終息
義心は、龍の宮へと戻って来た。
空はもう、暗くなって日が沈んでいる。
王の居間には、維心の他に炎嘉、志心、焔が居て義心を迎えた。
焔の顔色が悪いのに驚いたが、義心は維心の前に膝を付いた。
「王。只今戻りました。」
維心は、頷いた。
「待っておった。どうであったか。」
義心は、顔を上げた。
「は。その前に、月の宮からこちらへ戻る道で、周辺の宮の結界が所々消失していて、大騒ぎしているのを見て参りました。」
維心は、苦笑した。
「で、あろうな。我の結界でも一瞬揺らいだからの。あの爆風では、回りの宮なら一溜りもなかったであろうし。焔も一瞬宮の結界が消し飛んで、今具合が悪いのだ。」
義心は、驚いた。爆風?
「爆風と。我は…感じませなんだ。」
維心は、頷いた。
「月の宮に居ったのだろう?あの結界は十六夜の力の影響など受けぬゆえ、わからなんだのだろうの。」と、息を付いた。「して?主が今、ドラゴン城の結界を張っておるな。それから?」
義心は、頷いた。
「は。ヴァリーを追って、海上へ参りました。維月様が居られたので、大丈夫だろうとお側に寄りましたが、霧を排除してヴェネジクト様を連れて飛び立とうとした時、ヴァリーが急に具合を悪くして。」
維心は、眉を寄せた。
「…霧に憑かれたからか?」
義心は、その時の事を頭に浮かべた。
「いえ、何かに気付いたような顔をした瞬間、崩れるように膝をつきました。驚いた我が近付くと、維月様が何かに気付かれてすぐに離れよと叫ばれて…我は、ヴェネジクト様を連れて、維月様とヴァリーを置いてそちらを離れました。恐らくヴァリーは、膝をついた後すぐに、霧に憑かれたのではないかと。」
炎嘉が、複雑な顔をした。
「…よう分からぬが、ヴァリーは具合を悪くしたから霧に憑かれた感じであったと?」
義心は、頷く。
「はい、そのような感じでした。その後の事は、分かりませぬ。月の宮へヴェネジクト様を預けている最中に、北に十六夜の浄化の光の柱が乱立しているのを、己の結界から見ました。そして、東の海があのように。」
維心は、息をついた。
「その後どうなったか、恐らく維月か十六夜か碧黎か、ヴァリーでなければ分かるまい。とはいえ、十六夜は霧を消して回っておるゆえ、ヴァリーもあの光の中なら綺麗さっぱり霧など無くなっておろう。ヴァリーは置き去りか?」
義心は、そういえば、と思った。あの後どうなったのだろう。
「確かに…しかしながら維月様が居られたので、どちらかに行けと申されたか、迎えをやるように連絡されたとは思うのですが…。」
月の宮には、ヴァリーは来なかった。
もしかして、行き違いになったのだろうか。
「無事ならば己で戻って参っておるだろうが、戻っておらぬのなら恐らく気を失っておるな。」維心は言った。「主らが移動したのと十六夜の力を放ったタイミングを考えると、無事であるなら月の宮へと主を追って行ったはずなのだ。主が会っておらぬなら、まだ島の上か。」
義心は、腰を浮かせた。
「ならば連れに参りましょうか。島と申すにはあまりに小さい、人が三人ほど横たわれるぐらいの岩の上でありました。」
炎嘉が、びっくりして言った。
「またそんな小さな場所に。もう流されておるのではないのか。」
義心は、その通りだと維心を見上げた。
「我は正確な場所を知っておりますので、行って参ります。ヴァリーから話を聞くことも出来るかもしれませぬ。」
維心が頷こうとすると、扉の外から鵬の声がした。
「王。蒼様から急ぎの書状が参りました。王はご無事かと、案じておられるようで、軍神も外でお返事を待っておる状態で。」
維心は、言った。
「これへ。」
扉が開いて、鵬が急いでむき出しの書状を持って来た。どうやら、文箱に入れるのも惜しい速度で送って来たらしい。
維心はそれを受け取って、中をスッと開いて見てから、それを隣りの炎嘉へと渡した。
