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島の平穏

義心が龍の宮へと飛び込むと、大陸での喧騒が嘘のように、こちらは通常通りであるのにホッとした。

元々ここへ霧が到達していようとも、維心の絶対の結界を抜けて来る事は出来ない。

力の強い何かが呼べば別だが、今そんなものはここには居なかった。

義心が王の居間へと一目散に向かうと、維心が待ち構えていて、言った。

「よう戻った、義心。まずはザッと状況を効こうぞ。」

義心は、維心の前に膝をついて答えた。

「は。北はドラゴン城へと大陸全体から霧が集結しつつあり、各城の結界外は霧が溜まって大変な様子になっております。ドラゴン領内には霧が蔓延しつつあり、結界が崩壊するのも時間の問題かと。サイラス様のご領地の辺りはまだ、無事のようでありました。」

維心は、頷いた。

「蒼が見て知らせてくれておる。維月ではやはり、荷が重いようであるな。」

しかし、義心は首を振った。

「維月様の衣が、我をお守りくださいました。」維心が驚いていると、義心は続けた。「霧に襲われた時、思わず離れよと申したら、霧は我に従って襲うことなく。これがなけば、ザハールもダニールも、我もヴェネジクト様の側に近付いた時点で霧に飲まれておりました。逃げ帰って参れたのは、維月様のお陰でございます。」

維心は、眉を上げた。

維月が縫った衣は、そんな効力があるのか。

「…知らなんだ。何かしらの恩恵はあるかと思うておったが、そこまでハッキリと霧に影響があるとは思わなかったゆえ。炎嘉も欲しいと持って帰ったが、そこまでは期待しておらなんだはずぞ。ならば、あれが縫った着物は、軒並みそのような効力が。」

義心は、頷く。

「はい。ですが、長時間は無理のようです。維月様も、そんな使われ方をすると思われて縫われたのではないですし…これを纏っていても、心を強く回りから遮断せねば、流されて暗い心地を思い出せばそこに付け入られるかと思います。」

維心は、奥の方を窺った。確か維月は、上位の軍神には軒並みあれを配っていた。それでもまだ残っているようだった…ひたすら刺繍をしていたと、布を無駄にしたと気にしていたからだ。

「…ならばあれの部屋の厨子を調べてみねば。恐らくまだあるはずぞ。出来る限り、軍神達にそれを着せて、霧のある地域に連絡をするために使うのが良いだろう。」と、義心を見た。「それで、ヴェネジクトの様子は?知り得た事を申せ。」

義心は、ここからが面倒な内容だと腹に力を入れた。

「は。ザハールに問い質したところ、ヴェネジクト様はザハールが知らぬ間に、下士官にコンドルの甲冑を着せてドラゴンの結界警備兵を襲撃させたとか。それを知ったザハールは、急いで他の下士官に命じてそれらを目撃者諸共隠させ、それは成功したのだそうですが、己の企みが潰されたと激昂したヴェネジクト様は、瘴気を撒き散らされてあのような事に。殺そうと決断した深夜には、もう手が付けられない状態でそれも成せず…それでも我が何とか始末しようと部屋に参ったのですが、黒い霧でいっぱいで碧黎様に止められました。知り得たことを、王にお知らせせよと。なので、我はザハールに民を避難させよと申して、こちらへ戻って参った次第です。申し訳ありませぬ…原因を絶てませんでした。」

維心は、その事実を聞いて首を振った。

「殺すのは後でも出来る。霧があれを目指している間、こちらへ広域に拡散するのが遅れる。今流れて来ておるのは、あちらへ集まって参ったものが、横へと漏れておるだけで、目指しているのは中心に居るヴェネジクトだろう。」

義心は頷いて、維心を見上げた。

「王、なぜに瘴気を孕んだぐらいでこのような事に。高瑞様の時は、ここまでではありませんでした。」

維心は、眉を寄せて北を伺うように窓から空を眺めながら、答えた。

「高瑞の感情は、怒りではなかった。それに、あれは己の中に封じ込めておったから、その気配に回りの瘴気が反応しておる程度であった。だが、今聞いておったところ、ヴェネジクトはそうではなかったのだろう。己の怒りの感情を、周囲に振り撒いて当たり散らしておったのだろうの。その膨大な瘴気があの大きさの気の神によって放たれることで、奇しくも大陸中の霧を呼び寄せる事になってしもうたのだ。あれの中で霧が生じたのではなく、外から来たものに憑りつかれたのだと思われる。」

義心は、あの有様が頭に浮かび、さすがに身震いした。あんな中に、よくも居て無事だったもの…。あの時は、任務に必死でその事に気付いていなかった。

「…ヴェネジクト様は、愚かな王ではありませんでした。」義心は、ヴェネジクトを思い出して、何の気なしに言った。「誠に、突然にあの、大会合の折ぐらいから本性が現れて参ったのか、あのような事を。コンドルに何某があっても、腹に収めて数百年は待つぐらいの大きさを持つかたであるようで…実際、そういう戦略を取っておられるようだったのに。」

