終焉
毎年恒例の龍の宮の七夕祭りは、滞りなく終わった。
維月はあれからごく普通に生活していて、碧黎の着物も維心の着物もさっさと縫い上げて、碧黎の物は月の宮へと送り、無事に碧黎の手に渡ったようだった。
十六夜はというと、維月にすぐにでも話に来るのだと思っていたのだが、何やら瀬利の気配が残っていて十六夜が正常な判断が出来る状態ではないので、しばらく時を置く、と碧黎から連絡が来ていた。
七夕に来た蒼にこっそりと聞いたところによると、瀬利は十六夜とは婚姻出来ないと断ったようで、十六夜自身も、命を繋いだ直後で愛情を誰に対して持っているのか、己でも判断できない状態なのだそうだ。
維心は維月を愛していて、その維月と命を繋いだので混乱するも何も無かったのだが、十六夜は特に何の感情も持っていなかった瀬利と繋いだことで、瀬利を求めているのだと勘違いするような状況で、それを脱してからでないと、これからの事を決められないということらしい。
維月には、十六夜が何やら命を繋いだ後遺症が残っておるので、それが無くなるまで待っているらしい、とだけ伝えてあった。
それでも維月はそれほど気にしていないようで、維心と毎日幸福そうにしていた。
よく考えたら、十六夜は滅多に顔を見せなかったし、これも通常通りの状態といえばそうなので、維心もあまりそれを口にしないようにしていた。
そんな毎日の中で、維心と維月が十六夜の事も忘れてまったりと平和な午後を過ごしていると、その平和な居間の中に、いきなり碧黎がパッと出て来た。
びっくりして二人が固まってしまっていると、碧黎は言った。
「維心、維月。主ら暇であるか?十六夜が正気に戻ったゆえ、ここへ話に参りたいと申すのだ。良いか?」
碧黎は、維月が縫った部屋着をきっちりと着て、二人を見下ろして立っていた。
維心は、思わず維月を抱きしめてから、言った。
「なぜにいつも突然に来るのよ!先触れを寄越して来たら良いではないか!」
碧黎は、面倒そうに手を振った。
「そんな回りくどい。それでなくとも長引いておるのに、さっさと済ませてしまいたいのだ。良いな?呼ぶぞ?」
維心が困っていると、維月が答えた。
「はい、碧黎様。どうぞ呼んでくださいませ。」
維心は驚いたが、確かにこれ以上放って置くのも気が咎める。
なので、頷いた。
「良い。ならばここへ。」
すると、十六夜もそこへパッと現れた。
そして、二人はその姿を見てびっくりした。
十六夜は、げっそりと痩せた様子の人型で、これが神なら命も危ういのではないかと思えたからだ。
「十六夜!どうしたのだその様は!」
維心が言うと、碧黎は答えた。
「正気に戻って参ると、己がしたことの大きさを段々に認識して参ってな。あの時より更に事態を悟っておるので、こうなった。あの時は直後であって、まあ瀬利に逆上せておるような状態であったから、それほどでもなかったのだが、それが抜けて参って日に日にこのように。」と、十六夜を椅子へと押した。「さあ座れ。そうして、己が話したい事を話すのだ。」
十六夜は、碧黎も横へと座るのを見て、維月に言った。
「オレは…ほんとに、浅はかだったよ。あの時は、ほんとにお前と命を繋ぎたいから、そのやり方を知りてぇって気持ちだけだったんでぇ。実際に繋いでみないと教えられねぇって言われた時も、体じゃねぇしいいかって、軽い気持ちだった。何しろ、維心も親父もちゃんと命を繋いでるのに、オレはお前とあんなちょっとしか繋いでなかったからな。不公平だと思ってた。それで、やり方が分かったら、お前って一度寝たら起きねぇから、その間にそっと繋いだらいいかって。ほんとに、軽い気持ちだったんでぇ。」
維月は、頷いた。十六夜の考えそうな事だと、維月には分かっていたのだろう。
「…そんな風に考えるだろうなって思って、それで私は教えない方向で考えていたの。だって、繋ぐこと自体は良いんだけど、そうなると碧黎様と維心様との関係と連動しちゃうでしょう?私達だけの事では無いし、やめておいた方が良いって思って。教えたら、絶対やるって聞かないだろうって分かっていたものね。」
十六夜は、頷いた。
