友
維月は、午後の茶会を終えて、皆から帰る前の挨拶を受け、そうして、部屋へと戻った。
見送りに出たいところだったが、それは身分柄出来ないと維斗に言われ、仕方なく維斗に代わりに行ってもらうことにした。
維月にしたら、維心を愛しただけでこんな地位など要らなかったのだが、維心のためにも品のない行動は出来ない。
なので、皆が飛び立って行くのを感じながら、ただじっと居間で座っていた。
すると、維斗が見送った後の報告をしに、居間へとやって来た。
「母上。」
維斗が入って来たので、維月は微笑んでそれを迎えた。
「ああ、維斗。本日はご苦労でしたね。皆、楽しんでおったようで良かったこと。弓維も明るい顔をしておって、安堵したわ。」
維斗は、頷いて答えた。
「はい、母上。元々駿殿の皇女達とは友であったのですが、本日新たに高晶殿の皇女達とも懇意になって、それを喜んでおりました。それから、何より高瑞殿と気が合ったようで、書の事など話が弾んでおる様子でした。帰り際も、名残惜し気にしておりました。」
維月は、首を傾げて今日一日のことを思い出した。言われてみれば、庭でもよく話していたような。
「…庭へ出た時も、高瑞殿が弓維の手を取ってくださっておったわね。弓維と奥の滝の方へと向かって、百合の蕾がいつ開くかと楽し気に話しておったわ。高瑞殿は、花のことなどもよう知っておられるようで、百合の他にも苔や小さな野の花などの事も、まるで師のように話して聞かせてくれておりました。微笑ましく見ておったのよ。」
維斗は、それも見ていて知っていた。弓維は、それは楽しげだった。
そもそも弓維は、男と接した事はなかったとはいえ、父、維明、維斗とは毎日のように接して来たのだ。その他軍神達も、上位の者ばかりを何度も見ている。
なので、少し威厳のあるような皇子にも、苦手意識はないようだった。それは初めて会う相手なので始めは緊張しているようだが、もともとが懐っこい性質なのですぐに打ち解けるようだ。それが、高瑞のような優しげな品の良い神なら尚のことだろう。
「高瑞殿にはあのように穏やかな神なので、気を許しておったようですね。押し付けがましい事もなく、他の神のように無駄に近付こうともせず、植物などに興味を持つ優しげな神なので、我も安心してお任せ出来ておりました。」
維月は、微笑んで頷いた。
「私もそのように。まさか高晶様の皇子があのようであるとは、思ってもなかったわ。とはいえ…弓維は、龍であるから。あの子の希望を考えても、あちらに縁付く訳にはいかぬので、あまり親しくなるのも苦しい事になりましょう。会わぬ方が良いのかもしれないわね。」
龍は、龍しか産まない。
だからこそ、他の宮の皇子には嫁げないのだ。
嫁いでもいいが、弓維が望むように己だけを終世というわけには、跡継ぎのことを考えて、無理なのだ。
龍は維心に従わねばならないので、他の宮の皇子が龍ではならないと臣下は考える。
こちらもそう考えるので、産まれた龍の皇子はこちらに引き取り、養子に出して臣下が育てる事になる。
なので、余程の事がない限り、龍の皇女が他の宮へ嫁ぐ事はなかった。他の妃が産む皇子しか、跡継ぎに出来ないからだった。
最初から、複数の妃前提の婚姻になるのだ。
黎貴はあくまでも、同族であったからこその縁だったのだ。
「はい。とはいえ…」維斗は、少し案じるような顔をした。「…高瑞殿に、それが納得出来るものか。」
維月は、驚いたように維斗を見る。まさか、高瑞は弓維を?
