盲目
龍の宮では、維心と炎嘉、それに志心と焔が残って、義心を待っていた。
他の王達は、自分の宮へと戻り、こちらからの連絡待ちをすることになったのだ。
何しろ維心は、力を絞って黙って集中していれば、北の様子も何となく波動を感じ取る事が出来る。
なので、ドラゴン城に義心の結界が張られたのも、維心は気取っていた。
「…あれはあの領地に結界を張ったか。」炎嘉が、もはやあきらめたように言った。「あやつは恐らく、他の宮に生まれておったら王になれたのだ。ドラゴンの領地は大陸であるから結構な広さなのにの。よう考えたらザハールと比べてもあれは遜色ない気の大きさであるし、それぐらいやりよるわな。いっそ義心があちらの王になったら良いのだ。」
志心が、咎めるように言った。
「こら、冗談にしてもそれぐらいにしておけ。確かに義心は優秀であるが、あれは龍なのだからの。維心の臣下であることは変わりないのだ。」
維心は、息をついた。
「我がもし、子を残して居らなんだらあれが王になったのだろうの。それは思う。だが、我の臣ぞ。」と、じっと遠く気を探った。「…海へヴェネジクトを連れ出したのだろう。ヴェネジクトの気配は薄過ぎて気取れぬが、ヴァリーの気が移動しておるので分かる。何やらおどろおどろしい気配を後ろに引きずっておる…霧がヴェネジクトを追っておるのだろうの。」
焔が、身震いした。
「あんなものが大量に己を追って来るなど考えたくも無いわ。誠、なんと面倒な事よ。十六夜が寝ておるだけでこれほどに不自由なのか。」
維心は、頷いた。
「碧黎がその昔、わざわざ作ったほどの命であるからの。必要であるからあれは存在しておるのだ。…であるのに、少々軽はずみな所がある。言うてはならぬ事を言うて力を失うなど、そのせいで地上が窮地に陥るなどあってはならぬのだからな。維月が大変であるのに…誠に早う起きてもらいたいわ。」
炎嘉は、苦笑した。
「同感であるが、しかし主のは維月が傍から離れておるからであろう。十六夜も、維月の気配が近いゆえ目を覚まさずでも良いと感じてしまうのかもしれぬのう。」
維心は、また気配を探ってふと、視線を東の方へと向けて、止まった。そして、首を傾げた。
「どうした?」
炎嘉が言う。維心は、眉を寄せて言った。
「いや…維月の気配がするのと、ヴァリー、多くの霧、そして…義心が追い付いたよう。」と、窓の外へと目を凝らすようにした。「…分からぬ。見えておるわけではないからの。気配を気取れるだけなのだ。そこに居るのは分かるが、月や地のように見えぬ。」
維心は、しばし黙った。
炎嘉も志心も焔も、維心ほどの気を持たないので、そこまで遠くの気配をハッキリと気取ることは出来ない。なので、維心が何を見て何を感じているのかも、全く分からなかった。
だが、ふと北の大陸の方から、信じられない衝撃を感じた。
「?!」
全員が、一斉に窓の外を北の方角へと向いた。何も見えないが、しかし、確かに今この時も、空から幾つもの気弾でも落とされているような衝撃が、ガツンガツンと感じ取れた。
三人にも気取れているという事は、かなりの大きさの気だということだ。
「なんぞ?!」
焔が言うのに、維心が答えた。
「十六夜ぞ!」と、維心は、見えないのに何とか詳しく気配を辿ろうと必死に目を凝らした。「十六夜が、無数の浄化の光の柱を天から落としておるような気配ぞ!何かを狙っておる様子ではない!」
「あれは戻ったのか!」
炎嘉が、歓喜とも驚愕ともとれる声で叫ぶが、維心には分からない。何しろあれだけお喋りな十六夜が、こちらに全く話しかけては来ないのだ。
