序、まさか自分が死ぬとは
「残念ですが、御臨終です」
事務的なようにもとれるやけにあっさりとした医師の声が聞こえた。
次いで、継母のやけに芝居がかった泣き叫ぶ声。
「そんなっ、そんなぁぁっ、先生っ、どうにかならないんですかぁっ!」
どうしてこんな時に頭のてっぺんからつま先まで余所行きの恰好が出来るのかと、問い詰めたい。お前、さっき着替えて来たろ。バリバリに髪もセットしやがって。
そしてそんなケバいとしかいいようがないオバハンに抱き付かれてまんざらでもない顔をしている禿医者、てめぇもだ、バカヤロウ。何だよお前ら、この短期間に何か芽生えたのか。
「手は尽くしたのですが……」
悲痛そうに顔を歪め、俯き加減で首を振る。
さっき感じた『事務的』が間違っていなかったことを、ここで俺は確信した。
慣れている。慣れ過ぎている。
「そうですか……」
とりあえず、『息子が死んで悲しみのあまり取り乱した』という演技が終わった継母は、ほんの少しだけ乱れた髪を手櫛で整えた。
俺が、死んだ。
きちんとアイロンがかけられた真っ白いハンカチを口元に当て、継母は軽く頭を下げた。その顔が、実は満面の笑みであることは、誰にもわからないだろう。
息子を失った――しかも、その子は血が繋がっていないのにも関わらず、実の子のようにここまで悲しむ母親を全身で演じているのだ。しかし、彼女の頭の中では、俺にかけていた保険金がいくら入るのかと、そればかりなはずである。
ちなみに、その保険金をせっせと払ってくれていたのはいまは亡き祖父母である。初孫だからと、それはそれは可愛がってくれた祖父母は、そろって昨年の秋にやはり事故で亡くなった。
そう、今回も事故だったのだ。
祖父母が亡くなったことで、俺は父とその再婚相手が住む、縁もゆかりもないこの地に来た。
嫌だったが、仕方がない。
何せ俺はこの春から高校生というガキンチョで、たった一人で生きていく力なんて持っていなかったのだ。
金さえ積めば入れるとかいうあまり出来のよろしくない私立高校を受験させられ、それはもちろん合格し、さて、入学金を振り込みに行きましょうか、という矢先の出来事だった。この点も、あの継母からしたら「ナイスタイミング!」である。実際、小さくガッツポーズを決めているのを俺は見逃さなかった。
目の前で俺が跳ねられたというのに、あの女、真っ先に俺の鞄の中を漁って、入学金の入った通帳を抜き取りやがった。あれは祖父母が俺のためにと貯めてくれた金だ。
『いいか、これはお前が20歳になったらくれてやる。まぁ、その前に俺がくたばっても、もちろんお前の金だ。いいか、何があってもあの業突く張りには渡すなよ』
生前、祖父はそう言って、結構な額の入ったその通帳を俺に見せ、ややぐらつく入れ歯を見せつけながら豪快に笑ったものだ。
金はもちろんあって困ることは無い。成人したらあいつらと縁を切って祖父母の介護をしながら生きていこうと密かに決めていた俺にとって、それはとても有難いものだった。しかし、それ以上に、祖父母の気持ちが嬉しかった。
そんな金だ。
お前が触っていいものじゃねぇんだ。
返せ。
返せよ、畜生。
何で身体が動かねぇんだよ。
俺の記憶は一度ここで途切れている。
そして、気が付いたら、身体中に色んな管を通され、あちこちを包帯でぐるぐる巻きにされた俺を俯瞰で見ていた、というわけである。
はっはぁ~、これが噂の『幽体離脱』ってやつか。成る程。
成る程。
成る程……。
……で?
これ、どうやって戻るんだ?
最初はとにかくパニックで、うんともすんとも動かない俺の身体に向かって突進してみたり、胸の辺りに正座をして念じてみたり、と色々やった。
しかし、何も起こらなかったのだ。
それはもう、すがすがしいほど、何も。
そうして、俺はやっと気が付いた。
あぁ、死んだんだな、と。
その瞬間に、ピー、という音が聞こえた。
その音の方を見てみると、ドラマなんかでよく見る機械があった。ほら、あの、心臓の動きに合わせてピコン、ピコンって動くやつ。あれがさ、地平線みたいにまっすぐな一本の線になった。
で、冒頭の医師の台詞に繋がるってわけ。
父さんは悲しんでくれるかなぁ。さすがに血の繋がった息子だからな。
諦めからかすっかり脱力してしまった俺は、その場にふよふよと漂いながら父を待った。
きっと俺の訃報を聞いて、この部屋に飛び込んで来る。
血相を変えて、いつもはバリっと決めている髪を乱し。
しかし、待てど暮らせど父は来なかった。
後に知ったところによると、彼は携帯の電源を切った状態で浮気相手の家にいたらしい。
クズ共が。