役目
炎嘉言うのに、ヴァリーは膝を進めた。
「何なりと。出来ることがあるのなら、命を懸けてやり遂げまする。」
炎嘉は、重々しく頷いた。
「主にしか出来ぬだろうの。我らはいろいろ知ってしもうて複雑な感情をそれぞれ持っておるから、霧の中に行く事が敵わぬ。主の役目は、ヴェネジクトをあの霧の中から引っ張り出し、誰も居らぬ地へと連れて参ること。それだけぞ。」
そこへ、義心が鎧下着を抱えて戻って来た。
そして、何やら重苦しい雰囲気で話をしているのに気付いて、ソッと下着を厨子へと収めると、膝をついて見守る体勢に入った。
ヴァリーは、険しい顔をしながらも、頭を下げた。
「は!仰せの通りに。」
あの霧の中から来て、その恐怖を知っているのに。
他の王達は、感心しながらその様子を見ていた。
維心が言った。
「新しい下着は持っておらぬよな。こちらの物を1つやろう。」と、義心に頷き掛けた。義心は頭を下げて、厨子から今入れたばかりの鎧下着と袴を一枚ずつ出して、ヴァリーに手渡した。維心は続けた。「霧の注意点を話しておこうぞ。あれは、主の心の暗い部分に付け入って来る。分かっておるだろうが、維月の衣だけでは己を守りきれぬ。いくら衣を着ていようとも、暗い部分を気取らせたらそこへ入り込んで参るゆえ、一切の雑念は絶ち、無に近い形であれを運ぶのだ。あの位置から、人も神も居らぬ場所、島の東にある海へ参れ。そこの無人島にヴェネジクトを降ろしたら、後は陰の月がヴェネジクトから霧を引っ張り出すゆえ、それを封じれば良い。ヴェネジクトが生きておれば、それを…」と、炎嘉を見た。「どこへ連れて参るか?」
炎嘉は、顔をしかめた。
「そのままそこへほとぼり冷めるまで置いておきたい心地だが、また霧に憑かれぬとも限らぬしな。霧が離れた後は、月の宮へ送るか。あそこで隔離すれば十六夜が目覚めるまでもつであろうし。」
また蒼に面倒を押し付けるな。
維心は思ったが、それしか方法はなかった。
なので、頷いた。
「…月の宮へ連れて参れ。月の宮の位置は分かるか。」
ヴァリーは、頷いた。
「明蓮からこちらの宮の位置は全て教わりましたので。では、そのように。」
ヴァリーは、立ち上がった。
炎嘉が、驚いて言った。
「待て、ヴェネジクトが居らぬ間あちらに結界を張るようにザハールに言わねばならぬのよ。」と、息をついた。「…何の抵抗も無いか。あちらの様子は知っておるのだろう。」
ヴァリーは、答えた。
「誰かがやらねばならぬこと。ドラゴンが今、滅びようとしておるのに己の命がどうのと言っておる暇はございませぬ。このままでは、ドラゴンどころか地上全てが霧に沈むことになる。闇が発生すれば、神とて生き延びられますまい。」
義心は、維心に膝を進めて言った。
「王、お命じください。我がザハールに月の衣を届け、結界を張るように申します。その後ヴァリーを追い、全てを見届けたら、またご報告に戻ります。」
簡単に言っているが、霧の中では簡単なことではなかった。
しかし、維心は頷いた。
「そうそう月の衣を出せぬゆえ、一揃えだけザハールに持たせよ。後は堪えてもらうよりない。」
義心は、頭を下げた。
「は!」
するとそこへ、今度は明蓮が駆け込んで来た。
「王!炎耀様が、ドラゴンの下士官のアナトリーを連れて、こちらへ!炎嘉様を訪ねて来られました!」
炎嘉が、跳ぶように立ち上がった。
「おお!炎耀が戻ったか!」
ヴァリーは、驚いた顔をした。
「アナトリーが?!」
月の衣はアナトリーを守ったのか。
ヴァリーは、まさか生きて会えると思わなかったので、嬉しさに思わず肩の力を抜いた。炎耀はコンドルの城に居た神…ということは、アナトリーは無事にコンドルの結界に逃れたのだ。
「こちらへ。」
維心は、冷静に言った。炎嘉の事だから、自分の血族には維月の衣を分け与えていたのは推測出来た。恐らく炎耀は、アナトリーからその効力を知ったのだろう。
