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夢想書斎  作者: 奈々月 郁
3/7

第二話 ~笑顔はコミカルに生まれてくる part1

『準備は完了!

  キミは予想できるかな?

   この僕の笑顔の罠を……』




「なぁにが『予想できるかな?』よ。つまんない」


 カルナの放つ不穏な空気を素早く察知して、カタカタと鳴り続けていた点字タイプライターの音が止まる。


「もう少し我慢して読んでいてくださいねぇ」


 カルナの暴挙、その寸前に男性から釘を刺される。いつもの光景だ。

 人一人通れる隙間を残して、広大な部屋に所狭しと置かれた本棚。

 その片隅には一つの机と二つの椅子。定位置はそれぞれ決まっている。男性がタイプライターの置かれた机の前の、机と同じくらい素っ気ない木製の椅子、カルナがそこから三歩ほど離れたソファ風の優雅な一人掛けの椅子だ。

 窓辺のその位置から十歩行くか行かないかのその他の空間は図書館染みていて、部屋は高くそびえる書架のせいで住居としてはあまりにも空間的に狭く、彼ら以外の人間がくつろぐスペースはない。

 もっとも、男性の認証なしには入ることができないうえ、来客などほんの数名しかいないのだが。


「つまんない。早く次、書いてよ」


 カルナは溜め息のように呟くと背をぐっと反らして伸びをした。伸びの姿勢からリラックス状態に戻すついでと、男性の視線もお構いなしに、読みかけの本を持つ手からも力を抜いて床にそっと落としてしまう。

 その状態から椅子の上に足を乗せて横寝の姿勢になり、体を丸めてしまった。


「おやすみですかねぇ?」


 男性が声をかけると、カルナは一つ頷いてそのまま顔を腕に埋める。

 それから数分経ったかどうか。早くもカルナは寝息を立て始めていた。寝顔はまだまだあどけなく、凛とした美貌よりも可愛らしさが目立つ。

 年齢的にはとうに大人なのだが……。男性は彼女の精神成長の遅さを責めるつもりはない。

 幼くしてずっと、無理に大人びた振る舞いをしてきたのだ。今になってようやく少女に戻れたのなら、それでいい。


「予定調和の内にいれば、不安を感じることも孤独に捕らわれることもない、でしたかねぇ。本にそれを求めても、うまくいかないみたいですよ」


 いつも通りのこととはいえ、またもバッドチョイスであった自分のセンスを、微かに男性は笑った。

 疲れることのない体にふと重さを感じて、男性の笑みは苦いものに変化した。特に痛みもコリも感じないのだが、気休めに形ばかり肩を回してみたり首を揉んでみたりして、再びタイプライターに向かう。

