結界と魔女
「大丈夫ですか、そこのヒト」
森の中の、今は無き川が氾濫したときに上流から流されてきた岩の上に横たわり、陽の恵みによって傷をいやしながら休息をとっていたら、声をかけてきたのは、まだ若い少年だった。
「……人間……」
眠っていたところだったので、まだ覚醒しきらず、寝ぼけている頭でなんとかそれだけ絞り出した。
「如何にも、僕は人間です。
ひょっとすると、あなたは魔女殿でしょうか?」
その単語を耳から認識するなり、追われる身であったことを思い出す。
「そんなに身構えずとも、平気ですよ?
僕は魔女狩りには興味がありませんので。」
そんなに態度に出ていただろうか。
かつて最強の魔女と呼ばれたこの私が。
やはり、老いには逆らえぬか。
「ところで、そこ、冷たくはないですか?
まだ、寒い時期ですし。」
陽の光に暖められ、寒さは感じていない。
ついでに、自己防衛の本能からか半自動的に発動される自身の魔法による効果もあるのかもしれない。
「あの……。
また、眠ってしまうのですか?」
瞼をおろすと、それを妨害するかのように少年は声を発した。
「……眠い。」
「言葉は、通じるのですね。」
少年はどこからか取り出した分厚い装丁の本に何かを書き込んだ。
それを視界の端に納めながらも、再び眠りにつく。
目覚めたのは、離れた位置にある背の高い木の長い影が体を覆い、陽の力が届かなくなっている頃だった。
体を起こす。
陽はすべての生命の源だから、生命力である魔力も、陽の光によって回復することができる。
長い間陽に当たっていたおかげか、傷は全て塞がっていた。
だが、もう陽の届かない日陰にいるためか、体が重い。
自分の体を見下ろすと、服が変わっていた。
相当魔力を消費したようだ。
普段身につけている鮮やかなドレスは、魔力が高密度で集約することにより可視化しているもので、どんな結界よりも防御力が高く、形も自由自在で、自身の魔力だから思考をサポートしてくれるため、動きやすい。
それが今は無い。
意識を失ったからといって魔力の集約が解けるわけでもないため、今は集約しても可視化するほどの量はないのだろうと判断。
だが、目を凝らして魔力をみてみると、それほど極端に少ないわけではなかった。少なくとも、過去にこれほどの魔力量で自己治癒が使えなくなったことも、他の魔法が使えなくなった
こともない。ましてや、可視化が解けたことなどなかった。
何か外的要因があるのではないかと辺りを見回す。
すると、視界の隅──岩にもたれ掛かるようにして座っている少年がいた。
彼が原因だとは考え難いが、それ以外に、眠る前との変化が見られない。
というか、まだいたのか。
しばらくじっと見ていたら、少年はふらふらと立ち上がった。
「大丈夫か?」
その声に振り向き、
「……起きて、いたのですか。」
眠そうな眼を私に向けた。
「今な。
それより、君はずっとここに?」
「いえ、一旦食材をとってきました。」
「それ以外は、ずっと?」
「ええ。」
少年は、頷いた。
「なぜ?」
「なぜ、とは?」
「どうしてそこにいたんだ?」
ここは森の中。
私の追っ手が来ることはおそらくもうないだろうが、獣もいるし、危険だろう。
「魔女殿について知りたくて、ですかね。」
「なにが?」
「ん?」
「なにが知りたいんだ」
「……生態?」
「そんなもん、人間とさほど変わらんと思うが?」
「……そう、ですかね?」
「そうだと思うぞ」
それから色々あり、なぜか少年の家に住まうことになった。
少年の家──特に地下室には、多種多様な魔具が集められており、それらは彼が主に集めたもので、一部元々その屋敷にあったものだという。もちろん紛い物が多かったが、中には本物もあり、未だ効果を発揮し続けている代物まであった。その一つに、鳥かごのような形をした、ひとが入れるくらいの大きさのものがあり、それは、魔力を供給することにより中にいる生命体を回復、治癒し、最善の状態へと導く手助けをする効果を持つものだった。
少年の許可を得、私はその中を住処とした。
広い部屋よりも、よっぽど居心地がよかったから殆どをそこで過ごした。
時々地上の階へ出ると、少年はよく広い廊下で倒れて寝ていた。
それを見つける度に近くの部屋に運び、その部屋に、軽く、おまじない程度の結界を張っていた。
ほかに家族もいないらしく、村人との結びつきも弱いらしいので滅多に人間は訪ねてこず、時々弱った獣が倒れているくらいだった。
それを介抱して時には森に戻すものだから、少年は、この森の獣に好かれているようだった。
ー ーー ーー ーー ーー ーー ーー ーー ーー ーー ーー ーー ーー ーー ーー ー
とある森の奥深く、ある屋敷の地下の部屋。
四方をカーテンに囲まれた、丸い空間。
外界と繋がる扉を開き、地上から続く階段を下りてきたのは、無表情な少年だった。
「その足、どうしたんだ?」
部屋の中央──階段のすぐ脇にある籠の中の少女は、階段を静かに下りてきた少年に訊ねる。
「怪我でもしたのか?」
「……昔からだ。」
片足に包帯が巻かれた少年はそう答え、白衣のポケットから出したシガレットを口にくわえると、階段の下に足を投げ出して座った。
「また、お菓子か?」
目もくれず、耳も向けているのかどうかさえわからないその無反応ぶりに、籠の少女はむくれて見せた。
「何か言葉を返してくれ」
それでやっと首だけ動かして、少年は籠の上部へ目を向けた。
「──鎖が、錆びてきている……」
次に発した言葉は、少女の問いに対する応えではなかったが。
確かに、少女の入っている籠の上部、部屋の高い天井と繋がっている鎖との結合部が、少し赤茶がかっていた。
鎖には魔法で、結界を張っているはずなのに。
錆びも傷みもせず、一生解けないはずの。
術者に、何かあったのか?
