酒の席にて
炎嘉は、帝羽、明蓮、ヴァリー、ゲラシム、アナトリー、ゴルジェイ、キリルと共に明蓮の宿舎の一室で集まって飲んでいた。
宿舎と言っても明蓮は序列が高いので、居間も寝室も二つ有り、綺麗に分かれたタイプの大きな部屋で、特に狭いという感じではなかった。
家具も質の良いものを設置されてあるし、かなり良い部屋の類だった。
義心も誘ったのだが、任務がまだ残っていると言って、今回は断っていた。
炎嘉が維心から酒をひと樽もらって来たので、酒には困らない。なので、嫌になるほど八人は飲んだ。
いい感じに酔って来た頃、ゲラシムが言った。
「それにしても主は若いのに高位であったのだな、明蓮。」杯では手間だと、コップに酒を入れてそれを手に言う。「このように良い部屋で。己の部屋で飲むとか申すから、どれほどに押し込まれるのかと思うたのに。」
明蓮は、クックと笑った。
「我は序列五位。義心殿や帝羽の部屋など、最上階で二つしかない大きな物で、一つ屋敷ほどある。なので、二人共己の屋敷へほとんど帰らずここに居るのだ。宮の外に屋敷があるのにの。」
アナトリーが、帝羽を見た。
「主、そんな良い部屋を。本日は明蓮の部屋に泊めてもらうつもりであったが、それなら主の所へ見物がてら参るかの。」
帝羽は、苦笑した。
「別に良いぞ?広過ぎて長く入っておらぬ部屋があるほどだしな。独り身には過ぎた部屋よ。」
炎嘉が、薄っすら微笑みながら、酒を口にして言った。
「それにしても、主らがそんなに神世の動向に興味があるとは思わなんだ。下士官はとかく、深く考えずに命令に従っておるばかりなのだと思うておったわ。上位の者達が説明しておっても、心ここにあらずで聞いておるのか分からぬ事の方が多いのにの。」
それには、アナトリーが答えた。
「我らは、興味があるというだけで、他の者達はそれほどでも。今の王が、どんな王であるのかいまいち分かっておらぬし…その命令に従って良いのかどうか、己で判断せねばならぬ時に、世の動きが分からぬではどうにもならぬだろうと、ヴァリーとも話し合っておって。ヴィランの例もある。我らの城では、王が常に正しいとは限らぬから。」
炎嘉は、神妙に頷いた。
「主らは賢しいわ。なぜに主らが下士官であるかの。我なら上位に取り立てて重用するのに。共に考えた方が城の方向性も間違いなく定められようし。」
ヴァリーは、それに皮肉な顔で笑った。
「その考えが、今の王にあればと思いまする。一度、コンドルの城へ立ち合いに行っておるのがバレた時初めて側近くで見たが、歳は我らと似たり寄ったりで、そう優れておるとは思わなんだ。あれが王かと肩透かしをくらった心地だったもの。」
それには、炎嘉はほう、と興味深げに言った。
「確かにあれば若いが、ヴァルラムの子のヴァシリーの子、つまり孫であるからと、ザハールが据えた秘蔵っ子のようであるがな。我らはよう知らぬのだ。歳が違うし、話が合わぬ。レオニートは我らと同族であるから懇意にしておるが、ヴェネジクトのことは誠に知らぬのだ。話すことも無いし…そも、主らの城では別に、王の子が王になるわけではないのだろう?我らの方では皆、世襲であるがな。」
それには、ゲラシムが答えた。
「はい。誰でも気が大きく賢く、他の神に敬われれば王となれまする。こちらのように完全に気が遺伝するのではなく、我らのようにそうでもない親から突然に大きな気を持つ事もございますので。」と、ヴァリーを見た。「故に我ら、ヴァリーに王を目指してはと申しておるのですが、そんな責任は持ちとうないとか申して。」
