王らしい思考
炎嘉は、次の日の朝、維心を居間へと訪ねた。
昨日はたまたま維心の顔を見に来ただけで、泊まる事になってしまったので、着物を持ってきていないと思ったのだが、供の軍神達に取りに帰らせる必要もなく、維月が練習で縫った物で良ければと、着物を届けてくれていた。なので、それを着てそこへ来ていた。
維心と維月が奥から仲良く並んで出てきたのを見て少し眉を寄せたが、維心は機嫌が良い。
炎嘉を見て、二人で椅子へと座り、言った。
「待たせたな、炎嘉。主も維月が届けさせた着物を着て参ったのか。」
炎嘉は、主も、と聞いて維心の着物を凝視した。
…維月の気がする。
つまりは、維月は鍛練の甲斐あって、やっと維心の着物を縫う事が出来たのだろう。
「…そういう主もか。そういえば、鎧下着は頼んでくれたのか?栽付袴もぞ。昨日申したよの?」
維月は、あら、という顔をした。
「まあ。初めて聞きますわ。あの、練習用の物で良ければまだたくさんありますの。新たに縫うのでしたら少しお時間を…どちらにしろ、炎嘉様にもたくさん果実酒を戴いておるので、お渡ししようと刺繍も変えていくらか練習したのですわ。立ち襟の刺繍を、鳥にしたものですから、龍達には着せられなくて。」
炎嘉は、パアッと明るい顔をした。
「おお、あんなもので良ければまた届けさせるゆえな。その練習用とかでも良い。とにかく、月の気がする衣を纏っておれば、戦場でも心強いからの。」
維心は、渋い顔をしたが、頷いた。
「ならばそれを炎嘉にやるが良い。して?そんな話に参ったのではあるまい。どうであった。何かわかったか。」
炎嘉は、もう少し維月と話したかったのに話の腰を折られて顔をしかめたが、しかし確かにそれを報告に来たのだと頷いた。
「ああ。ヴァルラムなのかはわからなんだわ。だが、あれは王がなんたるかを知っておる。故に、回りの仲間が勧めても王座には消極的であった。主、聞いておらなんだのか。」
昨日は、維月と遅くまで着物をとっかえひっかえここでしながら、話していたので見ていなかった。
維心は、首を振った。
「これが思いもよらずたくさんの着物を我のために縫うておったから、ひたすら着ておった。で、あれは王にはならぬと?」
炎嘉は、首を振った。
「いいや。我が諭したら、そうでなければならなくなったら王座を獲る気持ちにはなったようぞ。ただ、前のヴァルラムとは違って軍神家系に生まれたわけでもないので、学がついておらぬ。本神もそれを自覚しておって、それを何とかしようと努めておるようであったゆえ…どうやら、コンドルの城へ行っておった時には、レオニートが教師を準備させて教えさせてまでおったようよ。あれはどこまで神が良いのかと思うたが、しかし相手がヴァリーであったから。良かったのだと思う。ただ、ヴェネジクトにコンドル城へ通っておるのを知られてから、禁じられて行けぬようでな。中途半端であるからと、学に飢えておった。なので、こちらに居る間明蓮が教えるという話になっておった。」
維心は、頷いた。
「ならば明蓮はしばらく非番にさせようぞ。つまりは、ヴァリーはヴァルラムかどうかは分からぬが、ヴェネジクトより王らしい思考が出来ると主は判断したということであろう?」
炎嘉は、察しの良い維心に頷いた。
「その通りよ。ヴァルラムかどうかは分からぬが、思考の筋は似ておるし、ああでなければ大陸を治めることなど出来ぬ。己の一族の事だけを考えるような王が、大陸を治めるなどおこがましいからの。ヴァリーは、戦は避けたいのだ。あれが今回連れて来ておる者達四人は、皆幼い頃から共に来た奴ららしくての…本来、十人であったのだと。それが、先の戦で五人が失われ、その命の上に何も得られておらぬという事に愕然としたようぞ。戦など、無意味なのだとあれは知っておるのだ。」
維心は、そんな事情であったのかと思った。場末で仲間を守って生きて来て、生きるために軍神になり、そうして戦に駆り出され、その現実を知った。
だからこそ、あれは皆を守りたいのだろう。
「…よう分かった。」維心は言った。「ならばしばしあれを育てる手伝いをしよう。ヴァルラムであろうとなかろうと、ヴェネジクトがもし、コンドルを討とうなどと考え出した時、それを正す力が要る。あれがそれになるだろうと我は思う。あちらの太平のためにも、あちらのことはあちらの神が動かして参らねばならぬ。我はその手助けをしようぞ。だが、共に戦う事は無いがの。」
炎嘉は、息をついて頷いた。
