療養
維月は、維心から事の次第を聞いた。
そう説明されると、妙に納得した…四代前の王が、一族のために王座に就いて復興させようと、転生しようとしていたのだ。
そうなって来ると、確かに龍であってはまずかった。
龍は全て龍王に従わねばならず、その命の責任はもちろん龍王が取る。
他の宮の王が龍ということは、その宮は龍王の眷属と同じ扱いになるのだ。確かに世は龍の世で、全ては龍王の下知次第と言われてはいたが、宮の中は治外法権だった。
それが、龍の王を戴くことで、全てが龍の下に下る事になってしまうので、誰もそれを良しとはしないのは常識だった。
なので、龍の皇女を正妃に迎えたとしても、その子は龍の宮へと返されて、そこで育てられることになった。
他の妃が産んだ子しか、宮を継ぐことは基本出来ないのだ。
弓維は、目覚めてから泣いてばかりいた。
子は、何とか治癒の者達が気を失っている間に気で吸い出して取り上げ、無事に生まれたがなかなか産声を上げず、何とか泣き出したが、すぐに静かになり、数時間生きて、動かなくなった。
維心から訳を聞いていたものの、さすがに治癒の者達も維月も沈み込み、しばらくは龍の宮は暗い雰囲気だった。
十六夜が弓維を気遣って、多めに癒しの気を降ろしてくれてはいたのだが、弓維は部屋に籠って塞いでいた。
命が入っていないことは、神世でも稀にあることで、誰も悪くはないのだが、それでも弓維の気持ちが案じられた。
本来なら、維月が里帰りの時に月の宮へ連れて行って、そこで療養させれば良いのだが、今は高瑞が月の宮に居る。
なので、それも出来ずにいた。
そんな鬱々とした毎日の中で、定例の会合が龍の宮で行われた。
維心は、弓維に付きっきりの維月の精神状態も気になったが、会合に出ない選択肢はないので、奥を出て会合へ向かった。
「何やら暗い気が奥から漂って参るの。」炎嘉が、隣で言った。「弓維は気の毒だが、理由が理由だけにの。高彰に会ったのか。」
維心は、頷いた。
「会った。あれが案じてあの宮を立て直したい心地は分かるし、龍になど生まれておる場合ではないわな。なので仕方のないことぞ。理解はしていても、あれも感情が追い付かぬのだろう。」
炎嘉は、頷いた。
「そのうちに気持ちも癒えようほどに。では、始めるぞ。」
維心は、頷いた。
炎嘉は、黙り込む維心の隣で、皆を見て声を張り上げた。
「では本日の会合を始める。」
今日は、瘴気のことがメインの議題だった。
もろに被っている樹藤や、安芸や公明の報告を聞いて、人世の被害の甚大さが明らかになった。
志心の領地は志心の守りがあるので、そこまで酷くはないようだったが、これまでそんなものとは無縁で大量の瘴気など相手にしたことのない安芸は、困惑然りのようだった。
気は進まなかったが、穢れの酷い人を間引く方向で瘴気を減らし、気を整える事に尽力するよりないようだ。
翠明が、言った。
「我の領地内はまだマシなのだが、我を祀る社の一つ、昔一佳を任せた一番大きなものには、周辺の土地から多くの人が詣でて参る。なので、穢れを受けているもの、またその人に虐げられた人も多く願いに来る。一佳の孫の八佳が、その人がどのような扱いを受けて苦しんでおるのか、背後を見通す目を持って生まれておって、その所業に憤って良しない者を排除して欲しいと願って参った。そんな願いはしたこともなかったゆえ目を疑って、内情を調べさせると父の五佳、一佳の子の一人が瘴気の影響で内部の権力争いなどをしておる。善良な八佳はそんな醜いものが我の眼前で行われているのが耐えられぬようよ。」
炎嘉は、顔をしかめた。
「無駄に力を持って生まれておるから、見えすぎて人として生きるのは苦しかろうの。その五佳は?」
翠明は答えた。