そんな不安をおくびにも出さず、少年は、そう呟いた。
そして、結界を張った術者に連絡を取るため、魔具である分厚い本を開いた。
その本をどこから出したのかは、少年以外、知る由もない。
「君が手入れをしないからだろ?」
少女の言葉を否定も肯定もせず、会話を続ける。
「──君は錆が、気にならないのか……?」
「気にならないが、気にした方がいいのか?」
「──きれいに、してくれないか……?」
軽い冗談のつもりで、少年は言った。
「魔法は使わないようにと、君は言ったね?」
彼女はそれに、寂しそうに、そう応えた。
「──……それも、そうだったな……。」
少年は、言うべきではなかったと、後悔をした。だがそれも、顔には出ない。
彼女は本来、こんな狭い部屋の籠の中などではなく、広い外界を自由に生きることが許されるはずなのだ。
こんな時代でなければ、少年も、彼女を監禁するような真似はしなかったろう。
自由にその魔法を使い、自由に生きることこそ、本来の彼女ら──魔女と呼ばれる者たちの生涯なのだ。
そのとき、少年の足の上で確かな存在を主張していた分厚い本のページが、勝手に数ページめくれた。
開かれたページには、黄金の文字が浮かぶ。
術者である魔女からのメッセージだ。
音を媒体にすると不都合なとき、こうして紙を媒体にし、暗号を使った意志疎通を行う。
これも本来、魔女が行っていたものだ。
故に、魔法と呼ばれる。
黄金の文字は徐々に光を失い、ページは白紙に戻っていった。少年は口にくわえたシガレットを噛み砕きながら、その空白のページに指で文字を刻んでいく。
その軌跡は煌めく仄かな光を纏い、少しずつ、消えていった。
「何をしてるんだ?」
少女が籠の格子を両手でつかみ、その間から首を伸ばしながら、少年の挙動に首を傾げる。
それに少年は応えない。
再び、ページに文字が浮かんだ。
魔女でない者にもわかる言葉に直すと、
『 今
森の前 』
となる。
ポケットから出した懐中時計を確認し、本を音を立てて閉じると、少年は立ち上がり、元来た階段をあがっていった。
「どこへ行くんだ?」
少女の言葉に、ぎこちない無表情だけを返して。
屋敷の裏口──もっぱらこちらを出入りに使っているが──に辿り付き(自分の屋敷だがかなり迷った後)、扉を開けると、そこの壁に背を預けて座っている青年がいた。
腕を縛っている布から鮮やかな液体を滴らせて力なく笑んでいる青年は、今にも倒れそうだ。
「──平気かい?」
「何とか……。
それより、あの子は?」
「──いつもどおり、籠から出ようとしない。
それより今は、君の怪我の手当てを」
青年は腕へ伸ばされた少年の手を払い、自分の手で押さえた。
「必要ない」
「意地を張らずに」
「このくらいは、自分で──」
「……なら、早く中に入って」
少年が扉を体で押さえて道を空けると、フラフラと左右に揺れながら、青年は屋内へ入っていった。
昔は客室であった、今は使われていない豪華な部屋に入ると、青年はベッドの上に力尽きたように倒れ込んだ。
「──やっぱり、平気じゃないでしょう。君」
それに応えるかのように、青年の外見が部屋の空気に溶けていき、服装はそのまま、長く艶やかな髪と柔らかなボディラインが露わになった。
「外じゃ魔法を使えないからな」
屋内に入ったためか素直に認めた、青年だった女性を仰向けにし、腕を縛っている布を解いた。
その下には鋭利な刃物にやられたとおぼしき傷から鮮やかな液体があふれていた。
これは、彼女の体液。
「その傷は、私が治すよ」
「……忝ない。」
未だ止めどなく滴り続ける体液の流出を阻むべく傷口を押さえながら、少年はもう片方の手に持った重そうな装丁の本を開き、その上に翳した。
その本がどこから出てきたのかは、少年以外、知る由もないことだ。
本を中心に広がった球状の仄かな青い光に包まれ、見かけ上は、徐々に傷口が閉じていった。
表面だけは修復したが、少年の魔力の質と(僅かに吸収できる自然の魔力もここは屋内であり、自然の象徴である緑からもだいぶ離れていることから少なく)量が足りないため、内部までもとのとおりというわけにはいかなかった。
先ほどまで縛っていた布の汚れを取って包帯代わりに巻き付け、処置は終了である。
「ついでにこれも飲む? 特性回復薬。」
どこからだしたのか、女性から離した方の手には不気味な色の液体の入った試験管が。
「遠慮しとく。」
無表情ではなく、愉悦の笑みさえ浮かべそうな少年の顔を見、冷や汗を一筋流しながら、女性はその提案を断った。
「──冗談はこのくらいにして。」
少年はそう呟くと、両手を体の前で組んだ。
手に持っていたはずの試験管と本は、どこにも見あたらない。
「誰に、やられたんだ?」
「……転んだ」
女性は少年の問いに対し、顔ごと目を反らして答えた。
「──嘘だ。」
少年は心配そうな、哀しそうな顔をした。
だがそれも無表情の域を出ず、女性にはわからなかった。
「──正体が、バレたのか?」
「いえ、まだ」
「ならば──操られた配下? 洗脳された村人?」
「それらに恐れを抱いている同胞。」
驚きと哀しみに、少年は少しの間を空けた。
今この時も、同胞は、脅えている。
魔法が使える者は、悪魔の使いとされ、不幸をもたらすと信じられている。そのため、迫害や謂われのない罪により処刑される者が後を絶たない。
中には、その者達と挨拶を交わしただけで処刑された人間や、魔女に仕立てあげられた罪無き女も大勢いる。
通称、魔女狩り。
いつから始まったのか、正確なことはわからない。
だが最近は、罪無き犠牲が増加している。
そもそも狩られ続けた結果個体数の少なくなっている本物の魔女や魔導師よりも、無関係な人間の犠牲者の方が圧倒的に多いのだ。
昔は魔女と人間は互いに利用しあい、共存していたのに。
この少年がもっとずっと幼い頃など、魔女に認められた人間、すなわち魔導師はかなりいたものだ。
魔導師は、魔女から魔法を伝えられ、与えられた人間を指す。
許可された範囲でしか魔法を使えないし、自然から魔力を分け与えられている魔女と違い、自身の魔力を使用しなければならないため、制限がかなりある。
広義ではこの白衣の少年も、魔導師といえた。
「──正体を、明かしたか?」
「信じてもらえなかった。」
そのため、男の方が幾分か安全であるために、魔女である彼女は外出時、魔法で男の姿をしているのだ。
「狩る方の配下だと疑われちゃったよ。」
「……そうか。」
この魔女狩り、大本を辿ると実は1人の魔女に行き当たる。
そのため、その魔女が作り出した魔導師や、彼女自身が魔法で操った人間が村人らを焚きつけて魔女の排除が行われる。
少しでも疑われれば村八分。抵抗すれば惨いことになるし、庇えば同罪と見なされる。
そのため、日々を脅えながら正体を偽り隠れて暮らしている魔女たちも、魔法が使えるだけでは同胞とは認められず、用心深く、時には拒絶され、惨殺される。