それを聞いて、維心はハッとした顔をした。そうだ、なぜに気付かなかった。ヴェネジクトは最初からああだったのではない。内心はどうあれ、表向きは上手くやろうと…。

「…ぬかったわ。」維心が言うのに、義心が驚いたように顔を上げた。維心は悔し気に顔をしかめて続けた。「そうなのだ。高瑞の瘴気。あれの影響を受けたのだ。こちらへ来て、まだ本調子でなかった気の流れの中、大会合は開催された。我らには何ともなかったが、構えもしない若い王であるヴェネジクトが、それとは知らずに己の中の暗い思いを増幅させて、それを抑え切れぬようになって瘴気を生み出すのは時間の問題だったのに。その対策を、あの時に出来ておればこれは防げたはずだった。そうか…気付かなかった、我の責ぞ。」

義心は、言われてそうだったのか、と目を見開いた。維心が言う通り、あの時はまだ瘴気の対策に必死になっている最中で、気も落ち着いていなかった。臈長けた王ならそんなものはものともしないが、ヴェネジクトはまだ若い王で、経験も少なかった。自分がそんなものの影響を受けているとも思わず、それに飲まれて感情のまま突っ走ってしまったとしたら、説明が出来る。

義心は、頭を下げた。

「王の責ではありませぬ。的確な情報をお渡しできなかった、我の責でありまする。」

義心が言うのに、維心は軽く片方の眉を上げた。そして、義心が自分を気遣っているのだと知り、苦笑した。

「軍神は普通、王の命に従って動くもの。主は常、それ以上の情報を我に渡しておるし、我もそれに甘えておるのだ。主の責ではない…もちろん、高瑞の責でもな。とにかくは、十六夜が目覚めるまで何とかして地上を持たせねばならぬ。北西の方にも流れておるようだし、匡儀は大丈夫だろうが、人が気に掛かる。あれらが戦でも始めたら、霧は更に増幅して手に負えぬようになろう。闇が発生したら、十六夜が戻ってもそれを消すのに必死になって、霧は後回しになろうし…その間に失われる命を思うと、ここは効果的な対策を考えねば。いずれにしろ、霧が集まるヴェネジクトは消さねばならぬだろうの。」

「は!」

義心は頭を下げた。

維心は、知り得た事を炎嘉や志心などに急ぎ書状にして送り、霧はどうしようもないので、これ以上被害が広がらないように、どう対策を打って行けば良いのか、話し合う事にしたのだった。


ヴァリー達五人は、誓心と対面していた。

誓心は、謁見の間まで出て来て、五人を待っていた。

遥か玉座に座る誓心に、五人は緊張気味な顔をした。何しろ、下士官なので謁見の間に入ることも無ければ、王の側近くで働くこともこれまで無かったからだ。

目の前で並んで膝を付く五人に、誓心は言った。

「ドラゴンか。いったい、どうなっておるのだそちらは。霧の発生の原因は、主らは知らぬのか。」

ヴァリーが、顔を上げて言った。

「誓心様。我はヴァリーと申します。我ら、あちらである事件に巻き込まれて地下道に逃れておったところ、出て参ったらこの騒ぎでありまして、何が起こったのか分からぬのでございます。この騒ぎに乗じてこうしてあちらから逃れて来ることが出来申しましたが、本来我らは、王から狙われる身。その事を、龍の宮でお話して見知って頂けている、炎嘉様にお知らせしたいとこうして参った次第です。」

誓心は、眉を上げた。

「炎嘉と見知ったということは、主らが言う龍の宮とは島の方であるな。しかし、ヴェネジクトに狙われるとは穏やかでない。ここでまず我に話せ。」

ゲラシム達は顔を見合わせた。何しろ、この誓心という王が、どういった立ち位置の王なのか、まだ知らない。

だが、ヴァリーは迷いなく頷いた。

「は。実は我らは、コンドルとドラゴンの結界境の警備をしておりました。我は別の隊でありましたが、この中の数人が同じ場所で警備しており、その際に、コンドルの甲冑を身に着けた男に、仲間の一人が襲撃され、我が駆け付けた時にはもう、虫の息でありました。あのままでは死ぬのを待つばかりでありましたが、我は幸い、龍に治癒の術を教わっておりました。それを使い、一か八か術を施したところ、襲撃を受けた兵は復活し、傷は消えました。」