 共に暮らす全盲の彼女のために、点字の本を作るのが彼の仕事なのだ。



   ******



『あれこれ悪戯するけど

  結局僕が欲しいのは一つだけ。

   なぁ、笑ってくれるよな?』




「bonjour」


 部屋の外から声がかかり、男性は顔を上げた。

 カルナを起こさぬようそっと立ち上がり、本棚の隙間を縫ってドアを開ける。


「お久しぶりですねぇ」


 呑気な言い様に、出迎えられた男は微苦笑で男性の肩を叩いた。


「お久しぶりになったのは、どこのどいつのせいだっけ、B?」


 親近感のある嫌味に、男性は微笑んだ。


「まぁ、そう言わずに……そうそう、静かにお願いしますよ?」


 部屋に招き入れながら、奥を指してみせる。


「カルナさん、寝ていますからねぇ」

「そりゃよかった。この間から徹底的に避けられてるからなぁ」


 そう言ってリベリアは寂しそうにカルナの寝顔を覗き込んだ。

 よく寝ている。リベリアが部屋に入ってきたことにも気付いていないようだ。

 先日Bが起こしたナイトメア能力にカルナとリベリアの二人が巻き込まれた後、カルナはとにかくリベリアに会うまいと部屋に閉じこもりきって避けていた。

 ナイトメア能力の効力はその場限り。また会ってしまったら恐ろしい悪夢に巻き込まれるとか、悪夢が現実になるかもしれないだとか、そういったことはないのだが。


「自分の中の狂気ってものに、つくづく敏感だな、カルナは」

「そうですねぇ……。人間なら多かれ少なかれ、誰しも持っている部分だと思うのですが……。カルナさんが持つ狂気は社会から外れるほどではないと思いますよ」


 憂いの空気がふわりと落ちる。二人が思い浮かべることは、同じだった。


「血の海から始まる記憶、か。こんな籠の中に閉じ込めたって、良くなるものでもないだろうに。

加害者の娘だとしても、ちゃんと学校行かせるとか、就職するとか……何ていうのかな、普通の生活をすることが一番カルナのためじゃないのか? あの事件、公国内では報道規制が布かれていたはずだ」


 珍しく吐き捨てるような口調のリベリア。対する男性はやや悲しげな微笑だった。

 一拍おいてそれに気付いたリベリアが、顔を曇らせる。


「悪い……。Bが悪いとか、そういう意味じゃないんだ」

「分かっていますよ」


 男性は男性で、指摘されて初めて自分のしていた表情に気付いたようで、指先で軽く頬を撫でながら恥ずかしげに微笑んだ。


「ですが……そうですねぇ。本当は犯罪被害者擁護機関の手を借りずに、私がカルナさんを育てられたら、それが一番よかったのかもしれませんねぇ。

人間のことは分からないからと二の足を踏んで、機関に頼った結果、カルナさんは学校にも行かずに、復讐を糧にして育ってしまいましたしねぇ……」

「それはBが悪いわけじゃないさ。僕だってきっと、機関を頼ったはずだ。同じ人間でも、女の子のことは分からないからね」


 そうだろう? と同意を求めるようにリベリアは男性と目を合わせる。

 その気遣いに、男性は柔らかく笑って頷いた。


「あれから五年は経ったか……。どうしたらよかったんだろうね。

復讐には人を立ち直らせる力があるけど、怨みはカルナの悲しみを深くするだけだ。銃の扱いを教えるなんて、しなければよかったと思うよ」

「貴方が仮初めのものとはいえ、生きる意味をカルナさんに授けなかったら、カルナさんはもう二度と、笑わなかったかもしれませんよ。

それほど悲観しなくても、貴方のやったことには立派に意味があったんですから、私は感謝していますよ」

「おかしいな、僕がBを励まそうと思っていたんだけど」


 苦笑気味にリベリアが頭をかくと、男性はいえ、と軽く首を振る。


「貴方だって、まだ子供だったんですからねぇ。カルナさんと同い年で、まだ取れる手段もそうはなかったでしょうに、その中からカルナさんを立ち上がらせるための方法を見つけたのは、十分すごいことですよ。

貴方がどう思っていても、貴方はカルナさんのために最善を尽くしていた、それでは満足できませんかねぇ?」

「できないよ。もっと早く、カルナのそばに駆けつけてたら……同じ時期に僕が『死んだ』りしなければ……カルナのために、何かもっと、できていたかもしれない。

怖かったのかな、僕を殺した奴のことは顔も覚えていないけど、今もぞっとする。『リベリア』さんがいなかったら、僕はもうカルナに会うこともできなかったんだ」


 記憶に沈んでいたリベリアの視線が、ふと、男性へ向けられる。


「カルナは……覚えているのかな? あの時の僕のこと……」


 即答しようと口を開きかけた男性だが、その目が暗く曇った。

 問いを引き下げようかと悩みながらも、結局どうしても答えが知りたくて、リベリアは視線を逸らすことなくじっと待つ。

 二度、深呼吸するほどの間をおいて。


「覚えていないでしょうねぇ。カルナさんにあの頃のことを訊いても、いつも……。覚えていないんでしょうねぇ」


 何かを想うように悲しげな表情は、カルナに復讐を願わせた『あの日』のことを思っているのだろうか。


「そうだよな。覚えているわけないな」


 情けない自分の姿を覚えていてほしかったわけではない。ただ、カルナとの絆が欲しかっただけで。

 『あの日』のことがなければ、結局リベリアもカルナと一緒に居続けることはできなかったに違いないのだ。いつか離れて、誰かのものになってしまっていたかもしれない。

 憎むべきことに安堵を覚えている自分を、醜いと思った。

 それでも。


「よかった。お互いボロボロだったからね。カルナが知っている僕は、『あの日』の後からの僕でいい。じゃないと、格好つかないし。

カルナを守れなかった僕なんて、カルナは知らなくていいんだ……」


 窓の外を眺めながらの独白に、男性は答えを求められていないと知る。寝返りを打つカルナにタオルケットをかけてやると、いつものように机に向かい、タイプライターを静かに叩き始めた。