「あれは力などない。普通の人であって、しかし真面目に務めておったのに。社に来る穢れた者達に引きずられてしもうたのだろうの。今は急ぎ勝己に申して病にしたので動けぬ。いつもなら側についてやるだろう八佳も、完全に愛想を尽かしておるから見向きもしておらぬ。ただ、己が願ったせいではないかと気に病みだしておって、あれもまた瘴気の影響を受け始めておるのではと案じておるのだ。」
焔が言った。
「善良な人が結局は迷惑を被るのよ。そうでない者は、己が瘴気を生み出しておいて己は悪くないと思うておる。己が不幸なのは己の所業のせいなのに、なぜに改めて穢れを祓おうと思わぬのか…まあ、何も知らぬし見えぬのだから、それが人たる所以であろうがの。」
炎嘉は、庇うように言った。
「確かにどんな不幸の中でも幸福はあるのだが、それは見えぬのだから気付かずでも仕方がない。我ら神とて、権力争いはあるし穢れるが、己でそれが見えて己で祓えるからこそ、狂ってでもいなければ穢れたままでなくで済むだけ。それに、人は善良であっても知らずに被った穢れを祓うため、一時不幸なことになる人も居る。それを嘆くばかりでは幸福になれぬが、前を向いて生きれば幸福は必ず来る。善良なのだから不幸なまま終わるはずなどないのだからな。それに気付かせてやるのが、我ら神の役目ぞ。我らが務めねば。」と、息をついた。「…とはいえ、このままではまずい。神まで引きずられてしまうものが出て参る。気が進まぬが、穢れ過ぎて手に負えない、改心する様子もない人を、少し間引いて参ろう。数が多すぎるので、一気に間引くと八佳のような勘の良い人には気取られる。まずは最も黒い者をひと月に百から始めよう。それぞれの領地内を見回り、それぞれが次の会合までに百の人を間引いて参ろう。その際、善良な者が巻き込まれぬように注意せよ。事故などその可能性が上がるゆえ、翠明のように病が良いかもしれぬ。ようよう狙ってな。間違えるでないぞ、穢れた人は悪運が強かったりするゆえ、避けよるかも知れぬからな。」
ざわざわと会合の間はざわめいた。
下位に座る王の一人が、声を張り上げた。
「我が領地は狭くて、人も少ないのですが、百でございましょうか。」
炎嘉は、答えた。
「ああ、範囲は今から決める。小さな宮の領地で百は多すぎるからの。我ら上位の宮につく形で割り振るゆえ、主は己が従う誰かの指示に従って成すが良い。」と、地図を空中に出した。「では、これよりそれぞれの範囲を決める。」
炎嘉は、サクサクと決めて行く。
維心は、ただ黙ってそれを聞いていた。
そうやって会合は終わり、一同は龍の宮の東大広間へと移動した。
いつもは中央の大広間を使うのだが、奥宮まで陽気な様が漏れるのはと臣下達が配慮したらしく、今回はより外宮に近い方向にある大広間にしたようだ。
ちなみに龍の宮には今、外宮の東大広間、西大広間、内宮の中央大広間、外宮から内宮にかけてある南大広間と会合の宮の中にある会合の宮大広間の五つの大広間がある。
普通の神の宮には、大きく場所を使うので大広間は多くて二つしかないが、龍の宮には五つもあるので、大勢が集まるとなると、いつでもその場所の筆頭に挙げられる事になる。
炎嘉は、ぞろぞろと長い回廊を歩きながら、言った。
「今回は東か。客間が近いゆえ良いが、遠いの。主も奥まで歩くのが億劫なのではないのか。」
維心は、炎嘉の隣りで歩きながら言った。
「今はいろいろあるのだ。」と、最後尾で蒼に気遣われながら控えめに歩く、高湊を見た。「本日は高湊にも話があって、無理に出席させたことだしの。宴の席で話すわ。」
皆が、ちらりと高湊を見る。
高湊は、見るからに疲れているような感じではあったが、病んでいるような感じではない。
蒼とはいつの間にか気安いようで、蒼が傍に居ることで結構落ち着いているように見えた。
やっとのことで東大広間へと到着すると、皆がぞろぞろと入って来るのを待って、維心が宴開始の宣言をいつものようにし、そうして宴の席は始まった。
