覇権
「話すことなどない。」サイラスは、ヴェネジクトを睨み付けて言った。「主らドラゴンは我らをそのように下に見ておるということだろう。我は別にドラゴンなどどうでも良い。我がドラゴンと共に戦ったのは、一重にヴァルラムが王であったからぞ。主のような王が統べるドラゴンなどどうでも良いわ。」
ヴェネジクトは、首を振った。
「主がレオニートを庇うようなことを申すからぞ。我らは対等よ。なぜに父親のように主にあのように咎められねばならぬのだ。しかも、あのように他の王の居並ぶ公の場で。我は誰の下であってもならぬのだ。だからあのように申した。我は間違っておらぬ。」
サイラスは、ふんと鼻を鳴らして踵を返した。
「そう思うなら良いではないか。我は主が間違っておると思うから咎めた。対等であるなら素直に話を聞けるはずであろうが。我が下だと思うから腹が立ったのだろう。話す必要などない。」
しかし、ヴェネジクトはサイラスの腕を掴んでそれを留めた。
「待たぬか。」
サイラスは、それを乱暴に振り払った。
「触れるでないわ!ヴァルラムにそっくりの気をしおってからに、主はヴァルラムではないわ!」
ヴェネジクトは、それを冷静に見返した。
「我はヴァルラムではない。」ヴェネジクトは、言った。「だが、ドラゴンの王ぞ。ドラゴンを僅かでも貶めることがあってはならぬと思うておる。ドラゴンとコンドルの関係性は主も知っておるであろう。コンドルに肩入れしておる主に、我が少しでも頭を下げられると思うてか。我が主を下に見ておると申したが、主の方が我を下に見ておるのではないのか。そうでなければ、あのような場で叱りつけるような無礼な事はせぬだろうが。」
サイラスは、渋い顔をした。自分は、まだ友でもなんでもないヴェネジクトに、まるで己の息子を叱るような口調で教え諭すように咎めた。穏やかで回りと諍いなど考えられないレオニートが、黙って嫌味にも耐える性質だと知っていたので、親のような心地でヴェネジクトを咎めたのは確かだからだ。
ヴェネジクトは、自分達は対等なのに、その対等な王のサイラスに親のように咎められる謂れはないと言っているのだ。
それこそ、下に見ていると言われたら、その通りだった。
「…別にコンドルに肩入れしておるのではないわ。」サイラスは、段々と冷静になって来て、そう言った。「ヴァルラムとも、助けられたとて別にそれから無視しておっても良かった。我らは夜に行動する習慣があるし、特に他の神と交流などせずとも静かに生きて行ける。むしろベンガルとも対峙さえしなければあんなことになる事も無かったし、それからの事を考えても、我らは誰とも接しぬ方が良かった。それでも、我がドラゴンと共に戦う事を選んだのは、ヴァルラムが戦の無い世を作りたい、と申したからぞ。我もその考えに賛同し、皆が心安く過ごせるのならと、あれに手を貸すことにした。確かに我は、王であるのに一族を己で助ける事は出来なかったが、その後世を平定することに手を貸したことで、ドラゴンに借りは返したと思うておる。ヴァルラムは、その言葉の通り戦の無い世を保ち、長く王座に君臨し、皆に平穏をもたらした。だからといって、我はそのドラゴンの恩恵にあずかろうとしてはおらぬ。平定した後は引き籠り、後は任せて己らだけで過ごした。ヴァルラムだけと、友として交流しておったのだ。」
ヴェネジクトは、それをじっと聞いている。サイラスは、じっとそのヴェネジクトの目を見て続けた。
「我が友であったなら、いくら我を黙らそうと思うても、あんな言い方はせなんだ。我はいつの時も変わらぬ。戦の無い世を保ちたいし、その考えと同じ考えで同じ行動をする王と行動を共にする。ドラゴンとコンドルの事に関しては、主の言うように我も承知しておる。コンドルに肩入れしておるように見えるのは、主自身がコンドルに対して良くない考えがあるからではないのか。あの穏やかなレオニートに対して、以前から嫌がらせのような事を言うておったのは知っておる。ヴィランのせいで地に堕ちたドラゴンの覇権を、主は取り戻したいのだろう。その障害になるコンドルの王が、主は厭わしくてならぬのだろう。そのためになら、再び戦となっても構わぬと思うておるのではないか?」
