白龍の宮の宴
青龍の宮とは違い、こちらは前の鳥の宮と同じく、総大理石の白亜の宮殿だった。
大広間は、なのでそれは明るいイメージだ。
今回は内輪の宴なので、臣下軍神達も和気あいあいと酒を酌み交わし、それは楽しげだった。
思えば、あちらの宮では内輪の宴などついぞ無かった。
何しろあちらはやれ会合だ七夕だ月見だと、催しが多すぎてその度に宴なので、内輪の宴など滅多に開かないのだ。
維心自身が、そこまで酒好きでもないし、そもそも誰かの前へ出るのを嫌うので、当然と言えば当然だった。
義心は、特別に匡儀の側を許されて、黎貴や堅貴、明羽と共に壇上に座っていた。
「誠に主には驚かされた。」匡儀が笑って言った。「例え一本でも、我から取った軍神は主が初めてぞ。」
義心は、恐縮して頭を下げた。
「あれは狙って狙って、やっとのことでありました。偶然に読みが当たっただけのこと。動きについて参るのも精一杯で。」
匡儀は、首を振った。
「あんなに楽しんだのは久しぶりぞ。これら相手に主がどれほど手を抜いておったのか分かろうというもの。恐らく彰炎では主には敵うまい。良い遊戯を見付けたわ。また立ち合おうの。」
義心は、匡儀があまりに維心と違った性質なので、戸惑いながら答えた。
「我などでよろしければ。誠に学びの多い立ち合いでありました。」
堅貴と明羽はお通夜のような顔をしている。
匡儀は、二人を見て言った。
「こら、そのように。これは我からでも一本取ったほどの腕前なのだぞ?幸いこうして指南してくれるのだから、励めば良かろうが。」
明羽は、言った。
「義心が優秀なのは知っておりましたが、王とすらあのように無様でない様で。我らなら、一瞬で下され申して、王はいつも退屈そうになさるのに。」
匡儀は、ハッハと笑った。
「義心は面白いからのう。本気になる瞬間も幾度もあって、退屈する暇もなかったわ。」
義心は、慌てて言った。
「それでも、我は体力を温存する余裕もなく息を上げてしまい申した。匡儀様には戯れ程度で立ち合われて居るのは分かっておりましたが、せっかくに我と立ち合ってくださるのだからと、失望なさらぬようにただ必死で。」
確かに、終わった後はいつも息を切らせていた。
それでももう一戦、と言われたら、すぐに整えてまた同じ質の立ち合いをして見せた。
体力が、明羽や堅貴よりあるのは明らかだった。
黎貴が、真剣な顔で言った。
「我はあちらへしばらく参るかの。さすれば今少し腕を上げられるのでは。」
聞いた匡儀は、それには頷いた。
「確かにの。学ぶなら今のうちであるしの。王になったら簡単には他の宮に滞在など出来ぬしな。一度維心に聞いてみてやろうぞ。維明も維斗も、侮れぬ強さだと聞くしな。」
黎貴は、嬉しそうに頷いた。
「ありがとうございます、父上。」
今の状態で、王は何とおっしゃるか。
義心は、そう思ってそれを聞いていた。宮には弓維が居て、嫁ぎ先のことで考えているようだった。
面倒が起こってはと考えて、しばらくは先延ばしになりそうな気がした。
義心が黙って注がれた酒に口をつけていると、匡儀が言った。
「…そういえば、瘴気の件であるが、こちらへも聴こえて来ておる。穢れた人を間引くと?」
義心は、杯を下ろして頷いた。
「は。気の流れを正しても人世への影響は落ち着きませず、善良な人が大変な目に合っておるようでして。」
匡儀は、深刻な顔をして頷いた。
「であろうな。こちらは広いゆえ、瘴気が増えておるのは認識しておるが、己の結界内を清浄に保つ事しかしておらぬ。神が、この広さにしては少なすぎて手が回らぬのよ。主らの島のように多くの社もないし、降りる場所もないしな。ここと印が付けられぬので、そうするしかないのだ。」
義心は、知っている事だったので、頷いた。
「は。王から聞いておりまする。この広さでは、とてもそこまでは出来ますまいに。」
匡儀は、頷いて杯を空けた。そして、言った。
「難しい問題ぞ。とはいえ我らは、結界内の人だけでも平穏にと尽力しておる。戦で荒れた時には罪もない人に迷惑を掛けたしの。せめてもう戦などないように、軍神達も力をつけて他の宮へ牽制せねば。堅貴、明羽、気張るのだぞ。」
二人は、神妙な顔をして頭を下げた。
義心は、こちらにはこちらのやり方があるのだと、それを見ながら思っていた。
とはいえ匡儀は、とても面倒見が良い王のようだ。維心のように、たまに気が向いた時に訓練場に来て皆をこてんぱんに倒して、精進せよと言うだけではないのだ。
同族でも、そういうところが全く違うのだと思っていた。
義心は、酒を酌み交わしながら、まるで父親のように堅貴と明羽に話す、匡儀の話を聞いていた。
義心が戻って来たのを結界に感じて、維心はまだ寝ている維月を置いて、袿を羽織って奥の間から出て居間へと出て来た。
