どうするか
維心は、維月を起こそうと奥へと引き返したら、維月が扉のすぐ向こうで立っていてびっくりした。
どうやら、気配で目が覚めて必死に起きて来て、話を聞いていたらしかった。
なので、寝間着の襦袢のままでそこに立っていて、維心は慌てて背後に義心がまだ居ないか確認したが、義心はもう、立ち去っていてそこには居なかった。
ホッとした維心は、維月を押し戻しながら言った。
「聞いておったのは分かったが、そのような格好で。そら、まず着替えよ。侍女が背後で困っておるわ。」
振り返ると、侍女達が王妃が起き出したと着替えを持って来たのに、肝心の本人がじっと扉の前で向こうを窺っているので、声をも掛けられずに居たようだった。
「申し訳ありませぬ。」と、維月は言って、侍女達に手伝われながら着替え始めた。「義心が見て来た通りなのでしたら、良いご縁だと思いますわ。黎貴様には、長らくじっと我慢していらしたのですし。あのお立場で、他に目を移さずで想い続けていられるお心は、なかなかに難しいことだと思うのです。普通なら、さっさと他の皇女を娶ってしまうものでしょう。ご信頼できるお気質ではないかと。」
維心は、維月が普段着に着付けられるのを見てから、自分も維月に手伝われて着替え始めた。
「我もそのように。義心もあのように申しておるし、あれは滅多な事は言うまいし、誠に黎貴がああいう気質であると思うたのだろうの。ならば、信じても良いか。」と、着物に腕を通した。「しかし、毎度ながら匡儀は警戒心が無さ過ぎるの。義心が明羽と懇意にしておるのは確かだが、あれはあちらの情報を的確に手に入れることが出来るゆえ、世話しているに過ぎないのだろう。それなのに、義心が非番に来たと喜んで、あれの非番を延ばしてやれとか言うて参って。我の気が咎めるわ。」
維月は、維心の腰紐を結びながら苦笑した。
「あちらは大変に素直であられて。真っ直ぐな気質であられるようですし、維心様にもそこまで警戒なさるご必要が無いのかもしれませぬ。何かあれば、十六夜が見ておるのですし、何か申して参りましょう。ここは友として、匡儀様とお付き合いなさった方がよろしいのでは。」と、頭を下げた。「終わりましてございます。」
維心は、頷いて維月に手を差し出した。
「ならば、匡儀に正式に書状を送らせよう。あちらがどう答えるか分からぬが、以前のように当人同士の口約束ではなく、正式に宮同士の取り決めとして成すことであるから、臣下達が難色を示す可能性もあるしの。何にしろ、話次第ぞ。なに、もし無理だと申すなら、軍神に降嫁させる。独身というと帝羽、新月、義心…は無理であろうが、慎也も、歳がかなり上ではあるが、まだ若いし充分に嫁げるのだ。行く場所はある。」
新月は前世の維心の妹である、瑤姫と蒼の子だから血が近過ぎるんじゃ。
維月は思ったが、何も言わなかった。軍神ならば箔翔の腹違いの弟である、帝羽が良いかなあと、維月は勝手に思っていたのだ。
維心は、維月の手を取って居間へと出て来て、居間の椅子へと共に腰かけた。
侍女達が、朝の茶を淹れて持って来てくれ、それを二人で飲んでいると、臣下が維心が起床したのを気取ってやって来た。
これが、毎朝のルーティンだった。
「王。」鵬が、膝をついて頭を下げた。「おはようございます。本日のご政務をご説明致します。」
維心は、言った。
「その前に、匡儀に書状を送らせよ。黎貴と、弓維の婚姻を進めるつもりはあるか、と。こちらの条件としては、黎貴が他に妃を娶らぬと言う約定を結ぶこと。もしも無理ならば、降嫁を考えておるから断ってもらって良いとな。」
鵬は、少し驚いた顔をしたが、しかし想定内の事だったのか、頷いた。
「はい。では、早急に作成してあちらへお送り致します。」と、手に持つ紙の束をめくった。「本日は、謁見が五件ございます。その後、午後から会合を。此度は瘴気関連の処理の件と、それからコンドルとドラゴンの現状のご報告が帝羽からあるとの事で、お時間を戴く予定です。」
維心は、片眉を上げた。確かに、義心を北西に行かせている間、帝羽には北を見ておれと言っておいたのだ。
何か動きがあったのか。
「…わざわざ会合の時に報告という事は、特に切迫しておらぬが、気になることがあるということよな。分かった、そのつもりで居ようぞ。」
