どっちが
義心は、維心の居る場所に迷いなくやって来て膝をついた。
「御前に。」
維心は、まだ窓に貼り付いている炎嘉を後目に、言った。
「どうであった。」
義心は、それだけで答えた。
「は。まだ荒削りでとても前世のヴァルラム様までは程遠い様ではありますが、しかしながら驚くほどに筋が良く、判断力と対応力は並外れておりまする。一度の立ち合いの中でぐんぐんと吸収して伸びて行くのを感じました。ただ、立ち合う際の腕の返し方など、前世のヴァルラム様の癖が垣間見え、もしやと思わせる瞬間も多々ありました。」
やはりそうか。
維心は、思った。この義心も、まだ記憶が戻らない時も、ハッキリと前世と同じ癖が出ていた。あの時は血筋が同じで体型が似ているせいかとも思ったが、これの兄弟も父親もそうではなかった。つまりは、命が覚えているのかもしれない。
「…あの気は?我にはヴェネジクトよりヴァルラムに近いと感じたのだが。」
義心は、不確かなのか首を捻った。
「は…。確かに懐かしさは感じましたものの、同じだと判断する術もありませず。その…王には畏れ多くも、維月様ならご判断出来るのではないかと思っておりました次第です。」
言われて、維心は眉を寄せた。
確かに維月は、長く膜にヴァルラムと共に籠められたので、誰よりヴァルラムの気は知っている。何しろ、ヴァルラムの気を分けてもらって膜の中で人型を維持したのだ。身の内を流れた気を、忘れるはずはなかった。
「…そうよな。分かっておるが、あれをヴァリーに会わせるのは…。」
すると、上から炎嘉が言った。
「だからここへ呼んで見せたら良いではないか。別に会わずでも良いわ。コンドルの未来がかかっておるのだぞ?我は同族であるし、レオニートが案じられてならぬのよ。炎耀だって妃がおるのに何度もあっちに滞在させておらねばならぬのに。我がままを申すでないわ。」
維心は、ぐ、と黙ると、格子を抜けて外へと出た。
「ならばここに居れ。維月に話して参るわ。あれはどこに居ても気を探れるはずであるから…とはいえ、今日の維月はどっちであったかの。」
出て来る前は、確か月の気がしていた気がする。探るのは地の時の方がはっきりと鮮明で緻密に見えるはずだった。
義心が、言った。
「維月様には、ここ最近は月の気であられたかと思います。」
維心は、言われてみたらそうだった、と義心を軽く睨んだ。よく見ている…毎日一緒の自分も見ているが、基本どっちでも気にしないので維月なら良いとしっかり見ていなかった。
だが、確かに奥へと引き籠って何かをするようになってから、月であることの方が多かった。
維心は、ため息を付きながら自分の居間へと引き返して行った。
居間へと急いで帰って来ると、やはりというか、維月はここ最近の通り居間には居なかった。
また奥の更に奥にある自分の部屋に籠っているのだろう。
維心は、今夜までは我慢だと声を上げた。
「維月!帰ったぞ。」
すると、奥の間の方からバタン!と扉が開いた音がして、そうして奥の間と居間との間の扉が勢い良く開いて維月が飛んで出て来た。
「維心様!お帰りなさいませ!」
維心は、とにかくは夜までは怒らないと決めていたので、頷いた。
「これへ。」と、慌てて手を取りに来る、維月の手を握って引き寄せた。「その様子では訓練場の様子などは見ておらなんだな。」
この感じ、やはり月の維月だ。
維心が言うと、維月は首を振った。
「見ておりませんでした。維心様には夜までには私の結果をお知らせせねばと思うて急いでおりましたし。」
確かにそうなのだが、いつもなら見るなと言っていても見ていたりするので、間が悪いと渋い顔をした。
「…それはそうであろうが、少し見て欲しいものがあるのよ。この間、帝羽が申しておったヴァリーという軍神ぞ。本日来ておるが、主にはその気が読めようか。」
維月は、頷いて空を見上げた。
「少しお待ちくださいませ。」
そして、じーっと空を見つめていたと思ったら、空から声がした。
《あのさあ、多分ヴァルラム、って感じの気が二つもあるからめんどくさいんだよ。》
十六夜だ。
維心は、顔をしかめて言った。
「主も見ておったか。判断が付かぬと?」
十六夜は頷いたようだった。
《親父なら分かるだろうけど教えてくれねぇしな。ヴェネジクトとヴァリーの気はヴァルラムにそっくりで、ちょっとずつ元のヴァルラムの気と違うんだ。その違いは恐らく育って来た環境なんだろうけど、さすがにどっちかなんて判断が付かねぇ。》
維心が眉を寄せると、維月が宙から目を離して、首を振った。
「…十六夜が申す通り、育つ環境によって心持ちが変わりますので、記憶のない今はどちらがヴァルラム様なのか、気を良く知っている私にも判断が付きませぬ。ヴァリーの方は、幾分ヴァルラム様に近いようには感じますが、それも育った環境によるものかも知れませぬ。」
維心は、息をついた。やはり記憶が無ければ前世と気の色は僅かに変わるか。
しかし、十六夜は言った。
《でもさあ、オレはヴァリーの方だと思うんでぇ。》維月がびっくりしてると、十六夜は続けた。《考えてもみろ、ヴェネジクトはヴァシリーの子だから血筋だし似てて当然だが、ヴァリーはどうだ?あんなところに赤の他人の子として生まれて、それであれなんだぞ?普通あり得ねぇだろ。他人の空似ったって似すぎなんだよ。》
