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第1話_平和な日常

――ちょっとだけ、長い夢を見ていた気がする。

たくさんのケモ耳の女の子を前に、何かを一生懸命話していた夢だ。


「……ありえないなぁ」

多分、VRネットゲームのやり過ぎだと思う。

僕は特別にケモ耳が好きって言う訳じゃないけれど、嫌いな男子はいないと思う。

とはいえ、印象的だったのは(そこ)じゃない。

具体的な内容や、ひとり一人の顔がどんな様子だったのかは覚えていないけれど、ピリピリとした高揚感に似ている“生きている熱量”を感じたことだけははっきりと覚えている。

内容は覚えていないけれど、何だかとてもリアルな夢だった。


ぼんやりとした視界がゆっくりと晴れて、自分の部屋の見慣れた天井が目に入る。

ふと、気配を感じて視線を横に向けると――さや姉がいた。僕の真横にいた。

吐息が僕の唇に当たるくらい、物凄く近くにいた。


心臓がドクンッっと跳ねて、呼吸が止まる。思考が停止しそうになって、身体が固まる。

でも、すぐに再起動することが出来た。


「……(いつものことだけれど、まったく何しているんだか、この人は)」

さや姉を起こさないように気をつけつつも、思わず小さな悪態が口から出てしまった。

とはいえ、さや姉は、いつ見ても可愛いから困ってしまう。


僕、大国主明(おおくのぬし・あきら)17歳の隣で幸せそうな顔で眠っている、正式名称「大国主早弥(おおくのぬし・さや)」こと、従姉のさや姉は25歳の独身女性。

艶のあるゆるふわセミロングの栗色の髪に、透き通る白い肌。

今は優しく閉じられているけれど、丸くて大きな瞳はのんびりとした色を絶やさない。ぱっちりとしたまつげは綺麗だし、薄い唇は見ていると吸い込まれそうになってしまう。

実年齢は25歳なのに、化粧を落としたら高校生くらいに見えるから、さや姉は童顔の部類(カテゴリー)に入るのだと思う。


さや姉の職業は、僕が通う高校の保健室の先生。

白衣を着たその姿は、男子生徒から天然系の美人天使として絶大な人気があり、女子生徒からも優しいお姉さんとしての絶大な信用を勝ち取っている。でも、それは赤ずきんちゃん(男の娘)を狩る森の狼(ショタコン)が、若猫の皮を被っているのだと僕は知っている。

そう、さや姉は年下好きなのだ。ターゲットは僕限定だけれど。


「すぴ~っ♪」

幸せそうに鼻を鳴らしている25歳の乙女(性的な意味で)は、僕限定で防御が甘い。

いくら従姉弟とはいえ、17歳の男子高校生の部屋で、しかも同じベッドで横になるなんて――僕も健康な男の子だから欲求不満になってしまう。

そのおっきなおっぱい、無防備にさらしているけれど「もきゅ♪」ってしますよ?


……冗談だけれど。バレたら、さや姉に嬉々として弄られるのが分かっているから、絶対にやらないけれど。


幼い頃の僕は、年上のさや姉に懐いていた。

小学校4年生くらいまで「大きくなったら、さや姉と結婚する!!」と公言していたと思う。

中学生になって異性を意識し始めた時も、さや姉は僕にとって特別な人だった。……えっと、その……正直、数えきれないくらい“妄想でお世話になった”というのも公式な事実であり真実だ。(それは仕方がないことだと思う)


そして、高校に入って1年が過ぎた今日も、僕はさや姉のことが大好きだ。

僕のベッドに入りこんでくるのは“いつものこと”だけれど、正直、毎回気持ちが抑えられなくなりそうで、怖いから止めてほしいと最近は真剣に考えている。

僕は、さや姉の信頼を裏切るようなことはしたくないから。


「んんっ♪」

甘い吐息と同時に、僕に抱き付いてきたさや姉。

……あ、今はお昼寝なのに、ノーブラだ。いつも「自由が阻害されるの!」って言って、寝る時には外しているから「ぽにゅっと感」が半端無い。

――じゃない!! 寝ながら僕にキスしようとするのは止めて下さい!!

