要求
維心と維月がこれから起こる事を胸に緊張気味に維心の対へと渡ると、思った通り碧黎が、きちんと扉から訪問して来た。
どうやら今は、神のように動いているらしかった。
維心が構えていると、碧黎は入って来て正面の椅子へと腰掛けた。
「主は分かっておるだろうが、我は此度主らと同じように過ごそうと維月を帰すように言うた。十六夜も、降りて来られないゆえもう、あきらめておる。」
維心は、維月の手を握りしめたまま言った。
「主の心地は分かるつもりぞ。だが、主は十六夜が同じ命であるにも関わらず、命を繋ぐとはどういうことかも教えていなかった。分かっていてやったことなら責められても仕方がないが、あれは知らなかったのだ。あれを責めるのは間違っておるのではないか?主にも責はあろう。」
碧黎は、痛い所を突かれたのか眉を寄せた。恐らくは、やりたくても出来ないようにと教えずにいたことが、裏目に出た結果なのだろう。
「…何を言うても同じよ。知らぬでも起こった事は事実。主には気の毒だが、約定は破棄されたのだ。我ではなく、そちらからの。なので遠慮はしないつもりぞ。」
維心は、説得など出来ないだろうと思っていたので、碧黎の姿勢は想定の範囲だった。
なので何を言っても無駄だろうとあきらめかけた時、維月が言った。
「…でございましたら、約定は破棄されたという、お考えでありますのね?」
維月が何やら意を決したように言うので、維心はぎょっとした。何を言うつもりよ。
碧黎は、重々しく頷いた。
「その通りぞ。維心と十六夜と、我との間の約定は、十六夜の行いにより破棄されたのだ。」
維月は、真剣な顔で頷いた。
「分かりました。私と致しましては、十六夜と話し合い、これからはしないということで約定を維持しようと決めておったのですが、お父様がそのように仰るのなら…。これからも、十六夜とも命を繋ぎ、それからその約定の当人であられる維心様とも、そのように。」
碧黎は、みるみる顔色を変えた。
「これからも…維心ともと?!」
維月は、頷いた。
「はい。此度はそうと思うてしたことではありませんでしたし、我らとしてはもう分かったのでしなければ…と甘い考えでおったのですわ。でも、お父様はそうは思っておられなかった。ならばもう、お互いに縛り無く、そのようにするのが等しくお付き合い出来るのではないかと。」
碧黎は、首を振った。
「度重なるなど…維心は命が違うゆえ出来ぬではないか!」
維月は、首を振った。
「命は同じ。お父様がお教えくださいましたのに。確かに身を持つ維心様からはお出来になりませぬが、私からは出来まする。私が維心様に入れば良いのですから。その方法は、お父様がお教えくださいました。なので不平等にならぬよう、維心様ともそのようにと思うておりまする。」
碧黎は、唇を噛んだ。どうやら、維月がそんなことを言い出すとは思ってもみなかったらしい。
だが、碧黎の様子から、もう十六夜と維月は、碧黎の手前そんなことはしないと思っていたようだった。そして維心とも、出来ないと思っていたようだ。
出来るのは分かっていたが、それを知らないと思っていたのだろう。
維心が固唾を飲んで碧黎が何と返すのかと見守っていると、碧黎はいきなり立ち上がった。
「…主がそうしたいのなら、そうすれば良いわ!我も好きにする!」
そうして、入って来た時とは違い、パッと消えた。
維月は、固く力が入っていた肩をフッと落として、息をつく。
維心は、碧黎の気配が去ったのを感じてから、言った。
「…まずいのではないのか。あれは怒ったのでは?」
維月は、かなりの気力を振り絞ったのか、弱々しく言った。
「はい。ですけれどこうするよりありませんでした。このままでは、十六夜も維心様も、皆複雑な事になってしまいます。お父様には…お気の毒ではありますが、夫が蔑ろにされるのを、黙っておるわけにはいきませんでした。それでなくとも維心様は、私が陰の月であるから起こる様々なことに寛容であってくださいましたのに、その時にはお父様は堪えよと仰っておって。同じ事がご自分の身に起こると、我慢がならなかったのですわ。まして十六夜は、そうと思うてしたことではありませんでしたのに…。」
維心は、維月もこんなことは言いたくなかったのだと思った。だが、このままでは維心が思っていたように、維心だけが取り残される形になってしまう。それを避けたいので、そうなった時には維心とも命を繋ぐぞと、碧黎に確認の意味でも言わずにはいられなかったのだろう。
二人で暗い顔をしながら座っていると、思ってもみなかった声がした。
《…親父にゃあれぐらい言ってちょうどいいと思うぞ維月。》十六夜は、フンと鼻を鳴らした。《オレだってそんなつもりじゃなかったんだし。教えててくれたらめんどくさい事になるのが分かってるんだし無断でやったりしなかったってのに。あの後、やっちまったって罪悪感に苛まれたオレの気持ちを返せっての。だろ?》
維心は、眉を上げた。…気のせいか?
維月は、顔を上げた。
「十六夜、あなたももう怒らないの。冷静にならなきゃ…お互いに。それで、話し合うの。でないと、私たちのような存在はみんなに迷惑を掛けるから。」
それを聞いて、維心はびっくりした顔をして維月を見た。
「今、十六夜が話しかけたか?」
維月は、あ、と口を押えて頷いた。
「はい、申し訳ありませぬ。最近は聴こえておられないのを知っていて、十六夜がいろいろ割り込んで話して来るのがしょっちゅうですの。今は気が抜けていて思わず答えてしまって。」
維心は、眉を寄せた。もしかしたら、維月の手を握っているからか…?
