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4、俺の名は

「ヌシ様、どうした?」


 俺の両手のひらにすっぽりと収まるほどの大きさしかないマグロは、自分の体を支えるには小さすぎるようにも思えるその羽を懸命にはためかせ、空中に留まっている。

 見た目の愛らしさだけなら確実に軍配が上がるであろうアリクイの方はというと、リズミカルに尻を左右に振り、俺の口から『俺の名ナーム』が飛び出てくるのを待っている。そのつかみどころのない表情も動きも何もかもがイラッと来る。


 ……困った。


 名前がわからない。

 もしかしたら事故の影響で記憶喪失になっているのかもしれない。

 いや、でも、じいちゃんとばあちゃんの記憶はあるぞ。名前だって覚えてるし、思い出だってちゃんと残ってる。いまとなっては忌々しいだけだが、あのクズ共の記憶もある。そいつらの名前だってちゃあんと覚えてる。


 それなのに――だ。

 俺の名前だけがわからない。


「早くしろー」

「ちょ、ちょっと待ってください」

「チョ・チョットマッテクダサイ、かー。それでもいいが、もうそれは78人もいるぞー」

「……は?」


 アリクイはどこからか取り出した分厚い書物を慣れた手付きでペラペラとめくり、「いいのかー?」と言った。


「良くない! 全ッ然良くない! いま思い出すから、もう少し待ってください!」


 ていうか、78人もいんのかよ! 諦めんな!


「ふむー、ヨクナイ・ゼンゼンヨクナイ・イマオモイダスカラ・モウスコシ・マッテクダサイかー。あんまり長すぎるのもなー。まぁ、困るのはお前だからいいけどなー」

「だからそうじゃなくて!」


 何だ。何なんだこいつは。

 否定したい。それはもう強く否定したい。しかし、どうやらこいつは俺が口に出した言葉全てをナームとカウントしようとしているらしい。


 さぁ、どうする。どうすればいいんだ……!


「トッテモ、迷い子ロッターを困らせてはなりませんよ」


 きれいな女性の声がした。


 この場合の『きれいな』はもちろん『声』を修飾する形容動詞だ。

 しかし、ほどなくして現れたその『人』を見て、それは『声』だけではなく『女性』の方をも修飾していたことに気付いた。


 女神様だ。

 間違いない、絶対に女神様だ。

 サバと同じ銀色の長い髪は、薄暗い部屋の中でもわかるほどキラキラと輝き、まるで澄んだ川のようだったし、

 まっすぐに俺を見つめる瞳はまるで5月の新緑のようだった。

 透き通るような白い肌を覆っているのはスケスケなようで案外そうでもないという、思わせぶりすぎるシンプルな白のドレスである。

 そして、健全な男子高生としてはついついチェックしてしまう胸の膨らみの方はというと……、これまた合格、いや、それ以上の大きさ!


 間違いない! 絶対に女神様だ!


 いや、役職的に女神様じゃなかったとしても、だ。俺にとっては十分に、十二分に女神たりうる存在だ。


「ちぇー。キスが出て来ちゃったかー」

「私が出て来たらダメなのかしら? この家の主人は私よ?」

「別にいいけどー」


 全然良くなさそうな声を発し、アリクイは一歩下がった。


「人の子と竜の子なんだから、どのみち、あなたのお腹には収まらないでしょう?」

「へぇっ? 収まる?」


 何やら物騒な言葉に俺は飛び上がった。恐る恐るアリクイを見ると、ヤツはわざと口を大きく開けてその長い舌でべろりと口の周りを舐めた。


「ごめんなさいね。この子ったら、ロッターがヴァーチルやインバグだったら、私の目を盗んで食べちゃうのよ」


 キスと呼ばれた(名前も最高にキュートだ)その女神様は、困った顔をしてトッテモというらしいアリクイを睨んだ。


「お腹が空いてる時だけだよー」

「……マグロ、ヴァーチルとインバグって何だ?」

「ヴァーチルは菌族、インバグは虫族を指す言葉だよ、ヌシ様」


『あなた、ラッキーだったわねぇ』

『本当だぜ。いやぁ、これでヴァーチルやらインバグだったら、さすがの俺様も目も当てられねぇ』


 マローとメローの言葉が頭をよぎる。


「……成る程。確かにそれなら食われちまうかもだな」


 現状維持がそこそこの強カードだったって意味がわかった。そういうことだったのか。

 しかし、このアリクイ、とんでもねぇやつだな。


 でもまぁ確かに、アイツがアリクイなんだとしたらまぁ無理もないのかもしれない。カモがネギ背負って……じゃないけど、ご飯の方からやって来るのである。そりゃ、空腹だったら食っちゃうよなぁ……。


 ――じゃなくて!