炎嘉は、その話に眉を上げた。
「ほう?ヴァリー、主は王になりとうないのか。」
ヴァリーは、苦々しげな顔をした。
「…王など、責務ばかりが多くて我には無理ではと。これらを守るだけでも気を張るのに、ドラゴン全てに責任を持たされて判断するなど、重くてなりませぬ。ただふんぞり返っておれるのなら良いが、そんな良いものではない。炎嘉様が一番ご存知なのでは。」
炎嘉は、それに頷いた。ヴァリーは、まだ就いたことのない王座の重さをもう知っている。その上場末の治安の悪い場所で育ち、充分な教育も受けていないのに、読み書きなどは自力で学んで出来る上、こちらが話す世の動きも、的確に問題点を指摘して来る優秀さだ。
炎嘉は、言った。
「分かっておるのなら、主の仲間のためにも愚かな王に仕えても身を滅ぼすだけなのも分かるであろう。もし、主が今の王では平穏に暮らせぬと思うたら、その時は主が王になるのだ。平穏な世はの、黙って待っておっても来ぬのだ。我は、前世を覚えておるので分かる。維心と二人、誰が好きで殺戮の限りを尽くしたと思う。我らはの、誰もが平穏に、無駄に散らされる命が出ぬ世にするために、良しない心を持ち世を乱す輩を一掃して今の世を作った。全ては一族の、そして世にある神達のため。大きな気を持つというのは、それなりの責務を負うのだ。面倒ではあるがな。」
ヴァリーは、炎嘉を見た。鋭い目だ。
「…今の王は愚かだと思われるか。」
炎嘉は、首を傾げた。
「どうであろうの。我には分からぬ。何しろ、あまり知らぬしな。ただ、主があまりに責務を負うのを嫌がるようであるから、どういう時に動くべきなのかを教えておるだけぞ。誰かに頼るのではなく、己の力で仲間を守りたいのだろう?」
ヴァリーは、ゲラシム達を見た。そう、仲間を守りたい。自分は父母などどうでも良いが、皆は家族を守りたいと働いている。これらとその家族を守らねばと…。
「…肝に銘じておきまする。」ヴァリーは、答えた。「しかしそれにはもっと学ばねば。我らにはその機会が無くて、コンドル城でレオニート様がそれを聞いて、立ち合いに行った折りに教師を付けてくださり、そんな筋でもないのに歴史や最低限の礼儀などを教えてくださっており申したのに。また途中で、王に見つかり、コンドル城へ通えぬようになってしもうて。書は読めるので、あちこちから書を盗んで来ては、これらと学んでおるのだが…書だけでは分からぬ事もあって。」
炎嘉は、学ぶ意欲があることに感心した。あちらの下士官は、通常そんな任務に就くことなどないので、面倒だと学ぶことなどない。それを、盗んででも学ぼうとしているのだ。
すると、黙って聞いていた明蓮が気軽に言った。
「なんだ、主らは学びたいのか?」ヴァリーは、そちらを向く。明蓮は続けた。「それならば我が教えてやろうほどに。」
ヴァリーは、顔をしかめた。
「それは主は我らより物を知っておるだろうが、同じぐらいの年ではないのか。教師が務まるのか?あちらの歴史なのだぞ?」
明蓮は、笑って手を振った。
「先の戦の折りにはあちらへ行っておったし、暇があればドラゴン城の書庫に籠ってある程度頭に入れて参ったわ。」
炎嘉は、それには苦笑した。確かにこれなら、何でも学ぼうと書庫に籠ったやも知れぬ。
「明蓮は、たった五歳の時に拐われて、他を守って生き残る術を知っておった秀才ぞ。これの母は龍王の第一皇女でその血を引いておるから、幼い頃から賢しいのだ。教わるなら、これに教わるのが良いぞ。」
ヴァリーは、仰天した顔をした。この美しい顔立ちは、他で見ないと思ってはいたが、龍は皆美しいのでそんなものかと思っていた。だが、龍王の血筋なのだ。