そこで、また維心は今度は海の方から、物凄く嫌な気配を感じた。
「…これは何ぞ?闇?いや、そんなはずは…憑く神など居らぬはず。義心はこちらへ戻って来ているのを感じるのに。」
炎嘉が、イライラと言った。
「だから何ぞ!説明せねば分からぬではないか!」
維心は、自身も良く分からないので同じようにイライラしながら言った。
「だから我だって見ておるわけではないというに!闇のような気配が、一瞬小さくなったのにまた、大きく力を持ったように感じたのだ。普通に考えたらヴェネジクトから離れて、そしてまた誰かに憑いたと解釈するが、あの場にはそんな一瞬で憑ける神は居らなんだ。義心の気は、島へと向かっているのを感じるし、義心ではない。だから何ぞと思うておったのだ!」
志心が、それを聞いて冷静に言った。
「義心ではないなら、ヴァリーではないのか。あれはまだ若いドラゴンであったろう。それに憑いたのでは?」
しかし、炎嘉が首を振った。
「碧黎から聞いたではないか、共鳴しないからこそあれを送ったのに。闇が一瞬で憑くためには己と共通の何かが無ければならないが、あれには世界征服とか破滅とか、そんな後ろ暗い目的が心の底にあったというか。」
志心は、顔をしかめて答えた。
「そんなことは分からぬが、しかし消去法で行くとそうなろうが。あれも力が大きいし、面倒な事になるのでは。」
維心は、ブンブンと首を振った。
「まだ闇になり切れてなければ、十六夜の前には一瞬よ。十六夜が戻ったなら、だが…」と、月を見上げた。「十六夜?!見えておるか、せめて答えよ!」
だが、いつもなら一瞬で文句を言うだけでも答える十六夜が、何も言っては来なかった。
炎嘉は、唸った。
「何が起こっておるのだ…答えないのに、力はあのように?」
「だから分からぬと…、」維心が答えようとした途端、今度は東の海に真っ白い光がドッ降りてまるで、大きく爆発でもしたかのように、爆風のような気の衝撃が同時に襲って来た。「うお…!結界は…!」
維心は、必死に結界を見た。自分の結界は、襲い掛かる激しい気の放流に晒されて、一瞬揺らいだがすぐに持ち直した。
どうも、一瞬にして結界が洗い流されたような感じのようだった。
「おおお…我が結界もまるで浄化の暴風雨ぞ。」炎嘉は、身震いした。「どうなるかと思うたが、霧のようなものがあっても全部消し飛んでいったわ。結界には問題はない。むしろきれいさっぱりぞ。」
志心も、緊張した顔をしていたが、肩の力を抜いた。
「誠に。宮を守り切れぬと危機感を感じたものよ。月が善意の存在で良かったの。」
焔が、脂汗を額に浮かせながら言った。
「主らはその程度か?我の結界は一瞬無くなったわ。すぐに持ち直したが、戦慄が走った。もう駄目かと。」
維心は、空を見上げた。十六夜は、どうやら力加減をしないでひたすらに力を放ったように感じる。常ならこちらの様子を見て加減をしているのに、今のは向こうの広い海全体に向けて力いっぱい放ったように思えたのだ。
十六夜は、いったい今どういった様子なのだ。
維心は、空を見上げて思った。だが、十六夜が答えて来ない以上、何がどうなっているのか、誰にも分からなかった。
蒼が、ハッと顔を上げた。
「十六夜!」
脇で じっと蒼の様子を見ていた妃の杏奈が、急に蒼が動いたので驚いて寄って来た。
「王?十六夜が何か?」
蒼は、ホッとしたように肩の力を抜いた。
「十六夜が浄化の力を放ってるんだ!何か海の方を一気に浄化して、それから大陸の方に今、光をシフトさせて消して行ってる!もう、大丈夫だ…。」