維心は、言われてみたらそうだ、と思った。ヴェネジクトはヴァシリーの子として生まれたのだから、似ていて当然だ。だが、ヴァリーはあんなところ…どんなところか知らないが、そこで血筋関係無く生まれたのにあれなのだ。
「…あちらは構えるだろうが、本人と話してみるわ。」維心は言った。「あやつの考えを聞けば、その思考の筋からなんとのう分かるもの。」
十六夜が、言った。
《いい考えだが、お前じゃ無理でぇ。》維心がムッとした顔をすると、十六夜は続けた。《龍王だろうが。圧力が半端ねぇんだからよ。本音なんか言わねぇぞ?殺されるかも知れねぇのに。炎嘉にやらせろ炎嘉に。あいつならいくらでも懐柔するだろ。》
ムカついたが、もっともな事に維心は渋々頷いた。
「…仕方のない。ならば炎嘉にさせるわ。」
不機嫌に言う維心に、維月は慌てて言った。
「維心様、初めて維心様をお見上げしたら誰でも構えるのですわ。十六夜はそれが言いたかったのです。」
しかし、十六夜の声が遠慮なく言った。
《ほら、維月が気ぃ遣って。そんなだから仕立ての龍がうるせぇんじゃねぇのか。維月はオレにも親父にも蒼にも恒にも着物を仕立ててくれたんだぞ?どこにも問題ねぇし、良い着物だって親父なんか毎日それしか着てねぇぐれぇだ。なのにお前んとこの龍が王がお召しになるにはまだまだとか言うから、維月は必死で肩凝って仕方ねぇのに奥に籠ってさあ。じっとしてるのが嫌いなのによ。》
維心は、驚いて維月を振り返った。維月は、バツが悪そうな顔をしたが、十六夜に咎めるように言った。
「もう!十六夜ったらバラさないで!」と、維心を見た。「申し訳ありませぬ、私は元々あまり裁縫は得意でないので…龍達も困っておるのだと思います。本来あれらが縫った物しか維心様は身にお着けになられぬのに、私が縫いたいと無理を申しておるので…。」
そうだったのか。
維心は思った。
炎嘉に果実酒の礼だと贈った着物は、維月が縫ったものだったのだ。本当は維月は、維心の物を縫いたいのだが、仕立ての龍がそれを良しとしないのだろう。なので毎日籠って練習していたのだ。
「…我の着物を縫っておったのか。」
維心が言うと、維月は下を向いた。
「はい…。月の気がする方が良いようだし、陰の月に戻って毎日鍛練しておりました。でも、腕が上がらないうちは維心様用の生地をくれないので、仕方なく鵬、祥加などに縫って、それから義心や義将にも…皆恐縮して屋敷の宝物庫に納めていて着てくれませんけど。このほどやっと、維心様用の生地をもらえて縫っておったところでしたの。」
維心は、裁縫が嫌いな維月が、そこまでして自分に着物をと思ってくれていたのかと胸が熱くなった。
しかし、維心が命じたのではないものの、そこまで維月を追い詰めていたことに罪悪感が湧いて来た。そうすると王妃が言うのに維心の着物を縫わせないとはどういうことかと、今度は仕立ての龍達にふつふつと怒りが湧いて来た。
「…我が妃が我の着物を仕立てたいと申すのに、あれらは何をしておるのだ!」突然に維心が怒り出したので、維月はギョッとした。維心は続けた。「王妃をそこまで追い詰めよって…!我がいつあれらが縫う以外に袖を通さぬなどと言うたのだ!」
維月は急いで言った。
「違うのです、襦袢などなら目をつぶってくれておったのですわ!確かに前の私は襟の返しなどが不得意で、たまにほつれたりしておったので…とても維心様にお着せする訳には行かなかったのです!」
維心は、怒りが収まらぬようだった。
「炎嘉に仕立てた着物は問題ないとあれが言うておった!維月が我のために縫うてくれるのに、何が不足なのだ!」
十六夜が慌てて割り込んだ。
《怒るな!だからそんなだからみんな構えるんだっての!とにかく今はヴァリーだろうが!炎嘉に話をさせるんなら急がねぇと引っ込んじまうぞ。もう過ぎたことはつべこべ言わずに知りたいことを調べて来い!》
維心は、まだ怒りが収まらなかったが、確かにその通りなので仕方なく、維月を一度、しっかり抱き締めた。
「…行って参る。」
「はい、行っていらっしゃいませ。」
そして、イライラとそこを出て行った。
怒っていても挨拶は欠かさない維心の育ちの良さに苦笑しながら、維月は空を見上げた。
「もう…維心様に今夜お話しようと思ってたのに十六夜ったら。仕立ての龍達が大変な目に合うのよ?私の我がままで教えてもらってるのに。何でも知ってるからってバラさないで。」
十六夜の声は、不貞腐れたように答えた。
《あいつが何も知らねぇから腹が立ってさ。親父なんかもう、あれしか着ねぇんだぞ?維月の気持ちが入っておるとか言って。》
維月は、息をついた。
「お父様ったら。またお仕立てしなきゃね。二枚しかお贈りしてないから、着回していらっしゃるってことでしょ?」
十六夜は、呆れたように言った。
《そう。維心もそうなるんじゃねぇかって今から心配でぇ。》
確かにそうかも、と、維月は余計なことをしたのかもと少し、後悔した。
それでもあと少しで縫い上がる。
維月は、また自分の部屋へと引きこもったのだった。