いや、ちょ、マジで、事故が起きるからっ!! 僕の理性はギリギリですからっ!! 事故が、起きるからぁ!!


「さや姉、起きて! 起きて!!」

さや姉のキスを必死に首をひねることでかわしつつ、さや姉の頭を撫でて目覚めを促す。

「ほぇ? あ~、あっくんだ~ぁ♪」

そのまま寝ぼけたフリをしてキスしようとしてくる痴女をかわしつつ、抱き付いた状態でさや姉を身体の上に誘導して――胸板の上で押しつぶされた双丘の感触を楽しみながら――ゆっくりと、でも強引に身体を起こす。


「えへへっ、あっくんは力持ちだね♪ 襲われたらお姉ちゃん、逃げられないよ?」

僕の肩に手をかけながら、腕の中でさや姉が笑う。その表情は見えないけれど、ちょっぴり嬉しそうな声色だから心臓がドキドキしてしまう。

でも、恥ずかしいから顔や言動には出さない。

腕の中にいるさや姉には、僕の心臓の音が聞こえているかもしれないけれど。

「さや姉、襲っているのはどっち? あと、僕は襲ってないから、嬉しそうに言わないでよ」

「え~」

「え~じゃありません」

まったく、こんなんじゃどっちが年上なのだか分からなくなる。正直、頭痛くなりそう。


僕の抗議の視線に、さや姉が満足げな表情を浮かべる。

「ぅふふっ♪」

「さや姉、何で笑っているの……?」

何となくどんな言葉が返ってくるのか分っていたけれど、聞いて欲しそうな顔をしていたからそれに乗ることにした。


さや姉がもう一度、満足げな表情を浮かべて僕に抱き付いて来る。

「小さかったあっくんが、たくましくなってくれて、お姉ちゃんは嬉しいんだ♪」

うん、予想通り、いつものやり取りだ。

ほんわかとした優しい笑顔で、さや姉が言葉を続ける。

「お姉ちゃんの逆・光源氏計画はちゃくちゃくと進行中なのだっ!」

「はいはい、光栄です」


「ふぇぇ~、あっくんが冷たいよぉ!!」

唇を尖らせたあひるさんが1匹出来上がったけれど、気にしない。

――というわけにもいかないか。

あまり邪険にしてこじらせると、さや姉の機嫌が悪くなる。


小さく深呼吸をしてから、言葉を選ぶ。

「……僕は、さや姉のことが大好きだから、大丈夫だよ」

「んふっふ~っ♪」

嬉しそうな表情を浮かべるさや姉は、やっぱり可愛い。

そんなさや姉が言葉を続ける。

「あっくんは、お姉ちゃんが育成中なの。あと3年で収穫するんだから、お姉ちゃんに、もっとあっくんの気持ちを教えてほしいな~」


にこにこと笑いながら、僕の背中に回した手をそわそわと動かす、さや姉。

このショタコン(年下好き)め――と思いながらも、素直な気持ちを口にする。

「さや姉のこと、大好きだよ」

「……それだけ?」

「愛している」

「ぶ~、何か表面的で嘘っぽい!!」

「……今すぐ押し倒したくなるくらいさや姉は魅力的で、さや姉の顔も匂いも胸も温かさも、その仕草の全てから、その存在の全てから、目線を離せなくなってしまうから――このままずっと見つめていたい欲求に負けそうになるくらい、さや姉のことが僕は大好きだよ」


