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叱責

維月は、甘えていると言われて、確かにその通りだったと唇を噛んでいた。

少しぐらい維心の着付けが遅れても、維心は維月を咎める事など無いし、弓維がこんな時だから、分かってくれるとつい、平気で遅刻したりしていた。

だが、一生懸命やって遅れたのなら維心は絶対に維月を責めたりしないが、最近の様子は目に余ると思っていたのだろう。

あれからもうすぐ一年という事もあり、自分で気づく様子もないので、痺れを切らしてああ言ったのだと思われた。

近年は、よう励んでくれておると褒めてくれていたのに、そういえばこの一年は、維心は困ったように微笑して、褒めるような事は無かった。

だからと言って咎めることも無いので、つい調子に乗って弓維の側に詰めたりしていたが、それが弓維を甘やかせて、自分の侍女達にも我慢させることになってしまった。

維心は全て見通した上で、ああして維月に弓維の縁談などを言い出したのだ。

…維心様に、いい加減な気持ちで務めていると思われていたなんて。

維月は、恥ずかしくて顔を上げられない気持ちだった。維心の事だから、言いたくないので自分で気づいてくれることを期待して待っていたのだろう。

それなのに、維月はいつまで経っても行ないを改めず、弓維を甘やかせて奥で安穏としている、務めを疎かにしている、と、歯がゆい気持ちで見ていたのだと思うと、愚かな己が口惜しかった。

人世で言うなら、タダで贅沢な暮らしなど出来ないのだぞ、というようなことを、維心に言われたのだ。

そんなつもりは無かったとはいえ、そう思われても仕方のない事をしていたのだ。

維月が弓維の部屋の前へと到着すると、八重が笑顔で迎えてくれた。

「王妃様。弓維様には落ち着いていらっしゃいますわ。王のお傍には、もうよろしいのですか?」

維月は、ああこの子にも一年もの間、休みをあげられていないと気が付いて、思わずその手を握り締めた。

「八重、ごめんなさいね。私達のために、長く里帰りさせてあげられておらずで。私も気付く余裕が無くて、自分は月の宮へ帰ったりしておったのに…すぐに休暇を与えられるようにするから、あと数日辛抱してね。」

八重は、驚いたように頬を赤くした。

「まあ王妃様、我はそのような…こちらへお仕えさせて頂いておるからこその、実家でありますのに。お気遣いなどよろしいのですわ。」

確かに働きに来ているのだし、それなりの物を与えられているのだろう。だが、いくら神世に労働基準法がないからと言って、休暇も無しにこき使うなど、本来の維月には出来ない。それをやっていた自分に腹が立って仕方が無かった。

「いいえ、お休みは必要よ。少し、弓維にお話が。維心様から弓維の身の振りについてのお話があったの。だから、話して参ります。奈都にも、控えで待っておるように申して。」

八重と奈都は、維月の25人居る侍女達の中で、侍女長を務める気の利く侍女達だった。八重は、戸惑いがちに頷いて、頭を下げた。

「はい、王妃様。では、我らは控えに下がっております。」

そうして、八重は下がって行った。


維月は、暗い気持ちで弓維の部屋に入った。

弓維は、相変わらず窓辺のソファに座り、物思いに沈んでいる。本当なら、こちらの気配に気付いて、それが母ならば立ち上がって迎えねばならなかった。

しかし、ここ最近甘やかしていたせいで、それすら出来なくなっている。

維月は、意を決して足を進めると、弓維の前に立った。

「弓維。私が参ったらあなたはどうしなければならぬのですか。」

弓維は、ハッとして維月を見ると、億劫そうに立ち上がり、頭を下げた。

「お母様。何分体が優れず…申し訳ありませぬ。」

維月は、かわいそうに思ったが、それでも心を鬼にして言った。

「いつまでもそのようではならぬのです。あなたは、宮の役に立っておるのですか。王族がそのようでは、臣下達がどのように思うのです。」

いつにない強い口調で言う維月に、弓維は驚いて顔を上げた。

維月は、険しい顔で弓維を睨んで立っている。

弓維は、慌てて言った。

「吾子のことを思うておったのでございます。我を見切ってあのように…。」

維月は、首を振った。

「もう、あれからもうすぐ一年になりまする。誠命が入ったお子で、生きたいと思いながら去ったのならいざ知らず、あちらはもう、転生なさろうと高湊様の妃のかたに宿ったのだと聞きました。もう、あなたが憂いる理由などないはずですよ。」

