3、使命の家の不思議な声
「お前に名前付けてやらんとなぁ」
清掃員というクソ有難いインヌアを賜った俺は、どうやらとんでもないレアアイテムらしい木肌竜の子どもと一緒に天秤の家を出た。
「次に向かうのは『使命の家』よ。そこであなたの『使命』を与えてもらうの」
わざわざ玄関まで見送ってくれたメローの言葉だ。
「つっっっっまらねェ人生を送ってきたやつほど、きっつい『使命』を与えられるんだぜェ」
「そ、そんなことは無いのよ? だァいじょうぶ、大丈夫よ」
「おーやァ? おやおやおやァ? 俺様はこいつの人生がつまらねェだなんて一ッ言も言ってないぜェ? ほほォ、つまり、アレだ。メローは、こいつの人生がクソつまらなかったと、そう言いてェわけだァ」
マローは厭味ったらしくそう言いながら、ぐるぐるとメローの周りを歩いた。
メローはしまった! と言った顔で、その小さな手を口元に当てる。
「ちッ、違うの! 別に私、そんなつもりじゃ……!」
「いいですよ、別に。俺の人生がクソみたいな価値しかなかったことはさっき嫌ってほど思い知ったんで」
俺はそう言って2匹の鼠達に頭を下げた。そして、その奥に鎮座している、サバに対しても。
そうして、俺と木肌竜の子どもは、きっとたくさんの人達が踏み均して出来たのであろう、その『家』に続く道を歩いた。
――まぁ、歩いたのは俺だけで、竜の方は飛んでいたわけなんだが。
「名前……名前なぁ。木肌竜……キハダリュウか……。キハダ……キハダ……マグロ……」
明後日の方を向き、ブツブツと呟いていると、木肌竜の子どもはくりくりとした宝石のような丸い目でじっとこちらを見つめている。
子どもということは、当たり前だけどこれから成長していくってことだ。
最終的にはどれくらいの大きさになるんだろうか。
いまはなかなか可愛らしい顔つきをしているが、ゲームに出てくるような恐ろしい竜になってしまうのだろうか。
「……なぁ、その時になって、俺のことがぶりと食っちまうなんてことはないよな? よく言うじゃん? 動物園の触れ合いコーナーとかでさ、猛獣の子どもを抱っこさせてもらえたりするけど、ある一定のラインを越えるとアウトーってさ。あんなに人間と触れ合ってても、野生っちゅーのはなかなか薄れないもんなんだと」
まっすぐに俺を見つめる竜の子は、わからない、とでも言いたげに首を傾げた。
「――まぁ、そん時まで仲良くやろうぜ、『マグロ』」
完全にキハダマグロからの連想でしかない名前を授け、俺はゴツゴツとしたマグロの頭を撫でた。すると、マグロは気持ち良さそうに目を細め、ゴロゴロと喉を鳴らした。
「マグロ」
口に出してみると案外しっくり来るものだ。
まるで先導するかのように俺の数cm先を飛んでいるマグロは、その名を呼ぶ度にこちらを振り向いてケーンと鳴いた。
「なぁ、マグロ。俺の使命って何なんだろうな。何たって清掃員だからな。もしかして、この世界を隅々まで掃除しろとか、そんなんじゃないよな……?」
……自分で言ってて不安になってきた。
だってマローは言ってたのだ。つまんない人生を送ってきたやつはきっつい使命を与えられるのだと。
つまらない人生。
該当する。
間違いなく。
49の価値だったもんよ、俺の人生。
気温も天気も変わらない森の中をさくさくと歩く。不思議と疲労感もなかった。
もしかして、やっぱりここは異世界じゃなくて天国なんじゃねぇのかな。
そう思い始めていた時だった。
道の先にまた丸太小屋が見えてきたのだ。
「あれだな」
急ぐか、と言おうとして止めた。よく考えたら急ぐ理由なんて無いのだ。
俺はきれいな花や変わった果実のなる樹木を眺めながら、変わらぬ速度で歩いた。
それから5分ほど歩いて到着した丸太小屋は、天秤の家よりも一回り小さかった。これならサバのような巨人はいないのかもしれない。
「ごめんください」
そう言いながらノックを3回。
やはりドアは独りでに開いた。
「お邪魔します」
土足でも大丈夫なのかを一応確認してから、そぅっと足を踏み入れる。
「こらー」
中途半端に抑揚の無い声が聞こえた。
「まだ入室を許可しておらぬー」
やたらと語尾を伸ばす、その不思議な声に、俺は思わず足を引っ込めた。
「すみません……」
「わかれば、よろしいー。まずは、そなた、インヌアを申せー」
「インヌア……。あ、あぁ、えっと、クリーヌリアです」
「ほぉ、クリーヌリアとは久しいなー。よかよかー。では、次にアウトアを申せー」
「アウトアは……現状維持、と……」
「ほぉ、現状維持かー。見たところ人の子のようだなー。命拾いしたなー」
命拾いって、何だ?
