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西の島南西の宮では、紫翠が最近めっきり政務にも消極的になってしまった、父の翠明から話を聞いていた。

母の綾が死んでから、姿も変わらず若いままの父だったが、それでも母を失った悲しみは深いようで、あれから数年、未だに政務は半分ほどしかしてはいなかった。

後の半分は紫翠が担っているのだが、紫翠ももう、成人していたので、いつか王座に就くためにも、この方が良いのだと思うようにしていた。

大きな会合は、その後の宴で母を想い出し、未だにつらいと父が言うので、最近の会合にはいつも紫翠が出ている。

だが、今回の会議には、久しぶりに翠明が行くと言い、後の宴には出なかったが、王達と話して来たようだった。

「それでの、高瑞殿の宮からは、誰も出席しておらぬで。聞いたところによると、出席したくても出来る者が居らぬのだとか聞いたのだ。」

紫翠は、ドキとした。まさか、高瑞は弓維を返さなかったのでは。

「…妃の里帰りの件で、大会合の後維心殿と話しておるのを聞きました。維心殿は迎えを差し向けると申しておったようですが、高瑞は渋っておって。もしや、何か?」

翠明は、驚いた顔をした。

「主が高瑞殿と友であるのは知っておったが、それを知っておったのか。そうよ、次の日差し向けた迎えを外へと放り出してしもうて、返せぬと申したらしいが、維心殿が維明殿を差し向けて強制的に迎え取ったとか。その時も、維明殿の顔を見ておるのに、それでも強引に奥へと連れ戻ろうとしておったらしい。そして、弓維殿を連れて戻ろうとした維明殿に掴みかかろうとして、義心に腕を斬り落とされたと聞いた。腕は繋がったらしいが、動く事は無く、維心殿は怒って離縁を通告し、高瑞殿は今、治癒の間で呆けておるそうな。」

紫翠は、愕然とした。

龍王に歯向かうなんて。

高晶の件で、分かっているはずなのだ。高瑞は、愚かな王ではなかった。むしろ我慢強く頭の良い穏やかな王だと評判で、たかが妃一人のことで、こんなことになるはずなど無かったのだ。

それが、そこまで抵抗して、そんな事になってしまっていたなんて。

「…まさかそんな事になっていようとは。そういえば、あれから文も参らぬしあちらの様子を伺う間もありませなんだ。では、今我が訪ねてもあれは出て来れませぬな。」

翠明は、首を振った。

「無理であろう。何やら本日、炎嘉殿が蒼殿に相談しておったわ。どうやら心を病んでおるような話であった。王がああなってしもうては、もはや王座には座っておれまいの。とはいえ、弟の高湊殿も何やら物思いに沈んでおるとかで…突然に兄があんなことになってしもうて、王座に就けと言われても戸惑うばかりであろうから、気持ちも分かるがの。」

紫翠は、いきなりに聞いた事に戸惑うばかりだったが、しかしもし、月の宮へ療養に行くと言うのなら、今の状態より面会はしやすそうだ。

「高瑞は、月の宮へ参ると申しておりましたか。」

翠明は、それには首を振った。

「いや、まだ決まっておらなんだ。ただ蒼殿に炎嘉殿が相談しておっただけで。あそこも、誰かが病んだと言うたら引き受けて面倒ばかりを抱えさせられるであろう。ゆえ、高瑞殿の症状次第だと蒼殿は言うておったな。治る見込みのないものを、未来永劫世話も出来ぬだろうし。」