恥ずかしいけれど正直な気持ちを直球でぶつけると、さや姉が嬉しそうに笑ってくれた。

「よろしいっ♪ お姉ちゃんは満足した!」

「僕は、欲求不満だけれどね」

思わず言葉にしてしまった軽口。

一瞬、気まずい沈黙が流れそうになったけれど、さや姉が真面目な顔で微笑んだ。


「あと3年だけ待ってね。あっくんの20歳の誕生日のプレゼントはもう決まっているから。婚姻届とお姉ちゃんの乙女をもらってもらうの」

それはいつもさや姉が言っていること。でも、あと3年も待つことができるのか、最近は少し自信が無い。

恥ずかしいから、口には出さないけれど。


「あ~、今、3年も待てないって顔をした人がいる~♪」

にっこりと笑う、さや姉の言葉に、思わず動揺してしまう。

「そ、そんなこと――」

「なら……半年待ってくれたら、良いことあるかもよ?」

ぼそりと小さく発せられた声。でも、それは確かに僕の耳にも聞こえた。

「えっ?」

「もう、そんな驚いた顔をしないの!! お姉ちゃん、これでも恥ずかしいんだからね!!」

顔を真っ赤に染めて、さや姉が小さく叫んだ。

半年後、さや姉が何をしてくれるのかは分からないけれど――何となく、何となくだけれど、僕らの関係が進展する予感が感じられた。いや、今の一言だけでも僕らの関係は大きく前進したと思う。真面目な意味で。


「だからね、あっくんには負担をかけるけれど、もう少しだけ待っていて欲しいんだ♪」

こてんと僕の肩に首を預けて来た、さや姉が可愛過ぎて押し倒しそうに――じゃない。今はまだ我慢の時だ。

さや姉も、今さっき「待っていて欲しい」って言ったじゃないか。


ゆっくりと、さや姉から身体を離す。

「ありがと。大好き」

さや姉が嬉しそうに微笑んだ。


……。分かっているけれど、うちの従姉は可愛過ぎる。ちょっとポワポワしていて危なっかしいところはあるけれど。


 ◇


今、僕とさや姉はリビングで夕食の唐揚げを食べている。

さや姉の手作り? まさか。うちの母さんの手作りだ。

「さやちゃん、今度の日曜日は空いているかな? 予定が空いていたら、どこかに買い物に行かない?」

「そうですね、あっくんは朝から午後16時まで塾の夏季講習が入っているみたいなので、あっくんの塾が終わるまで一緒にお買い物に行きたいです♪」


さや姉はうちの母さんのお気に入り。3年後にはうちに嫁に来ることが決定しているからか、今のうちから一緒に料理をしたり買い物に出かけたりと仲良くしている。

今、この場所にはいないけれど、うちの姉と妹とも仲が良い。


そう、さや姉の世間体はとても良い。悔しいくらい、とても良い。

逆・光源氏計画を着実に実行している変た――もとい年下好きのくせして、完全に“天然系ふんわり巨乳お姉さん”に擬態している。

……偽乳パッドが装備された高性能ブラを愛用しているのを僕は知っているけれど、それを外で口にしたら色々な意味で抹殺されるのは分かっているから、何も知らないふりをいつもしている。それに、そもそも高性能装備を外してもCカップあることは知っているから――と、そんなことはどうでも良い。

女性としての見栄を張るくらい、普通に可愛いと僕は思うから。


 ◇


いつものように夕食を食べ終え、家に帰るさや姉を見送る。

時計の針は午後20時15分。

「あっくん、また明日ね♪」

「うん。さや姉、気をつけて帰ってね」

「もちろんだよ!」

さや姉の乗った250ccのオレンジ色のオフロードバイクが、住宅街の角を曲ったのを確認してから家に入る。

お風呂に入って、塾の自宅課題をして、気が付くと21時30分を回っていた。


「おかしいな? いつもなら帰り着いたって電話が入るのに……」

うちからさや姉の家までバイクで30分くらいの距離だ。途中でコンビニや本屋に寄ったとしても1時間以上かかるのはちょっと遅い。

少し心配だから携帯に電話をかける。

「……おかけになった電話は、現在、電波の届かない――」

何となく、嫌な予感がした。


そして、その予感は悪い意味で当たってしまう。

2009年8月21日。さや姉は――バイクごと行方不明になった。


 ◇


あれから9年が過ぎた。

「さや姉、僕も今日で26歳だよ。さや姉を追い越しちゃったよ……」

写真の中のさや姉の笑顔は、9年前と変わらない。


あの日のことが、楽しかった日常が、昨日のことのように思い出される。


涙は枯れた。心も潰れた。言葉は出ない。

でも――僕はまだ、生きている。この灰色の世界を生きている。

※タイピングが亀モードなので、しばらくゆっくりペースで進みます。皆様も、バイク事故にはお気をつけください(Tω)

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