弓維は、目を見開いた。では、あの時の高彰様とおっしゃる命は、他のかたのもとに…。

「…我では否であったのに、そのかたなら良いのですね。やはり我など…。」

「違いまする。」維月は、強く言った。「あちらが龍ではないからよ。弓維、しっかりなさい。いつまでこちらで侍女達に迷惑を掛けておるつもりですか。あなたは王族であるのです。このまま役に立たぬのなら、宮を出すとお父様が強く申されたの。私も、長くあなたの世話ばかりだと叱責されました。私とて、里へ帰されてしまうかもしれませぬ。」

弓維は心底驚いた顔をして、維月を見た。

「お父様が…?!そのような…」

維月は、首を振った。

「私も忘れて甘えておりました。お父様のお世話も滞りがちになっておったし、臣下達に休みも与えてやれなかった。それも、あなたがずっと臥せっておるから、手が掛かるので私の侍女までこちらへ回してあったから。お父様は、全てご存知であられて…強く諌められましたの。宮は、臣下が維持しているのだと。王族が、臣下の足枷になってはならぬと。」

弓維は、思ってもいなかった事に袖で口を押さえて絶句した。臣下達とは…侍女達は、我を世話するために居るのではないの?

「え…臣下達は、我の世話をするためにここに居るのでは。」

維月は、息をついた。確かにそう思っても仕方がない…何不自由なく育ったのだ。分からなくても仕方がない。

「あれらは己の暮らしのためにこちらへ仕えてくれております。お父様が皆を守り、その見返りとして多くの臣下が仕え、その中には多くの職人が居ります。それらが生み出す物をお父様に献上し、お父様がまた臣下に下賜し、生活しておるのです。宮は臣下の力無くして維持出来ませぬ。お父様は皆を守っておられますけれど、あなたは何をしておりますか?」

言われて、弓維は考えた。我?我は…お父様の娘で…。

「お父様の…娘…で、」

弓維は、言葉を失った。父の娘である他に、我は何かをしていただろうか。

維月は、じっと立って弓維が答えを探すのを待った。弓維は、見る見る大きな目を見開くと、小刻みに震えて首を振った。

「…何も…。」

維月は、弓維に歩み寄ると、そんな弓維を促して、一緒にソファへと腰かけた。そして、諭すように言った。

「そうなのです。あなたは、お父様の娘であるから、皆世話をしてくれておったのですよ。それは、お父様のため。あなたのためではありませぬ。成人して一度嫁いだ事のあるあなたですから、戻ったからには、ここに居るのなら臣下の役に立たねばなりませぬ。あれらの厄介になっておるだけではならぬのです。私は、お父様のお世話をしてお傍に居ることが務めで、そうやって仕えて来ました。ここ最近は、なのにあなたのお世話に手を取られて、それもおざなりになっておったのです。それではならぬと、お父様は申されて…あなたがこのまま引き籠っておるのなら、他の宮の役に立つために、匡儀様の宮の黎貴様に嫁ぐお話を進めるとおっしゃっておるの。」

弓維は、ぽろぽろと涙を流しながら維月を見た。

「え…黎貴様の所へ…?ですが我は、一度は高瑞様の所へ嫁いで、あちらとのお話を蹴ってしもうておるのに。黎貴様は、疎ましくお思いになるのでは…。」

維月は、思ったより弓維が心底嫌だという雰囲気ではないのに驚いていた。

「黎貴様は、あなたが忘れられなくて、他のかたとのお話も蹴っておるそうなの。あなたが良いなら、あちらは恐らく歓迎してくださるだろうし、あの時縁談が消えたのは、ご政務上のことであったのは、あちらもご存知でありますし。でも、嫌ではないの?お父様は、無理にとおっしゃっておるのではなくて、あなたが別に宮で臣下の役に立つような事があるのなら、それを申せば検討すると申されておるのよ。私は、実を申すと、一度お父様に今、婚姻なんてと反対しましたの。でも、それなら他に何か役に立つなら申せと仰って。」

