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食用悪魔

作者: エモトトモエ

「まず確認しておきますが、」

 彼は名刺を差し出すと、私が手を出すのと同時に喋りだしたのだった。

「お客様のご注文は『食用悪魔』でよろしかったでしょうか」

「そうです」

 私は答え、名刺を受け取った。

 名刺の中央付近にやたら細くてくねった字で名前らしきものが書かれている。それにしても細い字だ、それに直線のはずの部分も微妙にカーブを描いている。一本に見えて、よく見るとさらに細い線が何本も重ねられている。艶のある黒い長い…まるで人の髪の毛のよう。そう思ったら急に眩暈がした。顔を上げる。

 私は目の前の男から『食用悪魔』を買うために会っている。

「これと類似した商品で『食用鬼』というものもございます」

 私の目の前で淀みなく喋る男、彼から買うのだ。

「念のために説明させていただきますと、両商品の一番大きな違いは、『鬼』と『悪魔』に人が想像するものの相違でございます」

 彼とは初対面だ。その黒か茶かグレーか判然としない髪色。肉付きというものの欠けた顔は口ばかりが大きく目立つ。西洋人形のような濃い睫毛。細い肩を分厚いウールの上着で包み、ネクタイは派手な緑色のペイズリー柄だ。芋虫を這わせているように見えてしまう。

どうして彼から『食用悪魔』なるものを買うことになったのか、今私は思い出せないでいる。しかし買わねばならない…そう思う。

「鬼という存在は、勿論人に害をなす邪悪なものといわれておりますが一方では『鬼神』などという言葉もありますように、崇め奉られるものでもあります。これは人々が、大きな力を持つ存在を畏怖すると同時にその力を鎮めようとするもの。奉りあげるとは体のいい言葉ですが、要は特定の地に閉じ込めて、いい子だから暴れないでねー…って拝んでいる訳です。人は賢いですが節操がありませんね。ああ、ちょうど」

彼の指もまた細い。その人差し指は、斜向かいの席に向く。

ああ、ここは近所のファミリーレストランだったのか。いま気付いた。

斜向かいの客は親子連れだ。通路側に幼児用の椅子を置いている。今その子供の元にプリンが置かれた。

「泣かないでね」

彼は斜向かいを見ながら…というよりあの子供を見ながら言った。ただ話し方は今までと同じ、抑揚のない説明口調で。「騒がないでね。いい子にしててね、そのプリンあげるから。…プリンはさしずめお供え物」

「それは言い過ぎです」

 私は思わず声を上げた。

「失礼」

 彼はすぐに言った。

 それで気が付いたことがあった。

「そういえば、人を襲って食していた鬼が改心して神仏に変わるなんていう説話もございます。民話の世界にもよく登場しますよね」

「桃太郎、とかですか」

「ええ。お好きですか? 桃太郎のお話」

「好き…というか、有名ですよね」

「…あなたの好きな、鬼の出て来るお話は?」

「え…。そうですね…『泣いた赤鬼』とか…」

「ああ、そっち系ですか」

 この男は『i』の発音にやたら力を込めるようだ。口を思い切り横に伸ばす。不自然なくらいに伸ばす。すると犬歯が見える。

「そっち系がお好きとなりますと…『食用鬼』は服用が難しいかもしれません」

「ですから私は」

「『食用悪魔』をお求めですね、ええ、わかっております。ただ、今私が申し上げているのは、そう、我々からの商品説明のようなものでありまして。煩わしいかとは思いますが、そういうプロセスが必要なのだと思って、今しばらく、お付き合いください」

「はあ…」

「失礼ですが、お客様は、お仕事上の問題で我々の商品をお求めになられたのでしょうか」

「そうです」

「ならばむしろ『鬼』の方がふさわしいのではありませんか? よく『仕事の鬼』なんて言い方しますでしょう? そちらを目指すのであるならばー…文字通り『鬼』の方がよろしいかと思いますよ。ただ『泣いた赤鬼』方面を思い出さないように…」

「私が望んでいるのはそんなものではありません!」

 私は大声を上げた。自分でも内心驚いていた。「私が欲しいのは鬼ではなく、悪魔なんです。誰のことでも踏み倒して進むことができる非情さなんですよ。それがないから私はこれまでの人生で損ばかり」

「まあまあ、落ち着いてください」

 彼の『i』は腹立たしい。わざとらしい口の動き。

「もちろん、もちろん手に入りますとも。でも今しばらくは私の話を聞いてください。でなければ先に進めません。これからが重要な話です」

 男は勿体ぶるように息をつく。

「悪魔は鬼とは似て非なるものです。なぜなら悪魔は、完全なる負の存在だからです。鬼が改心することがあっても、悪魔はしません。なぜなら悪魔というものが残虐性や背徳性から出来たといえる存在だからです。改心などしたら存在意義がなくなってしまいます。正の存在に敗北するときは消滅するか、逃げるかなのです。あなたも、悪魔を食すればそうなります。つまり、あなたが今持っている良心あるいは情といったものはなくなり、二度と戻りません。その点はご了承ください」

 もちろん、そんなものは捨てる覚悟をしている。私は力強く頷いた。

「では」

 男は自分の横に置いた鞄から何かを取り出した。そして私の目の前に置く。

 ガラス瓶の中で何かが動いている。

 大きさは4~5センチだろうか。形は人に似ているが体が細くて頭は大きめで、耳の上には角が生えている。肌は濃い青色、目は赤い。瓶の底にしゃがみ込んで、辺りをきょろきょろと見回していた。