思った通り、戻ってすぐに居間へとやって来た義心が、扉の前で言った。
「王。戻りましてございます。」
維心は、答えた。
「入れ。」
義心は、いつもながら全く乱れも無い甲冑姿で維心の前まで歩いて来て、膝をついた。維心は、言った。
「ご苦労であった。どうであったか?」
義心は、答えた。
「は。あちらの宮は、雰囲気的には炎嘉様の宮のような感じでございますな。匡儀様は炎嘉様ほどではないものの、軍神達の世話はかなり細かい段階までされており、黎貴様もそれを見ておられるので、似たような様でありまする。かなりお気軽に訓練場へ出て来られて、軍神達の相手もなさっておるようで、我が参っておった時にも出て来られて、立ち合いの相手をしてくださいました。腕前は炎嘉様とは互角か少し上ぐらいかと思いました。」
維心は、苦笑した。
「そうか。だがそこはだいたい我にも分かっておったことであるから良い。肝心の黎貴はどうであったのだ。」
義心は、つい知り得た事を全て話さなければと話してしまったが、思えば維心は、そもそもが黎貴の普段の様子を知りたいと義心をあちらへ行かせていたのだ。
義心は、慌てて言った。
「申し訳ありませぬ。はい、黎貴様は匡儀様がそんなご様子なので、軍神達とも仲がおよろしい様で。ご自分も立ち合いたいであろうに、他を押しのけてという形ではなく、逆に軍神に譲ってやるようなご様子でした。軍神達が恐縮して退こうとしても、わざと冗談を仰ってお待ちになったり、情に厚いご性質であるのがよく分かりました次第です。」
維心は、ふむ、と考え込む顔をした。
「そうか…ならば良いかの。ちなみに女の影は?」
義心は、首を振った。
「話題にすら上りませんでした。あちらで匡儀様が内輪の宴を開いてくださったのですが、宴の席でならそんな話もと聞いておったのですが全く。一度、匡儀様が黎貴様に、そろそろ踏ん切りをつけて次に向かうのも必要だぞと仰っておられましたが、黎貴様は素知らぬふりで。恐らくあれが、弓維様の事であったのではないかと。」
維心は、うーんと唸った。
「とはいえ、そこから数日はどうであったのだ。それだけ親し気な様子なら、軍神の姉妹とか、侍女などが寄って参ったりするのではないのか。」
義心は、首を振った。
「いえ、それが全く。というのも、我は黎貴様にいろいろ御指南しておるうちに、ご信用頂けたようで黎貴様の対にも、訪れる機会がございました。その時も、侍女や女に関しては、まるで我が王を見るような素っ気ない様子で。どうも、弓維様が嫁がれてから、父王にあちこちの茶会などに引っ張り出されて、気が進まぬ女の相手ばかりをさせられたことが、トラウマになられておるようだと、明羽からは聞きました。」
維心は、それはそれで気の毒な、と思いながら言った。
「また気の毒な様になってしもうて。こちらとしては、その様子なら弓維をやっても問題ないかと思うが…主は、どう思う。」
義心は、自分に意見を求めて来るのには驚いた顔をしたが、王が聞いているのだ。必死に考えて、答えた。
「は。その…畏れ多くも我の妹であったなら、あのかたならば良いのではないかとは、今のところは思うた次第です。高瑞様の例もございますので、先までは我にも分かりませぬとしか、お答えできませぬ。」
維心は、息をついて頷いた。
「であろうな。我もぞ。ゆえに主に聞いてみたのよ。そうよな…」と、奥を窺った。「維月に一度、その話をしてどうしたいか聞いてみようぞ。まだ寝ておるが、そろそろ起こすゆえ。主はご苦労であったな。本日は非番にして良い。」
義心は、頭を下げた。
「は!」
そうして、そこを出て行った。
最初から、義心は明羽を使ってあちらへ入り、黎貴の様子を探るために滞在していたのだ。
三日では少ないと思っていたところに、匡儀が延長を申し出てくれたので、これ幸いとおかしくない期間延ばさせてもらい、そうして黎貴の様子を調べて来た。
黎貴は、匡儀や他の北西の神達と同じで、素直で情け深い感じの神だった。
こちらの皇子達とは違い、感情がくるくると顔に現れるので、扱いやすいことこの上ない。匡儀もよく表情を変えると驚いていたが、こうしてみると、匡儀はあちらの神にしてはあまり表情を変えない方だった。
つまり、あちらから見たら維心や維明、維斗はそれこそ全く無表情に見えているのかもしれない。
それに倣っている軍神達も、こちらはあまり感情を表すのを良しとしないので、いつなり冷静に見えた。
明羽にも、こちらの軍神は冷たく感じる、と言われた事があったが、それはそうだろうと義心は思った。
やっと獲得した僅かな非番の時間の間、義心は訓練場にでも行って来ようと、足をそちらへ向けたのだった。