その悪循環により、1人の魔女の思惑どおり、魔女の個体数は減っていき、人間との信頼関係を失い、魔導師も減っていっている。
ついには自分の配下さえも消し去り、魔法を使える者が彼女独りになったとき、彼女の悲願は、はたして果たされるのだろうか。
そのときは、異端として彼女すらも排除されるだろうが。
「この後は結界を視てもらえるか?」
この女性は、少女の入っている籠の結界の術者でもあった。
「ええ。少し休ませて頂戴。」
疲れた。と、女性は仕草で表現した。
「──じゃ、お休み。
この部屋にも一応結界を張っておく。反応して壊さないでよ。」
「善処するよ」
優れた魔女は無意識下で異物を排除する。
自分以外の魔法も異物と見なされ、それがたとえ生命の維持に不可欠だとしても排除してしまうことがある。
「──私は彼女のもとで休んでいるよ」
「了解」
魔女の女性の体液が付着した白衣を脱いで洗い、風通しのよい場所に掛けてから、少年は地下室へ戻った。
愛食のシガレットは場所を入れ替えて。
地下へ戻り、少女の入った籠の側に足を投げ出す少年。
「おかえり」
「ただいま、か?」
「たぶんあってるよ」
時には饒舌になったり反応がよくもなる、気分屋な少年であった。
いつの間にか食べ終えてしまっていたシガレットを新しく口にくわえ、端を少しかじる。
「またお菓子。」
「いいじゃないか。おいしいのだから」
「私にも、くれないか?」
珍しい提案に、少年の無表情の中にも驚きが浮かんだ。
「君は甘いものを、食べられたか?」
「食べたことが、ない。
いつも、君にもらうものばかりだから」
「なら試しに、ひとつどうぞ。」
少年が新しいものを取り出して渡すと、少女は少年を真似て口にくわえる。
「これが甘いというのか。」
「君の味覚が、私と同じなら。」
「同じだと思おう」
少女はシガレットを両手で持ち、少しずつ噛み砕いていった。
「おいしい」
「それは、よかった」
少女の笑顔を見て、少年は満足げに頷いた。
「……何してるんだ?」
「薬の、調合。」
少年の手には不気味な色の液が入った試験管。
足の上には通信用の魔具とも似た分厚い魔導書。
それをどこから出したのかも、少年以外、知る由はない。
「何に使うんだ?」
「……何かに。」
そこで少女の懐疑的な視線を受け流し、会話は終了。
風のない地下室で、白いカーテンがはためいた。
「久しぶり。小さな魔女サン♪」
髪を綺麗に結った明るい声の魔女の女性が、陽色のドレスの上に白衣を羽織って地下室にやってきたためだ。
(それによって風が発生したためではなく、地下室に進入者があると感知する魔法がかかっている。)
「確かに私は小さいが、その言い方は不服だよ」
ヒールの踵を鳴らしながら階段を下り、籠の前に立った女性を見上げ、少女は言葉どおり不服そうな顔をした。
「じゃ、かわいい魔女さん」
女性は籠の上の鎖を見上げ、手袋に包まれた手を伸ばしてその端に触れた。
「──異常は?」
「ここにはなし」
その短い会話の後、少年は手元の分厚い本(通信用の魔具とも魔導書とも異なる)に何かを書き記した。
「いっそのこと外しちゃおうかな」
「何を?」
「この鎖。そうすれば錆びないし。
デザイン的には必要だと思うんだけど、なんだか邪魔に思えてきたのよね~」
「……好きにすれば」
思いの外どうでも良い事だったようで、少年の応えはおざなりだ。
「じゃ、外しましょうか。
魔女さんも、それでいい?」
急に話を振られたが、あまり興味はなかったらしく、「それでいい。」と、なおざりに応えた。
少女の同意も得られ、女性は再び鎖に手を触れる。
その際呟いた言葉は、発した彼女自身そうするものだと習ったため、意味は理解できていない。
すると、鎖は光の粒子となって暖かな光を放ちながら散っていった。
「これで錆は気にならない。」
その際、鎖と繋がれていた籠上部のリングが音を立ててたおれた。
「これでアタシの役目は終わりね?」
女性の確認に、少年は頷いた。
「じゃ、またね。かわいい魔女さん」
そういって手を振ると、女性は階段を上がっていき、外界へと帰っていった。
それを見送り、少女は籠の上部へと視線を移す。
「鎖、なくなったな」
「……そうだな」
「これで錆も気にならない」
「気にしてたのか?」
分厚い本を音を立てて閉じると、少年の無表情の中にも少しだけ変化が見られた。
「錆が落ちてきそうになると、変な音がするんだ」
「音?」
「ジジって……何かがはぜるみたいな」
「……!」
少年は薄く目を見開くと、魔具の本を取りだし、急いで指を走らせた。
もう先ほどの分厚い本はどこにも見あたらなかった。
「どうかしたのか?」
「なんでも、ない……っ」
少し焦っているような、興奮しているような。
気分が高揚しているのは間違いないだろう。
「また、後で。
ご飯、持ってくる」
ページが光ったと思ったら、少年は勢いをつけて立ち上がり、普段よりもかなり饒舌にそう告げ、階段を駆けあがると地下を後にした。
寂しそうな少女の顔を見つめるのは、無感情な布だけだった。
* * *
部屋を出た魔女の女性は、白衣のポケットから四つ折りにした紙を取り出した。
ひらくと、光る文字が浮かんでいた。
訳すと、『原因に心当たりは?』である。
読んだそばから消えていく光がすべて消えると、そこに返答として、指を走らせる。
それに対する返答が浮かび上がってきた。
それには返答することなく、折り目のとおりに折りなおし、元の場所へしまった。
* * *
地下室との境の扉を勢いよく、だが音を立てないように閉めると、少年は、そこを中心に音を遮断する結界をかなり強く張り、魔女の女性の元へ駆けた。
「魔女さん!」
女性を視界に収めると、少年は強く呼びかけた。
「何? どうかしたの?
まさか、あの子に何かあったの?!」
振り向いて怪訝そうな顔をした後慌てる女性の言葉に、首を振って応え、少年は、まっすぐに魔女の女性を見上げた。
「あの子は、かなり優れた魔女だ」
「ええ。それがどうかしたの?」
そんなことか。と、女性は落ち着いた。
「君よりも潜在的な能力はきっと強い。
まだコントロールが未熟で、漏れだしてる」
「……何かあったの?」
この女性は、かなり優れた魔女だ。
すばらしい師に師事していたため、コントロールも巧く、魔法のみで比べれば彼女の右にでるものは、亡くなった彼女の師くらいしかいないだろう。
「錆が落ちてくるのを、無意識に弾いてたらしい。
変な音がするって言うから、何かと思ったら」
未熟な魔女は魔力の流れをうまくコントロールできない。
そのため、出鱈目に放出してしまっている。その量にも限度があるから、ほとんど周りの事象には干渉しないが。
なのに、無意識下で異物を排除していた。
これは、魔力のコントロールが優れた魔女に起こることであって、魔法的な教育を全く施されていないあの少女が行えるのは、異様なことであった。
魔女の女性も、目を見張る。
少年がわざわざ伝えにきたのも頷ける。
「それで?
