1、天秤の家の3つの声
気付くと俺は森の中にいた。
死んだ時に着ていた、一張羅の学ランを着て。
空を見上げると、太陽はどこにも無いというのに、暗くはなかった。
雲一つない晴天ってやつだ。
成る程、ここが天国ってやつなんだな。
寒くも無ければ暑くも無い。めっちゃ快適。
こんなところで過ごせるのなら、死んだ甲斐があったというものだ。
跳ねられた時はもちろんそれなりに痛かったし、死ぬことへの恐怖もあったが、それも過去の話である。
何だよ、もっと早くに死んどくべきだったかな、などと思って笑った。
じいちゃんとばあちゃんもいるんだろうか。
そんなことを思いながら歩いて行くと、一件の家に辿り付いた。
ログハウスっていうのか、ようは丸太小屋である。
煙突からは絵に描いたようにもくもくと煙が上がっており、何だかとってもメルヘンチックだった。
とりあえず、入ってみようか。
何せもう死んでいるのだ。
これ以上悪いことは起こらないだろうし、それに、道はこの家へまっすぐ伸びていたのだ。ということは、死んだ者は皆、ここへ行くってことだろ?
コンコン、と控えめにノックをする。
しかし、応答は無い。
俺はすぅ、と息を吸い、恐る恐る「ごめんください」と言ってみた。
するとその言葉を待っていたかのように、扉が開いた。しかし、そこに人の姿は無い。ということは、独りでに開いたのだろう。
「えっと……、お邪魔します……」
外の明るさとは裏腹に薄暗い室内に足を踏み入れる。靴を脱ぐスペースはなかったから、きっと土足で入る家なのだ。天国ってアメリカンスタイルなんだな。
一歩、また一歩と歩みを進めていくと、それに合わせて室内が少しずつ明るくなっていく。どうやらセンサーで灯りが点く仕組みらしい。天国がこんなに文明的だとは思わなかった。
部屋の奥まで辿り付くと、ようやく全体に灯りがともり、室内の全容が明らかになった。内装や家具であるとか……、それから、住人も。
「こ……こんにちは……。あの……どうも……」
目の前にあるいかにも上等そうなソファに腰掛けていたのは、巨人である。……たぶん。
たぶん、というのは、座った状態であるにも関わらず、彼の頭が天井すれすれだったからだ。立ち上がれば相当な大きさであろうと推測される。ただ、この状態でどうやって立つのだろうか。
緩いウェーブのかかった長めの銀髪の隙間から見える目は穏やかそうではあったものの、この体格差だ。やはり何となく恐ろしく感じた。
目の前に象がいる、とイメージしていただければいいだろう。
「はァい、いらっしゃいませ」
予想外にきれいな女性の声が聞こえ、俺は飛び上がった。
「えっ?」
「なァによ、そんなに驚かなくっても、いいじゃなァい」
まずい、怒らせたらまずい。俺の本能が警告音を鳴らしまくっている。頭を下げろ、俺。謝るんだ。この巨人がオネェだっていいじゃねぇか。
「いや、えーっと、すみません」
頭を下げると、今度は少しかすれた男の声が頭上から降って来た。
「げェっへっへっへェ。やっぱりメローの声は合わねぇんだよォ。おい、坊主、どうだァ? これならしっくり来るだろォ?」
「しっくり……来る……かなぁ……。まぁ、でも、さっきよりは……」
声のトーンはまぁ悪くないんだが、いかんせん、言葉遣いが下品すぎる。目の前にいる巨人に何だか似つかわしくないと思った。
「マローもメローも黙りなさい」
次に聞こえてきた声は、落ち着いた、少し高めの男性の声だった。
そう、これだよ、こういう声なんだよ。
俺は大きく頷いてから顔を上げた。
すると、俺を見下ろす巨人と目が合った。無表情という言葉では容易に括れないような表情をしている。何も考えていないような、けれどもそれでいて、俺をじっくりと品定めしているかのような、そんな表情だった。
「この者達も悪気があってやっているわけじゃないんだ。しかし、結果的に私が喋ることになる」
「はぁ……そうですか……」
よくわからないが、わかってるふりをして相槌を打つ。
「私はサバ。この家の住人である。では、後は任せた」
シンプルすぎる自己紹介を済ませたサバという名の巨人は、軽く身体をゆすった。そしてそれが合図でもあったかのように、彼の両腕を伝って、2匹の鼠がさかさかと降りてくる。
右の腕からは真っ白い鼠が。
左の腕からは真っ黒い鼠が。
「私はメロー」
白い鼠が言う。
「俺様はマロー」
黒い鼠が言う。
成る程、先程の声の主はこの鼠達だったのだ。
巨人の膝の上に降り立った2匹の鼠は、彼との対比でそれはそれはもちろん小さく見えたのだが、冷静になって見れば、俺の頭くらいのサイズはあるだろう。
この無口な巨人サバに代わって彼らが話す。それがこの家のシステムらしい。
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「はァい、それじゃァ、ポケットの中のものを出してくださァい」
桃色の鼻をふんふんとひくつかせながら、メローが言った。
ポケット? ポケットになんて何も入れてなかったと思うけどなぁ。
