大事になった
十六夜は、目を開いた。
夢を見ていたような、しかし、激しい感覚の放流に身を任せて、最初は戸惑った。瀬利は、優しく声を掛けながら、十六夜を誘導して繋いでいる時の動きなどを教えてくれた。
その度に、どうしたことか体を合わせている時のような感覚もして、後ろめたい気持ちにもなったが、あまりに心地良くて、離れる気になれなかった。
そうしているうちに、瀬利が大体こんなものぞ、と言ったかと思うと、するりと分離するのを感じて、何かを失ったような空虚感と共に、十六夜は我に返った。
隣りを見ると、瀬利が横になった時のまま、着物をきっちりと乱れる事無く着て、身を起こしていた。
「…我も、このように完全に繋いだのは初めてであったゆえ。」瀬利は、少し困ったように微笑んだ。「驚いた。誠、きちんと繋ぐとこうなるのだなと。これは…よく知った間柄でなければ、戸惑うのも道理。あの潔癖な碧黎が、長らく誰とも繋がずで生きた事も頷ける。我も、誠にどんなものか知ったゆえ、もう軽々しく誰かと繋ごうなどとは思わぬな…。」
十六夜は、それは確かに、と思うと同時に、罪悪感が押し寄せて来るのに戸惑った。そうだ、命を繋ぐのは、あんな事故で一時繋いだあの時とは、全く違った感覚だった。まるで愛し合うような…いや、究極の愛情表現だと碧黎が言っていたが、恐らくそうなのだろう。体と心を同時に繋いでいるような、強い結束を感じたのだ。文字通り一つであり、心に浮かんだことはそのまま相手の心にも浮かんでいる。十六夜が快感を感じている時には、瀬利も同じく感じていた。
それを、またお互いに分かっていて、命を動かすのをやめられなかった。
だがしかし、これは体を繋いだのではないにしろ、意味合い的には同じなのだ、と十六夜は悟った。
お互いに快感を得るために、相手の命を受け入れて、そうして出入りを繰り返し、お互いの快感の頂点を目指す。
十六夜は、維月以外とそんなことをしてしまった事実に、愕然とした。
止めようと思えば、分離の方法は知っていたのだから、途中でやめられたはずだった。
それを、初めての快感に流されて、瀬利と楽しんだのではなかったか。
これは、体の関係を外でもって来るのと、変わらないのではないのか。
十六夜は、自分がしてしまったことに後悔し始めた。考えれば考えるほど、まずい事をしてしまったような気がする。
体を繋ぐのではないから良いと思っていた。だが、これはこの命にとっては神がやるのと同義なのだ。
「…オレは、もしかして取り返すしのつかないことをしちまったんじゃねぇか。」十六夜は、震えながら言った。「瀬利にも、オレ、軽い気持ちで教えてくれって無理を言って…お前だって、好きなヤツとしたかっただろう。知らなかったからオレと繋いだが、終わったらどうだ?親父の方が良かったって思って後悔したんじゃねぇか。」
瀬利は、それには寂し気に笑って、首を振った。
「碧黎とは無理ぞ。あれは、前向きになっても我に触れることも出来なかった。お互いに着物を脱いで、褥に座って身を寄せたのに、碧黎は身を震わせたかと思うと、一言、無理だ、と言って、我から離れた。身を繋ぐでも出来ぬものを、命など…何より重要視するのに、あれには絶対に無理よ。」
十六夜は、首を振った。
「違う、お前自身の希望だ。オレとこんなことになって、後悔したんじゃねぇのか。」
瀬利は、一瞬怯んだ。だが、しっかりとした目をすると、首を振った。
「我は、どんな結果であろうと己が決めた事を後悔などせぬ。我は、主と命を繋いで、一時でも幸福を感じた事は事実なのだ。なので、後悔はしておらぬ。だが、これはただの指南であって、主とこれからは何もないように対したいと思うておる。主もそのように。」
十六夜は、頷いたが複雑だった。確かに瀬利とこんなことをしておいて、何事も無かったように放って置くなど良いんだろうか。
十六夜が戸惑っていると、襖の向こうから大氣の声がした。
「…もう良いか?」ハッとして二人がそちらを見ると、声は続けた。「もう終わったのだろう。入るぞ。」
障子から漏れる光は、赤くなっていて今がもう、夕方であるのが分かった。
大氣に気取られていた…。
十六夜は、背筋を冷たいものが流れるのを感じた。大氣…だが、大氣なら頼めば、黙っておいてくれるのでは。
「…入るが良い。」
瀬利が言うと、襖が開いた。
そして、開いた襖の向こうには、むっつりとした顔の、大氣と碧黎が並んで立っていた。
「親父…!」
気取ったのか。
この地上で、確かにこの陽の地に隠れて何かするなど無理かもしれない。
だが、中までは大氣が居ないと入っては来れなかったはずなのだ。大氣はどこかに出掛けてしまっていなかったはず…。
大氣は、そこに立ったまま、言った。
「…碧黎から声は届かぬが、これには中が見えるから。主らが話しておるのを聞いて、まずいと我を呼んだのだ。それで…止めようと慌てて参ったが、遅かった。」
碧黎は、じっと十六夜を見た。
