それで良いのか
大氣は、きっと碧黎は維月に、気に入らなかったからではないと、説明に行ったのだと思っていた。
何しろ、あの次の日の朝早くに大氣に会いに来た碧黎は、顔色が悪かった。なので、何があったと案じて聞いたら、あれがあまりにも良くて維月から体を離せそうにない、と言う。
大氣は、あれはそんなに良かっただろうかと眉を寄せたが、ああいうものは、愛情が伴っていて、尚且つ長く待たされてやっとという時には、かなり気持ちも盛り上がり、良い思いが出来ると聞いた事があった。
正に、碧黎はそんな状況だったので、恐らく思っても無いほど良かったのだろう。
大氣はそう思ったが、碧黎は律儀な男だった。
なので、約した事を違えないよう、これ以上維月に触れてしまわないように、維月から無理やりに離れて自分の所へ来たのだと知った。
対して、十六夜は勝手だった。
碧黎があれほどに苦労して約定を破ってはと本当は傍に居たい維月から離れて、遠く様子を見ているだけに留めているというのに、あれは命の繋ぎ方を詳しく教えろと連日大氣の側を離れない。
大氣は、碧黎と比べて嫌になっていた。腹も立った。そんなことを知って、今更どうするのだ。知ったら試したくなって、約定を違えることになるのではないのか。
そもそも、大氣だってやった事がないのに詳しくなど知らないのだ。
大氣がプンプン怒っていると、瀬利は同情的に言った。
「十六夜の心地も分かってやると良いぞ、大氣。あれは、己だけがまともに命を繋げていないのではないかと、そこに不公平さを感じておるのよ。何しろ、そうと思わず繋がって、慌てて離れたのなら一瞬のことであろう。それなのに、他の二人はきちんとやるというなら、あれがああ思うのも無理はないと思うのよ。」
大氣は、そんな瀬利に息をついた。いつでも、不利な方の味方をするのだな主は。
「…だが、あれらが約した事があるのに。碧黎だって、やっとの思いで離れて来たのだぞ?本当なら何日も離しとうないぐらいなのに。維心だって弁えておる。それなのに、十六夜だけあのように。そもそもが、あれの行いでこうなってしもうたというのに。」
瀬利は、口を押えて下を向いた。
「己だけが蔑ろにされておると思うたら、我慢できぬと思うぞ。そのようにつらく当たるでない。我はあれがここに居っても追い出そうとは思わぬし、煩いと思うなら主だけ大気に帰っておって良いから。あれの面倒は、我が見ておくゆえ。そのように疎んじては哀れではないか。」
相変わらず、瀬利は母親のようだ。
大氣はそう思いながら、頷いた。
「主一人に押し付けるようですまぬが、我は連日あんなことを教えろと言われて続けてもう我慢がならぬ。ちょっと大気に帰っておるゆえ、後は頼むわ。主になら、あれも強くは言えぬだろうて。」
瀬利は、頷いた。
「まあ、それほど長い間知り合っておるわけではないからの。だから我は、客人の相手をしておるように思うて世話をしておく。案じるな。」
大氣は、ホッとした。瀬利に任せておったなら大丈夫…何しろ、瀬利は他の命を育むために、世話をするのが上手いし好きなのだ。
そう思って、大氣はスーッと形を崩すと、空気中へと溶け込んで行った。
十六夜は、大氣に何としても話を聞こうと探していたが、どうやら大氣は逃げたようで屋敷の中には気配を感じなかった。
そのうちに戻るはずだと、十六夜はそこに居座る覚悟だった。
やり方さえ教えてもらえれば、もう一度維月と繋いでみて、本当にあれが大した事がないんだと確証を得る事が出来る。
碧黎は怒るだろうが、それでも十六夜は不公平だと思っていた。
維心ですら、そのやり方を知っている維月と命を繋いだのだろう。
本当は維月に聞くのが一番なのだろうが、維月のあの様子では、絶対に教えてくれそうにないし、もう一度繋ごうと言っても良いとは言わないだろう。
ならば、自分がやり方を覚えて、維月が戻って来た時にソッとやってみるしかないのだ。
十六夜が意地になって居間に居座っていると、瀬利がやって来て、言った。
「…まだそのような?」と、息をついた。「意地になっても良い事などないぞ、十六夜よ。そもそも知ってどうする。維月は応じぬのではないのか?それに、約した事を違えてはまた面倒になるぞ。やめておいた方が良い。」
十六夜は、瀬利を軽く睨んだ。
「維月は、一度寝たら起きないからその間にやったらいいし、それに親父や維心にバレてもあっちももう一回すればいいって約束だ。オレだけ本当の事を知らねぇなんて、不公平じゃねぇか。」
瀬利は、またため息をついた。
「皆を巻き込んで。あれはの、我は一度神相手に試してみようとしたことがあるが、誠にそんなに良いものではないぞ。なので、我はやめた。主の感想は間違っておらぬと思うのだ。」