普通は、これまでの神世であれば、心に病を持っていたり、脳に病を持っていたりする神の事は、治療が難しいとなれば、隠す傾向があった。

皆、治癒の対で治る見込みもないままに、治癒の者達に世話をされて、閉じ込められるような生活をして、そのうちに死んで逝くというパターンがしょっちゅうだったのだ。

何しろ人ならいざ知らず、神がそのような病に罹患すると力があるだけに気を乱し、人も災害などの迷惑を被ってしまうことがある。

人の生活も守る神達としては、なのでそうして誰かが見張ってどこかに籠めておくより仕方が無かったのだ。

それが、月の宮が出来てこのかた、そういう事は月の宮、という風潮が出来て来て、療養とは名ばかりな、厄介払いが横行して蒼を困らせた。

それからは、最初に期間を決めて受け入れ、その期間内に改善が見られなければ返すという取り決めの中、受け入れるという形にしているらしい。

「ならば、まだ時が掛かろうか。案じられることです。」

翠明は、気遣うように紫翠を見た。

「せっかくに仲良うしておった友がそれでは気に掛かろうの。だが、我らに出来ることなどないのだから。ここは見守ろうぞ。」

紫翠は頷いたが、顔から懸念の色は消えなかった。

そこへ、最近に筆頭重臣になった、勝己(かつみ)が入って来て膝をついた。

「王。ご相談がございます。」

翠明も紫翠も、振り向いた。

「何ぞ、何かあったか。」

翠明が言うと、勝己は頷いた。

「は。我が王をお祀りする人の社での業務をこなしておる者から、八佳(やつか)より願いがあったと。」

八佳とは、人に落とされた一佳の孫の宮司だった。一佳は人になってから、あの社の宮司に世話をされて人の妻を娶り、子を成して幸福に生涯を終えた。その子がまた子を産み、そして今の八佳に繋がっている。その声は誰より神に届くので、普段から人の世話をしている神も無視出来ないものだった。そして人には珍しいほどに善良なので、いつも他人のための願いしかしては来なかった。己のためと言うと、祖父の一佳が寿命を終えそうになっていた子供の頃に、どうか今一度祖父と話させて欲しいと泣きながら願ったただ一度だけだった。

とはいえ、いくら八佳の願いだといっても、人世の願いは翠明までは来ない。臣下の担当の神が叶うように気を整えて終いだからだ。

「そんな大層なことを願い出たのか、八佳は。」

勝己は、顔をしかめて懐から紙を出してそれを見た。

「祝詞の文言から、最初は聞き間違いかと思うたらしく、祭壇に置かれた書を確認すると、間違いなかったのだと。夕刻、他の宮司が引き揚げて、片付けをする刻限で、八佳が来たかと思うと、片付けもせずに懐から書を出して、読み上げたのだというておりまする。」

紫翠が、焦れて言った。

「だから内容は何ぞ。」

勝己は、渋い顔をしながらも、仕方なく答えた。

「心根の悪い者が多くなり、善良な者が虐げられ重苦しい世になっておる事を憂い、悪い者を正して欲しいと。このままでは排除することも厭わぬ心地のようで、八佳からは常にない殺気が沸き上がっておったのだという事でございます。」

紫翠と翠明は、顔を見合わせた。

「…そんなに悪いか。」

確かにここ数百年、人の世にインターネットとかいう空間が出来てから、一気に瘴気が増えて来たので、神も最初はその対応に大わらわだったものだ。

翠明が言うと、勝己は頷く。

「確かに最近の瘴気の多さは目に余り、皆で気を整えるのも億劫になっておるほどではありますが、我が王のおわすこちらの土地近くはまだそれほどでも。しかしながらお隣りの旧甲斐様のご領地や、特に安芸様のご領地辺りは難儀しておるのだとか。どうも白虎や高瑞様のご領地辺りから、不穏な瘴気が漂って来ておるようで。ご存知のように人は神の領地のことなど知らぬので、我が王のご威光にすがろうと、他の土地からもこちらの社へ願いに参ります。八佳はそれらから多くの懸念を感じ取って、堪えられなくなったようで…何しろ、元は神の血を引く男なのです。自然、他の人の背後にある懸念の訳も見えておるのやも知れませぬ。」

翠明は、顔をしかめた。人は、賢しい。念を飛ばしたりすることが出来ぬので、いろいろな機械やシステムを作ってそれに代わるものを生み出していた。

だが、ネットという空間は、出来た当初は物珍しく神も見ていたものだったが、対面しなくても相手を罵倒したり貶めたりということが簡単に出来るので、その数が増え、その穢れを受けた者が増えて、瘴気が激増した。

たいがい迷惑だった。

それでも、その心の悪い者達が穢れを受ける反面、攻撃された方は知らずに蓄積した己の穢れを、嫌な思いをすることで禊がれるので、バランスが取れるものだと考えられていた。

「…少し、調べてみる必要があろう。我が領地内の事もであるが、安芸や定佳、公明に問合せよ。それから、白虎の方角というのなら、志心殿にも理由を知らぬか聞いてみよ。まずはそこからぞ。だが、八佳が困ったことをしでかさぬように、そこは見ておれと申せ。せっかくに善良な命であるのに、そんなことで取り返しのつかぬ穢れを受けては大変ぞ。」

一佳の末であるのに。

翠明は、そう思って言った。

勝己は、頭を下げた。

「は。では早急に。」

そうして、紫翠も見守る中、勝己は対応に出て行った。

しかし、高瑞の領地の方からもということに、紫翠は気になって仕方が無かった。

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