婚儀の日
維月はあまり、奥に籠る事もなくなった。
聞いたところ、直後にまた籠っていたのは、仕立ての龍達と織りの龍達に根付けを作っていたらしい。それを労いにと渡して来たのだと後で報告を受けた。
維月は、思えば見たままを模倣するのが殊の外上手い。龍達もそれで、維月がただの戯れでやるのではないと判断して、厳しく指導したのだろう。
お陰でもう、維心の訪問着どころか、公式の着物ですら難なく縫えた。
とはいえ、仕立ての龍達の仕事を奪うつもりはないからと、あれからあまり維心の着物は縫っていなかった。
ただ、弓維に持たせる着物はなん着か仕立てて、黎貴と匡儀、それに夕貴の着物は一揃え縫ったようだ。
月の衣は貴重なので、良い手土産になるだろうと思われた。
婚儀の日も近付き、宮も騒がしくなり始めて、北の事はいつしか報告待ちというぐらいで、頭に浮かばないようになっていた。
婚儀当日、弓維もだが維月も維心も、大層な着物に身を包み、出発口に出ていた。
維月はもう疲れていて、本当は座りたかったが白龍の宮からの迎えの輿が居て、弓維を見送らねばならない。
その後、こちらの輿で後を追ってあちらに参るのだ。
弓維は、同じように重い着物に身を包み、頭を下げた。
「お父様、お母様。それでは我は、あちらへ参ります。」
維月は涙ぐんだ。
維心が隣で頷く。
「今度こそは幸福にの。挨拶は先ほど済ませておるし、心置きなく参るが良い。」
弓維は頷いた。
「はい。」そうして、維月を見た。「お母様…離れておってもそのお優しさは月を見て感じておりまする。そのようにご心配なさらずに。」
維月は、涙を流しながら頷いた。
「ええ。いつなり話しかけてくだされば良いから。母はいつでもあなたを見ておりますわ。」
そうして、弓維も涙ぐんで、頭を下げ直し、迎えの輿へと向かった。
「ご出発!」
堅貴の声が響く。
そうして弓維は、大量の婚礼の荷を後ろに従えて、白龍達に守られながら、龍の宮を飛び立って行った。
それを見送る暇もなく、急いで準備された輿へと義心が誘導した。
「王、どうぞ輿へお進みを。」
もう維月が持たない、とは義心は言わなかった。
だが、維心は義心の心をその速さで思った。
「維月、まだ始まってもおらぬのに。」と、維月を抱き上げた。「あちらでは儀式の間までは歩かねばならぬぞ。抱いて歩くわけには行くまいに。さあ輿でせめて休むのだ。」
維月は、ベールの中でホッと息をついた。
「はい、維心様。でもくじけそうですわ。」
維月は、維心相手なので弱音を吐いた。維心は維月が自分に甘えているのが分かっているので、微笑んで輿へと足を踏み入れた。
「分かった分かった、我が支えてやるゆえ。案じるでないぞ。」
そうして、二人は輿へと収まった。
義心が、声を上げる。
「ご出発!」
そうして、維心と維月も、軍神達に囲まれて白龍の宮へと、弓維の輿を追って飛び立ったのだった。
その頃、ヴァリー達は結界境の警備の任についていた。
他の下士官たちと一緒に、いつものルーティンで見回っていたのだが、最近はよく、このコンドルとの境辺りの警備に回されることが増えた。基本、結界周辺は等間隔で軍神が配置されるのだが、どういう訳かここ最近は、この辺りだけが手厚いのだ。
…これは、やはり明蓮が言うておった通り、王はコンドルを敵視しているのか。
ヴァリーは、これまでは特に何も思っていなかったそれを、疑問を持って考えるようになった。敵視する必要などないとヴァリーは思っていたし、曲がりなりにも仕えている王がそんなことを考えるはずなどないとどこか信じていたので、明蓮が言う懸念はただの懸念でしかないと思っていたのだ。
だが、こうして動きを達観視していると、確かにそうかもしれない、と思えて来た。
炎嘉が、最初の夜に何を言っていたのか?…戦をどう思う?と。
そして、こうも言っていた…主の仲間のためにも愚かな王に仕えても身を滅ぼすだけなのも分かるであろう。もし、主が今の王では平穏に暮らせぬと思うたら、その時は主が王になるのだ…と。
ゲラシムや、皆のためにも、我が騙されて愚かであってはならない。王が正しいのかどうか、見極めねばならない。そして、間違っているのなら、皆を守るために王座を目指さねばならないのだ。
ヴァリーは、他の軍神達を見た。皆、何の疑問も持たずに、命令のままこうして結界外の守りについている。
これらの命も、もういろいろと知ってしまった、自分が背負う覚悟が要るということなのだ。
ヴァリーは、それがどれほどに重い事なのかと身につまされて、遠くコンドルの結界を臨みながら、考えに沈んでいた。
すると、ゲラシムが血相を変えて飛び込んで来た。
「ヴァリー!すぐに来てくれ、アナトリーが!」
ヴァリーは、ハッとゲラシムを見た。
「どうした?!」と、他の下士官に言った。「行って参る!主らはここを守れ!」
同じ持ち場の数人が、顔を見合わせていたが頷いて、ヴァリーはゲラシムが急いで飛ぶ背を追って飛んで行った。
そこは、コンドルとドラゴンの結界に挟まれた、どちらの結界にも掛かっていない場所だった。