維月は、ため息をついた。とはいえ、弓維が他に役に立つとは何だろう。皇女の仕事など、臣下の催しに挨拶に出て出席したり、歌などの指南をする茶会を開いて皆に教えたり、そういった事しかない。

維心がそれで納得してくれるほど、弓維にバリバリ教師の仕事など出来るとは思えなかった。

弓維は、維月を見つめた。

「あの…黎貴様は知らぬかたではありませぬし、嫌ではありませぬ。何よりあちらは龍なので、此度のような事はありませぬし…。皇女は、父王が決めた人に嫁ぐのだと、乳母からは幼い頃から聞かされておりましたし、我は己で選んで高瑞様に嫁いで幸福なのだとも、言われておりました。でも、己で選んだ結果がこうで…。我は、自分に自信がございませぬ。お父様がおっしゃる通りにした方が、きっと幸福になれるのです。乳母がずっとそう申しておったのに…我が愚かであったから。」

維月は、目を丸くした。

そうだった、この子は模範的な皇女としてこの宮で育てられたのだった。

つまりは、父王は絶対で、その言う通りにしていれば間違いがないのだと、刷り込まれているのだ。

思えば、前世の維心の妹である、瑤姫も同じようなことを言っていた。お兄様は間違った事は申されない、と宣言していたものだった。その迷いの無さに、こちらが後ろ寒い物を感じたぐらいだった。

弓維も、同じなのだ。

「…そのようにお考えだとは思いませんでした。」維月は、正直に答えた。「深くお悩みであったようですし、まだ高瑞様を想うお気持ちがあるのかと思うておったので…。」

弓維は、それを聞いて寂し気に微笑むと、首を振った。

「あちらは、ご自身のために我を娶られたのです。」維月が驚いて弓維を見つめると、弓維は続けた。「こちらへ来て、お幸せそうなお姉様や、お母様を見ておって思いました。高瑞様は、我の体や気持ちよりも、ご自身のお気持ちが大切であられた。ご自分のために、我をお傍に置いておられましたの。我のためではありませぬ。それは、王に求められて幸福なことなのかもしれませぬが、我はお母様とお父様を見て育ちましたので…。本当に愛されるとは、どんなものなのか知ってしもうておりまする。我は、愛したなら愛されたいと思いまする。こちらが愛しておらぬのなら、お互い様ですのでこの限りではありませぬが…。」

弓維は、悟っていたのだ。

高瑞が、己の心の平安のためだけに、弓維を傍に置いていたという事を。そして、そのためには、弓維の気持ちなどどうでも良くて、あんな行動をしてしまったことも。

「…そのようにお考えなら、私はもう何も申しませぬ。」維月は、答えた。「ですが、嫁ぐ先の事は慎重に。こんなことがあったばかりなのです。誠に大丈夫だと思われる場所へ行かれるのが良いと思いますよ。どなたか軍神達の中から、お姉様のように選んで嫁いでも良いかと思いますし。」

弓維は、スッキリしたような顔をして、しっかりと頷いた。

「はい、お母様。我は、目を開かれたような心地が致します。お父様には、長い間咎めず待って頂いて、大変にありがたい事ですわ。あの、後程ご挨拶にお伺い致しまする。お父様には、ご都合が良い時をお知らせくださいとお伝えください。」

維月は、つくづく神世で生きるのなら、特に皇女は乳母に育てさせた方が良いのだとその時思った。

人世の常識を知っている維月にとっては、大変に受け入れがたい事でも、そこでそれを常識と育った女神にとっては、その方が幸福に暮らせるのだろうと。

それでも、弓維がこれ以上不幸にだけはならないように、維月は心に決めて、維心の居る居間へと引き返したのだった。

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