それをアタシに伝えて、どうしようって?」
魔女の女性も、その先の言葉を予想したのだろう。険しい顔つきになった。
「……あの子に魔法を教えたい」
だから、この言葉に対する返答は、即時に。迷いを見せてはいけなかった。
「それは駄目。」
この女性自身、そう思ったことは過去に何度かあった。だが今まで思いとどまっている。
「魔法が使えるようになったら、あの子も、殺されてしまう」
そう、自分に言い聞かせて。
自分の師も、手ほどきをした魔導師も、世話をした弟子も、家族も、姉妹も。時代の流れによって、魔女狩りの中で、失った。
もうこれ以上同胞を失わないために、奪われないために、彼女は屋敷の外へでて人間たちに混ざり、姿も身分も偽って情報を集め、時には匿い、散り散りになった魔女たちを引き合わせている。
「魔力をコントロールする術を身につけなければ、外界にも出してあげられない」
幼くして親を失った少女をこれまで匿ってきたのは、少年である。
あの少女も、危険な目に遭わせるくらいなら、一生この屋敷の中に匿っていた方がマシ。そう考えて今まで、女性は少年に協力し、屋敷の地下に結界を張っていたのだ。
現実には、結界に関してはこの魔女の女性よりも少年の方が幾分も優れていたのだが、少年が能力を明かしたのはつい最近。結界を張り替えるとどれだけ似せても性質が全く同じにはならず、気付かれてしまうリスクが高まるために今でも女性が結界を張っていた。
「外に出す気?」
「いずれは。」
「駄目よ。」
意見が食い違っても、無理矢理に従わせることもできない。
それは自らを危険にさらすだけだ。あの少女も巻き込んで。
「……魔女狩りは、もうすぐ終わる」
少年は、そう言いきった。
「そのときには、あの子も外へ戻すんだ」
「どうして言い切れるの?」
「私が、終わらせる。」
その顔は、相変わらずの無表情で。
「あなたが?」
「ああ。もうすぐ見つかりそうなんだ。」
その声には、何かが籠もっていて。
「何が?」
解っていてもなお、信じたくはなかった。
「森の魔女が。」
魔女狩りの中心にいる魔女。
彼女をどうにかすれば、魔女狩りの性質も変わってくるだろう。
でも、どうやって。
彼女を倒すためには……
「あなた、死ぬ気?」
「私は死なない。」
「アイツを殺そうとすれば、あなたも死ぬ。」
言い切った少年の両の碧い瞳を見つめ、女性は冷え冷えとした声で言い放った。
「殺そうとは思ってない。」
大本を殺さずにを魔女狩り止めることなど、できるのか。
あの魔女の思考さえもが、魔女狩りの追い風となるのに。
「どうしようとしてるの?」
「結界に閉じこめるだけ。」
「アイツに破れないような?」
少年の結界の強さを、魔女の女性は知っている。
それが果たして本気なのかは判らないが、以前、結界に囚われたことがあった。
「中からは破れない。
外からは簡単だけど、そこは二重にして、外からも破りにくいようにする。」
結界はいくつもの種類がある。
その殆どが、術者を守るためのものだ。
術者を囲んで守るもの、対象を囲むことによって術者を守るものなどがある。
前者は外側からは破れたら危険なので、術者のいる内側からのみ解除を受け付け、後者は逆に術者のいる外側からのみ解除を受け付ける。
もしそれを異なる用途で使用したならば、術者にも、解除は困難になるであろう。
結界を破る方法として代表的なものは2つ。
1つは、術者が正しい方法で解除をかけること。
もう1つは、力ずく。物理的なものを遮断する結界であったのならば、結界の許容量を超える物理的な衝撃を与えることによって結界は破れる。非物理的なものを遮断する結界であった場合は、術者よりも高い密度の魔力をぶつけることによって結界は破れる。コントロールに長けていなければ、膨大な量の魔力を一気に放出すればいい。
後者は、どんな結界だろうともこの方法で解除することが可能だが、場合によっては魔力の消費がばかにならない。
少年の魔力量は、底が知れない。
この少年になら、もしかしたら。
魔女の女性は、そう、思ってしまった。期待してしまった。
「……好きにしなさい」
そして、そうとだけ言うと、背を向けて、歩いていってしまった。
潤んだ瞳を見られないように。
その背を見送り、少年が自然な笑顔を見せたのだが、それは、誰の目にも触れなかった。
少年は、作ってあった食事を少女に届けた後、外へ向かった。
先ほど、魔具を用いて結界が乱れた理由を問うたところ、
『魔力の流れが乱れていた。
村に何かあったのかも。』
との返信を受け、自ら調査しに向かうためである。
少年といえど直接村に侵入するのは危険が伴うため、村を見渡せる場所へと向かう。
* * *
途中即席の結界が張られているのを見つけ、念のため歩みを止めて周囲を探ったところ、なにも変わった所はなかったため、術者に気づかれぬよう結界の“穴”をぬけ、そのまま目的の場所へ進んだ。
村を見渡そうと登った丘の上には、鮮やかであるがボロボロのドレスを纏った魔女が1人、横たわっていた。
周りを小動物が心配そうに囲んで。
途中で抜けてきた魔女の結界は、おそらく彼女が張ったものだったのだろう。かなり弱かった、感知のための結界。
怪我の具合からして、そう長くはない。
魔女狩りをしていた村の住人か洗脳された配下にでも会って応戦した結果だろうか。
「……生きてるか?」
その言葉に、魔女は驚いたのか顔をゆがめながらも体を起こし、両手に計6本の投げナイフを構え、臨戦態勢をとった。小動物たちはそれに驚いて散っていった。
「──人間ッッ!」
「怪しい者じゃない。君に危害を加えるつもりもない。ただ村を見下ろすためにここにきただけだ。」
両手をあげて敵意のないことを表明する。
「どうやって結界を抜けたッ?!」
「結界の穴を通った。」
「穴……?」
「あの弱い感知結界には、穴がある。
ただ、魔力を纏えば触れても気づかれずに通ることは可能だ。」
「魔力持ちの人間……魔導師──あいつの手下かッ!」
そう結論づけて投擲される5本のナイフを優れた胴体視力で見切り、あげたままだった両手で2本ずつ柄をつかみとり、残り1本は刃先を、掴んだナイフの刃先で叩いて足下へと軌道を変えた。
