立ち合い
匡儀は、奥宮の居間で堅貴から報告を受けていた。
瘴気の問題は、北西の大陸でもある事だったが、しかし確かにここ最近は多い。島は、こちらに比べたら少ないぐらいだったが、それでも大騒ぎで人を間引こうとしているらしい。
だが、こちらで同じ事をしていたら、きりが無いので基本、こちらの神は自分の結界内を守ることに尽力しているだけで、結界内以外は放置だった。
それがこちらの常識だからだ。
「…島が清浄に感じるはずよな。あちらは己の結界以外も瘴気を消して回っておるのだの。だとしたら、あちからからしたらこちらはいい加減に映るのだろうの。」
堅貴は、頷いた。
「は。原因になっていた高瑞様は蒼様の月の宮へと隔離され、月の宮は他へ漏れるのを遮断しておるのだとか。」
匡儀は、息をついた。
「蒼も大変よな。あれは優しい気質で何も断れぬし。そんなものを己の結界内に囲い込むなど、厄介でしかないではないか。とはいえ、この地上でそんなことが出来るのも、あの宮だけぞ。他の宮なら臣下にも周辺の民にもだだ洩れで迷惑を掛けて大変な事になる。仕方がないのかもしれぬな。」
堅貴は頷いて、頭を下げた。
「王、では御前失礼を。」
匡儀は、何やら急いでいるような様子の堅貴に、眉を上げた。
「どうした、何を急いでおる?」
堅貴は、ハッとした顔をして、急いでまた膝をついた。
「いえ、申し訳ありませぬ。」
しかし、匡儀は首を振った。
「咎めたのではない。」と、はたと思い当たった。そういえば、島の龍の宮から、義心が明羽の指南をしようと訪れているはず。「…義心か?」
堅貴にしては珍しく、それを聞いて顔を上気させた。どうやら、明羽が義心に稽古をつけてもらっているのを、堅貴も気になっているようだ。堅貴は、優秀なのだがまだ、剣技だけは明羽には敵わない。もちろん、義心にはもっと敵わなかった。
それを気にしていて、どうしても義心と立ち合って、少しでも技術を盗みたいと思っているのが垣間見えた。
「そうか、気付かずですまぬ。明羽はあの折より、義心と懇意にしておるから、此度は時が空いたしそちらへ参ろうか、と言われたのだと言うておったわ。なので許したのよ。黎貴も嬉々として訓練場に出ておるようだし、主も参るが良い。本日はこれから非番にしようぞ。」
堅貴は、嬉し気に顔を上げた。
「は!」
そうして、飛ぶような足取りでそこを出て行った。
匡儀は、自分も後で見に行ってみるか、と思ってそれを見送ったのだった。
明羽の剣が、サクッと地面に刺さる。
二人の足が、地面に着地して向かい合った。
「…どうあっても敵う気にもならぬ。なぜにそのような動きが出来るのだ。同じ龍とは思えぬわ。」
明羽が、ぜえぜえと肩で息をして、義心を睨むように見た。義心は、困ったように自分の刀を鞘へと納めて、言った。
「実戦経験もあるゆえな。我が王が、時々に見てくださるので、このように。それに、箔炎様や駿様のような力のある王とも、立ち合う機会を与えてもろうたのだ。」
黎貴が、二人に歩み寄って笑った。
「見えておるのだが、追いつかぬ動きよ。我ならもっと早うに決しておった。義心、次は今一度我と。」
義心は、会釈した。
「我で良ければ何度でもお相手を。」
すると、そこへ堅貴が急ぎ足で入って来た。それに気付いた明羽が、笑顔で手を振った。
「おお堅貴!任務は終わったか?主もこちらで義心と立ち合うてもらうか。」
義心は、堅貴を見た。堅貴は、明羽と入れ替わりに筆頭軍神になった男だが、義心が見たところ、剣技は明羽の方が上だった。だが、恐らくは用心深く頭の良いところを買われて、筆頭になったのだと推察された。明羽は、気が良いのだがすぐに騙されそうなところがあるからだ。
堅貴は、頷いて進み出た。
「義心殿、我と手合わせ願えるか。」
義心は、頷いたが言った。
「では、今少し待て。只今は黎貴様がお相手をと申されたところなのだ。」
すると、黎貴が気を利かせたのか、言った。
「我は先ほど一度立ち合うてもろうたし、堅貴が先にやれば良いぞ。」
しかし、堅貴は慌てて頭を下げた。
「そのような。我こそ後でよろしいです。どうぞ黎貴様、お先に。」
しかし、黎貴は笑って首を振った。
「良いというに。どうも義心は全く疲れぬようで、明羽がこのようにフラフラなのに、ぴんぴんしておるのだ。もしかして、主の後なら少しは義心も疲れて、我にも勝機があるやもしれぬ。」
もちろん、義心の技術で少々疲れたからといって、黎貴は全く敵わないのは知っている。