「これが悪魔、ですか」

 思わず訊ねていた。

「はい。これが『食用悪魔』です。どうぞこのままお召し上がりください」

「どうぞ、と言われても…」

「つまみ上げて口に入れるだけですよ」

男は簡単にそう言うと、タブレット端末を出すと操作し、私に見えるように置いた。

「あなたのように、悪魔になるんだと言葉だけは威勢のよい方々のために用意しております。実際に食べている動画です、これと同じ事をすればいいのです。口ばかりで行動が伴わないあなたのような方々にも抵抗が少ないようにご用意いたしました。なんせこの真似をするだけ、何も考えなくていいし余計な感情も湧きにくい。楽なものじゃないですか? 人の後ろに続いて行ける、僅かな気概くらいはお持ちでしょうから?」

男が再生マークをタップする。

知らない誰かとその手前の瓶。

瓶を開け、手を突っ込んで悪魔の頭をつまんで出す。口を大きく開け、躊躇なく悪魔を入れ、噛んだ。ゴリッという重い音がした。咀嚼は続く。ゴリッとかバリッとかいう音の中微かに悲鳴や泣き声が聞こえた…。やがて嚥下。そして動画が終わる。

「さ、あなたも」

促され、私も瓶を手に取った。

悪魔と目が合わないようにしてつまんで、一息に口内へ放り込んだ。悪魔が足をばたつかせた。驚いて口を少し開いてしまい、片足が飛び出た。私は夢中でそれを押し込むと慌てて噛んだ。プチッと皮がはじける感覚がして、生暖かい液体が出てくる。更に噛む力を入れると固い感触と同時に悪魔の足が砕ける音がした。噛めないほど固くはなかった。悪魔は私の口の中で暴れ続けたが何度も噛むうちに弱くなっていった。ただ悲鳴は先刻の動画よりも大きく聞こえ、私の体中に響き渡る感じがした。悲鳴が泣き声に変わった。悲しみ、あるいは嘆きのすすり泣きだった。

「飲み込めるようになればオーケーです」

男の声がいやに落ち着いて聞こえた。

私が全て飲み込んで息を吐くと、男は拍手した。彼の拍手は乾いた音で、止んだ後の静けさがいっそう際立った。それから彼は私に一杯の水を差し出した。

「よい食べっぷりでした」

男の薄笑いを私は直視したくなかった。

「本当ですよ。口から悪魔が逃げそうになったでしょ、あれで本当に逃げられてしまった人がいましてね。その時は大変でした。…お水、飲むと少し楽になりますよ」

勧められるまま飲む。

「では私はこれで。何かありましたら、名刺の番号にお電話か、アドレスにメールを下さい。あと卵の件もよろしくお願いしますよ」

「卵?」

何の話だ。

「あれ、言ってませんでしたっけ」

くどい程に『i』を強調する。頬を裂く勢いで唇を横に引く。たまに犬歯が覗く。そんな男が言った。

「悪魔の卵が出てきたら、捨てずにすぐ私を呼んで下さい」

「出てくる、って」

「あなたの口から出てきますよ。悪魔の体を消化しても魂は生きていて、あなたの体の中の養分を吸って卵を作ります。そのうち口から出てきますから…」

男が言い終わらないうちに私は悪寒を感じた。と思うとすぐ吐き気に襲われる。トイレに駆け込む間もなく私はその場でえずいた。

 殆どは今飲んだ水だった。が、それとともに出てきたものがある。ビー玉の位の青い球体が3つだ。

 素早く動いた手。男の手だった。慣れた様子で3つの球体を集めてジッパー付きのビニール袋に納めた。あっという間の出来事だった。

「これが悪魔の卵です」

 袋の底に収まった青い卵を得意げなふうに私に見せ、男は丁寧にバッグにしまった。「こんなに早く出来るのは珍しいことですよ。大抵は2~3日後からです。環境がいいんです、つまり悪魔の栄養になる悪意というものがですね、あなたの中に豊富にあるということなんですが…いや別に貶しているのではありません、悪魔にとって素晴らしい環境だと言いたいのです」

「卵はまた出るんでしょうか」

「普通の方なら月に1度ほどですが、あなたはもっと多そうですね。…でもご心配なく、あなたの悪意は食べられてなくなるわけではありません。むしろ刺激を受けて一層増えてゆきますよ」

 笑う口の形も『i』だった。

「おめでとうございます。お望み通りの人生を歩まれることをお祈りいたします」

 おのぞiどおiのiんせiをあゆまれることをおiのiiたします。

 彼の言葉がわからない。

 それに、急に寒気がしてきた。

「じきに慣れます」

 Iiiなれます?

「今日は帰って休まれるとiiでiょう」

男は立ち上がったようだ。が、私は体が上手く動かなくなり、自分も立つどころか視線を上げることもできない。

「食べた悪魔にiゃくにiiiやからだをのっとられなiよう、頑張ってくださi。悪魔がたiなくなったとかんiたらiつでもiってくださi」

 男は去っていったようだ。

 わたiはまiてゆく悪寒i震えながら、ふiiな高揚感がiわiわとわiあがってくるのをかんiてiた。ほんとうiiんせiが変わると確iんでiてiた。

 わたiも帰ろう。

 そう思ったが、でも、どうiても帰らなければならなiこともなiかと思i直す。満足iてiるはずの我が家や家族が、突然どうでもii存ざii思えて…

 そこで私は目を覚ました。

 夢を見ていたようだ、しかも質の悪い夢を。

 全く、悪魔を食べようなんておかしな夢だ。夢だからおかしいのか。仕事でよほどストレスを抱えているのだろうか…仕事など、上手く人に任せて自分の手柄にすればいいだけのことなのに。

 私は寝床の中で空腹を覚えた。珍しいことだ。しかし次の瞬間、突然の吐き気に襲われた。




読んでいただきありがとうございました。

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