力不足
維月は、見えているのにどうにも出来ない霧にイライラしていた。
自分の力で何とか出来るのだが、抑えるだけしか出来ない。十六夜の力で消して、そうしながら自分の力で抑えるなど、維月一人では難し過ぎて満足にできなかったのだ。
《無理をするでないぞ、維月。》碧黎の声が言った。《浄化の光にかなりの力を持って行かれておるから、霧の制御までしようとすると主のキャパオーバーになってしもうて動けぬようになるぞ。》
最近の碧黎は、維月と命を繋いでいるのでこちらに分かるように話そうとすると、維月に理解しやすい言葉を選んで使う時がある。普段キャパオーバーなどという言葉は使わない碧黎だったが、人だった記憶のある維月には、理解しやすい言語だった。
《ですけれどお父様、私が使える浄化の力は十六夜の力とはいえ、自分を通すのでほんの僅かで…。適度に霧を制御しないと、とても抑え切れるものではありませぬ。どんどん増えていて、どうしたら良いのか分かりませぬ。》
碧黎は、ため息をついた。
《そもそも主一人で扱えるものでは無いのだ。だから言うたのに十六夜は。主が霧を抑えておる間に、あれが消して回ればこんなもの一日もあれば消し去れるのに。このままでは抑えは出来ても増えるのを止めることが出来ぬ。あれが起きるまで、地上がもつのか案じるわ。》
碧黎は、珍しくイライラしているようだった。
維月は、その様子に本当にまずいのだと焦った。
《ならば霧の制御に力を入れて、浄化は諦めましょうか。》
碧黎は、それには悩む気を発した。どうやら、碧黎にもどちらを選べば良いのか分からないらしい。
《…主の本来の役目は霧の制御であるから、そちらの方が良いのだろうが、しかし操って鎮めても溜まって行くゆえ神も人もその中に沈む事になる。消すのが一番だが、主の力では十六夜の力を全て使う事は出来ぬ。ここは、無駄だと分かっておっても出来る範囲で消し続けるしかない。溜まって参るのが一番問題なのだ…地上に蓄積して横へと流れてここを中心に霧だらけになってしまうからの。それだけは避けねばならぬ…それでなくとも、もう誓心の領地の辺りは霧の波に襲われて真っ黒ぞ。まだ南へ流れておるから、白龍達の領地も時間の問題であろう。島も危ない。》
維月は、地上を見下ろした。
確かに碧黎が言う通り、北の大陸全土からドラゴン城の回りに集まった霧は、南の方向へと流れて広がって行っている。
あちらには子達が居る…そして何より、維心が居る。
維月は、浄化の力を十六夜から引っ張り出して、せめて島へと流れないように、必死にドラゴン城南の端から流れる霧を、必死に消し始めた。
十六夜は、まだ熟睡していて目覚める様子もなかった。
義心は、ザハールとダニールと共に、王の居住区へと足を踏み入れた。
あちらとは違い、建物で分かれているのではなく、中が区分けされている状態で、この階が王の場所なのだ。
向かって行くと、奥へと近付くにつれて足元を流れる黒い霧の色が濃くなり、良くない兆候だと義心は思った。
経験上、色が濃いほど密度が濃いので、より闇に近い形で憑りつかれた時のダメージは大きい。
この階に入ってから、軍神は一人も見なかったので、恐らく今は、誰もここへは入って来れない状態なのだろう。
当然義心も細心の注意を払って足を進めていたが、後ろから来る二人も必死に神経を研ぎ澄ませて、霧に認識されないように気配を消し、前へと進んでいる。
霧は、神や人を認識すると、それに向かって来る。
何に反応しているのかはっきりとは分かっていないが、負の念が一番に引き付けられるものだとは分かっていた。
なので、出来るだけ平常心を保ち、外へとその念が漏れないよう、自分を外からしっかり遮断しておく必要があった。少しの漏れでも検知して、霧は隙をついて流れ込んで来ようとするからだ。