これまたいつものように、上位の宮の神は皆、一段高い場所に集まって座っていて、他の神達は宮が近い同士が集まってあちこちに設えられた席に座って勝手に談笑している状態なので、誰もこちらの事は気にしない。
下位の宮々の王達から見たら、上位の宮の王達は気を遣う存在で、こういう場所でまで傍に寄って来て話そうとは考えない。
余程の願いがあって嘆願に来るなら別だが、今は特に何かあるわけでもないので、誰も寄って来る事はなかった。
そこで、皆は酒を手に向き合っていた。
今回居るのは、維心、炎嘉、焔、志心、箔炎、駿、翠明、公明、そして蒼、高湊だった。樹籐はもう歳なので、そろそろ譲位かというほどなので、宴の席には来ていない。
実は維月の友であった、樹籐の妃の沙那は、昨年亡くなっていた。
翠明も長く紫翠に任せて会合に出て来たとしても、宴には出て来なかったので、今回は本当に久しぶりの同席だ。
炎嘉が、言った。
「高湊よ、高瑞の事は残念であるが、蒼に厄介になっておるだろう。本日は、その話も含めてしようと思うておるのだ。」と、維心を見た。「ついては維心よ、主から順を追って話してはくれぬか。」
維心は、面倒だがきちんと話しておかねばならない事だったので、杯を置いて言った。
「まず、会合では公言せなんだが、此度の瘴気の異常発生は高瑞の内側に孕んだ瘴気の影響であった。上位の宮の王達は言わぬでも気取っておったであろうが、ゆえに高瑞は蒼に預けて今はもう、発生源は消えたのでマシにはなって来るだろうと思われる。」
皆が蒼を見る。蒼は、頷いた。
「今は治癒の対の一室で世話をしておる状態ですが、未だ呆けている状態で、治癒の者の呼びかけにも答えぬし、十六夜の浄化の光でじわじわと癒して効果がある事を期待して待っている状態です。」
高湊が、蒼に言った。
「ご迷惑を掛けてしもうてすまぬ。王が回復することを期待して、我も王座に就いて欲しいという臣下の願いは聞けずにおるのだが…。」
維心は、首を振った。
「王を失った一族は弱い。主は、もし高瑞が回復して王座に返り咲くとしても、ここは一度王座に就いておかねばならぬ。そして、とてもそんな気持ちにはなれぬだろうが、妃を娶って次へと繋ぐのだ。それが一族存続のため、王族の務めぞ。」
高湊は、ショックを受けた顔をした。蒼が、横から庇うように言った。
「そのような。維心様、やっと気持ちが回復して参ったばかりなのです。妃を世話する気持ちにもなれぬと思うのです。」
維心は、蒼を見た。
「我が、理由もなく誰かの婚姻などに強く言うと思うか。」と、高湊をじっと見つめた。「高湊、弓維が此度、死産であったのは知っておるの。」
高湊は、戸惑いながら頷いた。
「臣下が暗い顔をして報告をして参ったので。それが何か?」
維心は、頷いた。
「此度は腹の赤子に命が入っておらぬことによる死産であった。器があっても、そこへ生まれたい命が無いと器は長くはもたぬ。それが、弓維の子に起こっておって、そうなったのだ。実は、最初から腹の子に命が入っておらなんだわけではなくての、ここでは否と生まれる前に去ったのだと分かった。弓維は、それを気取って黄泉まで追って参り、一時は死んでおった…維月が気を補充してもたせる間に、我が黄泉の道へと参って弓維を連れ帰ったのよ。」
高湊は、壮大な話に目を丸くした。
「え…黄泉の道へ、そのように簡単に参れるのですか。」
維心は、苦笑して頷く。
「我は命を司っておるからの。そんなことは簡単なことなのだ。ここに居る、皆が知っておる。」他の王達が、うんうんと頷く。維心は続けた。「我はそこで、弓維を見つけて、その傍に居る赤子に入っていた命と会った。それは男で、成長した姿であったので、前世の記憶を持っておることが分かった。そして、それは我の知っておる顔だった。」
高湊は、不安げに問うた。
「維心殿が、知っておる既に死んだ神であったと。」