「…蒼には我が結界は無事で我は何ともないと答えよ。それから、知らせを感謝すると。こちらが知りたかった事を知らせて来てくれておる。」と、義心を見た。「碧黎が蒼にいろいろ話したようだ。嘉韻と嘉翔がヴァリーを迎えに参っておるから主は行かずで良い。」
義心は、頷いて、また膝をつき直す。鵬は、維心からの返事を待っている蒼の軍神に知らせようと、その場を頭を下げて急いで出て行った。
炎嘉が、隣りの志心に書状を渡した。
「十六夜は目が見えぬのか。」
維心は、頷いた。
「だからあのような雑な力の降ろし方なのだ。海の方の光も、十六夜は維月の危機を察知して全ての力を込めて放ったらしい。お蔭で助かったが、維月は取り込まれる寸前だったのだとか。」
義心は、驚いて顔を上げた。
「維月様が?!…ですが、あの、以前のような大変に…その、下僕を扱うような様であられたのですが。」
あの状況から、どうしたら同情するような状態になったのだろうか。
維心は、それを聞いて恐らくは、前に炎耀が憑かれた時のように、十六夜がSMの女王と言っていたような状態だったのだろうな、と思いながら、答えた。
「碧黎が申すには、闇の問題ではなく、憑かれたヴァリーの問題だったようぞ。詳しい事は聞けなかったらしいが、そういう事のようだ。碧黎が慌てて維月を地へと引っ張り込んだので、実際には大層な事にならなんだとのことで、ホッとしておる。」
義心は、背中を冷や汗が流れるのを感じた。維月なら大丈夫だとあの場を命じられるままに離れて、何かあったら一生後悔するだろうからだ。
志心まで書状が巡って、また維心へと戻って来てから、維心はそれを義心へと渡した。
義心はそれを読んだ…確かに十六夜は目が見えておらず、維月は地に戻っていて、ヴァリーは嘉韻が迎えに行っている事実を書いてある。そして、維心をとても案じていた。
急いだらしく、字が物凄く走っていたが、間違いなく蒼の字だった。
「となると、これでとりあえずは問題ないであろうが、後始末よな。」と、炎嘉は言った。「十六夜が戻ったなら霧など敵ではない。荒れ狂ってしもうたドラゴンの城の事ぞ。今はどんな状況よ、義心?」
義心は、書状から顔を上げて、遠くドラゴン城の自分の結界から回りを見た。
「…十六夜の光が何度も行き来しているので、あの辺りは清浄過ぎるぐらい清浄な状態です。見えていないので少しの気配でも光を向けているのか、何度も同じ場所を行き来して、もう何も無いのではと思われる場所まで太い光の柱が通って行くので、霧は存在することも出来ないようで。なのでドラゴン達も他の神達も、外へ出て光が通る場所へと暴れ回る霧に憑かれた者達を放り込んで、少々乱暴ですが治療しているようです。その光に照らされると、ぱったりと静かになって霧が消失してしまうので。」
維心達は、それを聞いてその様子を思い浮かべた。
十六夜と意思の疎通が出来ないが、十六夜の光が行ったり来たりを繰り返すので、考えてその光の中へと憑かれたものを放り込む事を考え付いたのだろう。
十六夜も、憑かれたものの霧を検知して、また行ったり来たりを繰り返すのだろうと思われた。
「ならば、あちらも何とか霧の脅威から逃れられたと。」
義心は、頷いた。
「はい。霧の欠片も感じられない状態になって来ております。ただ、霧に憑かれた神達のせいで荒れた領地の中の復興には、まだ時が掛かりそうな様子です。霧から逃れたとはいえ、憑かれていた者達は消耗しきっておる状態ですので。」
普通の神では、精神が削られて生き残っていたとしたら幸運なぐらいだろう。
「こうなると案じられるのは北西か。」志心が言う。「誓心の領地までは、主の結界からは見えるか。」
義心は、じっと遠くへと視線を向けていたが、言った。
