大事になる
《大氣!》碧黎は出来る限り自分の本体全体から大氣を呼んだ。《大氣どこぞ!》
すると、大氣が面倒そうに答えた。
《なんぞ碧黎。いつも面倒ばかりを持って来おってからに。せっかく平穏にやっておるところに踏み入って参って全く。》
どうやら、聴こえていたが返事をしていなかったらしい。
碧黎は、必死に言った。
《それどころではないのだ。後でいくらでも謝るゆえ、主早う瀬利の屋敷へ帰れ!》
大氣は、嫌そうな声で言った。
《十六夜がまだ居るのではないのか。面倒だから反対側の大陸の方へ行っておったのに。瀬利が面倒を見てくれると申しておったし、問題ないわ。》
碧黎は、イライラと叫ぶように言った。
《二人きりにしおってからに!瀬利はそもそもが命を繋ぐことに抵抗の無い意識であろうが!人や神とばかり接しておったから!十六夜もそうなのだ、だから事の重大さをあの二人は分かっておらぬのだ!今、今正に…!!》
維心の声が割り込んだ。
「何でも良いから早う行け、大氣!主も行かぬと後悔するぞ!」
さすがの大氣も、焦ったような気を発した。
《まさか瀬利と十六夜が…?!》
碧黎は大氣をせっついた。
《そのまさかぞ!ああ、間に合わぬかもしれぬ!維心、どこに居る!》
維心は、自分の宮を飛び出して今は、瀬利の屋敷の結界の外に浮いていた。
「ここぞ!屋敷の結界の外、入れぬのだ!」
そもそも碧黎すら入れない結界に、維心が入れるはずもなかった。
碧黎がそこへパッと現れ、同時に大氣も現れた。
「来い!」
大氣は、二人を気で掴んで引っ張って瀬利の結界内へと飛び込んだ。
維心と碧黎は引っ張られるまでもなく、結界内へと己で飛んで必死に大氣の背を追った。大氣は、屋敷の奥へと行かずに、庭の方へと回り込んで、外から閉じられた障子の前へと降り立った。
「瀬利!」大氣は、叫んで障子をパシンと開いた。「十六夜!」
すると、二人は並んで着物をきっちりと着たまま、横になっていた。
その気配を読んで、何が起こっているのか気取った大氣は、思わず障子をまた閉じた。
「すまぬ!」と、背後の碧黎と維心を振り返った。「…遅かった。」
もう繋いでおるのか。
維心は命を繋いでいる時の状態を気取る事は出来ない。そもそもどんな様子なのか、維心には分からない。
碧黎は、障子の中の気を読んでいるようで、絶望的な顔をした。
大氣は、心持ち赤い顔をしながら、二人に言った。
「…こちらへ。居間へ参ろう。じたばたしても始まらぬ。」
そんな場へ踏み入ってしまったのが余程恥ずかしかったのか、大氣は維心とも碧黎とも目を合わせずに、そのまま居間の方へとサッサと廊下を歩いて行く。
維心はといえば、意識が違うので理解が出来なかったのだが、閨へその真っ最中に踏み入ってしまった時を思い浮かべたら、それは気まずいだろうと無理やり理解しようと努めて、黙ってその後に従った。
碧黎は、ただ茫然とその後ろをついて来ていた。
三人でお通夜のような雰囲気で居間へと入って行くと、それぞれ思い思いの場所へと胡坐をかいて座り、黙り込んだ。
大氣が、気まずそうにもじもじと体を動かしながら、言った。
「その…まさかあんなことになるとは。瀬利は、十六夜に同情的であったし、もしかしたらとは思うたが、まさか十六夜がそこまでしてそれを知りたいなどとは思わなくて。あれの感情的に、維月以外とは絶対にそんなことは出来ないと思うておったから。」
維心は、言った。
「我らにはその重要性が今一分からぬのだ。我らの意識では、体の方が重要であって、命と言われてもピンと来ぬのよ。十六夜も、恐らくそんな感じなのだろう。だからこそ、最初碧黎だけと命を繋ぐんだと言われても、それで納得しておった節があるからの。我だって、確かに心地よいのだが、他の誰かと言われたら、必要なら仕方ないか、ぐらいの意識ではある。例えば炎嘉とは絶対に褥を共には出来ぬが、それでも命ぐらいなら繋いでも大丈夫か、ぐらいの意識なのだ。」