維心は、それにも頷いた。
「その通りよ。あちらも我を知っておった…前世の、五代龍王の頃の我の事であるがな。高彰よ。」
高湊は、それを聞いてしばらくは訳が分からないようだったが、見る見る目を見開いた。高彰…。
「それは…高瑞の前が高晶、そしてその前が高司、そして高杉、高杉の前が、高彰…四代前の、我が宮の王では?!」
賢王で有名で、宮の歴史で一番最初に教育の神に教わる名だ。
維心は、何度も頷いた。
「そうよ、その高彰よ。高彰はの、高瑞の子として産まれて何とか宮を立て直そうと思うたらしい。だが、腹に宿ってから我に返ってようよう聞いてみると、母が龍で自分は龍として生まれるのだと知った。それでは、宮を立て直す事は出来ぬ。なので、あれは腹から出てもう一度黄泉へと参った。なので、弓維の腹の子は命が無い状態で生まれ、生きられるはずが無かったのだ。」
高湊は、それを呆けた様子で聞いていた。曾々祖父の王が、宮の現状を憂いて帰って来られようとしていたのか。宮の全盛期だと言われていた、あの時代を君臨した高彰が。
「では…曾々祖父は、戻って来られなかったと。」
維心は、首を振った。
「あれは、我に言い置いて参った。高湊を王として、自分が戻るまで宮を細々とでも良いから存続させて欲しいと。そのために、記憶を持って行くつもりだったとの。そして、主に出来るだけ早く妃を娶るように申せと。高彰は、主の子として転生するつもりなのだ。一刻も早く戻って来たいからこそ、主は子を成さねばならぬのだ。」
高湊は、愕然とした顔でそれを聞いていた。曾々祖父は、戻って来たいのだ。王座に座る位置に戻り、そうして宮を立て直したいと望んでいるのだ。
高湊は、自然と流れて来る涙をそのままに、言った。
「…はい。」高湊は、床に手をついてぽたぽたと涙を落として、続けた。「はい、維心殿。曾々祖父が我らを救ってくれようとしておるのですから。我は、妃を娶って子を成しまする。それが宮のためですから。我の生きている意味は、きっとそれにあるのです。」
隣りの蒼が、そんな高湊の背に手を置いて、気遣っている。
反対側の隣りの翠明が、言った。
「ならば育ちの良い皇女をな。ええっと、駿殿の所の皇女は皆、もう嫁いでおったか。」
駿は、翠明にはまだ複雑な気持ちがあるようだったが、ぎこちなく頷いた。
「歳が少し上になるかの。高湊殿と歳が良い感じというと、誰か居るかの。」
炎嘉が、うーんと首を傾げた。
「そうよなあ…彰炎の所には束でまとめて売れるほど皇女が居るが、高湊の好みに合うかどうか。そうよ、宇洲の娘は皆美しいぞ。そら、駿の所に居った瑤子の姉妹が居る。駿の皇子達と話しがあったが、あのごたごたで無くなったので、困っておったではないか。あれほど美しいし出来た皇女であるから、そこらの宮ではもったいないのでと上位の宮ばかり探しておるから、まだ決まっておらぬのだ。歳がちょうど良いのでは。」
それには、ますます駿が嫌そうな顔をした。何しろやっと椿を失った悲しみから復活して来て、もう女など真っ平だと妃を持たずに生きているのだ。そのきっかけになった宇洲の皇女である瑤子とその姉妹達の話は、はっきり言って聞きたくなかった。
それを横目に見て、志心が咎めるように言った。
「こら、炎嘉。そういう話は後で良いわ、駿が居るのに。後で部屋へでも訪ねて詳しい話をすれば良い。それより、高瑞の瘴気は抑えられておるか、蒼?月の宮の結界ならば、外へは漏れぬだろうの。」
志心が気を利かせて話題を変えて来たので、蒼は頷いた。
「はい。それは完全に遮断しておりますから、大丈夫です。このまま、良くなってくれたらいいんですけど。」
翠明が、脇から頷いた。
「確かにの。いつかはと、期待しようぞ。」
そうして、話はまた、高彰の事になった。
高湊は涙を拭いて顔を上げ、その話を興味深げに聞いていたのだった。