とある一夜の晩御飯
「あー…、ダル。」
勤務先から徒歩で30分。自転車であれば、半分は短縮できる。因みに、交通の便はいい立地なので、電車もバスもあるにはある。だがしかし。
「疲れたけど…まぁ、いい買い物できた、かな。」
朝は利便性を利用するが、帰宅時はあえて徒歩を選ぶ。その理由は言わずもがなで、日中できない買い物を、途中にあるスーパーなどで済ませる為。…そこに、ストレス発散が加わることは、まぁ珍しくもない話でもある。
結婚して三年。比較的、あっという間に過ぎた時間だった。特別な何かがあるわけでもなく、お互いを尊重しあえる関係のまま流れる生活。
ただ、友人と呼べる人間がいないこの土地では、どうしても発散する方法は限られる。
この場合、世間的にはどうかはわからないが、ひとまず毎日の流れで適度解消できるのは有りがたいことなのかもしれない。
「さて、と。今夜は肉がいいんだっけか。」
昼間のやりとりで出た希望を元に、残り食材との相性を考えた買い物を済ませる。その作業がまず、自分にとっては大事なことだった。
料理とは集中すべきもの。それは、買い物をする段階からも含まれる気がする。
イコール、職場や生活でのあれこれを忘れてしまえる、ほんの束の間の息抜きであるのは確かだ。
どさりと音を立てて下ろしたリュックには、職場で必要なものが入っていた。それを押し潰すように入れられた食材達。一部は自分の欲求に従ってのものもあるので、それをひとつ取り出そうとして。
つい、手を止める。
「あぁ、米、やらないと。」
音をたてる前に必要な作業。それは、米を炊くこと。
今夜の献立は、まず米が必要だ。否、基本的に米ありきが当たり前なのだ。互いの翌日の弁当にも、勿論それは影響する。だからこそ、どれ程疲れていようとも、まずは米を炊く<準備>をする。それが第一。
「今日も3合でいいかな。」
呟きながら専用ボウルに米をはかり、洗う。このボウル、ふとしたときに買ってみたのだか、思いの外使い心地がいいと、思い出したようにざらざらと手を動かす。
内側にある突起で擦れあうのもそうだが、何より、水切りしやすいのがいい。米が流れる心配もなく、作業できるのは本当に有り難い。
そんなことを考えながら洗いつつ、捨てるべき濁り水は今日使ったマグカップや、職場で使用したポットに注ぐ。無駄にしなくてすむのならそれに越したことはない。因みに、とぎ汁は汚れ落としの効果もあるので、ポットを浸け置きするには丁度いい。
閑話休題。
適度に研いだ後、ボウルの水分を捨てる。そしてそのまま暫く放置。そこまでした後、ようやく帰宅後の一服の時間がとれる。
「ん~、今日も、疲れたねっ、と。」
リュックから取り出した缶を片手に、着替えなどもすることもなく、着の身着のままベランダへと足を出す。
室内禁煙は結婚する前からのルールだ。無論、互いが了承して、尚且つ、納得してのこと。とはいえご近所への影響も気にはなるが、生憎このマンションは他住人との交流は殆どない。寧ろ、ベランダ以外で平然と吸っている人間もいるくらいなので、敷地といえるベランダだけでしか吸わないのは、まだ許されるだろうかと。少しばかり甘えているのは確かだ。
プシュッと音をたてて吹き出た泡を、慌てて吸い込む。そして、改めてプルタブを倒して口を開け、そこまでしてから煙草に火を着ける。
夕暮れ過ぎて少し薄暗くなるひととき。たった一人でベランダで、安物の発泡酒を片手に煙草を楽しむ時間。帰ってきたな、疲れたな、と。一日の自分を労うのには丁度いい。
くぴりくぴりと音を立てつつ、スマホをいじりながらの一本。ニュースを見るならばあれこれ呟き、ゲームをすれば小さく唸ったり。時々で漏れる声は違うものの、聞こえない程度に楽しむのは許される範囲だろう。
一本限りの時間が終われば、後はもうひとつのお楽しみ、そして解消タイムとなる。
帰宅時から考えていた材料と、冷蔵庫の扉を開けながら向き合い、さて、と気合いを入れるのだ。
「今が7時前だからー…。」
ちらりと時計を確認しつつ、最低限の下拵え。
