内包する不安
維月は、奥の間で話を全て聞いていた。
維心の考えは分かった。これまでも、あちらの龍族のことを気に掛けて、匡儀が滞りなく治められているのか見て、手助けして来たのだ。維心の心に、どちらが龍の王だとか、そんな考えはあの時までなかったはずだ。
だが、同族として手を貸して来た匡儀からは、そうではなかった。
それが昨日の態度で分かってしまい、維心としては己の龍達が下に見られる事がないように、ああして下すより他、なかったのだ。
しかし、維月はあの時、匡儀からそういった覇権争いの闘争心より、恐怖の方が感じ取れた。
それは維月に対してではなく、その後ろに居る維心に対してなのは、容易に見て取れた。
そう、匡儀は維心を、恐れていたのだ。
維心は、恐れられる事には慣れている。今でも回りの友はああして普通にしてくれるが、他の王達からはやはり恐れられている。
あれだけ大きな気を持つ限り、それは仕方のない事だったが、まさか同族の王にまで、あれほど友好的に振る舞っていたにも関わらず、恐れられているとは思わなかった。
いや、もしかしたら同族だからこそなのかもしれない。
神世の臣下軍神達は、この太平の世でもやはり、強さと賢さを併せ持つ神を、己の王として崇めて仕える。
王として君臨するためには、王と名乗るだけでは駄目なのだ。仕える神達に認められ、心底仕えてもらわないと、王座に座り続ける事は難しい。
まして先の戦では、維心の方が気が大きく、龍身ですら大きな事を皆が見てしまっていた。
あの時はただ必死だったが、落ち着いてみると、同族であるがゆえに、王である匡儀には脅威と感じられるのかもしれない。
維月がため息をついていると、扉から維心が入って来た。慌てて立ち上がって迎える維月に、維心は言った。
「皆を送って参った。」と、維月の手を取って苦笑した。「聞いておったの。しばらくは面倒やもしれぬが、大事にはならぬゆえ。主は案じるでないぞ。」
維月は、維心を見上げた。
「匡儀様には維心様を恐れられておるのですわ。私にはあの時、覇権より保守の様子を気取りましてございます。」
維心は、頷いて維月と共に側の長椅子に座った。
「分かっておる。同族の王であるからの…心強いと思うてくれたらと願っていたが、どうやら匡儀は我を信じられなかったらしい。我は炎嘉のように世話好きでもないし、あれと個人的に交流することも特に積極的ではなかった。彰炎が炎嘉を信頼するほどには、あれは我を信頼出来ぬでいたのだ。それを暴いてしもうたこと、少し後悔しておる。が、弓維を嫁がせた後では気を揉まねばならなんだゆえ、良かったとも思う。」
お互いに龍の本性は知っているので、鳥や白虎のようには行かないのかもしれない。
維月は思い、維心の手を握り締めた。
「維心様はよくあちらのお世話をなさっておりましたわ。いつなり気に掛けておられたのは、私は知っております。縁談も…あちらがこちらを信頼しておるからこそ、参ったのだと思うておりましたのに。私には理解出来ませぬ。」
維心は、維月の手を握り返して、息をついた。
「それも…同族であるから警戒してのことなのだ。」維月が驚いた顔をすると、維心は続けた。「何か良からぬ事をしようとしてはおらぬか、我は警戒してあちらを見ておった。もしこちらの龍族まで支配に入れようと動き出したら、すぐに潰せるように。なので主が思うように世話をしていたというよりも、手を貸す事で探っておったのよ。龍族の事は、王である我が一番よく知っておる。縁談はの、それで懸念が失くなるなら良いと思うておった。あれはつい昨日までそんな素振りは見せなかったし、ならばそれでお互いに信頼出来るなら良いと。維明でも良かったのだ、我からしたら。だが、維明は難しいと言うて維斗にすることで、その子がこちらを支配することがないようにと考えた。あちらは皇子は一人であるからそうは出来ぬし不利ではあるが、我にはあちらを支配しようなどという気持ちはないゆえ、あちらさえ良いなら良いと思うて。」