「主が瀬利にごねておるのは聞いておった。主が繋ぎ方を知ってから、維月の寝ておる隙に繋ごうなどと怪しからぬ事を思うておるのも聞いておった。そして、それを瀬利が咎めておったのもの。だが、愚かな事にこのような事をして繋ぎ方を知った事実は、維月と命を繋げば全て筒抜けぞ。それを隠して命を繋ぐなど出来ぬぞ。主は、己で己の首を絞めたのだ。それとも、維月に瀬利と命を繋いだ事実を知られても主は構わぬか。」
十六夜は、碧黎に言われて確かにそうだとやっと気づいた。
瀬利と命を繋いでも、言わなければバレないと思っていたのだ。何しろ維月と十六夜は、絶対的な信頼関係があるので、心を繋ぐような事もしないので、嘘がバレることも無い。そもそも、今まで嘘などついては来なかったし、二人の間に秘密など無かった。
だが、今その秘密を持ってしまった事になるのだ。
「…維月に、言ったらどうなる?あいつは別に、命を繋ぐのは大事みたいに言ってなかったし、体を繋いだのでもないし、気にしないんじゃ…。」
碧黎は、険しい顔をした。
「恐らくは呆れるであろうが、最初はそう咎めることも無かろうな。だが、命を繋いだり、心を繋いだりしたら、主がそれによってどういう感覚を得たのか感覚として維月に分かるぞ。我ら、居間で早う終わらぬかとこちらを窺っておったから分かっておるが、主は楽しんでおったよな。快感に流されておったのではないのか。それが悪いことだとは言わぬが、維月がそれを知ってどう思うと思うのだ。主にはもう、分かっておろう。あれは、体を繋いだ時の快感や絶頂と、とてもよく似ておるのだ。他の女に対してそれをして喜んでおった主を知って、あれがどう思うか考えたか。」
言われて、十六夜は絶句して目を見開いた。そうだ…最初は分からなかったのに、積極的に瀬利を攻めたのではなかったか。
自分は、いったい何をしてしまったのだろう。
維月の事だから、瀬利を大切にしろだの、そんな事を言い出すに決まっている。何しろ、維月には維心と碧黎が居るのだ。この二人は、全くもって維月だけとしかそんなややこしい事はしていなかった。
だからこそ、維月は二人共を突き放したりもしないのだ。
瀬利が、庇うように言った。
「これはただの指南でしかない。我とて、これに責任を持てとかそんな気持ちではなかったし、これとずっとこんな関係で居たいなど、これっぽっちも思ってはおらぬ。何なら、維月にそれを申しても良い。主らが十六夜に教えてやらぬからこうなったのではないのか。主らではならぬなら、維月が教えれば良かったではないか。それをせずでおいて、十六夜だけを責めるのは間違っておる。そも、維月だって複数の相手とこんなことをしておるのに、滅多なことは言えぬではないか。」
それを聞いた大氣が、複雑な顔をして言った。
「それはな、いろいろあったのだ。主は詳しく知らぬだろうが、これらにはこれらのやり方があるのよ。皆が皆、維月が居らねば生きて行けぬと言うのだから、あれも何とかするしかなかったゆえこうなっておるのだ。だいたい我らの価値観では、命を繋ぐのは一人と決まっておるのに、維月と碧黎はそれをこれまでずっと守って来た。それを、十六夜が維月と事故とはいえ命を繋いでしもうて、三人の関係がおかしくなってしもうた。だから、あれはみんなと命まで繋がねばならぬようになって、こんなことに。」と、碧黎を見た。「とにかくは、どうするかは主らで決めよ。瀬利だって、こうして十六夜を庇っておるから、主らが維月に明かさぬと申すなら、何も言わぬだろう。だが、主が言うておったように、隠し通せる事ではないゆえ、傷が浅い内に打ち明けた方が良いのだろうがの。」
碧黎は、頷いた。
そして、十六夜を見た。
「一旦、月の宮へ戻るのだ。蒼にも話して、対応を考えようぞ。主がどうしたいのか、それに近い形に出来るかどうかは分からぬが、そこから考えよう。場合によっては、維月とは夫としては接することは叶わぬようになろう…だが、兄妹には変わりない。元々、主らは今生そういった感じになっておったではないか。兄妹で良いなら、良いではないか。やってしもうた事は元には戻せぬから、ここから考えよう。」
十六夜は力なく頷くと、瀬利を見た。
「すまない。オレが軽い気持ちで教えて欲しいなんて言ったばっかりに。だが、オレは無責任じゃねぇ。しっかり、責任は取るつもりでいる。また、話に来る。」
瀬利は、そんな十六夜を見て、気遣わし気に頷いた。
「我の事は良い。今も言うたように指南のつもりであったから。そも、我はこんな事より体の繋がりを重要視するので、これらとは価値観が少し、違うのだ。何でもない事であるから、そのように思い詰めるでないぞ。」
だが、十六夜自身がそうであるように、瀬利もこの関係がそんな軽いものでは無かったと知ってしまったはずだった。
それなのにこちらを気遣う瀬利に、十六夜は感謝して頷き掛けて、そうして碧黎と共に、月の宮へと帰って行った。
大氣と瀬利は、それを不安そうに見送ったのだった。