巡る
十六夜と碧黎を見送った維月と維心は、また改めて話に参る、と言った碧黎の言葉を気にしながらも、休む支度を整えていた。
空には月が昇り、そこには十六夜の気配はない。
恐らく、月の宮へ碧黎と共に帰って、蒼に報告しようとしているのだろう。
維心は、維月と共に寝台へと向かい、そこに二人で腰かけて、カーテンを開いて、空にある星々と、月を眺めていた。
もう奥の間の灯りは落としているので、月灯りだけで部屋の中は薄暗い。
お互いの顔が薄っすらと見える中で、維心は言った。
「…何やら、寂しいものよ。」維心は、月を見上げながら、言った。「本日あの時に、我らの前世からの関係は終わったのだの。真実、転生したのだという心地になったもの。前世の主らは、もう居らぬ。」
維月は、そんな維心の横顔を見上げながら、言った。
「もう、とっくに居なくなっておりました。」維月は、静かに言った。「私達は、前世の自分達の亡霊に憑かれておったようなもの。それが、綺麗に天へと昇ったのでしょう。今生は、確かに兄妹として育ち、私達の間には、男女の情念のような物はありませんでした。あったのは、肉親の情。でも、前世の記憶を戻した時に、それと前世の男女の情が混じってしまって、不自然になっておりましたの。でも、やはり今生を生きておるのですから、結局は今生の記憶が勝って参るのですわ。十六夜は、先ほど申したように、結構前世よりも我がままでありました。でも、私は前世の情があるので、それを受け入れてしまっておりました。もっと文句を言えば良かったのかもしれませんけど、私も、改めて向き合って話すのが、面倒であったのでしょうね。話し合って関係を正して行こうという、気力も無かったのですわ。だから、これはきっかけでしかありませんでしたけど、結果的に良かったのではないかと思います。維心様は私を、妃として愛してくださいますし、ご自分のためだけでなく、私の為を考えてお傍に置いて、愛してくださる。それを感じておられるので、とても幸福で私も安心して愛しておられるのですわ。感謝しておりますの。」
維心は、維月を見た。そして、その頭を撫でた。
「別にの…十六夜は変わらず月に居るのだし、主が言うておった通りこれまでと変わらぬのだと思うのだ。だが、我はの…怖くなった。数百年共に来た、愛し合っていた関係も、そうやって自然に消えていってしまうのかと。我が主を愛しておるこの気持ちも、主が我を愛してくれておる気持ちも、いつか消えて、なくなってしまうのではないかとな。絶対に揺るぎないと思うておった主らが、そのようになってしまうのだから…。」
維月の肩を抱く、維心の手は微かに震えていた。お互いに愛しているからこそ、幸福なのだ。これが、自分であれ相手であれ、その気持ちを失くしてしまったら、どちらも不幸になってしまう。
共に居る意味がなくなってしまうからだ。
「…そうなってから、他にこれほどに愛せるかたも、愛してくれるかたも、見つけられるかどうか、私も不安になりますわ。」維月は、言って下を向いた。「今この時は、維心様の御心が、確かに自分にあるのだと信じておられますし、私も心から愛しておって、その気持ちに嘘はありませぬ。昔、私は人の記憶が抜けきれなくて、よく維心様が心変わりをなさるのを、とても案じておったものでした。でも、ここまでずっと、黄泉へ参った後も愛してくださった。だからこそ、私は信じておりまする。維心様は、きっとこれからもお変わりになられないと。そしてそんな維心様の事を、私も愛して行くのだと。私達は、きっと大丈夫ですわ。ご案じなさいますな。」
維心は、頷いて維月を抱きしめた。
「そうであるな。起こるはずの無い未来の事を、案じておって今の幸福を半減させることはない。これまでも、これからも我らは変わらぬと。我は信じるぞ。」
維月は、微笑んで頷いた。
「はい。私も信じておりますわ。維心様だからこそ、信じられるのですわ。」
維心は、維月を抱きしめたまま、言った。
「十六夜が居らぬようになると、ただ寂しい心地よ。あれともう、主を取り合うことも無いのだな…。」
維月は、苦笑した。
「まあ。居る時はそのような事は申されなかったのに。でも、居なくなるわけではありませぬから。ただ、私に口づけたり、体の関係になったりはしないだけですの。私達は仲が良いのは同じだと思いますわ。」
維心は、頷いた。
「そうであるな。」と、唇を寄せた。「今はこうして体を合わせるのは、我だけよな。」
そうして、維心は気でカーテンを閉じて、維月と寝台へと沈んだ。
新しく、生まれ変わったような気がした。
十六夜は、見る見る体も回復して、元通りの姿で月から降りて来るようになっていた。
とはいえ、龍の宮には来ていないので、実際に見たわけではない。あの後しばらくして、改めて話に来た、碧黎が話してくれたので知っただけだった。
碧黎は、言った。
「これで、十六夜とは体も命も繋がぬことになったし、主は体、我は命と分けて考えてそれで良いと思うか。」
唐突だったので驚いたが、維心は答えた。
「そういう事になるのだろう。主は、我が維月と命を繋ぐのは否であろう?」
碧黎は、首を振った。
「もう一度繋いでおるしな。もしその時は、我も維月と体を繋ぐ。それで良いか。」
維心は、そういう事にするのか、と頷いた。
「良い。ではそういう事で。どちらかが自分の範囲外の事をしたら、必ず申告してもう片方も範囲外の事をやるということで。ただ、子だけは気を付けよ。主らは簡単には子が出来ぬ種族であるが、出来る時はびっくりするほどあっさり出来るからの。そればっかりは維月も調節できぬのだと困っておった。我との子は調節できるのにな。」
碧黎は、頷いたが渋い顔をした。
「我だって、いつ出来るのかは分からぬからの。体の関係があれば、子も出来る可能性があるという事ぞ。そこは主にも覚悟しておいてもらわねば。」
維心は、仕方なく頷いた。
「分かった。主も味を占めたようであるが、そう何度もしてくれるな。あくまでも、己の範囲内を心がけてな。」
碧黎は頷いて、立ち上がった。
「努めよう。とはいえ、緩い規則であるから、我も里帰りの時などは分からぬ。維月の部屋は、長く十六夜と一緒であったが此度、昔の陽蘭の部屋へと移ったのだ。あれの荷物も全てそこへ運び入れた。なので、我の側近くなのだ。」
維心は、両方の眉を跳ね上げた。碧黎の棟の、奥の間の隣りでは無いか!