蒼は、へなへなと崩れて床に手を付いた。杏奈が慌ててそれを支えようとした時に、嘉韻が急ぎ足で入って来た。
「王。」そして、蒼が床に膝を付いているのに、驚いて駆け寄った。「お加減がお悪いのですか?!」
蒼は、首を振った。
「違うよ、十六夜が戻った。物凄い力を海全体に降ろした後、大陸の方も浄化の光を向けてるんだ。もう、大丈夫だ…気が抜けてしまって。」
嘉韻は、蒼を支えて椅子へと座るのを手伝いながら、頷いた。
「やっと霧の騒動は終わりそうでございますな。十六夜なら、全て一瞬でしょう。」
それでも、蒼は眉を寄せて言った。
「でも、何か力の放ち方が雑なんだよな。手探りみたいな感じで。」と、窓から空を見上げた。「維月は地へ取り込まれて行くのを感じたから今は居ない。今は陰の地になってるみたいだ。ヴァリーが、海上の小さな岩の上に気を失ったまま倒れてる…。嘉韻、嘉翔を連れてあれを回収しに行ってくれないか。あのままじゃ波にさらわれるかもしれない。」
嘉韻は、頭を下げた。
「は!」
すると、碧黎の声がした。
《危ない所だった。》蒼と嘉韻が驚いて動きを止めると、碧黎は続けた。《闇になり掛けていた霧に憑かれておったのだ。今少し十六夜が力を放つのが遅ければ、維月は取り込まれたかもしれぬ。我も同時にあれを取り込んで強制的に地へ戻したゆえ、維月は無事だったが、正に紙一重よ。》
蒼は、驚いたまま言った。
「え、今回の闇は性質が良い方の闇でしたか?」
それにしてはやり方が乱暴だったけど。
蒼が思っていると、碧黎は答えた。
《闇の問題ではなく、依り代の問題ぞ。ヴァリーであったから…その心の内を闇が暴露して、維月は今少しで引きずられるところであった。我がすぐに気を放って光に変えたゆえ、維月は衝撃で気を失って地へと帰って来た。同時に十六夜の放った凄まじい浄化の光で全て消え去った。》
蒼は、顔をしかめた。何か不幸な生い立ちとかなのだろうか。
しかし、碧黎は続けた。
《…その内に分かる。とにかくはもう、ヴァリーは大丈夫よ。嘉韻に回収させるのだろう?早う回収させて参れ。まだ誰もそれに気付いておらぬから、海が荒れたら流される。》
蒼は、慌てて嘉韻を見て、嘉韻は頷いてそこを出て行った。
蒼は、碧黎に言った。
「碧黎様、でも十六夜は?何だか雑な力の使い方をしているようなんですけど。」
碧黎の声は、呆れたように言った。
《あやつは無理やり覚醒したのでまだ目を開けぬで、地上が見えておらぬ。なので適当に力を降ろしておるのだ。だいたいこの辺、と当たりをつけて力を降ろしておる。まあ、十六夜の力は浄化で、当たっても良い事があっても悪いことなど無いゆえ、とりあえず霧を消してもらえれば良いかと思っている。維月の危機を知らせたら、海上になど全ての力を使って広域に一気に力を放ったのだぞ?月の宮は同じ力の結界であるから衝撃もなかったが、他の宮の結界など一瞬気の爆風で吹き飛んだからの。》
蒼は、さらりと言う碧黎に、みるみる目を見開いた。
「ええ?!そんなことになっていたんですか?!大変じゃないですか、みんな倒れてるんじゃ!」
結界を破られる衝撃は凄まじいと聞いている。
それで倒れる王も居るらしいのだ。
だが、碧黎は涼しい声で言った。
《ああ、浄化の力であるし、悪いものが軒並み吹き飛んだぐらいで問題ないわ。それは宮によっては王が突然倒れて結界が消失して騒いではおるがの。》
大変じゃないか!
蒼は、慌てて立ち上がった。
「維心様に書状を送らないと!」と、駆け出した。「恒!大変なんだよ、龍の宮へ書状を!」
杏奈は、取り残されてひたすら一人でオロオロしていた。