「主、そんな大層なやつだったのか!普通に軍神などやっておるから、分からなんだわ。」
明蓮は、笑って手を振った。
「我は臣下の子であるから。王にお仕えしておるのは変わらぬし。ならば、明日からはここへ参れ、ヴァリー。我が嫌になるほど教えてやろうほどに。」
キリルがうんざりした顔をしたが、ヴァリーは頷いた。
「是非に頼む。」と、キリルを見た。「キリル、必要な事ぞ。家族を守りたいのだろう?知恵を持たねばならぬ。我らにはそれが決定的に少ないのだ。」
ゲラシムが頷く。キリルは、嫌そうにしながらも頷いた。
アナトリーが言った。
「ゴルジェイも学ぶのが嫌いなのだ。キリルもいつも呆けてなかなかものにならぬ。」
ガッツリとした体型の、ゴルジェイが大きな体を小さくして下を向く。寡黙で無愛想だが、この中では立ち合いの腕はヴァリーの次ぐらいには高かった。
炎嘉が、言った。
「ヴァリーを支えてやりたいと願うなら、学べる時に学んで知恵を付けておかねば、力になれぬぞ。共に考えてくれる友というのは、誠に心強いものであるから。我はそれを知っておる。」
言われて、キリルとゴルジェイは顔を見合せたが、急に顔つきが変わって頷いた。
「…確かに、愚かではヴァリーを助ける事も出来ぬかも知れぬ。分かっておりまする。」
ゴルジェイは、そう答えた。
炎嘉は、微笑んでコップを置いた。
「良い友を持っておるな、ヴァリーよ。」と、立ち上がった。「我はそろそろ控えに戻る。最後に聞きたい。ヴァリー、戦をどう思う?これまでの歴史はさておき、今の情勢は話したの。」
ヴァリーは、急に険しい顔をしたかと思うと、キリル、ゲラシム、ゴルジェイ、アナトリーと目を合わせた。そして、頷いて答えた。
「…してはならぬ。」ヴァリーの声は、鋭かった。「あの戦まで、我ら一緒に育った仲間は十人居った。それが…半分は死んだ。我が守りきれなかった。己の身を守るのに精一杯で、あやつらを庇えなかった。そこそこ手練れであったこやつらと、己しか戻って来られなかった時、そして、それで得たのは何一つ無い事を知った時、なんと無駄な事なのだと肝に銘じたのです。今の情勢で戦をする必要など感じませぬし、そんな心配は無いかとは思いますが。」
しかし、炎嘉は首を振った。
「コンドルはどうするのだ。同じぐらいの力で並び立っておるのだぞ?」
それでもヴァリーは首を振った。
「レオニート様のお気質は知っておるし、コンドル達とて争いを好まぬ種族。余程の事が無い限り、コンドルはドラゴンに何某か申してなど来ないでしょう。」
炎嘉は、ズイとヴァリーに寄った。
「これまでドラゴンは一強であったのに、今は並び立っておるのにか?」
ヴァリーは、断固として首を縦には振らなかった。
「別に一強でなくとも戦が起きねばそれで良い。なぜにドラゴンだけが皆を治めねばならぬのだ。二つの城で見たらより平穏なのではないのですか。」
炎嘉は、満足げに微笑んだ。
「我と同じ。我もそのように思う。」
ヴァリーは、炎嘉が何を言いたかったのか分からなくて、戸惑う顔をした。
しかし、炎嘉は微笑んだまま明蓮を見た。
「ではの。いろいろ教えてやれば良いわ。これらはよう分かっておるがな。」と、帝羽を見た。「帝羽、これらを主の居室に泊めてやるのだろう?そろそろ戻った方が良い。貴重な非番であるに、明日からに差し支えるからの。」
そうして、炎嘉はそこを出て行った。
ヴァリー達は訳が分からず顔を見合せていたが、帝羽に促されて、帝羽の部屋へと向かって行ったのだった。