6、グリオラ=マリヌール・グレオザイル・ド・バブシュナー
「本当に申し訳ございませんでした」
俺とマグロは大木の下に正座をして、深々と頭を下げた。
もちろん、マグロは正座なんて出来ないし、頭を下げるなんて動作もわからないから、後頭部に手を添えてそれらしい形にしただけだったが。
「ふん!」
俺達の前に仁王立ちしたその少女は、何もわからぬ子どものしたことだと理解はしてくれたものの、怒りの収めどころがわからないようで、腕を組み、顔を背けた。
「本当に、何と詫びたらいいものか……」
一向に収まらぬ怒りに俺は尚も深く頭を下げる。あと数ミリで地面と額が接吻するところだ。
「……もう良いわよ。顔上げなさい」
その言葉を待っていた! とばかりに勢いよく顔を上げる。
眉を逆八の字に釣り上げていたその少女は、俺の勢いにいささか驚いた様子だった。
飛行帽のような耳垂れ付きの兜から、きっちりとした太めの三つ編みが2本、左右から垂れている。夕焼けのような赤毛だった。
頑強な胸当てのせいで、彼女の2つの膨らみが如何ほどであるのかはさっぱりわからない。しかもインナーに薄手のタイツのような物を着ているようで、色気も何も無いのだった。
つまんねぇ。
ゲームの世界だったら、もっと露出あんのになぁ。
しかし、これだけしっかりと防御しているということは、ここがそうせざるを得ない場所だということにならないだろうか。
それに彼女は武器だって所持していたのだ。――まぁ、残念なことにマグロには、歯が立たなかったわけだが。
「えーっと、すみません、こんな状況で聞くのはアレなんですけども……」
「何よ」
「あの、レドへ行きたいんですが、どっちに行けば……」
「はぁ? アンタ達、あのクッソみたいな国に行く気なのぉっ?」
眉間に深い深いしわを刻みながら、彼女は声を荒らげた。
「クソみたいな……国……?」
「そうよ。あたしはね、あの国から逃げ出して来たの。悪いことは言わないわ。止めなさいよ」
「止めなさいって言われてもなぁ。そういう使命だし……」
なぁ、と言ってマグロを見る。彼女に怒られすっかりしょげていたマグロは、力なく頷いた。
「使命? そんなもの無視よ、無視」
「無視……してもいいもんなんですか?」
「あたしに言わせりゃね、あのキスとかいう主人もろくでもないわよ。どこが良いわけ? あんなの顔と胸だけじゃない!」
顔と胸がそろってりゃ十分だろ。
うっかりそう返してしまいそうになり、思わず口をつぐんだ。
ははぁ、さてはこいつ、貧乳だな。顔は悪くないのに残念だ。いや、貧乳はステータス、という輩も一定数いるはずだからそんなに巨乳を目の敵にしなくたっていいじゃないか。
「でも、使命を放棄したら、俺、いよいよどうしていいかわからなくなっちゃうし」
「だっらしないわねぇ」
「もし出来れば、案内してくれませんか」
「はぁ?」
「いや、ほんと、手前まででいいんです。逃げて来たってことは、追われてるんですよね?」
「別に……追われてなんか……ないけど……」
「着いたら必ずお礼はしますから!」
例えクソみたいな国だとしても、王族は裕福な暮らしをしているはずだ。この子に礼くらいは出来るだろう。
「仕方ないわねぇ……」
渋々といった体で彼女は了承してくれた。俺は右手を差し出す。
「何よ」
「よろしくお願いします、の握手。俺はキド・ヨシハル。16歳です」
「短いナームねぇ。あたしはグリオラ=マリヌール・グレオザイル・ド・バブシュナー。……17歳よ」
なっげぇなぁ、おい! だったら『セガール・アーノルド・リー・スタローン』でも良かったじゃねぇか!