少年の足下には、最後の1本を握って地に伏している魔女がいた。刃を強く踏まれ、どうやったのか関節をきめられそうになっている。その首もとには先ほど足下へと軌道を変えられたナイフが刺さっていた。そのためナイフを離すこともままならない。
「違う。
──今殺さなかったことが、その証明だと思ってほしい。」
魔女は顔を動かそうとしない。少しでも動かせば当たってしまいそうな位置にナイフが刺さっているためだ。刃は魔女の首の方をしっかりと向いて。
「私は、魔女様に教えを受けた魔導師。恩人の同胞を殺すような真似をできるはずがない」
少年の言葉はとても軽く、信じるに値するものではなかった。
「師は誰だ」
魔女の問いに、少年はすぐに答えた。
「吸収の魔女様」
「“吸収”だと!?」
魔女は頭を持ち上げ、痛みを忘れたかのように少年の顔を見上げる。
「あ、ぶない」
魔女が驚いて顔の向きを変えたとき、地に刺さっていたナイフを少年が抜いていなかったなら、今頃魔女は、少し早めの眠りについていただろう。
「あ、すまない……」
“吸収”というのは、魔女の間で忌まれている魔女の呼称。
その魔女が好んで用いた魔法にちなんだものだ。
有名な魔女にはそれぞれ呼称がついており、“吸収”や“森”も、その例だ。
ちなみに、普段は青年の姿をとっている、怪我を負っていたあの女性にも、“陽”という呼称が与えられている。
「本当に、あの“吸収”の教え子なのか? あのババアが人間の弟子を持ったなぞ、ついぞ訊いたことがないが」
「本当に“吸収”の魔女様にも魔法を教わりました。」
もう大丈夫だと判断し、少年はナイフから足をはなし、両手のナイフも離れた地に突き刺した。ちょうど、五角形を描くように。
そして、一言何かを呟いた。
「そのころからあの魔女様たちは排他的だったし、……私はほとんど人間じゃないから、噂が流れずともおかしくはないだろう」
そんなことは欠片も感じさせず、相変わらずの無表情でそう続けた。
結界に触れた小さな羽虫が消滅した音が聞こえた。
「たち? それにババア様が亡くなられてからの歳月はとても人間が生きられるような長さではないぞッ!?」
やっと体を起こし、肩をまわして魔女はその場に座った。
小動物たちも、その周りに戻ってきた。
意外に鋭いなと思いながらも、少年は話を反らす。
「それよりも、怪我は大丈夫か?」
「もう回復する魔力もないさ。これ以上吸うと皆に迷惑だ。」
「魔女も、自然治癒に任せると云うことか。」
「だからここに寝てたのに、邪魔しやがって」
「……申し訳ない。」
魔女はボロボロのドレスを纏ったまま、その場で横になった。
手に持っていたはずのナイフは、いつの間にか地に刺さっていた。
「地に刺さっているナイフは、抜かないでくれ。それを媒介に、私の結界を張った。
君の知り合いか私の知り合いしか通れないように、してある。」
「……お前は、本当に魔導師か?」
魔女は、呆れたように呟いた。
「──魔導師さ。ちょっと特殊なだけの。
君の怪我が治った頃にまたくるよ。」
丘の端に立ち、村を一通り眺めた後、少年はその場を去った。
その背を見送り、魔女は笑った。
「愚かなる人間」
* * *
帰り際ふと目に留まったのは、道の脇で木に背を預けている、今にも死にそうな、1人の魔女。
外見こそ若々しいが、魔女の中には美しいまま外見の成長が止まってしまう者や、美しい頃の外見を魔法で見せている者もある。
この魔女の場合は前者だが、本当の年齢は外見の数倍にものぼる。
雰囲気や気配から察すると、若くとも300。
魔女は個体によって千年を越して生きる者もあるため、驚くほどではない。
この歳になると、老衰で亡くなる者も、病気で亡くなる者も、まだピンピンしている者も様々だ。
その辺魔女は個体差が大きい。
人間ではほとんど百年を基準に考えればよいが、魔女の寿命は十年も百年も千年もおり、一概にいえることは魔法を使えること以外にはないのだ。
この魔女の場合、老衰と云う言葉が最もしっくりとくる。
「……何をしているの? 人間」
少年が近寄ると、魔女が口を開いた。
「私は魔導師。偉大なる魔女様に教えを受けた者です。」
「こんな時勢に、変わった方もいるものね」
魔導師は、教えを受けた魔女に許可を取り消されれば魔法が使えなくなる。魔女狩りが悪化してきたこの時代、そうして自分が育てた魔導師を信じることができなくなった魔女も多く、それも、魔導師が経る原因の1つである。
「──村へ、戻るか?」
少年が声をかけると、魔女は顔を左右に力なく揺らした。
「──村から、逃げてきたのか?」
魔女はまた、顔を揺らす。
「ここで、死ぬ気なのか?」
また、顔を揺らした。
「──こんなところで、何をしてるんだ?」
魔女は優しく微笑んだ。
「……わたしの村は、消えたわ。」
ゆっくりと、消えそうな声で、囁いている。
「せめて、みなさんと共に、眠りたくって。」
開いた眼は虚ろで、もう虚空さえ、見つめてはいなかった。
「なら君を、他の魔女のところへつれてくよ」
「必要ないわ。」
強い断言。
まるでもう、諦めているかのような。
「向こうで、共に暮らせるもの。」
少年は、護るべき魔女がまた1人減っていく予感がして、一旦目を伏せた。
それからことさら明るい顔を作った。
それが逆に、不安を煽るような。
「眠っている魔女様たちが大勢いるんだ。
人間に妨げられないような場所で。」
魔女はまた、笑んだ。
「そんな素敵な場所があったのなら、もう、脅えて眠る必要も
ないわね。」
それはいい理想だとでも云うかのように。
「君も、共に眠るかい? 場所ならいくらでも空いてる。」
「ええ。みなさんと共にありたいわ」
「なら、私がそこへ連れてくよ」
「お願いね。きっと……」
その先の言葉が紡がれることはなく、虚ろな眼から、光が消えた。
1人の魔女の、『生』が終わった。
人間より長く生き、同じように笑んでいた。なのに迫害されてきた。
その理不尽を責めず、受け入れ、静かに生きていた1人の女性の命が、幕を閉じた。
「──さようなら、清き魔女よ。」
彼女の『生』は、誰かの中に生き続けるだろう。
やがて彼女らが皆眠りにつこうとも、私だけは、忘れない。
「──その気高き眠りが、何者にも、妨げられんことを」
形だけの言葉を残し、その躯を抱えあげる。
少年の背丈ではドレスの裾を引きずってしまいそうだった。