「では、次に、ナームを申せー」
「ナーム? ナームって何すか。それはさっき聞いてないです」
「ナームは、ナームだー。それ以外に何があるかー」
「何があるかって言われてもなぁ……。俺、この世界の言葉わかんないんすけど」
不満げにそう返すと、やはり薄暗い部屋の奥からギシギシと床の軋む音が聞こえてきた。
きっと声の主がこちらへ向かって歩いてくるのだろう。
動いても灯りが点かないのは何故なんだろうか。
「なぁんで『言語の花』を食べてこなかったー」
うっすらと姿が見えてきたところからドスドスと音を立てて走って来たのはアリクイのような生き物だった。白と黒の身体に、細く長い口。そしてその口からはそれよりも細く長い舌が垂れている。
「言語の……花?」
「生えてたでしょー。道中にたくさんー」
アリクイは怒っているのか、太い尻尾をびたんびたんと床に打ち付けた。ちっとも怖くないのはたぶんその喋り方のせいだろう。
いや、そんなことよりもだ。
何だよ、そんな画期的なアイテムがそこらに生えてたのかよ。
「あっ、じゃあ戻って食べて来ます」
失礼しました、と言って後ろを見る。が――。
「……無い」
ほんの数分前に歩いてきた道はどこにも無くなっていた。ただただ真っ白い空間が広がっているだけだった。
呆然とその『何も無い空間』を見つめていると、くいくいと学生服の袖を引っ張られた。見ると、どうにか俺の気を引こうとしているのか、袖に噛みつき、くいくいと引っ張っているマグロの姿がある。
そしてその老木のような肌よりもうんと柔らかい爪の先に、道中で見た花が1輪挟まれていた。
「マグロ……これ……」
「ほー、さすがは木肌竜の子だー。それが言語の花だぞー。良かったなー、小僧ー。さぁ、食えー。早く食えー」
長い舌をぶるんぶるんとしならせながら、アリクイは俺を急かす。喋りづらくないのか、そんな長い舌で。
「あの……、これを食べれば、この世界の言葉がわかるようになるんですか?」
「なるー。それに、わかるだけじゃないぞー。喋ることも出来るようになるー」
「でもいま言葉通じてますよね?」
「そうだなー。アリーヴとディードはほぼ共通の言語を使用しているのだー」
「アリーヴとディード?」
「しかしこのようにー、一部の単語は異なっているー」
「そうですね。でも、教えてくれたらいいじゃないですか、それくらい」
「むー? むむむー? むむー?」
「……何か俺おかしいこと言いました?」
「いちいち説明するのなんてー、めーんどーうだー」
「そんな」
「この花はそのためにあるのだー。さぁ早く食えー。話が進まんではないかー」
「わかりましたよ。だったら――」
「お前が食え、マグロ」
半透明のその爪はグミのような柔らかさである。俺はマグロが大事そうに挟んでいるその花を指差した。当のマグロの方は俺の指先をじっと見つめてから不思議そうに首を傾げる。
「木肌竜の子に食わせるだとー?」
「そうです」
「ふふん、お前は本当に何も知らんのだなー。いいかー、木肌竜の子は樹皮しか食わんのだー」
なぜか得意気な顔を(コイツの表情がわかるってのもおかしな話だが)しているアリクイを無視し、俺はその指をマグロの口元に持っていき、食べるようなジェスチャーをしてから大袈裟な音付きで咀嚼する振りをした。
「食べるんだ、お前が。そしたら、俺と、話が出来るぞ」
きっとこの言葉は理解出来ていないだろう。
でもコイツはマグロという名で呼ぶとちゃんと振り向くのだ。だから、可能性は0じゃない。
「食べろ。食べるんだ、マグロ! ほら、パクッと!」
「はっははー、無駄だ無駄だー。竜の子が人の言葉を理解出来るものかー」
「わかんないじゃないすか、そんなこと」
「わっかるー。わかりきってるー。ふっふふー」
ぱく。
「お?」
「の? のののー?」
もぐもぐもぐ。
「食ったな。偉いぞ、マグロ」
「くくく食ったー! 木肌竜の子が、花を食ったー!」
ごくん。
「ケフゥ」
立派なげっぷまで決めて、マグロは誇らしげな顔をした。
「どうだ、マグロ。俺の言葉、わかるか……?」
恐る恐る問い掛ける。マグロは一度、宝石のような目を丸くさせた後、にこりと笑った。未熟な牙の隙間からやや紫がかった赤い舌が見える。
「わ……かる……。わかる……」
「喋ったー! 竜の子が、喋ったー!」
俺が感動を伝えるより先にアリクイが騒ぎ出した。
マグロの声は予想していたような嗄れ声などではなく、あどけない子どもの声そのものだった。
「ヌシ様、ヌシ様」
意思の疎通が図れるということがよほど嬉しいのだろう、マグロは「わかる」と、俺を指すと思われる「ヌシ様」という言葉を吐きながら、俺の回りをぐるぐると回った。
「むー、木肌竜の子は花も食うのだなー。覚えておくとしようー。さてー」
「あぁ、そうだった。マグロ、さっきこちらが言ってた『ナーム』って何だ? 教えてくれ」
「ナーム……。ナームとは、ヌシ様を示す言葉。ヌシ様の真の名」
名?
「なぁんだ、名前のことか。なんだなんだ。ははは…………は?」
え――……っと、俺の名前、何だっけ?