地上には、ドラゴンの甲冑を身に着けた数人が何かに群がって這いつくばってるような状況だ。ゲラシムが降りて行くと、一人が振り返った。
「ゲラシム!ヴァリーを呼んで来てくれたのか!」
振り返ったのは、キリルだった。ゲラシム、キリル、アナトリーは同じ隊なので、この辺りを見回っていたはずだった。
「キリル、どうしたのだ、そこに何か?」
ヴァリーが降りて行くと、キリルの他、同じ隊の軍神達に囲まれて、アナトリーが仰向けに寝かされて真っ青な顔をしているのが目に入った。
「アナトリー!」
ヴァリーは、思わず駆け寄って膝をついた。アナトリーは脇腹を何かにえぐられた状態で、一目見てもう、助かる希望はないと思えた…かなりの気と技術を使う術ならもしかして生き残るチャンスもあるかもしれないが、自分達のような下士官に、そんな術を施してくれるような者は、この城には居ない。
気を補充している回りの軍神達の一人が、言った。
「主がヴァリーか?我はロマーノ、これらと同じ隊ぞ。我ら規定通りここを五人五人で分かれて見回っておった。我とゲラシム、キリル、イゴーレ、そしてアナトリーとの。いきなりに、襲撃を受けた…気弾が飛んで参って。」
キリルが、涙目で頷いた。
「突然で。我らは咄嗟に避けたが、アナトリーが避け損なって…脇腹をえぐられてしもうた。」
すると、ロマーノがイゴーレと言った軍神が叫ぶように言った。
「コンドルぞ!あれはコンドルの甲冑の色であった!あやつらが…アナトリーをこんな目に合わせたのだ!」
イゴーレは、泣きながらも気を補充する手をやめなかった。どうやら、アナトリーと仲が良かったようだった。
「…コンドルが?誠か。」
ヴァリーが言うと、ゲラシムが深刻な顔で頷いた。
「確かぞ。あの濃い茶の甲冑は、コンドルのそれだった。まさかこのような事になるとは思わず…。」
ヴァリーは、じっとアナトリーを見つめた。
「…ならば、これが死ねば戦になる。」
ヴァリーが言うと、そこに居る皆が驚いた顔をした。
「たかが下士官一人を殺されて?」
ヴァリーは、手をアナトリーに翳した。
「良い口実ぞ。何であれ、同族を殺されたとなれば王が怒る理由になる。アナトリーには、死んでもらっては困る。」
ヴァリーは、手の平に意識を集中した。明蓮が、傷を塞ぐための術を教えてくれた。大きく欠損した時はより多くの気を使うので、気が少ない者には放てないが、気が大きな者ほど成功する率が高い術だと。
「ヴァリー…無理だ。腹の半分を持って行かれたのだぞ。我ら、せめて主を呼んで来るまでと…。」
ゲラシムが言う。だが、ヴァリーはじっと集中した。軽い怪我ならこれであっさり治ったのだ。大きな怪我でも、自分の気ならもしかしたら治せるかもしれない。
するとそこへ、ゴルジェイが慌てふためいた様子で飛んで来た。
「ゲラシム!」と、ヴァリーが居るのを見て、飛び降りて来た。「ヴァリー!治療しようとしておるのか?!」
ヴァリーには答える余裕がない。なので、ゲラシムが答えた。
「もう無理だろうと思うたが、ヴァリーはアナトリーを諦めておらぬのよ。」
ゴルジェイはそれを聞いて、初めて倒れているアナトリーを見た。
「アナトリーか!…ならば急げ。王が来る…誰が報告したのか知らぬが、コンドルが襲撃して来たと烈火の如く怒っておるのだとか。ここへ確認に来るとか申して…だが、何やら準備に時間が掛かっておるようだったので、先に様子を見に来たのだ。このままでは、戦になる。」
キリルが、首を振った。
「ここには我らしか居らぬし、誰もここを離れておらぬ!報告など…そんな暇などなかったわ!」
ゲラシムも、頷いた。
「我も、近くにヴァリーが居るのを知っておったから、呼びに参っただけぞ!どうせ知らせても、我らのような者に治癒の者など遣わせてもくれぬと思うて…!」
ヴァリーは、回りの声がうるさくて気になって、術に集中できなかった。しかし、急がねばならない。
「…しばし黙れ!集中するゆえ!」
回りの者達が、一気にシンと黙った。
ヴァリーは、必死に気を絞って集中した。明蓮が言っていた事を頭に浮かべる…しっかりと治す部分の形を思い浮かべる…臓器も全て鮮明に…そして、一気に気を絞って、放つ!
「!!」
軍神達が思わず目を庇った。
激しい閃光がヴァリーの手から放たれて、アナトリーのぽっかりと開いた脇腹に照射されて眩しさで目を開いていられなかったのだ。
一瞬の後、光は収まった。ヴァリーがぜえぜえと息を上げてアナトリーの脇腹を見ると、そこは確かに貫かれた甲冑の穴と、復活した脇腹が露わになっているのがハッキリと分かった。
「おお…!」
真側でそれを見ていた、アーロンが思わず声を上げる。ゴルジェイも茫然としていたが、ハッと我に返って、言った。
「…早う、こっちへ!」と、まだ気を失っているアナトリーを担ぎ上げた。「王が来る!こちらへ早う!」
言われて、皆が我に返って、まだ息を上げるヴァリーを引きずり、そこに居たゲラシム、キリル、ロマーノとイゴーレは、ゴルジェイの背中を追ってその場を慌てて離れて行ったのだった。