それを聞いて、大氣は仰天した顔をして、慄いた。
「主、男でも良いのか。そんな感じには見えなんだのに。」
維心は、慌てて首をブンブンと振った。
「だからそうではないのだ。それぐらい、我らには大した事という認識が無いのよ。」
碧黎が、やっと落ち着いて来て、口を挟んだ。
「我には分かる。維月の常識を知っておるからの。ゆえに我は、どちらも維月以外とは出来ぬのだ。維月は恐らく、命を繋ぐことをそう重要視しておらぬだろう。だが我は違う。二つの価値観が我の中に混在しておって、頭では大したことではないと思うのに、他と身を繋ぐことに抵抗がある。実際、瀬利とは出来なんだ。身がそのように全くならぬ。」
維心は、苦笑して碧黎を見た。
「我もそう。ゆえに維月としか子は成せぬでな。」と、息をついた。「ならば、これを維月が知っても、そう騒がぬか?慌てぬでも良さそうであるな。」
しかし、碧黎は首を振った。
「あれは我と命を繋いでおるのだ。我に維月の価値観が浸透しておるように、あれにも我の価値観が浸透しておる可能性がある。あれはこれまで我としか命を繋いで来なかったゆえ、他の誰かと繋ぐ時に抵抗を感じるかどうか、まだ分かっておらぬ。維心や十六夜は、元より愛しておるのだから抵抗など感じようはずはないしな。思うてもおらぬ瀬利と、命を繋いだという事実に、維月がどう反応するのか我にも想像できぬのだ。」
維心は、言われてみたらそうだった、と思った。
維月は、維心と命を繋ぐことを、喜んでいるようだった。
誰より愛している維心とそれが出来る、と嬉しそうに言っていたのを思い出す。
全く価値観の違う維心から見て、そんなにか、と思ったのは確かなのだ。
つまりは、あれは碧黎の価値観が少なからず流れ込んでいるからでは無いのだろうか。
「だが…もう起こってしもうたのだろう。」維心は、瀬利の部屋の方を窺った。「静かであるが、主らには分かろう?」
二人は、維心に言われて探ったらしい。
大氣は真っ赤になって、碧黎はズンと暗い顔になった。
「…その、長いの。」大氣は、碧黎に言った。「こんなものか?」
碧黎は、むっつりとした顔で答えた。
「夢中になったら時など気にならぬ。維心もそうであったろう?」
思い出してみると、確かに我に返ったらもう、結構な時間が過ぎていた。時が過ぎるのを忘れるぐらいの快感と言われたら、確かにそうなのだ。
「…確かに。数時間経っておったの。時の感覚が全くなかった。」
大氣は、がっくりと肩を落とした。
「困ったものよ。隠し通すしかないか。面倒ばかりを持ってきおって、我ら退屈だと思うぐらいにおっとりと過ごしておったのに。」
碧黎は、暗い顔のまま、言った。
「…それは主らにはすまぬが…これで、終わりではない。隠し通すのは、恐らく無理ぞ。」
維心が、驚いたように碧黎を見た。
「どういう事ぞ?」
碧黎は、顔を上げて答えた。
「十六夜が、瀬利にごねまくっておる時に言うておったのだ。やり方さえ分かったら、維月は一度寝たら起きないゆえ、寝ておる隙に試してみるとか何とか。瀬利はそんなことは命の凌辱だからと諫めておったが、十六夜がこれを知りたかったのは、維月と今一度命を繋ぎたいがため。繋げばどうやってそれを知ったのかも見える。十六夜は、維月にそれをすることで、己から何をやったか維月に曝け出してしまう事になるのよ。あやつがそれを分かっておれば良いが、恐らく後先考えぬあやつであるから、後でマズいと思うのだろうて。ゆえ、隠すのは無理ぞ。」