誓心は、それを聞いて眉を寄せた。コンドルがドラゴンを…?そんなことがあり得るのか。あのレオニートだぞ。

「…コンドルが主らの仲間を襲撃したと?」

ヴァリーは、首を振った。

「いえ、襲撃を受けた本神が申すには、受けたのはドラゴンの気だったと。他の者達も、あれはコンドルの気では無かったと証言しました。」ヴァリーは、息をついた。「その時、このゴルジェイがザハール殿から、襲撃を受けた者と目撃した者をまとめて隠せと密かに命じられ、我ら地下道に潜んでどうしたものかとそこに留まっておりました。その間に、霧が発生していたようで、我らが潜む場所にまで浸食して参って、慌てて逃げ出して来て、外の様子を知りました。あの周辺は大混乱で、襲撃を受けて生き残ったアナトリーという男とも、仲間のイゴーレという男ともはぐれ、我らだけこちらへたどり着きました。」

誓心は、ザハールが隠せと言ったということは、恐らくはその襲撃は、ヴェネジクトの差し金だったのだと推察した。ヴェネジクトは、執拗にコンドルを追い落とそうとしていた。だが、レオニートは戦だけは絶対にしたくないという信念があるので、どんなに小突いても決してやり返したりはしない。なので、痺れを切らせて戦でコンドルを襲う口実を作ろうとしたのだろう。

だが、それはこれらが居なくなったことで、生き証人も死体も失って潰された。

思惑通りには行かなかったのだ。

…まさか、ヴェネジクトは闇に心を蝕まれていたのか…?それが、企みを潰された事で一気に霧と化してこんなことに?

普通、大きな気を持つ神は簡単に闇に沈んだりはしない。それを制御するだけの精神力もあるし、同じように力の大きな父親が傍に居て、自分を律するやり方を、逐一教えてくれるからだ。

だが、ヴェネジクトにはそれが無かった。まだ若い王だった…もしかして、知らずにそんなものに浸食されておったのかもしれない。

誓心はそう思ったが、だからこといって、今知り得た事を誰かに話すにはここから出るしかない。月すら連絡手段には使えない今、実際に他の宮へと出掛けて行くしかないのだが、生憎自分の領地は他の宮より一番の北にあるため、回りは今、霧だらけだった。

「…主らが知り得たこと、確かに炎嘉に知らせた方が良いが、生憎我らは、ここから出ることが出来ぬのだ。外を見たであろう?霧の中、主らがここへ参ったのすら驚いたのに。」と、そういえば、と続けた。「主ら、月の気がするの。いったい、それは何ぞ?」

ヴァリーと隣りのゲラシムは、顔を見合わせた。そして、ヴァリーが答えた。

「…この、鎧下着と裁付袴でございます。」ヴァリーは、それに触れた。「我らの土地では、このような形の物ではなくスパッツなのですが、龍の宮へ参った時に、王妃様が縫物の鍛錬に使われたものらしく…王には着せられないのでと、戴きました。着る物などなかなか手に入らぬので、型は違うのですが、こうして身に着けさせてもらっておりました。それが、我らをここまで守って参った。ですが、もう長くはもちますまい…それと思うて縫われた物ではありませぬゆえ、それほどに強い物ではないのです。」

誓心は、あの維月が縫ったのかとそれを見つめた。襟元には、ドラゴンらしき刺繍がされてある。わざわざ、これらに下賜するために縫い直したのだろう。

「…いや、しかしそれには心を感じるがの。」誓心は、言った。「主らのためと、襟にドラゴンを刺繍したのだろう。その心は、確かに主らの幸福のため。普通の護符よりは少々強いはずぞ。だからここまでもったし、まだいける。」と、貴青を見た。「これで、今一度島まで行けたなら、恐らくは炎嘉にも会うことが出来ようし、維心にも知らせることは出来よう。月の龍王妃が縫った衣なら、そちらにまだあるやも知れぬ。主、これらの誰かから衣を借りて、今一人と共に島へ参れ。そうして、維心に言うてその衣を何かの時の連絡用にもらい受けて来るのだ。あればあるだけ良いが、しかしあちらも要り用であろうから…とにかくは、そのように。出来るか?」

貴青は、ゴクリと喉を鳴らしたが、しかし頷いた。

「は!仰せの通りに。」

どちらにしろ、そうしないとこれからここを出る事が出来なくなるのだ。それを悟って、あの霧の中を行く事を決意したのだろう。

「では、我が共に。」ヴァリーは言った。「キリル、主の衣を貴青殿に。主らはここで、誓心様にお守り頂いて待つのだ。行って参る。」

キリルは頷いて、その場で甲冑を外し始めた。貴青が驚いて、慌てて言った。

「こら、王の御前で。こちらへ、代わりの着物を渡そうぞ。」

キリルは、無礼だったか、と慌てて甲冑を持って頭を下げると、貴青について出て行った。

ヴァリーは誓心に仲間の不手際を頭を下げて謝罪し、そうして二人を追って、他の三人と共にそこを出て行く。

しかし貴青は、別の理由でキリルを連れ出していた。

誓心は、キリルのような男が好みだったからだ。

だが、誰もそんなことは思いもしていなかったのだった。

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