今度こそ
書状は、匡儀の下へと届いていた。
匡儀は、維心から何を言って来たのだろうと訝しみながらそれを開いて、内容を見て、片眉を上げた。目の前では、黎貴と筆頭重臣の伏師と、筆頭軍神の堅貴の三人が、何事かと匡儀の言葉を待っている。
匡儀は、書状を下ろして、言った。
「…粘り勝ちかの。」
匡儀が言うのに、三人は顔をしかめた。
「いったい、何のことでございますか。」
黎貴が言うのに、匡儀は黎貴の顔を見た。
「主の縁談ぞ。あちらの弓維が、高瑞が瘴気に食われて離縁して、戻っておるだろう。そんな事で、あちらも次の嫁ぎ先には慎重になっておるようで、弓維だけしか娶らぬと正式に約定を取り交わした上でどうかと言うて来た。嫌なら断ってくれて良い、前に話があったので便宜上最初に声を掛けただけ、とわざわざ書いて来ておるわ。」
黎貴は、急に胸が早鐘のように鳴るのを感じた。弓維を…弓維をこちらへ娶れるというのか。
「もとより、我は前に口約束ではありますが、あれと同じような取り決めを。それから嫁ぐと申しておったのです。宮と宮の諍いで流れておりましたが…我はこの話を受けて頂きたいと思います。」
黎貴は、必死な様子で言う。匡儀は、分かっていた事だったので、うんざりしたように頷いた。
「分かった分かった。ならばそう返そうぞ。だが、良いのだな?高瑞との婚姻で、成した子は死産であったそうな。まだ心に病んでおって、厄介払い先を探しておるのかもしれぬのに。」
黎貴は、何度も頷いた。
「そのような。ならばこちらで過ごしておれば、回復して参りまする。むしろ厄介だと思われておるのなら、我が世話してやりたいと思うております。」
匡儀は、困ったように黎貴を見た。確かに夢のように美しい女神だったし、維心の子だけあって動きも完璧で、書も美しかった。何より、あの維月の娘…。
「…そこまで申すなら、受けるかの。」
すると、慌てた様子の堅貴が言った。
「お待ちくださいませ、それが大勢の妃のうちの一人であればよろしいですが、たった一人と約定を交わしてしまっておられては、只今の弓維様のご様子をお調べせぬことには安心出来ませぬ。我にお命じくだされば、探って参ります。」
伏師も、うんうんと頷いている。匡儀は、チラと堅貴を見て、ふうとため息をついてから、首を振った。
「主には無理ぞ。あの義心が見張っておる宮であるぞ?気取られぬと思うてか。仮にあちらへ入り込んでも、何かを探ろうとしたらあれには気取られるわ。」と、うーんと唸った。「…しようがない。我が行って来るわ。主らの懸念は分かるしの。直接維心に聞いて来る。あれは偽りなど言わぬゆえ、こちらが聞けば答えようからの。書状に返事を。直接参ると。」
伏師は、頭を下げた。
「は!では、探られてから、お返事を?」
匡儀は、伏師を見た。
「いや、基本的に受ける方向で考えておる。」伏師が不安そうな顔をするのに、匡儀は続けた。「これは恐らく、あれ以外は娶らぬぞ?跡継ぎはどうするのだ。とりあえず、死産とはいえ子は産んでおるのだし、そこは問題ないのだからの。主らとて、皇子が居らぬと困るのだろうが。同じ龍の王族で、あれほどに美しいのだから問題ないのだ。もし、どうにもならぬのならあちらへ返せば良い。とにかくは、行って弓維の様子を見て参る。なんなら伏師、堅貴。主らもついて参るか。」
言われて、二人は顔を見合わせた。そうして、堅貴は頷いた。
「はい!我らもお供を。」
匡儀は、面倒そうに手を振った。
「ああではそうするが良いわ。明日にでも行って来るし、左様伝えよ。」
伏師は、急いで頭を下げると、そこを出て行った。
黎貴は、どんな形にしろ弓維にまた会えるのだと、嬉しさで胸が張り裂けそうだった。
帝羽は、維心の居間から引き揚げて来ながら、あれでは足らなかったか、と思っていた。
維心の気を読んでいれば、どう思っていたのかは大体分かる。維心は、まだ情報が足りないとどこか不満に思っていて、それでも帝羽には失望したというよりも、仕方がないという感じに思っているのだろうと読み取れた。
つまりは、帝羽の能力はその程度、と王に思われているという事だ。
前世の義心が残した巻物を読んではいるが、それでもすべてを書き記して逝けたわけでは無かったので、帝羽は前世の義心ほどには立ち回れない。
生まれ変わりと言われている義心は、すんなりと動けるし、優秀過ぎて帝羽は対抗心よりも、憧憬のような気持になってしまっていたのだった。