「あの……、すいません、俺、自分の名前が思い出せなくて……。あっ、でも、それ以外の記憶はちゃんとあるんで、もう少し時間をかければ思い出せると思うんすけど」


 そう言って頭を下げる。ゆっくりと顔を上げてみると、目の前にいる絶世の美女はきょとんとした顔をしてから――笑った。


「それは無理よ」


「無理……ですか……?」


 さらりと告げられたその言葉に、俺は思わず聞き返した。

 しんと静まり返ったその家に、マグロのバサバサという羽ばたきが響く。

 目の前の女神様は穏やかなその笑みを絶やさぬまま、軽く頷いた。


「ディードでのナームは、アリーヴでは使用することが出来ないの。転生の際にあなたから剥がしてしまったから。でも、どうしてもと言うなら……廃棄臓物の家の住人に連絡してみるけど……」

「はっ、廃棄臓物ぅっ?」

「えぇ、剥がされたナームや、新しいアウトアを授かって不要になった身体の一部を捨てる家よ。もし、とっても思い入れのあるナームだったのなら……」

「いいっ! いいっす! 全ッ然、大丈夫っすから!」


 そんなおぞましいところに送られた名前なんてもういらねぇし!

 第一、俺の名前は確か、父親が付けたんだ。

 あンのクソみてぇな父親が付けた名なんているかよ。


「じゃあ、その、新しいナーム? ってのは、自分でつけていいんすか?」

「もちろんよ。全ては己が決めること。それが真のナーム


 全ては己が……か。

 そうだな……せっかくだから、うんと強そうな、そんでもって最高に恰好良いやつにしよう!

 とにかく強くて、誰にも負けない。どんな窮地でも切り抜けられるたくましくさも必要だし……。


 名前なんてただの記号だ。

 そんな風に思っていた時期が確か俺にもあった。

 ていうか、いまでもちょっと思ってる。


 だけど――。


 いまなら名前に思いを込める親の気持ちがわかる。


 こうなってほしい、こうなってくれ。

 その名に恥じぬ、立派な生き方を。

 きっと最期まで付き合ってやれない。

 だからこそ、生涯変わらぬその名を御守りと自分自身の指標に、と――。


___


「……では、そなたのナームは『セガール・アーノルド・リー・スタローン』でよろしいか?」


 ――違う!

 絶対違うだろ、これ!

 しっかりしろ、俺!

 背負う物がでかすぎる!


「えっと、すみません、何かちょっと混乱してて……」


 恐らく2、30分は待たされている女神様は、そんな俺に優しく微笑んでくれる。――が、アリクイの方はというと、完全に飽きていて、彼女の足元に寝転がり、長い舌で毛づくろいをしていた。


 落ち着け、俺。

 

 尻ポケットの中から定期入れを取り出し、開いた。期限切れの定期券と向かい合っているのは、引き取られたばかりの俺と、その両隣に立つじいちゃんとばあちゃんだ。家の前で撮ったその写真の中で俺は、何だか安心したような顔で笑っており、じいちゃんとばあちゃんに至っては入れ歯を存分に見せてのフルスマイルである。

 まるで、ろくでもない親共から大切な孫を救出したぞ、とでも言いたげに。


 俺はこの家に来て、初めて温かい食事にありつけた気がするのだ。

 腰の曲がりかけたばあちゃんには重労働なはずなのに、布団はいつも干されてふかふかだったし、家よりもずっとずっと使い込まれているはずの風呂も清潔だった。

 

 写真の上にぽたり、と涙が垂れる。

 それを慌てて袖で拭ってから、ビニールのカバーの下になっていたことに気付き、そんなに慌てるなんてな、と苦笑した。


「……決めました。俺の名前は……『城戸善春』です」

「よろしい。では、そなたはいま、この瞬間から『キド・ヨシハル』」


 善はじいちゃんから、春はばあちゃんからそれぞれもらうことにした。

 じいちゃんとばあちゃんみたいに強く、たくましく、そして優しい人間になれるように。


「やぁぁっとナームが決まったかー」


 よっこらせ、という掛け声と共に、トッテモが立ち上がる。一生懸命毛づくろいをした毛皮は彼自身の唾液でぬらぬらと光っており、正直言ってちょっと不気味だ。


「では、キドに使命を与えるぞー。中へ入れー」


 あぁ、そういえば俺はまだ入室を許可されていないのだった。

 やっと入ることを許可され、俺は何だか良い匂いがしそうな気さえする女神キスの後ろについて、部屋の奥へと進んだ。


 部屋の内装は『天秤の家』とほとんど同じであり、異なるのは、キスの座るソファがサバのとは比べ物にならないほど小さかった点と、従者(でいいのか)のトッテモが彼女の隣に立っているという点くらいだろう。まぁ、こんなでかいやつがキスの膝に座っていたらどんな手を使ってでも引きずり下ろしてやるのだが。


「では、キド。胸ポケットの中のものを取り出してください」

「へ?」

 

 またポケットかよ!

 どんだけの物が入ってんだよ、この学ラン!


 さすがに胸ポケットにはそんなにかさばるものは入ってないはずだ。入ってたら気付くっつーの。


 ……って、まじかよ。


 傍目には何も入っていないように見えるぺったんこの胸ポケットに入っていたのは、手のひらにちょうど収まるほどの大きさの緑色の硝子玉だった。


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