維月は、目を丸くした。維心は、いろいろ考えていたのだ。維明の子となれば否が応でも次の王になるので、あちらにその気があったらこちらをどうにでも出来るのでは、と維斗に勧めたのだ。
「…存じませんでした。」維月は、戸惑いながら言った。「まさか…そのように深いお考えであったなんて。」
維心は、頷いて維月をいたわるように肩を抱いた。
「主は何も知らなくて良い。何かあっても我が何とかするゆえ。我に任せておけば良いのだ。」
維月は、維心を見上げた。維心はいつも、こう言って面倒を自分一人で引き受けようとする。そうして、本当に言葉通り何とかしてしまうのだが、その裏で、それは努力している事も維月は知っていた。
なので、維月は維心に抱き着いて、言った。
「そのように仰らないでくださいませ。私にも何かお手伝いできることがあるはずですわ。戦があると申すなら、私もお連れくださいませ。昔お約束しておりますのに…お一人で出掛けてしまわれて。私がどれほどに待つのがつらいか、ご存知であられるのに。」
維心は、困ったように維月を抱きしめた。
「それは…確かに前世主が我を案じて大変であったゆえ…しかし、もう主は知っておろうが。我より強い神など居らぬ。主は高みの見物をしておったら良いのだ。主は確かに手練れであるが、戦場では無理ぞ。誠の命の取り合いであるし、主が居ると思うと我も気に掛かってしもうて思う存分戦えぬのだ。この我の結界の中で、十六夜と碧黎に守られておると思うからこそ我は安心して戦えるというのもある。すまぬが、こちらで堪えて待ってくれぬか。それこそ我の助けになるのだ。」
維月は、分かっていた。今の維月は、維心の結界の中で、天から十六夜、地から碧黎に守られていてここに居る限り、絶対におかしなことになることは無い。だからこそ、維心はここに居て欲しいと願っているのだろう。
「はい…。」
これ以上無理は言えない。
維月は、そう思った。立ち合いのような遊びなら、常一人ずつと対戦するだけだし、維月が少々油断したところで命までは取られないのだが、戦場ではそういかないので、維心は維月を気遣って戦う事になる。完全無敵な維心の弱みが、のこのこ戦場に出て来ていると、維心の足を引っ張ってしまうのだ。
維心は、しょんぼりと聞き分けの良い維月に、哀れに思って更に包むように抱きしめた。
「そのように案ずるでないと申すに。我は怪我すらしたことが無いではないか。それにまだ、匡儀がどうするか分からぬのだから。あれは愚かな王ではないと思うておる。今は感情的になっておるが、冷静になれば分かることよ。伏師も明羽もついておる。あれらがこちらを攻めることを素直に了承するとは思えなぬ。恐らく説得しようとするだろう。それでなくともあちらはまだ、完全に匡儀の統治に収まっている訳では無いのだ。おとなしくはしておるが、内情はまだ詳しく上がって来ておらぬ。つまりは前の戦のあとの処理が終わっただけで、以前の統治の状態が戻っておるわけでは無く不安定なのだ。正気であったら今、こちらへ向かおうなどと思わぬものよ。」
維月は匡儀が、誰が王でどうのと言ったことに、執着などないと思っていた。白龍達の中で絶対の王として君臨していて、維心がこちらで青龍の王として君臨していて、そんなものに興味はないと。
しかし、維心は知っていた。同じ種族の王として、いつかはどちらが上だとか、そういった話になって来るのではないかと。そうなれば、青龍達の王として、自分がその立場を上に持って行かねばならないと。
力があるというだけで、いつもそういったものに巻き込まれ、諍いの場に立たされる維心を、維月は哀れに思い、自分に出来ることは何でもしてやりたいと、心から思った。