里帰り3
弓維は、維明に連れられて龍の宮へと戻って来た。
帰りの輿の中で維明に治療されて、顔色は幾分良くなり、自分で歩いて父王の居間へとたどり着くことが出来た。
居間へと入ると、父が母と共に迎えてくれて、言った。
「弓維、よう戻ったの。いろいろあったが今は子を安く産む事を考えるが良いぞ。それからの事は、父に任せておくが良い。とはいえ、主の希望を聞いておこう。主、子を産んだ後に高瑞の下へ戻りたいと思うか。」
弓維は、驚いた顔をした。一度嫁いだのに、宮へ戻ることが出来るというのか。
「え…我は、こちらへ戻る事が出来るのですか。」
維月が、頷く。
「あなたが幸福であるなら良いのです。でも、もしも不幸であるのなら、お父様にはあなたをお助けするお力がありまする。あなたが決めて良いのですよ。」
弓維は、下を向いた。そんな選択肢があるとは、思ってもみなかったのだ。なので、ここで無事に子を産むことさえ出来たなら、戻ってまたあの宮で仕えるしかないのだと…。だが…。
「…分かりませぬ。お父様、お母様。高瑞様は、大変にお苦しい思いを長年なさっておられました。我が嫁いでから、そのお苦しさが無くなって、大変に安くお暮らしであったと申されておりました。ですが、我が居らぬと、またあの苦しさが迫って来て逃れる事が出来ないのだと。高湊様のお顔を見たら、それが迫って来て苦しいのですが、我が居るとそんなことも無うなったのだと…きっと、高瑞様は、ご自分のお苦しさから逃れたいがために、我をお傍からお離しになるのがお嫌だったのではと思うのです。」
維月は、それを聞いて悲し気に維心を見上げた。維心は、チラと維月と目を合わせてから、また弓維を見た。
「…確かにあれは、不幸な事であったし、その出来事は親のせいであってあれのせいではない。だが、それからのことは、己で克服せねばならぬ。主をそのための道具のように扱い、里帰りも許さぬとはあまりに病的ぞ。もし、主が出産で命を落とすようなことがあったらなんとする。此度の事は、あれの過去を考えたとしても過ぎる事ぞ。ならば主の答えは、出産して落ち着いてから聞こうほどに。今は、奥に用意させた部屋で休むが良い。」
弓維は、深々と頭を下げた。
「はい、お父様。お兄様も、この度はありがとうございました。」
維明は、弓維に会釈を返す。維月が言った。
「後で母が部屋を訪ねます。待っておってね。」
弓維は、薄っすらと維月を見て微笑むと、侍女達に気遣われながら、居間を出て行った。
維心は、残された維明と義心に向き合った。
「…して。あれはすんなり弓維を渡したのか。」
維明は、厳しい顔で首を振った。
「いえ。最後まで抵抗しておりました。こちらでもみ合っておると、高湊が奥から弓維を連れ出して参って…それでも高瑞は弓維を抱いて戻ろうとしたので、義心に軽く小突かせて我が気で弓維を引き寄せ、取り返しました。そこで帰って来ようとしたのですが…我につかみかからんばかりに追って参ったので、義心に命じて斬らせました。」
維心は、義心を見た。
「どこを落とした。」
義心は、膝をついたまま答えた。
「は。左腕を付け根から。繋ぎやすいように一太刀にしておきました。抵抗が無かったのですんなりと。」
維明が、それを聞いて苦笑した。
「ま、あれでは抵抗する間も無かったわな。」
維心は同じように顔を歪めて思った…恐らくはそこに居た、軍神のほとんどが見えていなかったのだろう。
「主につかみかかるとはの。弓維が言うように、あれは病んでおるな。普段は穏やかで賢しい様で、愚かな判断をすることなど無い。だが、弓維の事となるとまるで回りが見えておらぬ。これは…弓維が何と言おうと、その心の病を治してからでなければ、決めることなど出来ぬな。今の状態のままならば、どちらにしろ離縁ぞ。あれは未来永劫返してもらう。」
維明は、維心を見た。
「通告なされますか。」
維心は、頷いた。
「すぐにの。我の名代であった主への扱いは許されるものではない。とはいえ、こちらも相手の腕を落としたのだし、病というのもあるからそれでこの件は手打ちで良いわ。」と、義心を見た。「義心に落とされたのなら、繋がっても腕はまともには動かぬ。だから主は利き腕を避けたのだろう?」
義心は、神妙な顔をした。
「は…飾りの腕となるのなら、利き腕ではない方が遺恨が残らぬかと思い申しまして。」
維心は、苦笑した。
「どのような状態でも腕を落とされたら遺恨は残ろうぞ。ま、良い。では、鵬を呼べ。書状を書かせる。」
維月は、慌てて維心に言った。
「維心様、弓維がどのような想いでおるのかまだ分からぬのです。離縁と申すのはお待ちになって、とりあえず里帰りを長引かせるのではならぬのでしょうか。」
維心は、それにはすぐに首を振った。
「ならぬ。維明は我の名代であったのにあの対応。主の時の比ではないのだぞ?すぐに我が参って再三に渡る不始末と申して、全て滅しても良いぐらいの事なのだ。だが、あれの幼少期を考えると不憫であるから、この程度で済ませてやるのだ。しばらく様子見ぞ。弓維には、出産の後に申す。事は当人同士の事だけではない、宮同士の事ぞ。主も弁えよ。」
言われて、維月は下を向いた。確かに高瑞はやり過ぎた。だが、心にトラウマを抱えたままで、それを克服し切っていなかったのだとしたら、また同じ苦しみを感じるのが怖くて、その恐怖から弓維を離せなかったというのなら、いくらか気持ちが理解できるからだ。
