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霧の大発生

アナトリーは、思ったより分厚い霧の層の中で足掻いた。今少し…!今少し飛んだら、抜けるはず!

腕の中では、サーシャが自分達を嘗め回すように包んで纏わりつく、霧に慄いて必死に叫んだ。

「来るな!離れろ!触るな!」

すると、兄が言った通り、霧は二人の回りに僅かな空間を開いて触れる事が無くなった。

サーシャがホッとしてアナトリーを見上げると、アナトリーは脂汗を流しながら必死に飛んでいた。

霧は、心の中に暗い感情を持っているほどそれに影響を与えて増長させる。触れていなくても、それが近くにあって、しかもこれだけ包まれていると、アナトリーにはその感情が湧き上がり、サーシャを抱く腕さえ離して放り出してしまいそうなほどだった。

…父母があんな奴らだったなんて…自分一人に働かせて遊び暮らしていた。二人は良い服を着て、酒を飲み、博打に呆けてサーシャの養育も満足にできていなかった。

それでも、育ててくれた恩があると慕っていた。親孝行をしているのだと思っていた。だが、ただ搾取されていただけだった。両親は、自分たちの物は手に入れて来ても、アナトリーやサーシャには最低限の物しか与えて来なかった。

そんなことが頭の中でぐるぐると巡り、怒りで気が狂いそうだった。

「兄様…?!」

サーシャが、叫ぶ。

アナトリーは、ハッとした。高さが足りない…落ちる!

寸前でサッと浮き上がり、そうして気が付くと、そこはコンドルの結界のすぐ前だった。

それでも、霧は多く立ち込めていて、もうここには誰も居ない。いくらか霧が薄いからとこちらへ避難しようとしていたドラゴン達は、この事をまだ知らないのだろう。

ここへ逃げても、コンドルの結界で阻まれて横へ逃れるしかなくなる。しかし、そちらも霧の中で、逃れる場所はなかった。

「サーシャ。」アナトリーは、自分の声がかすれているのに驚いた。どうなっている…?月の衣を着ているのに、影響が…?そうか、護符の効力が…。「…我は霧に浸食されて来ておるようだ。早く、結界に…」

頭の中に、思い出したくもない、幼い頃の虐待の様子が浮かび上がって来る。そうだ、我は育って軍神になれると分かるまで、両親に虐待されていた…それが、稼げると知った途端に手の平を返したのだった…忘れていた…。

記憶の中の、大きな父親がアナトリーを革の紐で殴りつける。

「うああああ!!」

アナトリーは、その痛みにのたうち回った。そうだった、あんな父親、止めなかった母親など…!

痛みは、堪えることがなかった。

「兄様!兄様しっかりして!」

サーシャは、泣きながら霧の中でのたうち回るアナトリーを抑えようと小さな手でさすった。だが、アナトリーはもう意識がなく、サーシャの声も聞こえてなどいないようで、ひたすらに叫び声を上げて、暴れ回るだけだった。

「兄様…。」

サーシャは、涙を流した。兄様は霧に食べられている。助けてもらわなければ…!

「誰か!」サーシャは、目の前の結界に触れて、叫んだ。「助けてください!我は、我はドラゴンのアナトリーの妹、サーシャです!どうか助けて…!兄様を…!」

黒い霧は二人を包んで飲み込んでいる。

サーシャは、ただただその結界に祈るしかなかった。


ヴァリー達は、空高く飛んで、霧の影響から逃れながら南を目指していた。

結界の中からは、まだドラゴン達が出て来ている様子はない。だが、あの結界も時間の問題のようだった。結界が、揺らいで来ているように見えたのだ。

上空から見たところ、どうやら領地の東、ヴァンパイアの領地がある辺りは、霧が少ないようだった。

最初はコンドルの軍神達が気を整えて何とかしていて霧が薄かった、コンドルとの領地境は今は最悪で、レオニートの結界が阻んでそちらへ流れて行けない霧が、ドラゴンの結界との間に溜まってより層が厚くなっているようだった。