自らの屋敷の裏手の森にたどり着くと、一旦躯を木の根本に座らせ、自力で深い穴を掘った。こんなことでいちいち魔法を使っていては、魔力が持たない。ついでに少年の趣味でもあった。
棺桶なんて洒落たものは用意できない。だが、せめてもの弔いとして、穴の中に躯を横たわらせ、胸の上で手を組ませると、花を手向けた。
この眠りが永遠に、妨げられないように。
苦しいかもしれないし、寂しいかもしれないが、その美しい躯の上に、土をかぶせる。
平らになった頃に余った土は木の根本へ。
何かがあると感づかせないため、魔法で草木の成長を少しだけ促進させ、掘ったところを覆う。ちょうど、冷たい土の下では指が組まれている辺りには、1輪の白い花が咲いていた。彼女を表すかのような、彼女の魔力と同じ、けがれなき色。
辺りを見回せば、色とりどりの花が、孤独にも、1輪ずつ離れ、咲いている。
魔花と呼ばれるその花は、魔女の躯に残った生命力を糧に、墓標代わりに、咲いていた。
+ + + + +
少年が屋敷に住み始めて久しい頃、魔女狩りの影響は屋敷近くの村にまで及んできていた。
以前住んでいた場所では魔法が使えることがバレ、逃げるようにしてこの地へやってきたのだ。またそうなることは避けたい。だから少年は、なるべく屋敷の外へ出ず、外出するときは細心の注意を払った。
痕跡を残さないよう結界を張り、それ以外は極力魔法を使用しないようにしていた。
ある日、食材を調達するために森へでたとき、赤子の泣き声が聞こえた。
訝しみながらも声の方へ近付いていくと、根の絡まった大樹の根本に、音源はあった。
鮮やかな体液を滴らせながら、魔女が両腕で赤子を包んでいた。
あやそうともしないのは、怪我のせいで、そうする力も残っていないせいであろう。
魔女は自然から魔力を分け与えられるといっても、限度はあるし、向き不向きも、好みもある。森によって、また個体によっては、殆ど自然の魔力を吸収できず、自身のもののみで賄っていることもある。この魔女はこの森とは相性が悪く、殆ど魔力を吸収できていない様子だった。
赤子へ腕を伸ばして奪い取ると、魔女は顔をしかめたが、それ以上の抵抗はしなかった。
腕に抱えて揺らすと赤子はすぐに泣きやみ、静かな寝息をたて始めた。
魔女へ返そうとしたら、小さな掠れた声で、「その子を頼む」と断られ、まもなく彼女は、息を引き取った。
このまま放っておいても獣の餌になるか人間に陰惨たる目に遭わせられるだけなので、埋めようと決めた。
ささやかな墓でも作ってやりたいが、明らかに墓だと判ると掘り起こされることもある。
あたりに人間も魔女も魔導師も、森の獣でさえいないのを確認すると、両手が塞がっているために仕方なく、転移の魔法を使った。
赤子を布で背に縛り付け、木の根本を掘り、魔女の躯《むくろ》を埋葬した。墓標代わりに、この魔女の魔力と同じ色の木の実を一つおいて。
周辺の植物の生長を少しだけ急かしてやると、魔女の埋まっているあたりに1輪の鮮やかな花が寂しく咲いた。それは、すでに草に覆われていた木の実と同じ色の花弁を持っていた。
それが、屋敷の裏が魔女の墓になる、きっかけだった。
+ + + + +
「何か見つかったかい?」
客室だった部屋で、向かい合い、姿を青年に改めた魔女の問いに、少年は首を傾げた。
「村の方には、外見的な異常はなかった。」
この部屋には、回復を補助する魔法と外部の干渉を無効化する結界が──無人であろうとも──常時、かなりの強度で張られている。
そのため、何か情報のやりとりをするときや怪我の治療の時は、決まってこの部屋に集まる。
「結界があったのか?」
結界は視覚ではとらえられないから、青年はそういう意味だと受け取った。
「入り口に、門が作ってあった。」
「……それは外見的な異常では?」
「村に門があるのは、変なことじゃない。逆に、無いことは変だ。
今まであの村は、変だった。
門には、結界が張ってた。」
「それで魔力が遮断されてるのか。」
「違う。」
納得しかけた青年に、少年は断定の否定を返した。
「……?」
「あの結界は、魔力を遮断するものじゃない。感知するためのもの。」
「ではなぜ魔力が滞ったんだ?」
「この屋敷には、結界が張ってある。」
それは、この屋敷にいる者なら少女以外は──つまりこの2人は知っていることだった。
「それは知ってるさ。アンタが張ったんだろ?」
「……。魔力は、私と、君のものしか通さないようになってる。」
「そんな結界も張れるのか」
青年は感嘆の響きを洩らした。
視覚でとらえることができないものを遮断するには、イメージが難しい。そのため、難易度も高い。
魔力なんて目に見えないものを遮断し、なおかつ特定のものは通すというこの結界の難度は、相当なものと言えた。
「感知結界に触れたことで、魔力が少しだけ変質して、通らなかったんだと思う。」
つまり、青年の姿をしているこの魔女の魔力は、1度は感知に触れているということになる。
「門を通らないようにしないと──」
「……村へは、門を通って入った方がいい。
──危険を、冒してでも。」
「なぜだ?」
それは、もっともな疑問。
「……疑わしきは、黒。」
少年はそう一言、呟いた。
「……わかった。次からはそうする。」
青年は渋々頷いた。
疑われては、同胞を護ることができなくなる。
黒と判断されれば、真実とは関係なく自白するまで解放されず、自白すればその先には処刑あるのみだ。
「バレないように、魔力変質の魔法でもかけようか?」
「それだとアンタの方が引っかからないか?」
「大丈夫。私はいつも、自分に変質かけてるから。」
この少年は、一体常時いくつの魔法を発動させているのだろう。
青年は魔法の並立使用時の負荷を思い出し、旋律を覚えた。
常時途轍もない魔力を消費しているはずなのに、どうしてこんなにも普通に動けるのだろう。
もし、何も魔法を使用していない場合は、どんな動きになるのだろう。それを考えかけ、頭を振って思考を中断する。
それは、コイツだけは敵に回すことは避けたい……。魔法にだけは自信のある魔女に、無意識にそう感じさせるものだった。
「そういえば……」
「何かあったのか?」
少年は浮かせかけた腰を元の位置に戻し、思い出したようにポケットからシガレットを出して口にくわえた。
「弱っている魔女に、会った。」
「どこで?」
「丘の上と、帰り。