明蓮は、扉の向こうへと頷く。
すると、もうそこまで連れて来ていたらしい、炎耀とアナトリーが入って来た。
「何ぞ、皆こちらに。」炎耀は、甲冑姿で入って来て、言った。「王、ご報告にと戻ったのですが、開が皆龍の宮へ行ったと申すのでこちらへ参りました。しかし、ご存知のようですな。」
炎嘉は、頷いた。
「よう戻った、案じておったのだ。」と、ヴァリーを振り返った。「ヴァリーぞ。アナトリーとは友で、案じておったのだ。ヴァリーから事の次第は聞いておる。こちらも義心がドラゴン城でザハールと話して来たので、もう粗方知っておったのだがの。」
炎耀は、ため息をついた。
「ならば我はあちらにおった方が良かったのでしょうか。レオニートは力があるので、結界は揺るぎなく霧の侵入も今のところはありませなんだが、時が掛かると分かりませぬ。十六夜に話し掛けても何も返して来ぬので、どうしたら良いのか分からずに来てしまい申した。」
それには維心が答えた。
「十六夜は我らに情報を渡し過ぎて寝てしもうておるのだ、こんな時に。」維心は、批判するように言った。「今は維月が代わりに浄化しておるが、十六夜より力がないゆえ消し去れぬのよ。維月は余計な事を言うてしもうて己まで寝てしもうたらならぬから、誰にも基本、答えぬのだ。十六夜が起きるまで、堪えるより他ない状況よ。」
今こそ月の力が要るという時に。
炎耀は思ったが、そうなってしまっているのを後から言っても仕方がない。
なので、言った。
「これは、ヴェネジクトがコンドルにちょっかいを掛けようとしたことが原因でありまするか?」
炎嘉が答えた。
「直接はの。大会合の折り、どうやら高瑞の瘴気の影響を受けてしもうたようだ。そのせいで瘴気を孕み、己の感情を抑え切れずコンドルにあのような事を謀り、失敗して怒りの感情からその瘴気で大陸中の霧を呼び寄せてしもうたのだ。あれを何とかせねば、あれを中心に闇になる。ゆえ…今、話をつけたところよ。」
炎耀は、眉を上げた。炎嘉から、何やら重苦しい雰囲気を感じる。
「…どうなさるおつもりでしょうか。あれを消すと?」
維心は、首を振った。
「ただ消しても同じ。あの場に居る他の神に憑くゆえの。それに、まだヴェネジクトは踏ん張っておって、その証拠に結界はまだ存在して霧を阻止しておる。ゆえ、あれを連れ出して誰も居らぬ場に置き、維月に霧を引っ張り出させるのだ。」
あの、霧が集まるただ中に行ってか。
炎耀は、驚いたが淡々と続けた。
「しかしながら、ヴェネジクトが居らぬようになれば、結界は消失し、あの地は霧に沈むのでは。」
炎嘉が答えた。
「分かっておる。ゆえ、義心が行ってザハールに代わりの結界を張らせるように決めておる。」
炎耀は、義心を見た。いくら大きな気を持つ軍神でも、霧の前には無力なのに…。
「…義心が、ヴェネジクトを連れ出すと?」
炎嘉は、首を振った。
「これには出来ぬ。維月への感情の問題ぞ。碧黎に忠告されたのだ。闇に共鳴する感情を持っていては憑かれると。なので、ヴァリーが参る。」
それには、アナトリーが驚いてヴァリーを見た。
ヴァリーは、頷いた。
「一刻の猶予もなりませぬ。もう昼も過ぎておりますし、いくら時差があるからと安穏としてはおられませぬゆえ。失礼して、もう発とうと思います。」
アナトリーが、割り込んだ。
「あれは甘いものではない!我は、脇腹を貫かれて衣を損傷していたのもあるが、霧に憑かれたのだ!炎耀様が別の衣を着せてくださり、霧に命じて追い出してくださったが、信じられぬほどの苦痛ぞ!」
ヴァリーは、言った。
「それでも誰かがやらねばならぬ。我が参る。新しい衣も戴いた。我は行く。」
義心も、立ち上がった。
「では、我も参ります。」
維心は、頷いた。
「行って参れ。必ず戻れ。」
そうして、呆然としているアナトリーを置いて、ヴァリーは義心と共にそこを出て行った。
皆、それを見送るしかなかった。