それでも、あれを神世に公表していない以上、維心もこれ以上甘い顔も出来ないのだろう。
「はい…維心様。」
なので、維月はそう答えた。
どうなるのか、維月には全く分からなかった。
高瑞の宮では、治癒の間で治療を受けている高瑞に代わり、高湊が臣下達と共にその書状を受け取った。
内容は、あの騒動の後の割には軽いもので、弓維を里へ未来永劫引き取るということと、維明に対する対応の沙汰としては、腕を落とした事で手打ちとするというものだった。
とりあえずはホッとした臣下達と高湊であったが、龍王にしては沙汰が甘い。
これからの事を考えても、高瑞をこれから先も王としておいて大丈夫だろうかという懸念は残った。
高瑞の腕は、綺麗に切断されていて繋ぐのは全く問題なかった。
だが、その機能を回復させるためには、ここの治癒の神達には荷が重かった。本当なら龍の宮に願い出て、王族なのだから治してもらうことも可能だったのだが、今回はとても頼めるものではない。
なので、高瑞の腕はもう、絶望的で、二度と動かす事は出来ないだろうと思われた。
王は一族で最も強く、完璧でなければならない神世の理に照らし合わせると、高瑞は最早王としての資格はなかった。
つまりは、龍王は高瑞の退位で手打ちにするということを、暗に知らせて来ているのではないかと思われたのだ。
高瑞には皇子は居ないが、弟の高湊が居るのでそれで良いと思ったのではないか。
高湊は、眉を寄せた。
「…王座など、まだまだ先の話であるかと思うておったのに。兄上は愚かな王ではなかった。なぜにこのような事に。龍王からしたら寛大な措置であるが…その裏に退位を促す思惑があるとすれば残酷な事よ。兄上はまだ三百にも届かぬお歳ぞ。」
高湊がそういうと、喜久が進み出て、神妙な顔で言った。
「恐れながら高湊様、恐らく、龍王様はご存知なのでございます。」高湊が怪訝な顔をする。喜久は、他の臣下達と顔を見合わせてから、頷き合って、そして続けた。「お話せねばなりませぬ。高湊様の、ご誕生の事でございます。」
高湊は、眉を上げた。我の誕生?
「侍女の一人に父上が生ませたのではないのか。」
だから母も居らず、父にも兄にも疎まれて育ったのだろう。思いも掛けず出来ていた子で、面倒に思われていたのだと幼い頃から思っていた。
だが、喜久は首を振った。
「いえ…高湊様、高湊様のお父上は、高晶様ではございませぬ。高瑞様なのでございます。」
高湊は、俄には何を言われたのか分からなかった。あの兄とは、歳はたったの30しか変わらない。30というと、神世では体もまだ幼くほんの子供だ。そんなはずはないのだ。
「…何を言うておる。兄上とは我は30しか違わぬのに。そんな子供が、子供など作れるはずはあるまい。」
その方法すら知らないはずだった。神世では、特に王族は、成人するまでそんなことは全く教えない。成人してすぐに閨の巻物を渡されて、それで初めて知るのだ。高湊自身もそうだったので、200を越えるまでそんなことが世の中にあることすら知らなかった。
だが、喜久は目に涙を浮かべて首を振った。
「書の指南役の女が、美しいお顔の高瑞様を襲い、高瑞様は何をされておるのか知らぬ間に事を成してしもうたのでございます。高司様も高晶様も激怒され、しかしその一度で子が宿っておるのを知り、子に罪はないと産むのを待って、その女は処刑され申しました。その時のお子が高湊様、あなた様なのでございます。高晶様は事の発覚を恐れ、ご自分のお子として公表されました。我ら臣下も、決して他へ漏らしてはおりませぬが、他ならぬ高瑞様自身が弓維様を戴く時に龍王様に告白されたと聞いております。ですから此度の事は、恐らくそれをご考慮くださって沙汰をくだされたのではないかと…。」
高湊は、愕然とした。
だから、父も兄も我を疎んじていたのか。
高湊は、自分の出自を知り、目が開かれるようだった。父が死した後も、兄は自分を苦々しい目で見ることが多く、意見をしても煩そうにする上、顔も見ようとしなかった。
自分の存在が、その忌まわしい過去を思い出させてつらかったのだろう。
だとしたら、全てが理解出来たのだ。ただの侍女の子だと蔑んでいたわけではなかったのだ。
「…ならば尚更に王座になど就けぬ。」高湊は、やっと言った。「我は罪人の子ではないか。兄上にも…いや、父上にも、恐らくは長くお苦しみだったはず。ここ最近は弓維殿と幸福そうにしていらした。これまではいつも険しい顔であられたのに。だからこそ、我のような存在にも耐えられたのではないか。そしてだからこそ、父上は弓維殿を側から離せなかった。これは、我の責ぞ。」
喜久も、他の臣下達もそれには盛大に首を振った。
「そのような。高湊様には何の責もございませぬ!それは高司様も、高晶様もそう言っておられたのです。高湊様の存在を否と思われていたのなら、腹に居た時に母共々滅してしまっておられたでしょう。大変に激昂されておったにも関わらず、誕生をお待ちになったのですから高湊様は罪人の子などと思われずで良いのです。」
それでも、高湊は首を振った。
「我の存在が、父である王を狂わせるのならば、我はそれだけで罪なのだ。知らなんだ…まさか生まれながらにそのような罪を背負っておったとは…。」
高湊は、スッと踵を返すと、その場を出て行った。
「高湊様…。」
臣下達はどう言葉を掛けたら良いのか分からず、しかし一生隠しておくわけにも行かないことだったので、高湊がそれを乗り越えてくれるのを、待つしかなかった。