ヴェネジクトは、眉を寄せてサイラスを睨んだ。
「…どうせいつかは、我らの間にはそういった争いが起こるだろう。それを避けるのが難しい。我はレオニートに、ヴァルラムがやったような大陸の統治など無理だと思うておる。主が言う安定した平和な世を再び取り戻すためには、我らドラゴンが以前のように治めた方が良いではないか。」
サイラスは、じっとそのヴェネジクトの瞳を見つめていたが、フッと悲し気な目をすると、言った。
「…そうか。」そして、またヴェネジクトに背を向けた。「主はヴァルラムではない。そうよの。今のでよう分かった。話せて良かったものよ。」
サイラスは、そう言うと最早憤った様子もなく、そのまま歩き出す。
ヴェネジクトは、対照的に険しい顔つきになってその背に言った。
「何が分かったのだ!」
サイラスは、足を止めると、言った。
「主が己の覇権しか頭に無い事がぞ。」
そう言って、今度こそそこを立ち去った。
ヴェネジクトは、その背をただ黙って、無表情で見送っていた。
「…まずいの。」
維心は、じっと虚空を見つめたまま固まっていたが、額に手を置いてそう言った。
維心が何をしているのか知っていた回りの者達は、邪魔をしてはとただ黙ってお通夜のような状態で酒をチビチビと飲んでいたのだが、顔を上げた。
炎嘉が、待ちきれぬように横から言った。
「どうよ、何を話しておった。まさか全面戦争だとか言うまいの。」
維心は、息をついて首を振った。
「それは無い。だが、せっかくに繋がっておったヴァンパイアとドラゴンの仲は、これで壊滅的であろうな。」と、皆を見る。「ヴェネジクトはまだ若い。あれがもし、ヴァルラムの生まれ変わりであったとしても、間違いなく記憶は持って来ておらぬ。今生はまた違った育ち方をして、違った環境で居ったゆえ、中身が同じでも考え方が変わっておるようであるな…戦を無くそうと戦ったヴァルラムとは、まるで別人。サイラスもそれを悟って、もう己の考えとは違う神だとあれの前を去った。恐らくもう、サイラスは二度とドラゴンにはつかぬな。」
蒼が、レオニートを案じるながら維心に言った。
「それは、ヴェネジクト殿は戦を起こそうとしているということですか。」
維心は、蒼を見て答えた。
「戦をと申すより、ドラゴンの覇権を取り戻すためには、それすら辞さぬという考えよ。サイラスが望むのは世の安定した平和であるが、それを成すためにはヴァルラムと同じくドラゴンが治めるのが良いのだとヴェネジクトは申しておった。レオニートには無理だとの。」
レオニートは、全く酒が減っていない杯を手に、下を向いた。
「それは…確かに我は、そのような大それたことは出来ぬ器。ただ平穏に穏やかに世が回るなら、ドラゴンが治めてくれても良いとは思うが…。」
それには炎嘉が首を振った。
「違う、そういう事ではないのだ。今現在、大陸では戦などどこにも起こっておらぬだろうが。昔はあちこちで覇権を巡って戦が起こり、ヴァルラムのような力の強い神がそれらを蹴散らして抑える事で、世を安定させるしかなかった。なので、ヴァルラムはそうした。だが、時代が違うのだ。別にドラゴンが力を失くしたからと、誰があの城を落とそうとしたのだ。主のコンドルの城とて、あの折簡単にドラゴンを攻め滅ぼすことが出来たのに、それをせなんだであろう。どこの城も、特に自分が覇権を握ろうなどと考えてはおらず、ヴァルラムが作り上げた平和を保とうと皆、話し合いで事を進めて回っておる。こうして会合をして集っておるのだとて、その一環よ。なのに…ヴェネジクトはまだ、ドラゴンが治めようと考えておる。わざわざ平穏に収まっている世に、戦をしてでもとの。そんなものは、ただの支配欲でしかない。平和を乱してでも己の種族を一番に、というな。主はドラゴンが治めてくれても良いとか申すが、今の力関係でそれは無理ぞ。コンドルが力を失くしてしまわねば、ドラゴンの支配などあり得ない。」