鵬は頷いて、また紙をめくった。
「それから、蒼様から昨夜ご連絡が。本日ご来訪されたいとの事ですが、王に於かれましてはいつ頃お会いになられますか。」
維心は、答えた。
「蒼がわざわざ参ると申すのに、後回しになど出来ぬわ。謁見の前に来いと申せ。あれらは待たせておけば良いのよ…まだ夜が明けたばかりであるのに、もう来ておるのは知っておるが。」
鵬は、困ったような顔をした。
維月が、慌てて言った。
「蒼も、いきなり今来いと言われても、困ると思いますわ。謁見が終わってから、会合の前ではなりませぬか。こちらで茶菓子など用意しておきますし。」
鵬は、それを聞いて何度も頷いた。
「はい、王妃様。確かに蒼様はまだお目覚めになったぐらいのお時間でありましょうし、慌てられると思いまする。謁見も、今から始められたら恐らくそうお時間もかかりませぬでしょう。会合までのお時間が長く取れまする。」
維心は、それを聞いて仕方なく頷いた。
「では、そのように。」と、立ち上がった。「今着替えたばかりであるのに。謁見に出る。」
途端に、侍女達が慌てふためいて着物を取りに向かった。維月は、謁見に出る維心は簡易の正装に着替えるのだったと立ち上がり、侍女が必死に持って来た、着物を着付けに掛かった。
維心は、さっさと終わらせて帰って来ることばかりを考えているようで、むっつりと着替えさせられていたが、終わると不機嫌にサッサと鵬を連れて、歩き出した。
「行って参る。」
維心は一言そう言うと、足早に居間を出て行った。
維月と侍女達は、ハアとため息をついたのだった。
それから、いつもなら慣れた八重や奈都と作るのだが、今は二人共里帰りさせていて居ないので、台番所の者達と共に、維月は菓子作りをした。
今日はシュークリームとチョコレートケーキを作って、手伝ってくれた者達と、自分と維心の侍女達の分もと大量に頑張った。
その結果、売るほど大量に出来て、全部の臣下にはさすがに無理だったが、上位の者には配れそうだったので、それぞれの執務室に、置いて来てもらっていた。
維心はまだ謁見だったので、維月は軍神達にもあげようと、訓練場を覗きに行く事にした。
弓維の相手の事は気になるし、最近の帝羽の事も見ておこうと思ったのだ。
訓練場は、外宮から繋がる場所にあるので、本来維月はここまであまり来ないのだが、そこの大きなガラス窓から、そっと外を見ると、珍しく義心が居て、皆に稽古をつけているところだった。
義心はいつも任務に就いているので、ここに居る事は少ない。
珍しく非番なんだと、それでも結局仕事をしている義心に、前世と同じくいったい何を楽しみに生きているんだろうと、維月は心配になった。
しばらく見ていると、誰も必死で維月の存在に気付きもしなかったのだが、義心がチラとこちらを見たかと思うと、びっくりしたように慌ててやって来て、扉を開いて膝をついた。
「維月様、まさかお一人でこのような所へ?」
その声音には、どこか前世からの繋がりを感じるような、咎めるような色が混じっていた。
維月は、一人と言われたら一人なんだけど、と思いながらも、渋々頷いた。
「あの、菓子を作ったの。それで、上位の者達ぐらいにしか配れないけど、どうかなと思ったから。義心が居るのって珍しいわね。非番なの?」
義心は、急いで立ち上がると回りを見回して、誰も見ていないのを確認してから、維月を促して脇の部屋へと押し込んだ。
「こちらへ。軍神達にお姿をそうそう晒されてはなりませぬ。すぐに侍女をお呼び致しますから、こちらでお待ちください。ベールも無くこのような端近にまで出て来られてはなりませぬ。」
維月は、訴えるように言った。
「だから、大丈夫よ。誰も気にしてなかったじゃないの。それより、台番所へ一緒に来てくれないかしら。本当に菓子をたくさん作ったのよ。頑張ったの。」
そう言われてしまうと、義心は断れなかった。維月が一生懸命作ったのだと言うのに、無下には出来ないのだ。
「…分かり申した。では、こちらへ。」と、扉を開いて、左右を見た。そして、振り返った。「誰も居りませぬ。抜け道がありますゆえ、そちらから参りましょう。我の影に。」
維月は頷いて、そうして義心に隠されて、今出て来たばかりの台番所まで戻ったのだった。