「いや…その、今、」
《なんだよ維心、親父相手だからってお前から本気が感じられねぇんだっての。もっと維月を庇ってやれよ、オレが居ねぇんだからさ。そのために居るんだろうが。》
十六夜の声に、維月がキッと空を見上げた。
「あのね、いい加減にしなさいよ!諦めてるのはあなたも一緒でしょうが!」
維心は、やっぱり気のせいではないと言った。
「主に触れておるせいか、十六夜の声が…、」
しかし、十六夜の声が割り込んだ。
《何キレてんだよ。お前は維心維心言い過ぎなんだっての!別に親父が言うように維心とまで命を繋がなくてもいいじゃねぇか!そいつは体だけで満足してるんだからよ!》
維心は、カチンとして叫んだ。
「うるさいわ!我だって維月と命を繋げると申すなら繋ぎたいわ!出来ぬと思うておったからそれで良いと思い込むようにしておったのではないか!己の事ばかりなのは、碧黎も主も同じぞ!」
維月もびっくりしたが、十六夜も驚いたようで息を飲んだ。
しばらく全員が黙り、維心のゼエゼエという息切れだけが聴こえる中、十六夜が恐る恐るという風に、言った。
《…お前、もしかして聴こえてるのか…?維月と三回言ってみろ。》
「維月維月維月!」維心は言った。維月も仰天した顔をして口を押えた。「さっきから聴こえておるわ!それを言おうと思うておるのに主らがガンガン言い合うゆえ、割り込めぬのではないか!主こそ我の声が聴こえておるのか!」
言われて、十六夜はハッとした。そういえば、維心が何を話しているのか聴こえる。
しかも、ざわざわといろいろな音が復活して来て、十六夜の耳に届いて来た。これまで遮断されていた音が、耳に届いているのだ。
《…聴こえる。》十六夜は、言った。《聴こえるぞ!一気にいろいろ聴こえて来た!視界も…開けて…?》
十六夜は、しばし黙る。
維月は、空を見上げて気が気でないような顔をして言った。
「なに?見えるの?自由が利きそう?」
十六夜は、しばらく黙っていたが、答えた。
《…聴こえるし、見える。》と、キラッと月が光った。《お!降りられるぞ維月!維心!》
光が、一直線にこちらへ向かって降りて来る。
一体、十六夜は何をどの状態で悟ったのだろうと維心は困惑した。十六夜は、何かを悟らなければ降りて来られないはずだったからだ。
維月も同じ事を思ったのか、維心を困惑した顔で見上げている。
そんな中、十六夜は数年振りに人型になって、龍の宮の庭へと降り立った。
本人は満面の笑顔でこちらに飛んで来るが、維心も維月も複雑な顔で十六夜を迎えた。
十六夜は、言った。
「元通りだ!どうなるかと思ったが、元通りに全部見えるぞ。めっちゃ色彩鮮やかだなー地上ってのはよー!」
十六夜は嬉しそうだが、維心は言った。
「水を差すようですまぬが、主は何を悟ったのだ?言うて良い事とならぬことの区別は確かにつくようになったのか。」
十六夜は、首を傾げた。
「どうだろうな。分からねぇ。よく考えたら、お前と親父が言い合ってるのも聴こえてたんだよな。何も見えねえと思ってたから、地上は見てなかったし、もしかしたらもうちょい前から見えてたかもしれねぇ。維月がなんか緊張した気を発してるし、親父が維月の近くに行ったのを感じたから、気にして意識をそっちに向けたら、お前らの話し声が聴こえてよー。いつの時点でこうなったのか分からねぇが、あの命が繋がった事故の直後は何も聴こえなかったから、その後だとは思うけどよ。」
どうして戻ったんだろう。
維月も喜ぶよりも、何やら訳が気になった。十六夜がいつまで経っても覚醒しないから、痺れを切らして仕方なく戻したとも考えられる。
「十六夜、戻ったのは良かったけど、確かにこれだって分かる理由がないからなんか不安だわ。また急に見えなくなったりしない?ほんとに大丈夫?」
十六夜は、頬を膨らませた。
「戻ったんだし難しい事は良いじゃねぇか。とりあえず、オレは元通りだし、親父となんかあっても割り込める。維心じゃ親父にどこまで言えるか分からねぇし、心配だったんでぇ。」
維心は、顔をしかめた。
「我だって何とかしたいが己でどうしようもない事を何とかしろとは無理な話なのだ。維月も言うておったが、我からは命を繋ぐなど出来ぬのだろう?主らとは違う。」
十六夜は、それには神妙な顔をした。
「体から出る必要があるからな。オレ達みたいな思念体なら、実体を崩せばそれで大丈夫だが、お前の体はそういうわけにはいかねぇし。出たら死ぬじゃねぇか、体が。だから、もしやるなら維月がその気にならなきゃ無理なんでぇ。」
維月は、言った。
「その事はまた後で。お父様がどうしていらっしゃるのか分からないの。今は月だから見てるけど、瀬利の結界辺りで分からなくなったの。大氣に会いに行ったのかも知れないわ。」
十六夜は、頷いた。
「オレも見て来るよ。お前は、地に戻った方が見えるんじゃねぇか?一度それで試してみたらどうだ?」
維月は、頷いた。
維心は言わなかったが、大氣に会いに行ったのなら、面倒な事になるのでは、と眉を寄せていた。
何しろ、大氣の側には瀬利が居る。
自暴自棄になった碧黎が、何をするのか分からないからだ。
だが、ここで口に出してこじれてもいけないので、ただ黙ってそんな様子を見ていた。