不満
維月は、背後に維心の視線を感じながら、空を見上げて言った。
「十六夜、あなた何を恥ずかしい事を大氣に聞いてるの?維心様から聞いたわよ、十六夜が無理を言って瀬利の屋敷に居座ってるって。私達にとっては大した事は無くても、大氣達にとってはとても恥ずかしい事なのだから、堂々と聞くのはやめて。もう、ちゃんと約束し直したのだし、落ち着いていないのはあなただけよ?」
すると、十六夜が月から答えた。
《親父が何も教えてくれねぇし、だったら知ってるのが大氣だけだから聞くしかねぇだろうが!瀬利は陰だし、さすがにそんなことを聞くのも憚られるから、仕方なく大氣に聞いてるのに、こいつは自分だってしたことが無いからわからねぇとか言って!》
すると、空気から大氣の声がした。
《維月、こやつは誠に困ったヤツなのだ!すまぬがこのままここに居座るのなら、我らしばらく大気に帰っていようとかと瀬利と話しておったところよ。もう、はっきり言うてしつこ過ぎて鬱陶しいのだ!》
維月は、申し訳なさげに言った。
「本当に申し訳ないわ、大氣。元はと言えば、私達が月で一緒に居た時に、十六夜がどうしてもと言ったのが始まりで。まさかこんなことになるなんて、思ってもいなかったから…。」と、十六夜に意識を向けた。「十六夜、あなた本当にいい加減にしてよ。命を繋ぐのって大したことないって言っていたじゃないの。それにね、お父様…碧黎様だって、私と別に体の関係なんて良くなかったと思うわよ?だって、次の日の朝からお顔も見ていないし、話しかけても気の無いお返事しかないんだもの。きっと、約束だからしたけど、面倒に思われて、失望なさったんじゃないかしら。そんな気が進まないことをしなきゃならなかったのも、全部あなたが命を繋いじゃったからじゃないの。今さら、良い思いをしてないからって文句を言わないの!碧黎様だって良い思いなんてしてないんだからね!」
大氣がそれを聞いて何やらもじもじとしているのを、空気から感じる。十六夜は、答えた。
《そりゃあ…親父は朝にお前がまだ寝てるうちにこっちへ来てなんか部屋へ籠ってたけどさあ…。》
維月は、腰に手を当てて、言った。
「ほら!お父さ、いえ碧黎様だってあんなことは望んでなかったのに、みんな平等にってなったらせざるを得なかったんじゃないの!じゃあ、あなたは碧黎様が、あれじゃよく分からなかったからもっとテクニックを教えてくれないか、それでもう一度するとか言ったら、あなた良いって言うの?あなた大氣に言ってるのはそんなことなのよ?命によって感じ方は違うし、なんだったら維心様にも感想を聞いてみたらどう?あなたと感想は大差ないんじゃないかしら。」
十六夜は、段々勢いを失って、もごもごと言った。
《いやまあ…そうだけどよ…。親父だってあんまりだったんならさ…まあなあ、お前が起きるのも待たずにこっち来たもんなあ…。》
維月は、何度も頷いた。
「そうよ!私だって少なからず傷ついてるのよ!もうこの件は終わり!分かった?もう蒸し返さないで!」
維月はそう言い終えると、さっさと会話を切り上げて、くるりとこちらを向いた。
維心は、びっくりして固まった。いろいろ誤解はあるようだが、とりあえずあれで十六夜が納得するならそれでいいのだろうか。
そう思って見ていると、ずんずんと歩いて来る維月と、待っている維心の間に、今さっきしばらく離れているとか言っていた、碧黎がパッと出て来た。
それを見て維月もびっくりして目を見開いたが、維心も仰天して急いで維月を引っ張って自分の袖の中へと引き込んだ。
もしかしたら、我慢ならなくなって出て来たのかと思ったのだ。
「碧黎!主な、いきなり何ぞ!帰ったのではなかったか。」
碧黎は、首を振った。
「維月、誤解があるのだ。ゆえ、それだけでも話さねばと。」
維月は、維心の袖に埋もれながら碧黎を見上げた。
「良いのですわ、お気になさらないで。お父様の…いえ、碧黎様の感じ方まで、私にはとやかく言う権利などないのですから。」
だが、碧黎は真剣な顔でブンブンと首を振った。
「違う!順を追って話す。」と、手を振った。回りに、地の結界が張られる。「十六夜が聞いておる。こうしたら聞こえぬゆえ。我はの、主との間の事、否であるから離れたのではないのだ。あまりに良かったゆえ…あのままでは、ずっと主の体から離れられなくなると、慌てて傍を離れて、大氣の所へ逃げたのよ。我は…気に入り過ぎて、主を避けておったのだ。あんな感覚は初めてであったし、今はまだ己に自信が無くて、何をするか分からぬから。維心にはその話をしに参った。そういう理由でしばらく、主とは離れていたいと。」
