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夕方や朝方ならば木箱に大量の魚を山盛り積んだ荷物を運ぶ漁師
魚を少しでも値切ろうと腕まくりをしてそんな漁師を待ち構える御婦人方。
おこぼれにありつこうとする野良猫や、炭鉱のトロッコ等が走り回る賑やかな港だが時間も時間で今はガランとしていた。
生臭さと炭鉱の独特の鉄臭さと埃臭いものが混じった匂いがしない。
今日の夜は穏やかな風が吹いていた。
少し離れた街の方はガヤガヤと人の声も聞こえるが港は遅い時間ともなると寂しいものだ。
「むううう!!」
しかしそんな場所も嬉しそうにルディリアがウロチョロと駆け回る。
初めてこういう場所に来たのだろう。
ここまで連れてきてくれた船頭にシキは少し多めの料金を手渡すと星が瞬く空を見上げた。
夕暮れはとっくに海へ沈み夜は濃い。
「すっかり遅くなったなぁ」
これはまずい。
そう思っているのはハイドリヒ5世も同じだったらしく、イライラした様に腕くみをして立っていた。
「こんな時間にサディルナの宿が取れるのか?!僕は野宿なんて嫌だからな!」
えばり散らすハイドリヒ5世に、シキはスっと瞳を細めた。
「誰かさんがゴブリンから女の子達を守って戦えばもう少し早く着いたんじゃないかな?」
そう言うとハイドリヒ5世はウッ・・・と痛い所を突かれたように表情を歪めた。
サディルナは炭鉱で栄える街で、街灯も整備されている。
レンガ作りの家が建ち並ぶ町並みに済む人々は炭鉱で働く人間が多い。
この時間でも街は人のざわめきが聞こえる程賑やかなのは炭鉱が1日中稼働しているからでもある。
1日中炭鉱の人間が働いているかというとそうではなく、夜と昼で別れて大人数が働いている為どちらの時間も人が多い。
日雇いも多い炭鉱従事者は宿を取る。
その為サディルナの宿はいつでも炭鉱で働く人間が利用する為空きが少なかった。
この時間、とっくに仕事は終わって皆いっぱいのビールで喉を潤している頃だろうから宿に空きがあるかは微妙な所だった。
シキは真っ暗な海を覗き込んでむううぅ・・・・・とそのままボチャリと行きそうなルディリアの腰にシッカリとベルトで固定されたアヒルのポシェットをグイグイ引っ張ると水際から離す。
「とりあえず、宿だ。行こう」
「むうううぅー!」
後ろ向きのままシキに引っ張られトコトコと進むルディリアにトコトコとタヌキも続いて走る。
さっきからやけに静かなソプラに、シキは首を傾げた。
「酔ったか?」
小舟はやたらと揺れる。慣れないとキツイだろう。早く早く漕いで少しでも船に乗る時間を短くしようとしたが限界あるり
ひょいと覗き込んでくるシキにソプラは弾かれた様に後ろへ飛び退いた。
「だ、だだ大丈夫よ!!」
オーバーリアクションと言うほどのリアクションでキャアキャア騒ぐとソプラは先に街の方へと歩いていくハイドリヒ5世の方へと走っていってしまった。
心配しただけなのに・・・とポツンと残されたシキとシキにアヒルのポシェットを掴まれ一緒にポツンと残るルディリアもどうしたのかという表情を浮かべていた。
「なんだろう・・・ほんと・・・・・」
心配し無ければ怒るし、したらしたであの反応。
疲れたと言うように肩を落とすシキと首を傾げるルディリアの後ろでタヌキだけはうんうんと頷いていた。
若いなぁ・・・・青春だなぁと言いたげに。
サディルナ領は栄えた街だ。
ミンナ村など比べ物にならない。整備され平らの道は色とりどりのレンガが敷き詰められている。トロッコのレールが張り巡らされた街の中は炭鉱の街ならではだろう。
そんな道を明るく照らす街灯も貴族や裕福な人間が御用達にしている自動車なるものも走っている。
全てソルディック社製のフェアリーチェストだ。
フェアリーチェストという便利な道具を使わないようにと未だに釜戸で調理をして、夜にはロウソクの明かりだけになるミンナ村とは違い、ここは照明もいつでも好きな時に料理が出来るフェアリーチェストで作られたコンロもある。
「な、なによこれ・・・」
人々が行き交う道に呆然と立ち竦んでいるソプラの背中をシキがグイグイ押す。
「これが普通だよ。君はミンナ村っていう場所で閉じこもってたから知らないんだろうけど、ソルディック社のフェアリーチェストは便利だし豊かな生活が出来る」
ハイドリヒ5世は周りを見渡すと、キラキラ光るシャンデリアが窓から覗くホテルを見つけ元気に指差した。
「あそこだ!貧乏人は使えないだろう?僕はいけるさ!!」
「え、いやあそこは・・・・」
入口からして植木が綺麗にセットされている。
ソプラなどは気後れしてしまう程の手の込んだ庭だ。
シキの言葉を聞こうとせず、意気揚々とランクの上だと見た目でわかる豪華なホテルのロビーへ続く絨毯を歩いていくハイドリヒ5世についていこうとしていたルディリアとソプラの手をシキは静かに掴んだ。
「ついてかないの?」
手を掴まれ、止められる様にされながら不思議そうに尋ねるルディリアに、シキは笑いを堪えた様子でコクコクと頷いた。
「恥をかくのはひとりでいい。俺たちは外で待ってよう」
