思惑
匡儀は、思ったよりあっさりと、青龍の宮からその件はこれでこちらからはもう言わぬ、と返事が来たことに拍子抜けしていた。
維心が怒っていたなら、もっとごねて来るかと思ったのだ。
やはり、維心はこちらを支配するとか、そんなことは考えていないようだった。
その返事を前に、伏師と明羽、堅貴と四人で向かい合って、話していた。
「王、ならばやはり、あちらの龍王がこうして穏やかに対応してくださっておる内に、婚姻による繋がりを持った方が良いのでは。これで和解という形にしてくださったのです。何よりではありませんか。」
明羽も、横で頷いた。
「誠にその通りです。夕貴様をあちらへ、弓維様をこちらへという、お話を進める意向をあちらへ知らせましょう。」
しかし、堅貴が険しい顔で言った。
「しかしながら、あれは非礼を詫びただけのもの。」伏師も、明羽も堅貴を見る。堅貴は、匡儀を見た。「王、あちらはあくまでも、王があのように帰って来たことに対しては許そうと申しておるだけで、王がどちらが誠に龍王であるかというお話をなさったということに関しては、何も申しておりませぬ。こちらも、あの書状には何も書いておらぬから、あちらも申さなかっただけなのではと思われまする。もしかして、そういった火種を作ってしまったことに関しては、まだ何某か思うところがあるのではありませぬか。」
明羽は、あまりにズバズバ言う堅貴に、慌てて言った。
「こら堅貴、口が過ぎる!我に申すような言い方をしおってからに!」
堅貴は元々辛辣なのだ。思った事はハッキリと言う。なので明羽はいつもハラハラするのだが、まさか王に対してまでこんなことを言うとは。
しかし、匡儀は怒っているようではなく、ため息をついて頷いた。
「良い、それは我も思うた。」と、堅貴を見た。「此度は、確かにゆっくりと折れて参ろうと、挨拶無しの非礼だけを詫びただけ。このあっさりとした文面を見た時、その件は、の、その件とはこちらが書いた事に関しては、ということかと思うた。奥底に内包していた懸念を持ち出してしもうたのは我の責。それに関しては、まだ維心は許しておらぬと主は思うのだな。」
堅貴は、頷く。
「は。維心様に於かれましては、出来たらそれを表面化させたくないとお考えだったのではと我は思いまする。何しろ…戦になりますゆえ。」
龍族の歴史は殺戮の歴史。
恐らくあちらもそうのはず。維心が平定したと聞いているあの土地の者達は、皆維心を恐れてその統治に従っている。龍の本性が激しいのは、龍である自分達が一番よく知っているのだ。
「どうしたら良いと思う。」
堅貴は、戸惑う顔をした。そして、伏師と明羽と視線を合わせてから、また匡儀へと目を移した。
「恐れながら…もし、王が戦を避けようとお考えであるのなら、ここはあちらの意向に沿って婚姻なども進めた方が良いのではと思いまする。このお返事を見るまでは、我も対等に条件を付けて夕貴様をあちらへと考えており申しましたが、こうなって参ると…このあっさりとした文面に、後ろ寒い心地が致します。」
明羽と伏師はハラハラとした顔をしていたが、匡儀は妥当な考えだと思った。堅貴は、特に出世欲も無く、女に惑うことも無く、王の匡儀にも媚びへつらうような事は全くない。そして、遠慮もない。
本当ならそんな男なら序列もそう上がらないものなのだが、本来が優秀なので、いつの間にか次席にまで上り詰め、そして本来なら筆頭でもいいぐらい良く出来るのだが、本人がそんなつもりもないので、無理強いするのもと思い、明羽が筆頭に座っている状態だ。
そんな男なので、その意見は的を射ていて、すんなりと聞くことが出来た。
「…もっともなことぞ。とはいえ、そうなると完全にあちらに降伏する形になる。これからのためにも、それは出来ぬ。」
伏師は、何度も首を振った。
「降伏など!あちらに主導権を握られて、こちらを好きに統治されたらどうするのだ!」
伏師は、堅貴に言った。堅貴は、伏師を睨んだ。