「妃の部屋ではないか!いつの間にそのような!」
碧黎は、涼しい顔をした。
「いつの間にと、あれは我の妃であるから。神世の理とはそうなのだろう?一度体の関係を持つと、妃となるのだろうが。よろしく頼むぞ、維心よ。十六夜が居らぬだけでも気苦労は減ったしな。我はそれほど無理は申さぬから、安心しておればよい。」
体の関係がない時であれば安心出来たのだがな。
維心は思いながら、恨めし気に出て行く碧黎を見送った。
新たに付き合って行かねばならない、碧黎の事を考えると、また頭が痛かった。
そんなこんなで、十六夜、維心、碧黎と、維月の関係性は激変したが、それでも表面上は何も変わらず、平和に暮らしていた。
碧黎も、そんなに頻繁に維月に会いに来るわけでもなくて、ただ里帰りの打診をして来るのは、十六夜ではなく碧黎になったというだけだった。
里帰りをしても、碧黎は別に体を繋ぐわけでもなく、一緒に休んではいるようだったが、案じていたようなことはない。
維心は、これはこれで良いのかも知れない、と考えるようになっていた。
十六夜と維月も、本人達が言っていたように仲良くしていて、里帰りしても共に遊び回ったりしているようだ。
なので見た目は本当に何も変わってはいなかったのだった。
そんなこんなで年末も近付いていたある日、白龍の宮から連絡が来た。
弓維が、懐妊したという知らせだった。
「まあ!」維月は、微笑んで維心を見上げた。「良かったこと。黎貴様には大変に弓維を大切にしてくださっておるようで、あの子からの文でもいつも幸福そうでしたの。やはりこのご縁は弓維にとってとても良いものでありましたわね。里帰りも、時にしておりまするし、後から黎貴様が追いかけていらしたりして、維心様のように大切にしてくださるのは目の当たりにしておりましたけど。」
維心は、頷いた。弓維の里帰りの時には、七日も経てば必ず黎貴もやって来て、しばらくこの宮に滞在するのが恒例になっていたのだ。
その時には訓練場で維明や維斗と共に立ち合ったりして、黎貴にとっても良い機会になっているようだった。
弓維はその様子を、いつも微笑ましく眺めていたものだった。
維心の目から見ても、間違いなく黎貴は弓維を心から愛しているようだった。
「あれが幸福なら良かったことよ。此度は同族同士のことであるし、子の処遇に悩まぬでも良いしな。ただ色は…、気になるところではあるが。」
白龍の宮で青龍が王になることは出来ない。
維心はそれを言っているのだ。
「何にしろ生まれた後の事ですわ。今は素直に喜びたいと思います。」
維心も、それには頷いた。
「もちろんよ。祝いの書状を送っておこう。主も弓維に何か言いたければ、一緒に文を送るが良いぞ。」
維月は微笑んで頷いた。
「はい。産着などを仕立てさせて共に送ろうかと思いますわ。タオルも月の宮からたくさんもらっておりますし、あれも共に。役に立ちますでしょう。」
維心は、微笑み返した。
「そうするが良い。あれは神世では珍しいし便利であるから、喜ぶであろう。」
維月は笑って立ち上がると、持たせる物の指示をするためにそこを出て行った。
維心の耳に、楽し気に侍女達に弓維の事を説明する維月の声が遠ざかって行くのが聴こえて来て、今は誠に幸せだなと、維心は思っていた。
関係は変わっても、生きて行くのは変わらない。
こうやって、自分はまだどれぐらい生きて行くのだろうかと、維心は既に再び世に生まれ出てから五百年近く生きていたが、更に五百年、そして五百年と、長いだろう生に想いを馳せていた。