帰りに会った方は、ダメだった。」
「また埋めたのか?」
少年は、首肯した。
「もう1人の方は?」
「自然治癒に任せるって言ってたから、おそらくそろそろ怪我は治ってる頃だ。
一応、結界を張ってきた。」
「アンタ……また魔法を使ったのか?」
青年の呆れげな視線を受け流し、少年は、何気なく頷いた。
「危機感が足りないぞ」
「大丈夫。
バレない自信、あるから。」
「アイツにも?」
これは、魔女狩りの元凶である魔女を指している。
「もちろん」
自信たっぷりに頷いた少年を見、青年は、一瞬呆けてしまった。
「でも……なんだか、あの魔女と似てる魔力を感じた。」
その言葉が、青年に、長く呆けさせることを許さなかったためだ。
「あいつの手下か」
「丘の上の方は、そうかもしれない。
つけられそうになったのを、遮断してきたから。」
「使い魔か?」
少年が頷くのを確認し、青年は続けた。
「──魔法が使えるとバレただろう。」
「ああ。
だが狙ってくるなら、返り討ちにするだけだ。」
「自信過剰だ。身の程をわきまえろ。」
* * *
少年が丘の上に再度赴くと、少年の張った結界は健在で、その中には鮮やかなドレスを纏った魔女がいた。外には結界に阻まれて使い魔としての役目を果たせずに難儀している小動物たちもいる。
「怪我は、治ったか。」
「ああ。おかげさまで、と言っておこうか」
姿勢を正しながら、魔女は言った。
「誰の使い魔だ?」
何の前置きも説明もなく、簡潔に少年は訊ねた。
「何のことだ?」
「侵入しようとしてるもののことだ」
「さあな。」
魔女はとぼける。
少年はため息をつき、結界の中心にあるナイフを抜いた。
すると、難儀していた使い魔たちの体のほとんどは弾け飛び、一部の難を逃れたものたちは急いで散っていった。
魔女は目を見開く。
「結界を、変質させたのか……」
元々ここに張っていたのは、結界に触れた魔力を持つものを消滅させる結界だった。(例外として、ここにいる少年と魔女の魔力は通す。)それがそこを囲むように地に刺された5本のナイフを媒介として作られたもの。
それでは、もし仲間の魔女が訪ねてきたとして、万が一にも怪我を負ってしまった場合に治療などで余計な手間がかる。そのため、触れたものを消滅させるのではなく、ただ通さない、もしくは軽く弾く程度に弱めていたのだ。その媒介となっていたものが、今、少年が抜いたナイフ。
地面から離れたことで、媒介としての役目を失った。
つまり、結界を変質させたわけではなく、変質を解いた、が正しい。
「魔女さんの使い魔じゃなかったみたいだけど?」
「……それより、また戻ってきていいのか?」
「魔女さんの容態を見に来ただけだから。
結界ももう解くし、ナイフも返す。」
そう言って手に持っていたナイフを魔女に手渡し、他のものを抜くために足を踏み出して、外見的には傷が癒えたばかりな魔女の方には、少年の背が向けられた。
「……危機感が、足りないぞ」
そう呟きながら、魔女は新たに4本のナイフを両手に出現させ、計5本を、静かに構えた。新たに出現したものの内3本は投げナイフだが、1本は格闘も想定したもの。
投げナイフを少年に向けて一気に投擲する。
最も近くに刺さっていたナイフに手をかけ、引き抜こうとしていた少年の頭や手足を狙っていたナイフは、それぞれ、少年の体に触れる寸前、何かに阻まれるように、硬い音を立て、弾かれた。
4本ともが地に音を立てて落ちたときには、少年は地に刺さっていたナイフを引き抜き、反回転して魔女の方へと顔を向けていた。
それにより、既に、5本のナイフを媒介としていた結界は解かれた。
「このナイフ、投げたのは君だね……。」
そして、地に落ちたナイフから魔女へと目をやると、そう呟いた。
魔女は目の前で起きたことに驚きを覚えながらもその言葉など聞かず、手に残っていたナイフを握りしめ、地を蹴る。
「痛かったよ。」
そう言う少年は相変わらずの無表情ではあったが、よく見れば、肌には傷一つないが、服には小さな切れ込みが生じていた。
魔女が勢いに乗せて突き出したナイフの切っ先は、少年が何事か小さく呟くと、少年の腹の辺り──衣服に触れるそばから煌めきへと姿を変え、粉砕されていった。
距離をおいた魔女は、問いを発する。
「お前は、本当に、魔導師なのか?」
「一応」
少年は、迷いもなく応えた。
「今の魔法は何だ」
「どの?」
少年のマイペースっぷりに少し気分がシラケてしまった魔女だが、そこは気合い。
「ナイフが粉砕されたもののことだ」
「結界。」
「どこに張っていた?」
「私の衣服の表面に沿って。」
淡々と、隠すそぶりもなく少年は応えていく。
普通は魔法の仕組みなどは隠そうとするものなのだが。
「いつから張っている?」
「さっき、即席で。もう効果は切れた」
始めに投擲したナイフは、弾かれた。結界はおそらく、少年の皮膚の表面に張られていたのだろう。つい先程のは、粉砕された。
結界の性質・座標変化は、魔女にもそう簡単にできるものではなく、何の媒介も必要とせずに同時にそれを行うには、よほど慣れている必要がある。
それを大した準備もせずに即席で行ってしまうところからも、少年の結界に関しての企画外さが判るだろう。
そもそも自身を対象、媒介としない結界を張れる魔女にすら限りがあるのだ。一介の魔導師にすぎない少年が、ただ魔女の指導を受けたからといってできるようになるわけでもあるまい。
「私からも、質問をさせてもらう。
……“森”の魔女様の配下の魔女様?──は、魔女狩り推進派?」
「……お前が死んでくれるなら話してやる。」
否定しないのを肯定と受け取り、少年は、首を縦に振った。
「じゃ、いいや。
勝手にもらうよ」
そう言って、少年は魔女に寄っていった。
魔女は後ずさりをする。
背を向ければ、一瞬で捕まってしまいそうな気がしたから。
いつの間にか、少年の手には1冊の本が。
「私に攻撃を加えたってことは、他の人間にも、そうなんだと思うから。」
少年は歩いているはずなのに、魔女との身長差もかなりあるにも関わらず、魔女との距離は縮んでいく一方だ。
単に、魔女が後ろ向きに進むことに慣れていないせいだけではないだろう。
「共存を遠ざけるモノには、消えてもらう……。」