「悪気はなかったんだ。瀬利も、あんなに重いことだと思わなかったと言っていた。でも、オレとは夫婦にはなれねぇと。オレは、あの直後は瀬利が嫁でも良いかって本気で思ったが、段々瀬利の気配が抜けて来ると、オレは瀬利の事なんかこれっぽっちも想って無いって事が分かったんでぇ。あれで婚姻なんかしてたら、一生後悔したと思う。」
維月は、苦笑した。
「でも、もし婚姻関係になっていたら、頻繁に命も体も繋ぐから、その直後の気持ちが継続するから、それはそれで問題なかったかもしれないわ。でも、瀬利はそれを望まなかったし、あなたも時を空けようと思ったんでしょう?だから今みたいな感じになってると思う。」
十六夜は、いちいち頷いた。
「そうだな。そうかもしれねぇ。お前の方が、よくわかってるよな。」と、顔を上げた。「なあ、もう夫婦じゃねぇか?オレの事をそんな風には見れねぇよな。」
維月は、首を傾げた。
「というか、もう前からそうだったじゃない?今回の事で表に出て来ただけで、私達って夫婦って感じじゃなくて、もうほんと兄妹だったわ。あなたは自分がしたい時だけちょっと10分ぐらい体を合わせてみたりするだけだったし、あんまり降りて来ないし…。瀬利とは、夢中になったんでしょ?分かっているのよ、時間が長いし、分離の方法だけは知っていたはずなのに、それだけしてたって事は、楽しかったことぐらい。それを責めてるんじゃなくて、無理して夫婦のふりをしなくても良いって言っているの。別に兄妹なんだし良いじゃない。私は十六夜が好きよ。ずっと一緒に来た兄だもの。」
維心は、内心仰天していた。体を合わせるのに、10分とは。10分で一体何が出来るのだろう。
維心からしたら考えられない事だったが、それは口にはしなかった。
十六夜は、ハアと息をついて、下を向いた。
「だよな。オレは、お前との関係に甘えてたんでぇ。自分がしたい時にしたようにして、会いたい時に会って、面倒なら月に帰る。それでお前も文句も言わねぇし、維心が居るからそれで良いだろうって。瀬利との事も、お前が言った通り、オレは夢中になってたさ。最初は分からなかったから任せっきりだったが、そのうちに自分からしてた。目新しかったんだろうな…そのうちに、瀬利から分離して来て。我に返ったって感じだ。だから、お前に合わせる顔なんてねぇんだよな。お前も言ったように、あっちの関係もオレから誘ってるのにさっさと済ませる感じで確かに10分ぐらいだったもんな。」
碧黎は、維心と同じように何を思っているのか分からないが、黙っている。
維月は、特に怒っている風でもなく、頷いた。
「そうね。でも、気にしてないのよ。元々、二人ともそんなことしなくても、仲良くやってたじゃない。だから、別に短く済ませるなら無理してしなくてもいいのになあって思ってたのは確か。思うんだけど、ああいう事ってね、命を繋ぐのもだけど、お互いに楽しもう、相手を楽しませようって気持ちが大切なんじゃないかな。自分だけがスッキリしたって、絆なんて生まれないし、相手からしたらやるだけ無駄よね。だから、しなくなってもいいじゃない?私達の関係はほとんど変わらないんだもの。」
維心は、あからさまな言葉なので戸惑ったが、維月と十六夜はいつもこんな感じで話しているのだろう。
裏表が無いので、その分信頼も厚い。批判も称賛もダイレクトなのだ。
十六夜は、言った。
「…そうだな。でも、これからはお前の夫って地位が無くなるのかって思うと、寂しい気持ちなんだ。」
維月は、それにあっけらかんと言った。
「夫って、十六夜は兄よ。これまでだって、やっぱり夫なのかって思ったのはその、10分のアレの時だけじゃない。だって、維心様と比べて夫らしいことあった?傍に居るのも生活のお世話も維心様じゃないの。里帰りしたってあんまり傍に居ないのに。むしろ、帰ってるのに追っていらした維心様と月の宮でお散歩したり、結局維心様と一緒に居るんだもの。お父様…いえ、碧黎様が見かねて私を連れ出してくださったり、話相手になってくださったりしていたわ。だから、そんなに寂しく思わなくてもいいのよ。基本的に、ほとんど変わらないわ。私達は月の陰陽で、双子の兄妹。これまでだって、神世の誰が私達が夫婦って認識だったかしら。いっつも月の陰陽って言われてたじゃないの。月の夫婦って言われた事は無いわよ。」
