次の日
次の日の朝、維月はいつも通りに最近のルーティンである、職人の部屋での見学へと出掛けて行って、居間には居なかった。
維心は、午後から会合があるだけで、午前中は何も予定を入れていない。
それは、昨夜命を繋いだ後、何かあったらいけないと思い、鵬にわざとそうさせたからだった。
だが、思ったよりあっさりと、維月は命を繋ぐのをやってのけた。
つまりは、やはり自分のような神とも、あの眷属達は命を繋ぐことが出来るのだ。
その感覚に想いを馳せていると、目の前に碧黎が、パッと現れた。
「…!!」
維心は、いつもの事だが突然なので、一瞬息を飲む。碧黎は、維心の前の床に降り立って、言った。
「…維心。」
維心は、止めた息をゆっくりと吐き出して、呆れたように言った。
「だからいきなりに出るなと申すに。まさか文句を言いに来たのではあるまいの。」
碧黎は、首を振った。
「そうではない。」と、サッと手を振ると、地の結界を居間全体に張った。「今は維月は月。十六夜は瀬利の宮。こうしていれば、あれらには聞こえぬ。」
維心は、姿勢を正して構えた。二人に聞かれては困る事とは、何だ。
「…あれらに隠して何を話したいのだ。」
碧黎は、それでも真顔で言った。
「主が昨夜、維月と命を繋いだのは知っておる。だが、それの文句を言いに来たのではないのよ。それを待っておった…主に話がしたいと。」
維心は、眉を上げた。待っていたと?
「…確かに一度きりかと確かめに来たのか?」
碧黎は、首を振った。
「そうではないのだ。維心…我は、侮っておった。」維心は、眉を寄せた。自分も、同じ事を思って維月に言ったばかりだからだ。碧黎は続けた。「主が言うておった通り。我は聞いておったから知っておる。我も、侮っておったのだ。我はこれまで、あんなことに重きを置いて来なかった。それに、良いと思うたことも無かった。それなのに…。」
維心は、ますます眉を寄せて行った。もしかして、碧黎は維月と初めてそんな関係になって、それが思ったよりずっと良かったとか申すのでは。
「…まさか、これからも体の関係を続けたいなどと言わぬだろうの。あの時約したのではないのか。」
碧黎は、頷いた。
「その通りよ。我だって、まさかこのような…だが、あれとの一夜は思ってもみない様だった。思わず夢中になってしもうて、気が付いたら朝であった。隣りで寝ておる維月を見て…そうしたら、またそのように過ごしたいと思うてしもうたのよ。あのままでは、約した事を違える事になると、慌てて傍を離れて大氣の所へ参ったが…、煩いほど訊く、十六夜には何も言えなかった。我には、余裕が無かったのだ。」
維心は、深いため息をついた。そうなるかもしれないとは思ってはいた。自分も、あの一度きりなどと言われたら辛いと、今朝思ったばかりだったからだ。
碧黎は、ずっと聞いていて、維心が同じ気持ちなのだと知り、わざわざ話に来たのだろう。
維心は、言った。
「主の心地は分かる。我だって、己からあれと命を繋ぐことが出来たなら、目覚めて再び同じようにしておったかもしれぬからの。だが、約したではないか。だから諦めた。主も、これからは命を繋いで心を収めるが良いぞ。我が逆の事をするように。」
碧黎は、ハアとため息をついて、頷いた。
「分かっておる。そのつもりよ。だが、今は維月の顔を見たら何をするか己が信じられぬから、近寄らぬようにしておる。落ち着いたら傍に参るゆえ、主からは忙しいらしいと申しておいて欲しい。」
維心は、碧黎らしいと頷いた。
「分かった。そのように申しておこうぞ。」と、ふと話を振った。「そういえば、十六夜は?あやつ、大氣の所で何をしておるのだ。月の宮へ帰っておる維月も放って置いて。嘉韻が送って参ったわ。」
碧黎は、それにはフンと横を向いた。