それでもそう言って笑う黎貴に、堅貴は恐縮しながらも頷いて、義心を見た。
「では、お先に失礼を。義心殿、よろしくお頼み申す。」
義心は、頷いた。
「参るが良い。」
立場的には対等なのだが、堅貴には義心に敵わないという気持ちがあって、上司に対してのような対応になってしまう。
義心は、少し困ったように口角を上げながら、堅貴を相手に、刀を抜いた。
堅貴は、緊張気味に同じように剣を抜くと、目が合った途端に義心に飛びかかって行った。
そうやって立ち合うこと数時間、黎貴とは三回、堅貴は二回、明羽は三回と、休む間もなく続けたのに、義心は僅かに頬が赤くなっているだけで、やはり息も切らしていなかった。
つくづく、体力が違うのだと実感して落ち込む堅貴たちを見て、義心は言った。
「体力は確かに重要ではあるが、我は無駄な力を入れぬから疲れにくいというのもあるのだ。」
二人共が、顔を上げた。
「誠に?それは、どうやったら良いか。」
黎貴も、頷いて義心を見る。
「そうよ義心、それを指南してくれぬでは、戦場に立つのもままならぬではないか。」
義心は、黎貴に困ったように微笑んで、言った。
「何分、コツが要ることであります。一朝一夕ではお教えするのは難しいかと。」
堅貴が、必死に言った。
「此度は明羽の指南に来たとか。主は非番であるのだろう?ゆっくり出来るのではないのか。」
義心は、確かに三日ほど居るつもりではあったが、無駄を省く事を教えるのに、そんなに速く皆が習得できるとは思えなかった。
何しろ、自分もこれを、経験で編み出して行ったからだ。
すると、黎貴が脇から言った。
「こら、無理を申すでない。簡単なものだと思うて聞いたが、どうやらそうではないらしい。せっかくの休みに参ってくれたのに、そのようではもう参ってくれぬようになろうぞ。」と、義心を見た。「すまぬの、不勉強であるから簡単な術か何かと思うて。そうではないのだな。」
義心は、黎貴に微笑しながら答えた。
「はい。我も経験上体得して参った事でありまして、力を抜いても問題ない瞬間を動きの中で調べ、立ち合いの最中にそれを実行することで、無駄な力を使わずに戦えるようになるのです。地道な努力で、己の位置を見つけて行くしか方法はありませぬ。我がお教え出来る事は、脇で見ていてここなら問題ないだろうとご助言することぐらいでしょうか。」
黎貴は、途方もない事に顔をしかめた。
「そんなに立ち合って力加減を見ねばならぬか。だが、体得すれば有利であるな。」
「主は次の王になるのだし、出来ねばならぬの。」急に、声が割り込んだ。「義心がこの若さであっさりこなしておることであるのだから、主らも励んで参るが良い。」
堅貴と明羽が、慌てて膝を付く。
黎貴は、軽く頭を下げた。
「父上!ということは、父上も力を加減なさることが出来るのですね。」
匡儀は、クックと笑いながら頷く。
「当然よ。我が何年戦国を戦ったと思うておるのだ。戦では、すぐに息切れしておったら死ぬからの。義心は、誠の戦いを知っておる。それだけぞ。」と、義心を見た。「して、主は三日ほどこちらに居ってくれるのだな?維心にも、その分休みを増やしてやってくれと申しておいた。このようでは、主は仕事に来ておるようなものぞ。前々から主を貸してほしいと維心には申し出ておったのに、全く貸してくれぬで。やっとであるからな。」
義心は、深々と頭を下げた。
「匡儀様。もったいないことでございます。ならば我は、此度は王から七日の非番を戴いておりまして、そのうちの三日を明羽のためにこちらでと考えておったのですが、もう三日をこちらで。少しでもお役に立ちますなら。」
匡儀は、微笑んだ。
「良いのか。助かることよ。主は誠に優秀であるからなあ。稀に見る才能よ。我が皇子と軍神達にも、その知識のいくらかを分けてやってくれぬか。我もそうそう時が無うて、皆に教えられておらぬしな。」
義心は、さすがに恐縮した。何しろ自分は、前世の記憶も持っているからこそのこの若さでの知識であって、堅貴や明羽が悪いのではないからだ。
「及ばずながら、我の知る事でよろしいのでしたら。」
匡儀は、頷いた。
「主でなければならぬ。さ、では少し我と戯れてくれぬか。」と、匡儀は刀を上げた。「主と立ち合ってみたいのよ。我も腕が鈍っておるが、得るものがあるかもしれぬし。」
義心は、自分も刀を抜いた。
「光栄でございます。お手柔らかにお願い致します。」
そうして、義心は匡儀と初めて立ち合った。
その日は、そのまま訓練場で長く皆で立ち合っていたのだった。