維月は、維心を見上げた。維心は、肩を竦めた。
「すまぬ。碧黎がああ申すので、理由を言わずでおった。だが、我らの約定はそれぞれただ一度きり。我とて命を繋ぐのは気に入ったが、我の場合は己からは出来ぬからの。そんなわけで、我らはお互いに我慢しようと話したのだ。十六夜だけがあんな感じで。あれは、やり方を知ったらまたやるつもりでは無いかと恐れるわ。我も碧黎も、度重なれば、もはや無くては我慢がならぬようになりそうだと案じておる。あれの興味だけで、これから先の関係のバランスを崩しとうないと考えておるのだ。勝手な事をせぬように、我らも見張るが、すまぬが主も、見ておってくれぬか。」
維月は、また複雑なことに、と思ったが、維心と碧黎は平穏にしようと努力してくれている。
なので、維月は頷いた。
「はい。私に出来ることは致しますわ。とりあえずは、十六夜は私の勘違いではありましたがあのように説得したら、少しは納得したように見えました。まだ瀬利の屋敷に居るようですのでどうなるか分かりませぬが、引き続き、また折を見て説得致しますわ。」
碧黎は、少しホッとしたように頷いた。
「すまぬの。維月…」と、頬に触れた。「困ったものよ…我は侮っておったのだ。維心が言うた通りよ。」
維心が、維月をまたすっぽりと袖に包んで隠した。
「こら。踏ん張るのだ碧黎よ。少し経てば冷静になる。今は直後であるから。」
碧黎は、少し切なげな顔をしたが、思い切ったように頷いた。
「そうであるな。ではの。」
そうして、出て来た時と同じように、パッと消えて行った。
そうして、地の結界も弾けた。
途端に、十六夜の声が怒鳴るように言った。
《なんでえ!お前らだけでこそこそしやがって!オレなんか、話にも入れてもらえねぇのかよ!》
それには、維心が答えた。
「主がそんな風であるからではないのか!落ち着かぬか、我らは冷静ぞ。主だけが、我がままばかりを申しておるのだ。そんな風なら、維月を隠して主には会わせぬようにするぞ。我には出来ぬが、碧黎にはそれが出来るのだからの!」
十六夜は、ぐ、と黙った。
確かに碧黎に本気で維月を隠されたら、今は地の陰でもあるのだから十六夜には維月を見つける事など出来ない。
だが、何やら自分だけ蚊帳の外にされているのが気に食わない。
《なんでお前らは上から目線なんでぇ!もういい、オレはオレで勝手に考える!》
「十六夜!」
維月が叫んで止めようとしたが、十六夜の声はフッツリと途絶えて、こちらとのリンクを切ったのが分かった。
維心は、十六夜の頑なな様子にふんと鼻から息を吐いて、言った。
「放って置け。あれも少しは思い知った方が良いのよ。あんなことなら、月に籠っておった時の方が良かったわ。あれでどこを悟ったのだと申すのだろうの。碧黎の親も、いい加減なものよ。」
維心は、十六夜の態度に腹を立てているようで、突き放すように言った。だが、維月は心配そうに月を見上げた。
「何やら、嫌な感じが致しましたわ。十六夜は、時に考え無しな行動を致しますでしょう。いつもは、あれできちんとやって良い事と悪い事の区別はつけておるのですけれど、頭に血が上ると面倒な事をするのですの。お父様…いえ、碧黎様もあのご様子ではあまり余裕がおありにならぬようでしたし…十六夜の事を見ておってくださったら良いのですけれど、期待は出来ませぬ。」
維心は、維月を見て言った。
「だが、もうすぐ七夕ぞ。主とてやることが多かろう。それに、あの反物はどうするのだ。我らの着物を縫うと申しておったのでは?」
維月は、そうだったと反物を見た。部屋着をそろそろ新調しないと、碧黎の着物が同じものばかりになってしまうのだ。ついでに維心のものも縫おうと思って、織りの龍から良さそうな布地を分けてもらって来たのだった。
維月は、自分の責務をこなしてから十六夜の事の対応をしようと、頷いた。
「…はい。そうでしたわ。十六夜の事ばかり構っておられませぬわね。では、七夕の花を選んでから、奥へ籠って仮縫いを始めます。」
維月がそう言うと、維心は頷いた。
少しでも、別の事に気を取られて居た方が、維月も気が紛れると思ったのだ。
そのうちに、十六夜の事だからカラッと忘れて話しかけて来るのかもしれない。
そう願いながら、維心は維月を手伝って、反物を維月の部屋へと運んでやったのだった。