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破談

黎貴には、訳が分からなかった。

あの夜、部屋へと帰って弓維に婚姻の約束を取り付けた高揚感も手伝って、眠れず父が戻るのを待っていた。

それなのに、突然に戻って来た父は、大変に激昂しており、いきなり帰ると命じ、既に休もうとしていた侍女侍従、軍神達を叩き起こして、深夜に挨拶もせずに宮へと帰って来たのだ。

さすがにその夜はそのまま、父と話す事も出来ず、黎貴は次の日の朝に、父に話そうと考えた。

そして次の日の朝、同じように父に報告をしなければならない夕貴も共に連れて宮の回廊を、どう伝えたら良いかと考えながら歩いていると、後ろから、慌てたような明羽が駆け寄って来て、膝を付いた。

「黎貴様。折り入ってお話が。」

黎貴は、顔をしかめた。

「後ではならぬか。大事なことなのだ。」

しかし、珍しく明羽は譲らなかった。

「黎貴様、至急お耳に入れておかねばならぬことが。もしかして、青龍の皇子と皇女との縁談の件ではありませぬか?」

黎貴は、驚いて夕貴と顔を見合わせた。そして、明羽に言った。

「…確かにそうだが、何事ぞ。」

明羽は、辺りを見回して、空いて居そうな部屋の方へと二人を誘導した。

「こちらへ。昨夜なぜにあの時間にこちらへ戻ったのか、ご存知ありませんでしょう。」

そうなのだ。

黎貴は、それも聞かねばと思っていた。しかし、明羽がこれほどに言うのだから、何かあるのだろう。

「…分かった。」と、明羽が必死に示す、部屋へと足を踏み入れた。「話を聞こう。」

そうして、戸惑う夕貴も共に、その部屋へと二人は入って戸を閉めた。


中へと入ると、黎貴は明羽を見た。

「して、何ぞ。何があった。」

明羽は、膝をついて、下を向きながら、言いにくそうに言った。

「その…昨夜、宴の席もそこそこに、王に於かれましては他の島の上位の宮の王達と共に、訓練場に参られておりました。龍王妃が大変な手練れであるとのことで…突然に、立ち合うという話になり申しまして。」

夕貴が、驚いて袖で口を押える。黎貴も、目を丸くした。

「あの王妃は、あの王達と立ち合ったと?」

明羽は、渋々頷いた。

「はい。見ておりましたが、驚くほどの手練れで。王達は成す術なく下されて行きました。我では絶対に勝てませぬ。実際、青龍王以外には負け知らずなのだとか。」

黎貴は、愕然とした。誠にあちらの龍王妃はそこまでの腕前か。ということは…。

「…父上は、龍王妃に負けたのか。」

明羽は、下を向いて床をじっと見つめながら、首を振った。

「いえ…それならば、ここまででは無かったやもしれませぬが。」と、思い切ったように黎貴を見上げた。「青龍の王に、下されたのです。それも、泳がされた上での完璧な勝利で、誰が見ても我が王は太刀打ちできませんでした。我には軽く遊ばれたように見え申した。」

そこまでか。

黎貴は、眉を寄せた。となると、父は同族の王に負けた。龍という種族の中で、維心が最強という事になり、白龍青龍関係なく、龍族という種族の王は、維心だという事になる。

もちろん、立ち合いのただ一度だけでそれが決める訳では無い。だが、明羽がハッキリ見ているのだ。匡儀は、維心に全く敵わなかったのだ。

「…では、父上は維心殿と諍いを起こされたと?」

明羽は、がっくりと肩を落としながら、頷く。

「は。諍いで済めば良いのですが、王は大変に傷つかれたご様子。維心様は我が龍族の王、と言い切っておられた。王はその座を渡したくないゆえに、戦われたようでした。なので、我慢がならず、戻って来られたのです。表向き、酒の入った後の戯れの立ち合い一度で決まることではありませぬが…力の差は、歴然でございましたので…。」

黎貴は、夕貴を見た。夕貴も、不安そうにこちらを見返している。

「…主以外の臣下は知っておるか。」

明羽は、頷いた。

「はい。次席の堅貴と、重臣の伏師には話しました。我らで話し合い、他の者にはまだ申しておりませぬ。ですが、王のご様子から漏れるのも時間の問題かと。我らは、だからといって匡儀様を王といただく事に何ら異議などございませぬ。何しろ、我らは白龍、あちらは青龍なのです。同族とは言うて、別のものであると思うておりまする。王のお考えは違うようでありますが、我らはどちらが上など関係ないかと考えておるのです。」

