100になるし、そろそろ内外的にも公開せねばならぬ。主もそろそろ妃を探さねばならぬぞ。いつまでもトラウマなどと弱いことを申しておったら次の王にはならぬぞ。駿殿の皇女は大変に優れておると聞いておったから、歳も近いし期待しておったのに、そちらはどうであった。」
高瑞は、父と視線を合わさずに、答えた。
「素直そうな皇女達でありました。ですが…今少し、考えさせて頂きたいものと。」
高晶は、またため息をついた。
「まあ良い、跡目は居るのだし。急いではおらぬ。主はまだ若いのだ、今少し考えたいというのも分かるもの。だが、主は運が悪かっただけよ。とっくに死んでおらぬのだから、もう忘れて妃を探すと良いぞ。」
高瑞は、頭を下げた。
「は…。では、御前失礼致します。」
高晶は、頷いた。
そして、高瑞が出て行こうとするその背後で、侍女に命じるのが聴こえた。
「…詩織をこれへ。」
また、あの女か。
高瑞は息をついたが、それでも何も言わずにそこを出て行った。
次の日の朝、維心が維月とゆっくりした朝を迎えて日が昇ってから居間へと出て来ると、もう義心が来て、膝をついて待っていた。
鵬も居て、隣りで難しい顔をして頭を下げている。
維心は、眉を上げて、維月を横に、正面のいつもの椅子へと座った。
「…何ぞ。何かあったか。」
とりあえず緊急ではないようだが。
維心が思ってそう言うと、義心が答えた。
「は。匡儀様より夜明けと共に書状が参りました。王から事前に許可を頂いておりましたので、中を確認しております。」
維心は、眉を跳ね上げた。
「婚姻か?」
鵬が、隣りで頷く。
「は…。」
それにしては早いな。
維心は思いながらも、鵬がおずおずと書状を差し出す。
維心は、心配そうに横に座っている、維月にも見えるようにと書状を開いて中を見た。
…夕貴を差し出すと。弓維のことは書いていない。
「…思っておったより、巧みなようよ。」
維心は、眉を寄せて言った。義心も、頷いた。
「これほどあからさまに折れて参ったということは、あちらは逆にこちらをけん制しておるのだと思われまする。これがこちらの神達にも知れたら、それでもこちらが圧力を掛けると、今度はこちらの方が悪いように見られましょう。それを知っていて、こうして完全に折れて来たと見た方が良いでしょう。」
維心は、頷いた。
「恐らくはの。」と、維月も内容を読んだのを見て、それを閉じた。「まあ良い。維斗は娶っても良いと申しておったのだし、夕貴をこちらへ迎える準備せよ。いや…逆に、そこまでする必要はない、と突き返すか。」
維月が、驚いたように維心を見る。鵬も驚いていたが、義心は維心を見上げた。
「左様でございますな。こちらとしては気遣ったような形を取り、借りを返させぬという方法もございます。」
維心は、二ッと笑った。
「よし、それで良い。」と、鵬を見た。「書状を。大切な皇女をこちらへもらい受けるほどの責ではない、と申せ。婚姻のことは、このような時にはお互いに質に取るような形になるので、避けようと。それよりも、誠の和睦を目指して交流して参ろうと書け。その上で、当人同士が望むならば縁談を進めれば良いとの。」
鵬は、義心をチラチラと見ながら、頭を下げた。
「は…。では、そのように。」
義心は、維心に言った。
「王、此度は我に使者としてあちらへ行くご命令を。あちらは、堅貴と申す次席の軍神が目ざといので、密かに宮の中まで見て参るのが、我でも難しいのです。正式に中へ入っておらねば、探ること敵いませぬ。これまでは明羽と交流しておったので容易でしたが、今のように断絶しておる時には使者として立たせて頂きたいかと。」
維心は、頷いた。
「行って参れ。出来るだけ探って来るのだぞ。」
義心は、頭を下げた。
「は!」
そうして、鵬と義心は出て行った。
それを見送って、維月は不安そうに言った。
「誠に…難しいことになっておりますこと。このように、探り合いのような書状のやり取りが続くのでしょうか。」
維心は、苦笑して維月の肩を抱いた。
「しばらくはの。しようのない事よ。案じるでない、宮と宮などこんなもの。普段から主が知らぬところでもこのようなことが起こっておるのだ。匡儀は敵に回すと厄介なので、微妙な匙加減が必要なのよ。とはいえ、しばらくで落ち着く。あちらも、こちらに言うて来ることが無うなるからの。それに…夕貴をこちらへ入れると、あちらの臣下などが用も無いのにこちらへ来る口実を与えてしまうしな。これは表向き、こちらが謝罪を蹴った事にはならぬ。そこまでする必要はない、と許したような形になるのだ。裏では、向こうは借りを作ったままなので、どこかで譲歩せねばならぬし面倒だと思うことだろう。ま、何にしろあちらの思惑通りには行かぬということぞ。考えておることなど筒抜けよ。」
維月は、それでも心配そうに維心を見上げた。
「ですけれど…こちらで他の縁談を受けることが出来ぬのでは?弓維と、維斗に他に縁談が参ったらどう致しますの?」
維心は、困ったように笑った。
「逆ぞ。我がこう申すことで、縁談は無かった事になる。お互いに質に取るようなことになるゆえ、やめようと言うたわけであるからな。なので、弓維がどこかへ嫁ぎたいとか、維斗が誰かを娶りたいと申すなら、進めれば良いのだ。もちろん、相手の精査はするがの。」
もしかしたら、維心はそれも狙っていたのかもしれない。弓維がどこにも縁付けぬのかと、昨日話したばかりだからだ。
つくづく維心はいろいろな事を頭に入れて判断している、と維月は感心した。
「…維心様にお任せしておったら、誠に案じることはございませんこと。」
維月がそう言うと、維心は嬉しそうに微笑んだ。
「であろう?主は何も案ずることは無いのだ。」
でも、せっかく決まりかけた弓維の嫁ぎ先も、維斗の妃も無くなってしまった。
維月は、ハアと息をついたのだった。