「えーっと、グリオラマリー……シュナーちゃん」
一回で覚えきれるわけがない。
「グリオールでいいわ。ちゃん付けもかしこまった物言いも不要よ。それで? アンタのことはキドでいいのかしら」
「キドでもヨシハルでも好きな方で」
「じゃあ、キド、さっさと行きましょ。行っとくけど、手前までよ」
「わかってる。ありがと……うぇっ」
歩き始めたグリオールの後につこうとしたところで、ぐい、と背中を引っ張られた。上着の裾が引っかかったのだろうかと振り向いてみると、膨れっ面のマグロが裾を噛んだまま上目遣いでこちらを睨んでいる。
「しまった……。ごめんごめん。待って、グリオール」
「今度は何よ」
「こいつの紹介を忘れてたよ。――ほら。マグロ」
ごつごつした背中を撫でて落ち着かせてから尻の辺りを両手で持ち、彼女の前に差し出す。
「自己紹介、してみろ。な?」
不安そうにグリオールと俺を交互に見つめるマグロにそう声をかけると、少しだけ肩を震わせてから小さく頷いた。まだ怖いのだろう。
「マグロです。0歳です。さっきはごめんなさい」
それだけ言うと、マグロは俺の手を離れ、さっと背中に回り込んだ。その様子を見て、グリオールはやや気まずそうに首の後ろを掻く。
「もう怒ってないよ。よろしくね」
グリオールはそう言ってはにかんだように笑った。
何だよ。結構可愛いじゃんか。
どうやらレドまでは徒歩だとかなりかかるらしい。グリオールが持っていた携帯食料を分けてもらい、空腹を満たした。
聞けば彼女は俺のような転生者などではなく、生粋のアリーヴ人であった。
ちなみに迷い子とも呼ばれる転生者――取り分け、転生直後の者は、どんなにそれらしく振る舞っていてもすぐにわかるらしい。何となく落ち着きがないというか、やたらとキョロキョロしながら歩いているのだそうだ。
そりゃそうだろ。見る物すべてが珍しいんだから。
「使命を無視するやつってのは少数派だけど確かにいるのよ」
ひたすら堅いだけのパンを削るようにして食べながら、グリオールは言った。
「別に罰せられるわけでもないみたい。ただ、タウトへは二度と行けなくなる。それだけよ」
それだけ……なのか。
つまり、それって見捨てられたとか、そういう話になるのではないのか。
だとすればそれは結構な『罰』だ。
確かに、アリーヴの民にとってはタウトなど必要無いものだろう。しかし、俺達転生者にとっては死活問題だ。何せ、俺達にはこの世界で生きていくための基盤が無い。頼る知り合いもいなければ、その日の糧を得るための職も無い。そして当然身体を休める家も無い。無い無い尽くしなのである。そんな迷い子の俺達にとってタウトの住人達は真っ暗闇を照らしてくれる一筋の光だ。
使命を放棄するということは、世捨て人になるということを意味するのだろう。
恵まれたインヌアを与えられたやつはそれでもいいのかもしれない。
一人で何でも出来るようなたくましさや、生き抜くための知恵を持っているなら、この世界でもうまくやっていけるだろう。
でも俺は、一人じゃなーんにも出来ねぇガキだ。
恥ずかしながら飯すら炊けねぇ。
こんなことならばあちゃんの手伝いもっとしとくんだった。でも、この世界に便利な家電があるかどうかわかんねぇんだよなぁ。俺、インドア派だったしなぁ……。
「それでもやっぱり、俺はレドへ行くよ。旅も始まったばかりだし……、その……、会ってみたい人も……いるしさ……」
その人が誰かということは、黙っておこうと思った。『未来の嫁である姫です』なんて声高に発言してみろ。その後の展開は以下のいずれかだろう。
1、ばっかじゃないの、とばっさり切り捨てられる
2、そんじゃ身代金請求するわね、と誘拐される
3、ふぅ――……ん、と何だか可哀相な目で見られる
4、ブフォッ!? なに? お姫フフョッ! お姫様が何だってグフォッ! と笑われつつ馬鹿にされる
正直、どれも御免だ。
「うん、まぁ、誰でも良いわ。あたしには関係ないし」
そう言うとグリオールは『関係ないオーラ』を身体中から発しながら短刀の手入れを始めた。どうやら先ほどマグロの皮膚に傷をつけられなかったのは、手入れを怠ったせいだと思ったようだ。本当にそうかなぁ。
「なぁ、さっきレドがクソみたいな国だって言ってたけど……、具体的には……どんな?」
恐る恐る問いかけてみる。
これから俺が暮らす……というか、ゆくゆくは治めることになるであろう国だ。いまがどんなにクソなのか、どれほどのクソっぷりであるのか知っておかねばならないだろう。
するとグリオールはニヤリと笑った。クソみたいな国情を話すのにしては似つかわしくないほど、それはもう楽しそうに。
「聞きたい?」
「き……聞きたい」
「後悔しない?」
「ぐっ……。しないとは言い切れないけど、でも、どのみちレドへは行くんだから、心の準備というか……」
「ふふん。まぁ、いいけど。まず――」
「まず?」
俺はごくりと唾を飲んだ。
いつも能天気なマグロさえもがそれにつられて神妙な顔付きをしている。
「城下町はあちこちにクソが落ちてる」
――ちょっと待て!
「女の子が軽々しくクソとか言うなよ!」
「はぁ~? さっきから言ってんじゃん。何よ、いまさら」
「いっ、いや、さっきのは、そういう意味の『クソ』じゃないだろ! そんで、今回の『クソ』ってのは、アレだろ? つまり……その……何だ……。えーっと……、その……排泄物ってことだろ……?」
「だったら何よ。いいじゃない、事実なんだから」
「事実かもしれないけど!」
っつーか、まじかよ。
何? クソみたいな国って、つまり、あちこちにうんこが落ちてる国ってこと? 嫌だよ、俺、そんな国の王になんの。
「いや、もういいや、そのうんこの部分はさ。もう一旦いいわ。それ以外は?」
「んー、まぁ、あとは王様がとにかく無能かな」
「まぁ、城下町がそんな状態なのを放っといてる時点でそれはわかってた、うん」
「それに無能なのはさ、王様だけじゃないんだよね。もうとにかく王室のやつらは悉く無能」
「だろうね。だってそんな王様を諌めない時点でダメでしょ、マジで」
「何でだろ。大臣とか要人関係が皆王族だからかな」
「もう答え出てんじゃん……。民に見抜かれてんじゃん……」
そこで俺は気付いたのだ。
俺のインヌアは、何だ?
もしかして、そういうことなんじゃないのか?
嫌だ! 嫌すぎる!