「…ハッキリとは見えませぬが、そちらにも光が降りておるのが見えるので、恐らくは大丈夫ではないかと。十六夜は、とにかく今霧の気配を追って光を下ろしている状態で、霧が存在すれば消されているはずです。」
焔は、疲れ切った様子で立ち上がった。
「では、我は宮へ帰るわ。消耗してしもうてならぬ。結界は今問題ないが、破られた時の衝撃など初めて受けた。己の宮の中で休みたい。何かあったらまた知らせてくれぬか。」
志心が、気遣うように言った。
「大丈夫か、無理をせぬようにの。こうなると他の者達も案じられることよ。どこまで影響があったものか。」
炎嘉が、ふらふらと出て行く焔を見送りながら、言った。
「恐らくは島全体であろう。東の海からであったからな。被害状況を調べて来ねばならぬの。」
それには、義心が維心を見上げた。
「王。」
維心は、頑丈であるなと思いながら、頷いた。
「行って参れ。」
義心は、頭を下げてサッと出て行った。
それを見ながら、志心が言った。
「あやつは誠によう働くの。普通、あんな場所へ行って帰って来たらもう休みたいと思うものであろうに。己からあのように。」
維心は、苦笑して言った。
「あやつは全て自分でやらねば気が済まぬところがあるからの。だが、これで帰ったら休ませる。とはいえ、ドラゴン城の結界はあれのものであるし、またすぐにあちらへ行かねばならぬようになろうがな。誰かに換わらねばならぬからな。」
炎嘉が、焔が去った方向を見ながら、自分も立ち上がった。
「では、我も帰るか。回りの宮の被害状況はまた書状でも送ってくれ。さすがにあの衝撃であったし、我の結界も揺れたゆえ、中では気が気でなかったであろうしな。」
志心も、頷いて立ち上がった。
「では我も。冷や冷やしたものだが、これで何とか闇も発生せずに済んだ。あとは、ヴェネジクトの事もあるし、主に任せる。何かあったら知らせてくれぬか。」
維心は、見送りのために立ち上がった。
「義心が戻り次第書状を遣わせる。後は…ヴァリーの話も気になるが、皆が回復してからであろうな。十六夜もまだ本調子ではないし、早う目が開かれることを願うしかない。」
炎嘉は、笑いながら歩き出した。
「少し見えて居らぬ方が良いのやもしれぬぞ?何しろ、あれは見えたら言うてしまうからの。そしてまた寝てしまうのだ。面倒この上ないからの。」
維心は、共に歩きながらクックと笑った。
「誠にな。」
その様子は、二人共に美しいので、微笑み合ってまるで絵のように見えた。
志心は、少し遅れて歩き出しながら、言った。
「…ところで、であるが。」二人は、同時に志心を振り返った。志心は続けた。「別に我が炎嘉に懸想とかそんなことは今は無いと先に言っておく。その上で聞くが、主ら誠に何もないのか?」
維心が、ぎょっとした顔をした。
炎嘉は、呆れたように言った。
「まだそのような事を言うておるのか。無いと申すに。もういっそそんな仲になるかと思うぐらい皆に言われるが、無い。」と、維心を見た。「こうなったら我が女に化けようか。そうしたら出来るのではないか?」
維心は、炎嘉から数メートルも離れてブンブン首を振った。
「なぜにそのような!そこまでしてなぜに関係を持たねばならぬのよ!そも、女なら維月以外は絶対無理ぞ!」
その反応を見て、志心は首を振った。
「ああ、無いな。維心は相変わらずの様子であるし、確かにあり得ぬようよ。だが、主らは美し過ぎるのだ。二人して微笑み合うとかまるで絵のよう。なのでつい、皆考えてしまうのだろうの。罪なものよ。」
何が罪なのかその当人なので維心には分からなかったが、炎嘉には何となく分かった。つい、そんな様子を想像してしまうぐらい自然に見えるのだろう。何しろ、長年一緒に来たので、維心も炎嘉には気を許しているし、他の神には見せない顔も見せる。そのせいなのだ。
だが、維心は強張った顔で隣りを少し離れて歩いていて、炎嘉はその様子に苦笑したのだった。