「主はよう見て考えておるのか。王は分かっておられる。一度は惑われたが、我らを救おうとお考えを正された。あの青龍の王はこちらをどうにか、今は考えておらぬ。ならば今は、一族が生き残ることを考えるのが先決ぞ。そうして時を稼いで、いつか来るかもしれぬ戦いのための材料を集めるのだ。今は時が必要ぞ。今すぐでは、こちらは跡形も残らぬだろう。戦の折の、青龍の王の力を見たであろう。もちろん、戦など無いに越したことはないが、備えは必要。そのための、時を稼ぐことを考えよ。」
匡儀は、それを聞きながら目を細めて堅貴を見た。やはり堅貴は、いろいろな事を見て考えている。欲のない奴だが、これなら王であってもおかしくない見識だ。
伏師も、堅貴に言われて絶句し、下を向いている。
匡儀は、パン、と膝を打った。
「…そうであるな、あちらもこちらの考えは見通しておろう。ゆえ、こちらはあくまで下手に出てその期待を裏切ってやろうぞ。夕貴をやる。もちろん、条件の提示は無しぞ。弓維は欲しいとは言わぬ。こちらが皇女を差し出せば、あちらはそれでもう何も言えまい。それでも討って出るなら、さすがの彰炎も誓心も、こちらに手を貸そう。我がそうやって折れておるのを見せつけることで、こちらは神世を味方につける。それでも嫌がらせをして来るようなら、あちらが悪いのだからの。ここは堪えて、低く構えよう。そもそもが我が言い出したことであるから、我もその責を負って頭ぐらい下げようぞ。」
伏師と明羽は、顔を見合わせてから、下を向いた。
「王…。」
しかし、堅貴は頷いて伏師に言った。
「ならば早い方が良い。あちらに別の縁などが来ては遅れてややこしい事になる。伏師、早う書状を書け。明日の朝にでも、あちらへ送ることが出来るように。」
確かに、どこかの宮の皇女が来てすぐまた夕貴をなど、さすがに双方の宮の対面もあって、時を置かねばならなくなるからだ。
匡儀も、頷いた。
「それはそうだ。あちらはしょっちゅう縁談があるのだと聞いておるし、維斗でも維明でもより取り見取り。せっかくにこちらにあった話が、別へ行っては面倒よ。」と、堅貴を見た。「堅貴、主が辞退するゆえ明羽が筆頭についておるが、主が筆頭に座った方が良い。別に明羽が悪いと申しておるのではない、こやつは実直で素直であるし、頼りになるのだ。しかし、それだけでは渡り合えぬ。あちらの義心を知っておるだろう。あれと対等にやり合えるのは、主しか居らぬ。立ち合いの腕だけでは無く、考え方の方ぞ。恐らく明羽は、それを分かっておろう?」
明羽は、言われてまた下を向いた。義心とは、共に行動してあれの慎重さと巧みさ、それに頭の良さに敵わないと思った。それでも、あちらは友に教えるようにいろいろと指南してくれていた。なので、勝手に兄のような心地になって、素直に教えを乞うていたのだ。
しかし、これからはそうではならないと、王は言っているのだ。
よく考えてみると、堅貴はつかず離れず、義心となれ合う事も無く、ただ黙々と立ち合いの相手などをして、それぐらいしか接してはいなかった。
時に話していたりはしたが、明羽ほど親し気ではなかったし、事務的で淡々とした感じだった。それも、堅貴の性質のせいだと思っていたが、堅貴は始めから、完全にあちらを信じていたわけではなかったのだ。
「…は。」明羽は、匡儀に項垂れてそう答えた。「我はそんな懸念などなく、ただ同族の優秀な軍神に教えを乞うように思うて接しておりました。堅貴の方が、元より優秀であって筆頭にと王から言われておったにも関わらず、これが渋い顔をするのでこの座に居っただけのこと。主がやはり筆頭なのだ。面倒がらずに、役目を果たせ、堅貴。」
堅貴は、険しい顔をしていたが、思っていたよりすんなりと頷いた。
「…は。」と、匡儀を見上げた。「王、我はこれまで、筆頭の座など面倒なだけだと思うておりました。家の者がその座に就けとうるさいし、我にはそのようなものが無くとも王にお仕えするのは違いないと思うておったので。しかし、こうして青龍との攻防となって参ると別。明羽に気苦労を押し付けて参りましたが、王がそのように仰るのなら、筆頭に。有難くお受け致しまする。」
匡儀は、頷いた。
そうして、堅貴が筆頭に、明羽が次席に変わり、白龍の宮は新しい動きを始めたのだった。