非番なので、訓練場にでも寄って帰るか、と足を向けると、ちょうど訓練場から、非番の義心と、明蓮が出て来ているところだった。
「帝羽。」義心が、こちらに気付いて言った。「北の様子を会合で報告すると聞いておったが、このようなところに来ておって良いのか。」
帝羽は、息をついて首を振った。
「今王の居間へと呼ばれ、行って参った。蒼様も来られておるから良いだろうと仰って。」
義心は、じっと帝羽を見た。
「明蓮から大体は聞いておる。主ら、コンドルの城でドラゴンの軍神達とも立ち合って来たそうな。若い優秀な軍神が居ったと…名は、ヴァルラム。」
帝羽は、明蓮から聞いていたのかと頷いた。
「そうなのだ。あれはその名を嫌がっておって、ヴァリーと皆に呼ばせておった。王は、かつての王のヴァルラムだったかと聞かれたが、我は生憎、その王を良く知らぬ。ゆえ、答えられなんだ。」
義心は、真面目な顔で頷いた。
「今居る軍神で、ヴァルラム様を深く知っておる者は居らぬだろうの。」
我は知っているが、と義心は思ったが、何も言わなかった。何しろ、義心の生まれ変わりと言われてはいても、皆伝説程度にしか思っておらず、確実にそうだと知っているのは、王と王妃、それに鵬ぐらいのものだった。他の王達も知っている者は知っているし、隠しているわけではないのだが、知っている者とそうでない者が分かれていた。義心も聞かれたら答えるが、聞かれなかったら答えないのだ。
だとしたら、王は次は我に命じられるな。
義心はそう思ったが、脇から明蓮が言った。
「ならば、こちらへ来させてはどうか?」帝羽と義心が明蓮を見ると、明蓮は続けた。「せっかくに知り合ったし、我はあれらと連絡する手段を持っておるぞ?ドラゴン城に正式に軍神達の交流試合など申し込めば、恐らく城の威信もあるゆえ上位の軍神ばかりが来ようし、あれらと会うにはどうしたら良いと聞いたら、城下の酒場の店主に知らせてくれたら自分たちに伝わるとか言うておった。コンドルの城へ行ったのも、コンドルの領内の酒場でそこの軍神達と知り合ったからだとか言うておった。ついでにコンドルの城であった奴らも呼べば、変に勘繰られる事無くここへ来るだろうし、王にも見て頂く事が出来よう。王にご判断を仰げばどうだろうか。」
言われて、確かに、と義心は思った。明蓮はさすがに王族の血を引いていて、かなり賢いのだ。潜んで行くより余程正確な情報が得られるだろう。しかも、堂々と。
「…良いやもしれぬ。」義心は、言って帝羽を見た。「帝羽、これを王に申せ。そして、明蓮が言うておる場所へ行ってこちらへ呼ぶ段取りをするのだ。今ならまだ、蒼様が居られるゆえ居間に居られるはず。戻って話して参るのだ。」
帝羽は、頷いて今トボトボと歩いて来た道を、元気に引き返した。
「行って参る!」
そうして、帝羽は維心に明蓮が言った事を伝えたのだった。
蒼は維月からチョコレートケーキをたんまりと持たされて、嬉しそうに帰って行った。
その後、維心はまた会合に出て行った。あれから、帝羽が戻って来てもっともな事を言うので、維心はそれを指示して近いうちにその、ヴァルラムと名付けられた軍神を含めたドラゴンを自分の目で見られることになった。
その方が確実なので、維心としては手っ取り早いし良い案だと思った。
会合がさっくりと終わって立ち上がる維心に、鵬が他の臣下達と共に、深々と頭を下げて言った。
「王。王妃様には我らのような者にまでもったいないご配慮を頂きまして、心より御礼申し上げまする。」
維心は、何のことかと思ったが、売るほど焼いたと言っていた、菓子を皆に配ったのだろうと、慌てて頷いた。
「あれの道楽であるから。しかし、陰の地として皆の幸福を願って気を籠めたと申しておったから、恐らく体にはかなり良いはずぞ。楽しむが良い。」
鵬は、満面の笑みで顔を上げた。
「はい。執務室に戻りましたら机の上に置かれてあり、侍女から王妃様がお手ずからお作りになったのだと聞きました。早速食しましたところ、何やら具合の悪かった胃の腑の辺りが、スーッと楽になり申しまして。力が湧いて来るようで、驚き申しました。皆、同じような経験を。誠に有難き事でございます。」
やっぱりそうか、と思いながらも、維心は頷いた。
「伝えておこうぞ。」
そうして、まだ頭を下げている臣下達に見送られ、維心は居間へと向けて歩いた。
維月に褒美をやりたいが…着物や簪などでは喜ばぬしなあ…。
維心は、ウンウンと唸って考えながら、居間への道を辿ったのだった。