黎貴は、慎重に頷いた。そうは言っても、龍とは昔、共食いをした種族だ。離れて発展した種族同士、殺し合ってもおかしくはない。己の覇権を守ろうと、王が戦うのであれば臣下はそれに従うしかない。

父の判断がどうなるか分からない以上、楽観的には考えられぬようだった。

「ということは…あちらとの婚姻の話など、せぬ方が良いということであるな。」

父上から申して参ったことなのに。

黎貴は思ったが、明羽は頷いた。

「は…。今は、あちらの事を口になさらぬ方がよろしいかと。そのうちに、解決策も出て参ると思うのです。伏師も、宮同士の関係を復活させるためには、婚姻による和解が一番だと申しておりましたし、そちらからまた、お話が進む可能性がございます。王さえお許しくだされば、和解案をあちらへ提示することも出来ましょうし…。それまで、ご辛抱ください。」

そう言っても、あちらがそれを飲むとも限らない。

黎貴はそう思ったが、頷くしかなかった。あちらの龍王が、どれほど憤っているのか分からない以上、下手に動くことも出来ないのだ。確かに、驚くほどに大きな気だった。あの青龍の王が、こちらを敵対視していたのなら、生き残るのが難しいのもまた事実なのだ。

「…父上は、いったいどうなさるおつもりなのか…。」

黎貴は、呟くように言った。しかし、それに明羽は答えられない。匡儀が今、何を考えているのかなど、誰にも分からないのだ。

黎貴は仕方なく、夕貴を伴って自分達の部屋へと戻った。

弓維に会うことすら、いつになるのか全く分からなかった。


匡儀は、無性にイライラとして、政務に携わる気にもなれず、責務を放り出して彰炎の宮へと向かっていた。

こんな時に、彰炎と再会していて良かった、と思う。

これまでなら、恐らくは自分一人で部屋に籠って、これからの対応を考えねばならなかっただろう。それを思うと、気が狂いそうだった。

匡儀が突然に来たので、彰炎も政務を放り出して急いで出て来てくれた。

「匡儀?驚くではないか。主の宮では本日は政務が無いか。」

匡儀は、何度も首を振った。

「そんなはずはあるまいが。何も無い日などないわ。それより、主にどうしても話を聞いて欲しくなって、放り出して来たのだ。時はあるか。」

彰炎は、顔をしかめた。

「無いと申してももう来ておるくせに。」と、足を奥へと向ける。「参れ。居間で話そうぞ。」

匡儀は頷いて、彰炎の後ろを歩いた。彰炎は、紅の着物に身を包み、昨日会った炎嘉と良く似た風情だった。すると昨夜の立ち合いの事を想い出し、匡儀は複雑な気持ちになった。

途端に不機嫌な顔になって居間へと足を踏み入れると、彰炎が匡儀の様子に気付いて、言った。

「何ぞ。訪ねて来ておいて何を不機嫌になっておる。」

匡儀は、むっつりと椅子へと腰かけながら、彰炎の着物を顎で示した。

「その着物ぞ。炎嘉を思い出す。」

彰炎は、あっさりと頷いた。

「炎嘉にもろうたものだしの。」と、袖を上げた。「そら、この刺繍が我の鳥身に似ておると申して。確かになあと思うて、珍しいしもろうたのだ。炎嘉の職人は手練れでの。こちらにも借り受けて、教えさせておるのだ。腕が上がると皆喜んでおる。あちらはどこでも細かい細工が得意なようであるな。龍もそうであろう?宮の彫刻の見事さを見たか。あれは我が宮も欲しいと思うた。職人を借りられないか、主に頼んでもらおうかの。」

匡儀は、勢いよく首を振った。

「維心など!我は絶対に頭は下げぬ!」

いきなりにそんな風に怒鳴る匡儀に、彰炎はびっくりした顔をして絶句した。そして、グッと眉を寄せると、ずいと匡儀に寄った。

「…主、維心殿と何かあったか。」

匡儀は、いきなり感情的になった自分を落ち着かせようと、息をついた。

そして、昨夜の出来事を彰炎に話して聞かせた。

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