赤が基調の制服を着たホテルのポーターにふんぞり返って話をするハイドリヒ5世をシキ、ルディリア、ソプラの3人は外の花壇付近で見守る。
最初は偉そうにふんぞり返っていた彼が対峙したポーターの首を振って頭を下げる動作を見ると同時に前のめりになって驚いている様子が見て取れた。
「ど、どうしたのアイツ」
見るからに怒っているハイドリヒ5世の様子にソプラが眉を寄せた。
「サディルナのハイエンドホテルは身分が高い人しか入れないんだ。例えば領主とかじゃないと」
自分の胸を叩いて恐らく自分の身分を明かしているのだろうハイドリヒ5世の姿を見ながらシキはクック・・・・と喉を鳴らした。
「領主の息子じゃだめだなぁ・・・・俺やソプラは勿論断られるけどね」
本当に楽しそうな笑うシキにソプラはその足を軽く蹴っ飛ばした。
「性格悪いわよ笑うなんて!」
「なんだよ、ちゃんと忠告しようとしたさ。彼が聞かなかったんだ」
プリプリ怒りながらこちらに歩いてきたハイドリヒ5世に、シキはあははと笑った。
「残念だったな、身分があって親族までもが利用する事を許されてるのはソルディック社のディスカール総帥だけだってさ!」
あははと笑う姿もイラつくが女の子2人と手を繋いでいるのも許せない。
ハイドリヒ5世は顔を真っ赤にしながら怒鳴りつけた。
「なんで教えてくれないんだよ!」
「言おうとしたのにお前がサッサといっちまったんだろ?」
ムキィ!!と怒るハイドリヒ5世にケタケタ笑うシキにソプラはもう!と2人をなだめる。
ふと
黙り込んでいるルディリアが初めて不機嫌そうに頬を膨らませてむくれているのに気づき、ソプラが声をかける。
「どうしたの?」
そんな顔が出来たのかというほど不愉快を示した顔を見られていたと気付き、ぷー・・・と空気を吹き出すとルディリアがぷいぷいと頭を振った。
「・・・・・なんでもない」
するりとシキの手から逃れるとルディリアはぎゅーっとカリヤを抱きしめながら無言でついてくる。
「ソルディック社の社長は今まで弱小だったソルディック社を世界一の大企業にした実力者だってさ、人々の生活に多大な貢献をしたっていうんで至る所の入場が可能って話」
流石にハイドリヒ領主の息子ってだけじゃなぁーと笑うシキにハイドリヒ5世はその背中ドカドカ叩く。
「今に見てろ!僕は絶対有名になってあのホテルの奴らを膝まつかせてやるんだ!」
フンフンと鼻息を感じる程怒るハイドリヒ5世にシキは涼しげな顔でニコッと笑う。
「俺はそんな有名にならなくていいかなぁ・・・安宿でも飯はうまいし」
そんな会話をしながら歩くシキにソプラはドキマギしていた。
さっきのルディリアの事などスポンとどこかにいってしまう。
繋いだ手を離すタイミングを完全に失って繋いだまま宿を探している。
手袋をつけているせいでシキの体温は感じない。
しかし自分が問題だ。
顔だけでなく耳まで熱い。早く手を離さなければと思うのに緊張して固まったままシキに引かれるまま歩いている。
街中の光は洪水のようにキラキラしていて行き交う人さえかき消して行くようだ。
ミンナ村の夜は暗いのが当然の世界から出てたどり着いたサディルナの街は明る過ぎる。
こんなふうに手を繋いで恋人に見られたりするのだろうか?
ハイドリヒ5世をからかうのが余程楽しいのかシキもソプラと手を繋いだままだという事に気づいていない。
こんな感情は村にいた時は経験したこともない。
ヒヤヒヤするのにくすぐったくてドキドキして色んなものが沢山混ざって思わずワーっと走り出したくなる。
「ディスカールって結構新聞でもみるよなぁ・・・ガタイ良すぎだろ、絶対社長より猛獣って単語似合ってる」
「・・・そ、こまでは行かないけど確かにただの社長とは思えない。腕なんて女の子の脚より太いんじゃないかな?」
ハイドリヒ5世とお喋りが楽しいのだろうかシキがソプラの手をキュッと握る。
それだけで心臓がドキッとした。
「ねえ!」
そんな3人にルディリアが精一杯張り上げた声を出す。
彼女が大きい声を出すことは今まで無かったせいか、シキとハイドリヒ5世が一斉に振り返った。
その反応にビクッと肩を揺らしたが、ルディリアはブルブル震えながらカリヤをぎゅーっと抱いて顔を埋めた。
「お腹・・・・・へったよ・・・むう、・・・はやく寝るところ行こう・・・・」
ルディリアの提案にそうだったとシキは頷いた。
「うん、そうだね。俺がいつも使う所に行こう。正直空いてるかは微妙だけど」
そこで初めてソプラの手を繋いだままだったとシキはパッと手を離した。
「ああ・・・、悪い」
そう言うとシキは場所を知っているのが自分だけだと言う事で先頭をスタスタと歩いていく。
気まずそうでなく、恥ずかしそうにするでもなく、機械的な対応にソプラの胸はズキッと痛んだ。
ルディリアさえこんな提案し無ければ・・・とキッと彼女を睨むとルディリアはずっと俯いて歩いていてその睨みも気づかない。
しかしどこか深刻そうな顔をしていてなんとなく声をかけるタイミングが見つからない。
どうせお腹が減っているだけだろうとソプラはすぐに前を向くと人混みに紛れてしまいそうなシキの背中を追った。