言われてみたらそうなんだが。
それでも、十六夜はどこかで夫婦だと思っていたのだろう。転生前はもっと男女という繋がりが強かった二人も、今生双子として育ってその認識も甘い。なので、恋愛関係という感じはなくなっているのだろう。
いつも維心に、よく飽きないな、と十六夜は言うが、それがそのまま、十六夜自身の事だったのだろう。
十六夜は、苦笑した。
「まあ、そうなんだけどよ。これまで、何でも受け入れてくれる存在だったお前が、そういう事は駄目だってことだろ?オレはスッキリ出来ねぇってことじゃねぇか。」
維月は、ぷうと頬を膨らませると、腰に手を当てて言った。
「ちょっと!一回言おうと思ってたんだけど、そういう処理に使われるのって嫌なのよね!女にはね、分かるのよ、そういう適当な感じの求め方って。あなたって、最近ずっとそうだったじゃないの。でも、そういう関係で来たし仕方ないかなって、どうせすぐ終わるからって思って、我慢してあげてたのよ!もしこんなことが無くても、その内言おうと思ってたわ。もうやめてって。」
維心は、維月からそんな言葉が出るのですっかり固まってしまっていた。維心自身は、絶対に自分の欲求処理だけに維月を求めたりはしないが、面と向かってそんなことを言われたら、絶対に立ち直れないからだ。
すると、ずっと黙って聞いていた、碧黎が言った。
「十六夜、聞き捨てならぬぞ。主、維月をそんな自分のスッキリのために使っておったのか。あれは、そんな事では無かろう。我は侮っておったが、間違いなくあれは愛情の確認の方法であった。愛しておる維月とするからこそ、良いものだと我は思うた。維月のためをと思うて、心地よいようにと励むのだ。主はもう、そんな事をする権利などないわ!これまでせぬで来て、主の所業を知らぬでおった己に腹が立つわ!大事な維月を…己の欲求の処理などに都合よく使いおって!」
本気で怒っているようだ。
言われてみたらそうなのだと、維心も俄かに腹が立って来たが、維月が慌てて言った。
「碧黎様、あの、私もそれに甘んじておったし、十六夜はそういう気遣いが出来ぬ方なので、言ったら分かったと思うのですわ。言わぬ私も悪かったのですから。そのように怒らないでくださいませ。今、申しましたし。」
十六夜は、それを聞いて、クックと笑った。
それを見て、維心はぎょっとした顔をした。もしかして、ついに気が触れたか。
だが、十六夜は声を立てて笑った。
「ああ、オレってほんと、好き勝手してたんだなって。」十六夜は、ずっと緊張していたせいか、笑いの衝動を抑えられないようだった。「本当によお。散々気ままだなんだって言われても、これが生き方だし維月はオレから離れねぇし、それで良いんだ、言いたいヤツには言わせてたら良いって思ってたんだ。確かに維月が居ても、めんどくさい時は下に降りて来なかったしなあ。維心や親父が世話してくれてるし、それで文句も言われねぇしいいだろってさ。全部、自分のせいじゃねぇか。ほんと、オレって我がまま過ぎたんでぇ。瀬利とだって、ほんと軽い気持ちでさあ。維月が寝てるうちに命繋ぐって、ほんと自分の事しか考えてねぇ。それでも許してもらえるなんて、思ってたんだからな。バカだったよ、オレは。」
そう言って、笑いの衝動が収まった時には、十六夜は大量の涙を流していた。
「十六夜…。」
維月は、悲し気に十六夜を見た。十六夜は、何度も頷いた。
「いい機会だ。これまでやって来たことが全部返って来たんだな。それでもお前とは兄妹で居られる。だから、いいよな?とっくに夫婦じゃねぇしよ。」
維月は、苦笑しながら何度も頷いた。
「そうよ。私達ってなれ合い過ぎてて、夫婦って感じじゃなかったのよ。だから、いいの。これまで通り、仲良くしましょ。そっちの関係だけ無いってだけで、何も変わらないのよ。」
十六夜は何度も頷いて、涙を拭った。
碧黎は、そんな十六夜を黙って見ていた。維心は、長い長い維月と十六夜の男女の関係が、今目の前で終わったのだと、自分の事では無いのにとても、寂しい感じがしたのだった。