   ******



『彼女の誕生日。

  驚かせて、泣かせて、最後には

   目一杯笑わせるんだ!』




「この町にはもう慣れたかい?」


 しばらく会話もなく、互いに沈黙を守っていたが、やがてリベリアが他愛無い話題を男性に振った。


「大分慣れましたよ。ただ、フランス語は古い言葉しか知らなかったので、現代の言い回しには少々苦戦しましたねぇ」

「現代って……前にフランス語圏で生活していたのはいつ頃だったんだ?」

「かれこれ……数世紀は前ですねぇ。元々の生まれが英語圏だったようですし、フランスを離れた後はずっと英語圏の国にいましたから、さすがに今風の言葉はよく分かりませんよ。言葉自体もずいぶん忘れていましたしねぇ」


 数世紀、という人外であることをはっきり指し示す言葉に、リベリアはどう反応すべきか迷ったが、数秒の後に聞き流すことを決めた。

 初めて男性が人間ではなく、呪術の粋を極めた結晶であると聞いた時は有り得ないと思い、思い返せばあれこれと顔の赤くなるような失態を重ねてまで男性に付き纏っていたが、この地に定住して数年が経った今はさすがに落ち着いた。

 今更驚くべきことでもないし、この人間の形をした『本』という存在の友は、割合繊細な心の持ち主だ。


「なるほど。でも、聞いていて特に違和感はないな」

「お褒め頂いて嬉しいですねぇ」


 満更でもない様子で男性はおどけて頭を下げた。

 まったく、この友人のどこが『本』だというのか……。リベリアには到底理解できない。

 喜怒哀楽もあるし、嗜好品程度のようだが食事もするし、呼吸だってしている。睡眠がほとんど必要ないことと、ナイトメア能力と、人外の長寿の他は人間と変わらないらしいのだが。

 とりあえず、見た目で人外の存在だと認識することはまず不可能だ。


「慣れた頃にはまた離れることになるんでしょうけどねぇ……」

「え? まさか――」

「あぁ、いえ、そんなに近々ではありませんよ? 私はデリケートですから、土地に慣れるのはそう簡単なことではないですからねぇ」

「自分で言うかね……」


 カルナを置いていくのかと焦ったリベリアに、男性はニヤリと、しかしどこか嫌みのない笑みを浮かべて否定する。

 あくまで軽い調子で否定しようとするのでそれ以上何も言わなかったが、いつか男性はこの町を、もしかすると国を、出て行くつもりなのかとリベリアは薄々察した。

 ただそれは、カルナが結婚などして他所に居場所を見つけたり、あるいは彼を知る者がいなくなってしまってからなのだろう。だからすぐではないのだ。

 きっと今までも、男性にとっては繰り返されてきたこと。数え切れないほどの人間を見送ってきたのだろう。

 それがどれほど孤独なことか、男性以外誰も知らない。そんな唯一の存在を作ってしまった呪術師は、どれほど研究にしか目が向いていなかったのだろうか。

 人間でないというだけで、人間に近い感情を持つ存在。その孤独を顧みず、かつての呪術師は彼を創ってしまった。

 だが、リベリアにはその呪術師の気持ちが分からなくもないのだ。

 どれだけ人に止められようと、倫理に反していようと、自分が呪術研究を止め、反魂の術の完成を諦めることはない。男性を作り上げた呪術師も、譲れない想いがあったのかもしれない。