蒼が、珍しく難しい顔をしてむっつりと黙った。匡儀が、目を細めて黙ってそれを聞いていたが、言った。
「時代遅れの考え方との。確かにな。戦など、今の北の状況で起こしては双方無傷では済まされまいに。とはいえ、主らの話を聞いておったら、今すぐというわけではないのだろう?でなければ、ヴェネジクトとてこんな席へ覇権を争うコンドルと共に座ったりはせなんだであろうしの。」
炎嘉が頷いた。
「今は機が悪いのだ。レオニートの姉が蒼に嫁いだばかりで子も生まれておるし、我ら鳥族と鷲、鷹が同族のコンドルの事は世話をしておるしな。いくらヴェネジクトが焦ってコンドルを滅ぼそうとしても、我らと月が繋がっておってそれが出来ぬ。返り討ちに合うからな。だから今は、おとなしくしておるのだ。先ほども、維心と結界内を窺って、ヴェネジクトはまるで臈長けた王のような戦術を取るなと話しておったところであるが…どうも、そうでもないらしい。」
維心が、頷いて答えた。
「我もそのように。せっかくに回りの城の世話もして繋がりを作っておる最中、今は事を起こしとうないからこそそのように過ごしておるだろうに、皆の前で醜態を晒した事になるしの。」
焔が、それに同意した。
「もしも我なら嫌味を言うどころか散々に褒めちぎってやるところぞ。相手が居心地が悪うなるほどにの。」
維心は焔に頷いた。
「そうでなければ意味がないからの。まだ若いゆえ、胸の内のイライラをつい、レオニートにぶつけてしもうたのやもしれぬな。レオニートは、どことのう蒼に似ておるのだ…あまりに善良過ぎて、こちらが何とかしてやらねばという気持ちにさせられる。なので回りに庇われて、それはレオニートのせいではないのだが、ヴェネジクトとしてはイライラするのだろうの。だからといって、嫌味を申して良いという事ではない。特にこのような公の場でな。」
蒼が、あまりに雰囲気がドラゴンが悪いとなりそうだったので、口を挟んだ。
「でも、自分の種族を大事に思うのは仕方がないことだと思います。滅ぼされたりしたらと考えたら怖いですし、だからこそその懸念の元凶であるコンドルのレオニートにつらく当たるのかなって思ったり。」
維心は、そんな蒼に苦笑した。
「もちろん、己の種族を大切にするのが悪いのではないのだ。これが誠攻め滅ぼされるような状況であったなら、もちろん戦をしてでも己の種族を守り切るべきぞ。だがの、レオニートの性質をみよ。これの父のレヴォーヴィナもそうであったように、頭を下げてでも戦は避ける種族ぞ。ドラゴンは危機でもなんでもないのだ。それこそ話し合いで何とかなろうものを。あれがそれを避けて、そして独り何かと戦おうとしておるのだ。それがおかしいと言う事ぞ。」
炎嘉が、ため息をついた。
「困ったことよ…あれがヴァルラムならと少しは期待したのだが、しかし別もの。確かに昔、戦に疲れた頃にドラゴンはコンドルと話したのだろうが、話してどうにかなったゆえそれでとりあえず良いと思うたのではないか。こうして次の王も戦う意思などないと知れば、あれなら無駄に戦を起こしたりせなんだであろうに。状況は変わるとはいえ…まだレオニートはこれ程に若いし、ヴェネジクトもぞ。次の世の心配などせずとも良いのにの。」
維心は置いていた杯を手にした。
「仕方のないことよ。まだ若い。賢しいほど先々が見えて案じることも多くなる。しかし賢しいというのなら、一族の未来だけでなく世の未来も視野に入れねばならぬな。己で悟って欲しいもの…我らが手を下すことなどないと祈ろうぞ。」
戦の懸念は去らない。
大会合の後の宴のはずが、まるで葬儀のような雰囲気になって、その夜は過ぎて行った。