そう思いながら、右のポケットをまさぐってみると、そこに入っていたのは、定期入れである。だいぶくたびれて味が出て来たその革製のケースは祖父から貰ったものであった。中には既に期限の切れた定期券と、祖父母と3人で撮った写真が入っている。
「定期券ねェ。ふんふん。じゃ、この天秤の皿に」
言われるままにそれを巨人のソファの隣にある金色の天秤の皿の上に置く。その分だけ皿は動き、どうやら接地したらしく、カタン、という音が聞こえた。
「おい、左の方にも入ってんだろォ? とっとと出せよォ、おい」
こんな野蛮な物言いでも、喋っている本人(人じゃないけど)は何とも愛くるしい鼠である。
うっす、と小声で返事をしてから左のポケットに手を入れた。
中から出て来たのは赤と青、2つの硝子玉である。
取り出してみると結構な大きさなのに、どうしてこの存在に気付かなかったのだろう。
「あァ、そっちに入ってたのねェ。じゃ、まずは赤い方だけを天秤に……。そう、さっきのと同じ方に置いてねェ」
言われた通りに赤い方を皿の上に置く。皿は既に降り切っているために、もちろん動いたりはしなかった。
「よォし、こっからは俺様の出番だぜェ」
そう言うと、マローはさかさかと天秤まで移動し、その陰にあった大きな箱をずいずいと尻で押して来た。器用に後ろ足で立ち、前足を使って蓋を開けると、中に入っていたのはぴかぴかに光る金色の分銅である。
よいしょ、よいしょと言いながら、空いている方の皿に分銅を乗せ、重さを量っていく。俺は中学の実験を思い出しながらそれを見守っていた。
「ふゥん、まぁ悪くねェ人生だったみてェじゃねェか。これなら100……、いや、150はありそうだなァ、おい」
そんなことを言いながらちらりとこちらを見る。
悪くない人生? そんなはずはない。
母親は他に男を作って出て行き、父親はというと、再婚の邪魔だとか言って俺をじいちゃんとばあちゃんに押し付けた。まぁ、確かにそこでの生活は悪くなかった。……いや、そんな言い方はじいちゃんばあちゃんに失礼だな。うん、それはサイコーだった。でも、でも、だ。
大好きだったじいちゃんばあちゃんはそろって死んじまうし、他に身寄りが無いからってんで、新しい家庭を築いている父親のところに行った矢先に死んだんだぜ? しかも、父親はそん時浮気してたんだぜ?
これのどこが悪くない人生だよ!
「おいおい、そんなおっかねェ顔でこっちを見るねィ。タマが縮み上がるぜ」
「何言ってンのよ、去勢したんだから、タマなんか無いじゃなァい」
「うるせェな。古傷が痛むんだよォ」
「古傷って……、何千年前の古傷かしらねェ。うふふ」
よくわからない2匹のじゃれ合いを見つめていると、そんな軽口を叩きながらでも自分の仕事は全うしていたマローは、ぴったりと釣り合った天秤の前に立ち、得意気に胸を張った。
「ィよォし! お前のアウトアは155だ」
「あらァ、かなりいったじゃなァい。それじゃ、リフェラフレは3回と、おまけが1回ねェ」
メローはきれいな声で良かったわねェ、と言ってくれたのだが、そんなことを言われたって、その『リフェラフレ』とかいうのが何なのか、俺にはちっともわからない。
「えーっと、それ……何すか……?」
明らかにクエスチョン・マークを多数浮かべた状態でそう問い掛けると、2匹の鼠達は笑った。――気がした。
「リフェラフレっていうのはねェ、あなたがわかる言葉で言うと……、そうねェ、『人生ガチャ』ってところかしらァ」
「人生ガチャ?」
「そう! いままでの人生とよォ、これから送るはずだった人生ってェやつをこの天秤にかけるのサ。そんでェもって、その重さの分だけ、くじが引けるんだぜェ。げェっへっへっへェ」
「引いたらどうなるんです?」
「いままでの人生であなたの表面――アウトアを、これからの人生であなたの内なる力――インヌアを決められるの。くじだからもちろん当たりもはずれもあるわ。この世界で生きていくためには向こうでの全ての人生を空にしなくっちゃァいけないの。それが決まり」
「な……、成る程……。で、俺はその『人生ガチャ』を3回と、その、おまけ? が1回、と。そういうわけですね」
この世界――、ということは、ここは天国ではないということだ。
っつーことは、流行りの異世界ってやつらしい。
ここで俺は一つ気になることがあった。
その皿の上に乗っているものが『人生』ってやつなんだとしたら、それはガチャを回すための対価ということになる。当然、ガチャを回せば、それらは消滅するだろう。
ということは、だ。
じいちゃんばあちゃんとの思い出のその写真も消えてなくなっちまう、ということだ。
それは困る!
それにあの定期入れは俺の宝物だ。
じいちゃんに何度も何度も頼み込んで、中学入学の祝いにってやっともらえたものなんだ。
「あの……、すいません、あの定期入れだけ返してもらうことって出来ませんか?」
「いいけど、その分軽くなるわよ?」
「いいっす、大丈夫っす!」
定期入れを抜くと、俺のいままでの人生は155から49にまで下がり、本来ならば50で1回のところをお情けで引かせてもらうことになった。
口の悪いマローさえもが、やけに優し気な視線を向けてきて、それが逆に痛かった。