「何かありましたか。」
維斗は、維月を見た。
「幼い頃に、母上のお手を見たと話しておりましたでしょう。それに憧れ、書に励んだのだと申しておったのです。当然のことながら、弓維の手は母上のそれと良く似ておりまする。違うものではありますが、しかし目を離せないでおられたのも事実。あれから帰るまで、高瑞殿は弓維ばかりを見ておりました。もしかして、と考えるのは我の取り越し苦労でありましょうか。」
「まあ…。」
維月は、言葉を詰まらせた。確かに神世では文字の美しさなどでも相手の事を推し量る。弓維は、幼い頃から自分や維心の文字を見て、それは愛らしい文字を書く。
そして、姿も維心に似て絶世の美女と謳われるほど。
「…誠に、困った事にならねば良いのですけれど。」
維斗は、頷く。
「誠に。」
維月がため息をついていると、そこへ維心が帰ったと先触れがあり、維斗は出迎えに慌てて出て行った。
維心は几帳面なので、この時間に帰ると言ったら本当にその時間に帰って来る。
今はやっと夕刻かという時間で、いつもならもう少し暗くなってからなのに、今日はいつもより少し、早かった。
維月が立って待っていると、維心は居間の扉から帰って来た。
「今帰った。」
維月は、下げた頭を上げた。
「お帰りなさいませ。」
維心は、凛々しく美しい。
少し離れてこうして見ると、それを感じて維月は自然、笑顔になった。
「何やら暗い顔をしておったのに、我を見て嬉しげなのは心が沸くの。どうしたのだ。茶会で何か?」
維心はすぐに維月の僅かな変化に気付く。
維月は、維心の手を取って言った。
「皆で楽しく過ごしました。弓維も楽しげで良い事でしたわ。ですけれど…あの子はあのように優れた皇女であるので。」
維心は、維月を促して椅子へと座りながら、言った。
「皇子が懸想でもしたか?まあ、しかしまともな皇子なら龍は娶らぬわ。駿の第二皇子ならいざ知らず、高晶の皇子はなかろう。」維月がますます眉を寄せるのに、維心も眉を寄せた。「…高瑞か?」
維月は、維心を見上げた。
「まだ分からぬのですわ。でも、確かに仲が良かったのは確かですの。高瑞殿は特に弓維に寄って行くわけでも無く、大変に紳士的に接してくださっておったので、私もそのようには思うておりませなんだが、維斗が。あの、子達は皆で話しておって、私は明子殿と二人で離れて話しておったのですけれど、子達の間で書の話になっておったようで。皆で歌などを書いて、そして維斗が幼い頃の手習いの書などを出して来て、皆で眺めておったようです。高瑞殿は幼い頃、こちらの宮へ来られたことがあるらしく、その折、居間で私の書を目にしておったようで…その文字に憧れて、書に励んだのだとのことで。ずっと探していて、弓維の文字が似ておると知り、それから興味をお持ちらしく、ずっと弓維ばかりを見ておったと先ほど聞いたばかりですの。」
維心は、居間に飾ってある、自分と維月の恋歌の方を見た。あれを見たのか。
「…確かに昔、あれの祖父の高司に連れられて幼い高瑞が来たという記憶がある。一度だけであったがの。行儀の良い子であったがまだ高司に抱かれておるような小さな頃で…あれから、書に励んでおったのか。」
維月は、頷いた。
「そのようですわ。確かに長年励まれてそれは素晴らしい文字であられました。しかしながら、弓維は龍であるので…さすがに無いと思いたくて。弓維は維心様を理想としておるのですもの。他の妃も必ず娶らねばならぬような宮に、行くとは言わぬと思いますの。仮に想い合って行ったとしても、お互いにつらいことになりましょうし…。」
高瑞も、心ならず他の妃を娶って子を成さねばならぬと臣下に強要されるだろうし、弓維もそれに反対出来ないからだ。
維心は、ため息をついて額に手を置いた。
「まあ…しかし、弓維がもしそれでも行きたいと申したとしても、今は我も良いとは言えぬのだ。」
維月は、眉を上げて問うように維心を見た。
「それは、何か?」
維心は、頷いて維月を見た。
「主にはまだ言うておらなんだが、我がここを発つ直前、匡儀から書状が参ったのよ。」
維月は仰天して目を丸くした。匡儀様から?!
「え、それはやはり婚姻をと?」
維心は、首を振った。
「いや、ただ挨拶も無しに帰った非礼を詫びて来ただけ。しかし通常考えられぬほど詫びの品を持たせて来たのだ。明らかに折れて来たので我としてはそれで手打ちにしてやろうとは思うが、しかし次は婚姻の話になろう。あちらは弓維をと申して来るだろうし、夕貴をこちらにとなるだろう。我は夕貴が維斗に嫁ぐのは許すが、維明には無理ぞ。それから、弓維のことは同時には許せぬ。立場があるのだ。あちらがまず折れて皇女を差し出した形にならぬことには、弓維はやれぬと言うつもりよ。高瑞のことは、それがこじれた後なら嫁ぎたいなら考えても良いが、その前に嫁がせてしまうと、あちらと話があるのに当てつけに見えよう。今は波風立てずに、これが収まるまでは弓維をどこにも嫁がせられぬのだ。」
維月は、まさかそんなことになっているとは思わなくて、ただただ口を袖で押えて絶句した。政略の婚姻は維月にとって絶対に良いとは言えないが、しかし問題が大きくなるのが分かっているのに、こちらでさっさと決められるものではない。
皇女の婚姻なのだから、そこは融通が利かなくても文句は言えなかった。
「…成人まではまだあるのですし…」維月は、やっと言った。「弓維には成人までゆっくり考えるように申しておきますわ。恐らくは、弓維からは高瑞殿にそのような気持ちはまだ無いかと思うのですけれど、先は分かりませぬし。なるべく、しばらくは弓維を外に出さぬよう、茶会も女だけのものだけ出席させるように致します。」
維心も、それには頷いた。
「頼んだぞ。このような事に巻き込む形になってすまぬが、弓維は一生我の結界の中で世話しても良いと思うておるし。主は案じるでないぞ。」
そうは言っても、娘のことを案じないのは難しい。
維月は、つくづく龍の王族なのだと柵を再認識していた。