冷凍していた砂肝は取りだし、ひとまず常温放置。玉子も冷たすぎてはな、と、二つとりだし、砂肝の隣に置く。
他にはと、豆腐を出して、パックの一辺に切り込みを入れる。ネットで見てから常用している放置水切りの手順を済ませて、他の材料へと取り掛かる。
長ネギは斜めの薄切りと、輪切りの二種を作る。青い部分は冷凍して、今後の煮物の予備へと回す。その後で玉ねぎを薄切りにして、皿に広げてラップをかけて冷蔵庫へ。水にさらすより成分が流れず、他称でも辛味がとれると知ってからは主にこの方法ばかりだな、と。ネットに浸った己に苦笑をこぼすのは、致し方ないのかもしれない。
そこまでしてから乾いている食器を片付けながら、机に必要な物を並べる。箸置きはスプーン置きもついているものだ。一時期、必死に探したなと、何故か思い出して口許がほころぶ。
今日はどうもあれこれ考えてしまうらしい。疲れているんだろうな。ひとりごちながら、片付けと準備をあらかた済ませる。
畳の部屋に、布団のないこたつ。日本人らしい光景だが、向こうは椅子のある、高いテーブルでの食事がいいのだろうか。そんなことを話したことはないが、引っ越す前には相談してみるか。まだまだ先のことを考えた後、時間に余裕があることにふと気づいた。
向こうの帰宅は9時前後。今はまだ8時前だ。僅かの迷いの後に、残っていた缶を飲み干し、二本目に手をかける。無論、その前に放置していた米を炊飯器に移し、早炊きのスイッチを押すのは忘れない。
向かい合う座椅子の片方に座って二本目を飲みながらのんびりと過ごす。こういった時間を作るのは贅沢なのだろう。だが、人それぞれじゃあないかと、SNSの情報を拾いながら思う。
キリキリ働いて金を稼ぐこと。多少の時間の猶予を持ちつつ、ギリギリに近い生活をすること。どちらがいいのかは個人の裁量だろう。ましてや独身と既婚とで嫌でも違うものはある。ただ、我が家は既婚組の中でも幾らか特殊なのかもしれないが。
そうこうしているうちに米の炊ける匂いがしてきた。豆腐もいい頃合いだろう。
立ち上がり、水場の前へ。豆腐を適度に切り分け、水を張った鍋に顆粒だしをいれて沸騰させてから投入。後に一度火を切ったところに味噌を足して放置。最後に輪切りのネギを足すだけにしておく。正しいとは言わないかもだが、手っ取り早い我が家の味噌汁だ。
適度に解凍された砂肝を今度は手に取り、食べやすいように切り分ける。だが、銀皮はあえて捨てることはしない。その固さも含めての食べ物だという認識を、無理矢理押し付けてしまっている。年がいってから、硬いものが食べにくくなれば除くもいいだろう。そんなスタンスだ。軽く塩コショウをして置いておけば、後の仕事は連絡が来てからだ。
<~~~♪>
40分を過ぎた頃に連絡が入る。頃いい時間に帰宅するとわかれば、後は自分の独壇場だ。
炊飯器が炊ける。それと共にフライパンに油と砂肝を入れて弱火にかける。じわじわと音が立ってからも少し置いてから返し、その間に冷蔵庫からトマトを出す。適度な厚さにカットしたら冷やしておいた玉ねぎに乗せて、塩コショウとオリーブオイルをかけて再び冷蔵庫へ。
そうこうするうちに焼けてきた砂肝へと、常備しておいたにんにく芽醤油から、ニンニクの芽だけを取り出す。にんにくを使うよりは強すぎず、やんわりと香りと味がつくので、我が家ではよく作っている。尚、醤油:酢:砂糖が2:2:1が基本。時々で変わるけれども。
そうこうしているうちに最寄りについたと連絡が来れば、そこからが仕上げだ。切り分けたネギを入れ、醤油を入れて炒める。隙間で炊飯器の米を混ぜて、食器を用意して、必要な漬物なども机に置く。
階段を上がる音を聞きながら、今日も喜んでくれるだろうかと、ひそかにドキドキする。
そして。
「ただーいま!」
「おかえり。」
まずはその一言。その後での流れに合わせて支度をしながら。
三本目の缶に、ひっそりと手を伸ばすのだ。
※今夜の献立
砂肝とニンニクの芽とネギの醤油炒め
豆腐とネギの味噌汁
トマトとオニオンスライスサラダ
漬物