そうやって、霧の海の上を進んでやっと王の居間へと到着し、その扉の前へ立つと、扉の隙間から、まるで煙のように霧が吹き出しているのが見えた。
「…これは無理ぞ。」ザハールが、絶望的な声で言った。「昨夜はまだ扉を開いても足元に霧がまとわりついている程度で、瘴気が強いと感じるぐらいだった。深夜に殺そうと来た時には、体全体に霧がまとわりついていて、それにも気付いていないような様だった。だが、今はこうして扉の隙間という隙間から流れ出している…中は、霧でいっぱいだという事だ。」
義心にも、それは分かっていた。だが、ここで退いてしまっては何もかもを諦めることになる。この霧を引き付けて居る元凶を消さねば、大陸の霧は島へと流れて来る事に…。
義心は、止める二人の手を振り切って、ドアの取っ手に手を掛けた。
「待て!気を放つにも照準をどこに合わせたら良いのか分からぬぞ!居場所が分からぬのだから!」
ダニールが義心を止めようとしたが、義心はその両開きのドアの取っ手を思い切り掴んで引いて開いた。
「…!!」
黒い霧が、ドッとこちらへ向かって滝のように流れた。
「うお…!」
ザハールが叫ぶ。
義心が見ると、ザハールとダニール目掛けて、霧が襲い掛かって行くところだった。
「ザハール!」
義心は、腕を伸ばした。すると、義心の方にもその霧が流れて巻き付いて来ようとした。
「く…!離れろ!」
義心は、手を振って霧を払うようにした。もちろん、こんなものでは霧は払えない。分かっていたが、咄嗟の行動だった。
すると、霧は義心の腕に触れようとした瞬間、ストンと落ちるように足元へと流れた。
「…?」
義心は何事かと思ったが、ザハール達が気になってそれどころでなく、そちらへと飛んで二人の回りを腕を払って霧を引き剥がそうとした。
「く…!義心…!我らは無理ぞ…!逃げよ!」
義心は、それでもザハールの腕を掴んで言った。
「諦めるでない!くそ…離れよ、この霧が…!」
義心が必死に言うと、その途端に、また霧がストンとザハールの体から滑り落ちて、床へと漂った。
ザハールは、今の今まで首を締めあげられていた霧が、ただの煙ように体の回りに漂うばかりなのに、茫然とした。
「…何が…?」
義心は、ハッとした。まさか…。
「うぐううう…。」
ダニールが、うめき声を上げる。義心は、急いでダニールにも寄って行き、その腕を掴んで言った。
「離れよ!」
すると、その声に反応するようにまた、霧がストンと床へと流れて落ち、ダニールは解放された。
義心は、確信した。間違いない。これは、陰の月の力。維月様の力…。
「…月の衣か。」
義心は、自分の襟に触れた。維月の力が、この衣を通して自分を守っているのだ。恐らくは、ほんの僅かな間…。
「ここに居れ。」義心は、二人に言った。「我が奥へ参って、始末して参る。」
立ち上がる義心に、突然に碧黎の声が言った。
《ならぬ!》碧黎の声に、義心ばかりか、ザハールもダニールも驚いて固まると、声は続けた。《それはただの護符のようなもの、長くはもたぬ!維月本来の力ではないゆえ、瘴気の前では守り切れぬ!己から霧の糧になりに参る気か!我だってあれを消したいが、ここは退け!主が知り得た事を、維心に知らせるのだ!》
義心は、歯ぎしりした。目の前に居ると分かっているのに、霧のせいで前へ進めない。だが、自分まで倒れては維心に誰が知らせるのだ。
義心は、ザハールとダニールに手を貸して立たせた。
「…脱出させるのだ。ドラゴン達を、霧から逃れさせるのが先ぞ。恐らくそのうち結界も崩れる。ヴェネジクトの中身は霧に食われて恐らくはもう空洞のようなもの。あれが霧を引き付けて集めておる間に、皆ここから出来るだけ離して逃がすのだ!」
ザハールとダニールは頷いて、義心と共に、霧の海の中を抜けて、皆の避難誘導のために階下へと向かったのだった。