 ――人間が、一番大切に想うのは自分自身。

 どこかで読んだような言葉が浮かんできて、やるせない思いになった。


「カルナさんのことですかねぇ?」

「ん?」


 我に返ると、男性が心配そうにリベリアの顔を覗き込んでいた。

 いったいどんな表情をしてしまっていただろうかと、取り繕う台詞も思い浮かばず慌ててしまう。


「貴方はまだ納得できないんですかねぇ? カルナさんのこと、満足はできなくても、過去のことは納得するしかありませんよ?」


 先程カルナについて話していたことを思い返していると誤解してくれたらしい。どうせ上手く説明することなどできないのだから、話に乗っておこうとリベリアは思った。


「確かに。今からカルナを幸せにすることができる方法を考えないと、だな」

「その意気ですよ。大丈夫、カルナさんを幸せにしたければ、貴方が頑張ればいいだけのことですからねぇ。

ただし、絶対に手を触れてはいけませんよ?」

「んなっ……こと言って……!」


 突然の変化球に、リベリアの顔が真っ赤に染まる。

 男性の意地の悪い言い方と、実に楽しげに歪められた唇は、リベリアの持つ恋情をあからさまにからかっていた。

 何でもいいからとにかく言い返そうとリベリアが息を吸い込んだ時、傍らの一人掛けソファにかけられたタオルケットがもぞもぞと動いた。


「う……ん……」


 あまり声量に気を留めず談笑していたせいか、カルナが半ば覚醒しかけたような様子で寝返りを打ち、軽く瞼が持ち上がった。

 これに驚いたリベリアは急いで立ち去ろうと身を翻しかけたが、途中で静止した。促すような男性の視線を受けて頷き、優しい表情でカルナの元へ近寄る。

 寝ぼけて虚ろなカルナの瞳が、リベリアへと向く。半分以上夢に足を突っ込んだ状態らしく、やけにふわふわとした声が彼を呼ぶ。


「B以外に、誰かいる……?」

「ああ。おはよう、カルナ」


 段々と覚醒していくにつれ、カルナの表情にありありと恐怖の色が浮かんだ。


「カルナ、散歩に行ってくるっ」

「待って」


 背を向けたカルナの腕を掴んで止め、後ろから壊さぬようにそっと抱きしめるリベリア。触れた体は一片の隙もなく強張っていて、まるで彫像だった。

 男性は何も言わず、先程のリベリアがカルナに向けたのと同じ、優しい表情で見守っている。


「大丈夫だよ、カルナ。大丈夫」


 熱に浮かされたような短く浅い呼気が伝わってきて、リベリアは少しためらった。だが、心を奮い起こしてカルナに言う。


「大丈夫。カルナのことが大好きだから。ちょっとくらい怪我したって、なんともないよ」

「嘘……平気なわけないよ……」

「信用ないなぁ……。大丈夫だって。これまで何年も一緒にいたけど、何ともなかったじゃないか」


 しばらく逡巡していたが、ようやく納得したのか、カルナは深く息を吐きながら頷いた。次いで強張っていた体の力も少しずつ抜けていく。


「うん、そうだね。ありがとう、リベリア」

「もう、大丈夫だね。ほら、元気を出して。僕はカルナより強いんだ。そう易々とやられたりするはずないだろ?」

「うん。ありがとう、大好き!」


 まるきり子供の仕草で自分からリベリアに抱きつくカルナ。

 顔色こそまた真っ赤になっていたが、その幸運を喜ぶどころか、どことなく苦い顔のリベリアに、男性は誰にも聞こえぬよう、口の中だけで「ご愁傷様」と呟いた。

 彼が持つのは男女の間にある愛情であっても、彼女が持つのは家族や友人への親愛。

 カルナの保護者を称する男性から見ても、それは可哀相な事実だった。


ねむねむ……奈々月です。


車の運転が好きなので、可能な限り車で通勤したい奈々月なのですが、ここのところ、駐車場のないところでの勤務が増え、そうもいかなくなってきて、(2時間くらい早起きだし……寒い~)なんて思っていたのですが……。

こちらのサイトでお気に入りの小説を探すのにすっかりハマって、(案外いいかも……?)に変わりつつあります。書くにも読むにも、感謝感謝です。

とはいえ、こうして小説を書いている間も、豪雪に悩まされている地域の方もいるかと思うと、身が凍る思いです。

殺伐としたファンタジーも多い奈々月ですが、ふと落ち着いたとき、少しでも心が動く小説であるよう祈ります。

インフルエンザも流行っていますし、年の瀬ではありますが、みなさまご無理をなさらないよう……。


それでは、おやすみなさいませ……。

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