維心は、額を抑えて目を閉じた。全くもって、面倒ばかりを起こしおってからに。
「…ならば十六夜は、こうすることによって未来永劫維月とは命を繋げぬようになった。繋げばバレる。終わった後、それを十六夜に話して聞かせようぞ。さすれば、維月に厭われるのが嫌で恐らく二度と命を繋ぐとは言うまいが。どちらにしろ、元へは戻るのだ。約定が破られる事もない。逆に良かったのだと思うが良い。」
碧黎は、それに頷くことも首を振ることも無く、じっと考え込んだ。大氣が、ハアアアと深いため息をついて、言った。
「…全く…事故で繋がったばかりにこのような事に。それが無ければ主らの間は今まで通り平穏であったのではないのか。碧黎だって、あの良さを知った上で、禁じられるという酷な事をせずでも良かったし。なぜにこんなことに。」
言っても仕方のないことだが、確かにそうだった。
維心が黙っていると、碧黎が、ため息をついて言った。
「…これはの。瀬利と十六夜が話しておる時に知った結論なのだが、恐らくは我らの親が、いつまで経っても悟る事の無い十六夜に痺れを切らして、それで起こした事ではないかと。瀬利が言うておった。十六夜は、維月と繋がった時に、維月から我の中の世界に対する良識を学んだのだ。」
それには、維心も大氣も驚いた顔をした。
「主の良識を?」
碧黎は、頷いた。
「そう。恐らくは、己で気取るのは無理だと思うたのだろうの。何しろ、目を塞がれてからもう数年経っておったのにそんな気配も無かった。ならば維月の中の我の記憶を見れば、それを己の物として認識できる。十六夜はの、命を繋ぐ方法などは、焦っておって必死であったから分離の部分しか見られなくて覚えておらぬらしいが、その、我の良識の部分はしっかりと頭に残っておると言うておったのだ。それを聞いた瀬利が、十六夜にそう言うておった。我もその通りだろうと思うた。なので、あれは事故ではなく、必然だったのだ。現にその後、あれは目が開かれた。」
維心は、それを聞いてみるみる呆れたような顔をした。つまりは、結局十六夜のせいか。
「あやつのせいではないか。」維心が言うのに、二人は維心を見た。維心は続けた。「あやつが悟らぬから親が、主の記憶を見せるためにやった事であろうが。それを、命を繋ぐ方法がどうの、意識が幼すぎるのだ!何年生きておるのよ。呆れて物も言えぬわ。挙句に瀬利にごねて命を繋いで我らを騒がせて。もう我はやってられぬ。どうなっても知らぬわ。宮へ帰る!」
維心は、唐突に立ち上がった。考えたら会合の真っ最中で、議題はまだ半分ほどしか終わっていなかった。
七夕も近いし今年は会合の宮でするので北の神も呼ぶかと考えておる最中であったのに。
大氣が、慌てて言った。
「維心、怒るのは分かるが、やけになるでないぞ。主まで背を向けたら、あやつは大変な事になるのだからな。確かに自業自得ではあるが、今少し辛抱せよ。」
維心は、大氣は何も悪くないのだが、キッと大氣を見た。
「己だって逃げておったくせに!もう我は神世だって背負っておるのに、あちこち煩わされるのは無理なのだ!」
そう言って、維心は瀬利の屋敷を飛び立って行った。
それを見送りながら、碧黎は大氣に言った。
「維心を責めるでないぞ、大氣。あれは確かに神世を治めておって忙しいのだ。その上、十六夜の愚行のせいでいろいろ言われては世が滞る。ここはもう、我らで何とかしようぞ。とはいえ、主には関係ないのに、申し訳ないの。」
大氣は、碧黎にそう言われてしまうと、自分も嫌だと言って放り出してしまう事も出来ず、仕方なくコトが終わるのを、碧黎と共に暗い顔で待って、そこに座って居たのだった。