十六夜は、瀬利をじっと見た。
「お前もそんな感想か?なあ、教えてもらえねぇか。お前が女の型だから遠慮してたが、そんなにこだわり無く話してくれるなら、説明出来るだろう?そしたら、帰る。」
瀬利は、迷うように着物の袖で口元を押さえた。こんなに知りたいというものを、教えずにいたらずっとわだかまるのではないか。
「…主は陽の型であるしな。大氣や碧黎が教えぬのも分かるのだ。何しろ体とは違って、見てもよう分からぬし、説明しようにも感覚的であるから難しい。碧黎の記憶を維月から見たのではないのか?それを思い出してみたらどうか。」
十六夜は、顔をしかめた。
「それが出来たらとっくにやってらぁ。あの時は慌てて分離の方法を読み取るのに精一杯で、他の事なんか分からなかった。」と、ふと何かに気付いた顔をした。「あ、でもそういえば、親父が何であれほど言うことに気を付けよと言ってたのかは読み取れた。何を言っちゃならねぇのか、親父の感覚が真っ先に入って来て。それだけは頭に残ってる。」
瀬利は、それを聞いて、だからか、と直感的に悟った。
恐らくいつまで経っても何も悟らない十六夜に痺れを切らした親が、そこから学べと起こしたのではないか。
そう、あの事故は、事故ではなく分かっていて起こされた事であったのではと、思い当たったのだ。
「…十六夜。恐らくはの、我らの親が主に早く碧黎のように良い悪いを理解させようと、あれを起こしたからではないか。真っ先にそれが頭に浮かぶなど、維月の中の碧黎の記憶を主に読ませるためだったと思うたほうがしっくり来る。主、あれから目が開いたのではないのか。」
言われて、十六夜はハッとした。そういえばそうなのだ。あの後見えて聴こえている事実に気付いた。
己で悟れないから、碧黎の考え方を学ばせようとしたのだ。
「…だからそれだけははっきりしてるのか。」十六夜は、しかし暗い顔をした。「だが…オレだってちゃんと維月と命を繋いでおきたいんだよ。同じ命なのに、オレだけ知らねぇなんて不公平じゃねぇか。」
瀬利は、再びため息をついた。
「…仕方のないことよ。絶対に、思うたより良いものではないと思うがの。」と、立ち上がった。「こちらへ参れ。それで主の気が済むなら教えてやろうぞ。だが、己で約した事を一方的に違えるのではないぞ。維月が寝ておる間にとか、そんなもの命を凌辱するようなものであるからの。やるなら当事者全てでちゃんと話し合って、それからぞ。我は命を繋ぐ事にこだわりはないが、普通は皆簡単にはやらぬことなのだ。分かったの。」
十六夜は、頷きながら歩き出す瀬利について居間を出ながら言った。
「説明してくれるのか?難しいって言ってたよな。」
瀬利は、廊下で十六夜を振り返って言った。
「そうよ。だから我の部屋へ帰るのだ。そこで実際に繋いでみるのよ。でなければ教えるのは難しい。否なら良いぞ?我はこだわりがないから良いが、主はどうなのだ。」
十六夜は、瀬利の部屋の襖の前で立ち止まった。
「え…実践しか方法はないのか?」
瀬利は、頷いた。
「ない。感覚だと申したではないか。大氣がなぜにあれほど渋ったと思うのだ。あれも事実、深くはどうやるのか知らぬしの。最初は皆、そんなもの。我は神と繋ごうとした時にいろいろ悟ったしもう知っておるが、碧黎だって維月と繋ぐまでは深くは知らなかったと思うぞ。」
十六夜は、躊躇った。だが、自分はどう始めたら良いのかも分からない。維月と繋ごうと思っても、その最初が分からないのだ。
…まあ、体を繋ぐわけじゃねぇし。
十六夜は思って、瀬利と共にその部屋に入った。
《維心!》会合真っ只中の維心の耳に、碧黎の声が飛び込んで来た。《維心、まずい!》
目の前の臣下達が、びっくりして目を丸くして固まっている。
維心は、ただ事ではない碧黎の声色に、思わず立ち上がった。
「なんだどうした?!維月が何か?!」
慌てて探ってみたが、維月の気は落ち着いて奥の自分の部屋で縫い物に没頭しているようだ。
碧黎の声は続けた。
《十六夜ぞ!あやつ、ごねてごねて瀬利に教えてもらおうと…》と、息を飲んだ。《ならぬ!我は瀬利の結界の中にはいざなわれなければ入れぬのだ!声も届かぬ!》
まさか瀬利と命を繋ごうとしておるのか!
「待て、大氣は?!どこぞ?!」
《知らぬ!あやつは逃げて大気の中のどこかぞ!》碧黎の声が叫ぶ。《大氣!大氣どこぞ!?出て参れ、大変なのだ!大氣!》
維心は、面倒な事になると、会合の間を飛び出して窓から外へと飛び出した。
臣下達は取り残されて、呆然と維心を見送っていた。