「…この衣でも、長くは阻めぬだろうな。気を強く持って、己の中の暗い記憶を封じておかねば、そこへ霧は入り込んで来るゆえ油断は禁物ぞ。気を引き締めてな。」

ヴァリーが言うと、四人は顔色を青くしながらも頷いた。いつ何時、霧がこちらへ向けて飛んで来るか分からないのだ。

そうやって、やっと大陸を南へと出て、南西の大陸の管轄へと入ったが、それでも霧はそちらへも流れ込んでいた。

どうやら内陸の方へとまるで溶岩が流れて行くように地上を這っていて、ヴァリー達は身震いした…これは、もしかして本格的にまずいのではないか。

「…地図では、この辺りが白虎の領地のはずだが。」ヴァリーは、足元を見つめて言った。「霧が上を流れているが、確かにこの下に強い結界を感じる。」

他の四人も、宙に浮いて下を見つめた。

霧が通る道筋なのだが、その下には確かに球状の何かがあって、それをかすめるように霧が流れて、下の形が浮き出ているような状況だった。

「…白虎の結界ぞ。意を決して降りて参るしかない。」

ヴァリーが言うと、ゲラシムがゴクリと唾を飲み込んで、頷いた。

「これ以上逃げる場もないのだ。炎嘉様にお話を聞いてもらうためにも、白虎王に話を聞いて頂くよりない。何より、月の衣の効力が、いつまで続くか分からぬのだからの。」

五人は、頷き合うと、真っ黒い霧が流れる只中へ、その結界を目指して降りて行った。


誓心は、結界の中で外を流れる霧が、その上を流れて行くのを苦々しい顔で見上げていた。

霧のせいで、太陽光が塞がれてしまい、昼であるのにまるで夕刻のような薄暗さだ。

流れて行く霧の隙間から漏れて来る光だけしかないその土地で、滅入ってしまいそうになっている所へ、何かが結界の上に、ドンと落ちて来た。

「…何ぞ?」誓心は、目の前で膝を付く貴青が驚いているのに構わず、続けた。「何か落ちて参ったぞ。これは…五人。ドラゴンか?」

貴青は、顔をしかめた。

「あちらから逃れて参ったのでは。では、もう狂うておるでしょう。外は霧でいっぱいなのですから。」

しかし、誓心は首を振った。

「いや、正気よ。」と、じっと耳を澄ませた。「…ドラゴンの、ヴァリー、ゲラシム、キリル、ゴルジェイ、ロマーノ。炎嘉に話があると、あちらから逃れて参ったらしい。それにこれは…月の気?こやつら、月の気がする。」

貴青は、驚いた顔をした。

「なんと。では、霧の影響を受けておらぬと。」

誓心は、頷いた。

「恐らくはの。だが、それほど強い気ではないゆえ、長くはもたぬ。とにかくは話を聞こう。中へ通す。結界内へ迎えに出よ。真上ぞ。」

貴青は、立ち上がって頭を下げた。

「は!」

そうして、そこをサッと出て行った。

誓心は、しかし外へと連絡をしようにも、霧のせいで誰も出て行けない今、炎嘉にどうやって知らせをやったらいいのだろう、と眉を寄せていたのだった。


ヴァリーは、結界の上に膝をついて、中へ向かって必死に呼びかけた。

「我らは、ドラゴンの領地から参った、ヴァリー、ゲラシム、キリル、ゴルジェイ、ロマーノでございます。白虎王、誓心様にお願いがあって参りました。鳥王炎嘉様に、お話したい儀がございまして、ご連絡をお願いしたく存じます。」

しばらく待つ。

しかし、応答はない。

霧の流れは激しく、しっかりと己を律していないと、割り込んで来られて食われてしまう。

月の衣のお蔭で何とか踏ん張ってはいるが、長くは無理だった。

「…一度上に上がるか?長くこれに晒されておったら、我ももたぬ。」

ゲラシムが、険しい顔で言う。

ヴァリーは、自分こそ苦しくなって来ていたが、二度目はない。月の衣が、そう何度もこんな霧の渦の中で耐えられるとは思えなかった。

もう一度呼びかけようかと思って口を開いたところで、全く何の前触れもなく、いきなりに膝の下の結界が無くなり、五人は下へと落下した。

「うわ…!」

必死に気を発して宙へと留まり、何とか地上へ激突するのは避けられた。

一瞬、結界が消えたかと思ったが、見上げた結界はしっかりと健在で、どうやら中へと通されただけのようだった。

体について来た霧を叩き落として封じ、白虎に迷惑を掛けないようにと皆で気を配って待っていると、そこへ、すらりとした品の良い軍神が飛んで来た。

「主らか。我はこの宮の筆頭軍神、貴青。我が王の命により迎えに参った。炎嘉様にお話がしたいと?」

ヴァリーが、頭を下げて言った。

「貴青殿。我はヴァリー、ドラゴンの下位の軍神でございまする。我が王の結界外は大変な霧に覆われ、こちらにもそれは流れて来ております様子。我ら、その原因については分かりませぬが、我らが知り得た事だけでも、炎嘉様にお知らせしたいと、そのためのご連絡をして頂きますために、ほど近いこちらの宮へ訪ねさせて頂きました。」

…思ったより学がある話し方。それに、驚くほどに気が大きい。とても下士官には見えぬが…。

貴青は、ヴァリーの様子を見てそう思いながらも、頷いた。

「こちらへ。王がお待ちぞ。」

ヴァリーは頭を下げ直してから、他の四人に頷き掛けて、そうして貴青について白虎の宮へと飛んで行ったのだった。

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