「主はの。我は、レオニートが同族であるから、もし攻められたら放ってはおけぬ。それだけは許してもらわねばならぬぞ、維心。あれが善良であるのは知っておるし、その善良な同族が苦しみ滅ぼされるのを見てみぬふりは出来ぬのだ。」
維心は、それには渋々ながら頷いた。
「我は手を貸せぬが、主にはまだ箔炎と焔が居る。同族を守るために戦うと申すなら我には止められぬ。」
二人が向かい合って頷き合っているを、維月が心配そうに言った。
「何やら不穏な…ならば私の縫った衣を、せめてそれらに下賜致しましょう。あの、鎧下着でございます。裁付袴も。」
まだあるのか。
維心は思って維月を見た。
「いったいどれだけ縫ったのだ主は。まだあるのか。」
維月は、渋い顔で頷いた。
「ですから刺繍が不得意で。龍身はとても難しいのですわ。ですから少々おかしくても良いのなら、それらに分けたいと思います。維心様にはやっとまともに縫えた物をお渡ししたのですわ。」
そんなに頑張っていたなんて。
維心は、維月の根性は知っていたが、そこまで自分のために励んでいたとはと少し感動した。
炎嘉が、言った。
「何でもやると良いぞ。あれらの袴は擦り切れてボロボロであったしな。喜ぶだろう。龍身が不格好でも気にはせぬよ。」
維月は、目をキラキラと輝かせた。
「誠ですか?ちょっと太めの龍になってしもうて…でもよう考えたら太めの龍ってドラゴンに似ておるかもしれませぬし。後で届けさせますわ。明蓮の部屋ですわね?」
炎嘉は、頷いた。
「ああ。今はそこで学んでおろうな。我の物も忘れるでないぞ。鳥は太っておらぬだろうの?」
維月は、そこは胸を張った。
「そこは大丈夫ですの!ちょっと胴が長めなだけですわ。」
長いのか。
想像すると笑えたが、維心はあいにく育ちが良いので表立って笑ったりしなかった。
炎嘉は苦笑したが、言った。
「まあ、襟は巻いておるから長さまで分からぬわ。良い良い、それで。」
維月は足取りも軽く奥へと鎧下着を取りに入って行った。
それを眺めながら、炎嘉は維心に言った。
「…主も大変であるな。いろいろ興味が湧いたら凝りよるのだの、維月は。しかし、此度の趣味は良いではないか。奥へ籠って動かぬから、見張っておる必要もないであろう?」
維心は、しかしため息をついた。
「まあそうなのだが、籠って居間にも出て来ぬから正直困っておった。もう縫い物より我の側に居って欲しいというのが本音ぞ。だが、着物は欲しいがの。」
炎嘉は顔をしかめた。
「面倒なヤツよ。」
すると、維月が厨子を手に戻って来て、炎嘉にそれを渡した。
「炎嘉様、ここにあるのが全部ですわ!」
維月はとても嬉しそうだ。
刺繍がおかしくても良いと言われたので、無駄にならなかったと喜んでいるのだろう。
炎嘉は、ずっしりと重い厨子を膝に乗せられて、思わず言った。
「なんぞ、重い!一体どれだけ縫った。」
維月は、首を傾げた。
「ええっと、幾つでしたかしら。でも、鳥の物はこれが全部ですの。」
維心は、気になって言った。
「確認してみよ。刺繍の塩梅も見てみたい。」
炎嘉は、頷いて厨子を開いた。
中には、これでもかと鎧下着と裁付袴が詰め込まれていて、設えは悪く無さそうだ。
だが、確かに立ち襟の刺繍が少し、歪んで見える物もあるようだった。
「ほう。だが、見るからに不格好ではない。」と、一番上の物を手に取った。「問題ないわ。別に刺繍など無くとも良いと我は思うぐらいであるしの。」
維心は、炎嘉が持つ鎧下着をじっと見た。確かに、胴が少し長いか。だが、襟なので向こうへと回り込んでいて、長いことがバレにくそうだ。
「良かったことよ。何かあったら主もそれを着るが良い。しかし、一体どれだけあるのだ。ようこれだけ縫ったの。」
維月は、維心をバツが悪そうに見た。
「申し訳ありませぬ。せっかく織りの龍が織った布を、私の鍛錬などに使って無駄にしておりまして。でも、炎嘉様がもらってくださるなら無駄にもならないと、心が軽くなりました。あの、太った龍の物も、本当はやり直すかなあ、でもやり直したヤツを維心様にはなあって思っておったのですわ。でも、ヴァリー達がもらってくれるのなら、良いかなって。」
維月なりに気にしていたようだ。
炎嘉は、厨子に蓋をした。
「では、もらって参る。炎月にもやるかの。こんなにあるとは思わなんだからの。まあ、戦場に行く時に欲しいだけなのだ。主の気は貴重であるから。また果実酒を送るからの。」
維月は、満面の笑みで頷いた。
「はい、炎嘉様。ありがとうございます。」
炎嘉は、厨子を気で持ち上げて、帰る前にヴァリー達に挨拶でもして来るか、と思って立ち上がった。
そうして、維心と維月に見送られて、そこを出て行った。