「あれは、命を繋ぐ本当の方法とはなんだとしつこいほど大氣に聞いておるのだ。大氣はまだ誰ともそんな関係にはなっておらぬが、やり方ぐらいは知っておるからの。どうやら十六夜は、自分が本当に命を繋いだわけではないと思い始めておるらしい。確かに繋いだのは、維月だって知っておることであるのにな。」
また面倒な事を言うておるのだな十六夜は。
維心は思ったが、険しい顔で言った。
「維月にも釘を刺されておるから、我はあれがそうでもなかったと答えておく事にするがの。主も、あんな思わせぶりな事を申すから十六夜がうるさくなるのではないのか。あれに腹が立つのは分かるが、もう済んだ事だし主だって体の関係を持ったのだ。もう忘れるが良いぞ。誠、十六夜は訳が分からぬままにああなったのだからの。」
碧黎は、珍しく愁傷な顔をした。
「分かっておる。あれは我が悪かったと思うておるわ。だが大氣が迷惑しておるので、そろそろ連れ戻して参ろうかと思う。維月には、十六夜にあれは確かに命が繋がっていたと言うように申してくれぬか。納得させねば、あれはしつこいからの。あれがもう一度とか言い出して、我らがまたもう一度あれをやったら、度重なれば我慢できる気がしないのだ。」
それは、維心もそうだったし、維月もそう言っていたので、頷いた。
「我もそのように。十六夜には、維月から釘を刺してもらっておこうぞ。主も、元々そういう事を欲する命ではないのだから、そのうちに収まろう。我もそうであるから。お互いに努めようぞ。」
碧黎は、真剣な顔で頷いた。
「主も同じだと思うて努めるわ。ではの。」
碧黎は、出て来た時と同じように、消えた。
そうして、それと同時に結界もスッと消えて行った。
ハアと肩を落としていると、維月が慌てたように反物を抱いて駆け込んで来た。
「維心様?!父が…」
維心は、気取ったかと首を振った。
「何やら忙しいらしいぞ。落ち着いたら参ると申しておいて欲しいと言うておった。」
維月は、手に幾つかの反物を持ったまま、消沈した顔をした。
「そうですの。あれから、何も仰らないし、地に話しかけても気の無いお返事をされるので、余程気に入らなかったのかと心配しておりましたの…お顔を見ておきたかったですわ。」
気に入り過ぎて困っておるのだ。
維心は思ったが、首を振った。
「あれは忙しい身なのだから、煩わせてはならぬぞ。それより、十六夜が面倒な事を申しておるらしい。大氣に、命を繋ぐ方法を教えろとかなんとか。自分は本当は命を繋いでおらぬのではないかと申し始めているらしい。主、あれは確かに命を繋いでいたのだと、あれを諫めてはくれぬか。大氣が迷惑しておるらしい。」
維月は、手に持っていた反物を、傍のテーブルの上へと置いて、言った。
「十六夜ったらそんなことを。我がままですこと。任せてくださいませ、私がしっかりと申しておきますわ。」
維心は、十六夜と話そうと庭の方へと足を向ける維月の背に、言った。
「これは、また何を縫うつもりぞ。反物を織りの龍から受け取って参ったのだろう。」
維月は、歩いて行きながらこちらを振り返って微笑んだ。
「それは、維心様と碧黎様の部屋着を縫おうと思いまして。十六夜は、着物を縫ってもあまり喜ばぬのですわ。やっぱりせっかく励むのですから、喜んでくださるかたに縫いたいですもの。十六夜にはまた、人世のTシャツでも縫ってあげますわ。そっちの方が喜びますの。」
あの、下着よりも短い服か。
維心は思いながら、庭へと出て行く維月を見送った。
つくづく、十六夜、碧黎、維心の三人は、感じ方は似ているところも多いが、好みから生活習慣まで、全く違う。そんな三人にそれぞれ別の形で愛されて、維月も大変だろうが、まるで息子達にでも対するように、それぞれに合う世話をしようと立ち働く。
結局は、全員が維月を母親のように慕っている、子供なのかもしれぬな。
維心は、自嘲気味に笑って思い、空を見上げて十六夜と話している、維月の背中を見つめていたのだった。