魔女の背が、見えざる壁──少年がいつの間にか張っていた、物理的なものを通さない結界にあたり、それ以上の後退を止めざるを得なくなった。
一瞬の思考の後、結界を破壊しようと決意したときには、ついに、少年の手が魔女の腕に触れた。
「ッ何をする!?」
すぐに振り払われたが、関係ない。触れたという事実さえあれば、それが現在でなくとも十分なのだ。
それと同時、少年は、持っている本の中程のページを開いた。
「……対象指定完了。」
そのまま少年の頭上を飛び越えて距離をおいた魔女は、少年の言葉を聞き取ることはできなかった。
「何をしている……?」
つまり、少年の方も、魔女の小さな問いを耳に入れることはなく。
「──済まない、気高き魔女よ」
「何を言っている?」
魔女の言葉を無視し、言葉を紡いだ。
「──せめて、苦は無きように。」
少年が手を魔女へ向けて伸ばすと、魔女はその場にくずおれた。
「何を……──」
その先が、彼女の口から発せられることはなかった。
魔女は起きあがる素振りも見せず、纏っていた鮮やかなドレスは、風に解け消えた。
その下に纏っていたのは、やはりというべきか、男性物の衣服である。
少年の目には、魔女の魔力が体から抜け、少年の持つ分厚い本に“吸収”されていく様子が映っていた。
また1つ、魔女の『生』が費えた。
「さようなら、気高き魔女よ。
──その清き精神が、永遠に生き続けんことを」
本来なら、その精神を愚弄している自分が言うことではないな。と、少年は自嘲気味に笑った。普段無表情なだけに、その笑みは、少年の普段を知っている者がみたのならば不気味であっただろう。
魔女の傍らに立ち、息絶えたことを確認すると、未だ地に刺さったままだったナイフを抜き集め、それらと共に、魔女を屋敷の裏へと埋葬した。その場所に、花は咲かなかった。
屋敷にはいると、青年が、結界の張られた部屋へと少年を連行した。
「丘の方の魔女は大丈夫だったのか?」
ベッドに座り、青年は尋ねる。
「……。」
椅子に座って虚空を見つめ、なにも言わぬ少年へ、青年は焦りのような感情を向ける。
「まさか、また──」
少年は、くわえたシガレットを噛み砕きながら頷いた。
「なぜそんなことを……」
「あのひとは、魔力を金属に変えてた。」
「それがどうした?」
「魔力の変換は、かなり高度な魔法だ。」
「そうだが?」
「“吸収”して解ったんだけど、あの人は、魔導師だった。」
「……エッ?
それは本当か?」
「彼女の記憶が確かなら。」
魔導師が高度な魔法を使うための条件は、2つ。
1つは、魔力保有量が多いこと。
もう1つは、その魔法を扱える魔女に習うこと。
「ついでに、魔花も咲かなかった。」
魔花とは、魔力を吸い育つ花の総称。
屋敷の裏手には、色とりどりの魔花が一輪ずつ、いくつも咲いていた。
それはそれぞれが魔女の亡骸の上に咲いているのだと知っているのは、少年と、彼の目の前の青年だけ。
「師は誰だ」
「“森”の魔女。」
少年は、即答した。
「それは──」
青年は、言葉を最後まで発しなかった。
だが、少年は意を汲み、頷く。
「魔女狩りの、首謀者。」
「では、居場所も……」
少年は再び、頷く。
「すぐ近く。」
「どこだ!?
──すぐにで、も……」
青年は、言葉半ばで倒れた。
意識が急に朦朧とし、上半身を揺らすと、そのまま後ろ向きにベッドに落ちた。
少年が椅子から立ったことを朧気に認識しながらも、制止することも、何か声をかけることもできない。
魔法を使うことなど、できるはずもなかった。
光の屈折を操り青年に見せていた外見も空気に溶けていき、美しい髪や肌が露わになる。
「安心して。
ここにはいかなる感知も届かないから。」
そう言い残し、少年が部屋を出ていく音を感じた後、青年だった魔女の意識は、完全に途切れた。
* * *
金属製の武器を生成することが可能な魔導師の魔力(生命)を吸収することにより、副次的に、彼女の記憶も覗くことができた。
それにより、魔女狩りの主導者たる魔女の居場所が、偶然にも、判明した。
それが驚くことに、すぐそばだったのだ。
村に新しくできた門。そこに張られた結界は、直接、彼女が構築していたものだったのだから。
それを知りながらなにもしないという選択肢は、人間と魔女の共存を願う少年には無かった。
「あらぁ、よくここがお分かりにねぇ。」
フリルやレース、チェックを多用した鮮やかな色相のドレスをまとった幼い魔女は、微笑んだ。
外見こそ若いが、彼女は長命な一族故、齢は400を越えているはずだ。
「何の用かしらぁ?」
尖った鍔広の帽子の鍔を持ち上げながら、幼い魔女は問うた。
「若者の未来を、護りにきた。」
少年が右手をあげると、魔女は笑んだ。
「戯れ言は、おやめなさぁい?」
金属音と小さなスパーク。
少年の結界構築が、魔女に邪魔をされたのだ。
「珍しい。
──まだ生き残ってたのね、魔導師なんて」
自分も魔導師を持っている身でありながら、幼い魔女はそう言った。
少年は、小さく呟いた。
──気づいていないのか。 と。
少年は、結界の構築を邪魔されはしたが、常に張っている方の結界が破られる様子もなく、すでに張ってある結界のどれも、異常があった気配はない。
「強がりかしらぁ?」
少年は、自称魔導師である。
魔導師に使える魔法が結界を張るだけというわけではなく、少年の得意魔法が結界を張ることなだけなのだが、普段はそれくらいしか使い道がないという理由もある。つまり、他の魔法も使えるわけだ。
結界魔法以上に難度の高い魔法は少ないわけで。つまり、殆どの魔法を、少年は、自由に使うことができた。
攻性の魔法をいくつも放ち、その度に、幼い魔女の結界にはじかれる。
さすが、今まで魔女狩りを一人で指揮しながら他の魔女に返り討ちにされなかっただけのことはあった。
魔力保有量では、少年に分がある。
先ほど吸収した魔導師の魔力が多かったため、今はまだ自身の内にある魔力しか使っておらず、空間の魔力は魔女にしか消費されていない。
このまま行けば、退屈な撃ち合いの後、少年が勝つだろう。
「あの子たち、どうしたのかしら。」
配下が集まってこないことに、幼い魔女は気付いたようだ。
「今頃、力尽きているかもな」
少年は嗤った。
「何をしたの?」
「何も。
ただ、結界を門に張っただけだ。」
少年が門に進入した時、中にいたのは見張りの2名だけだった。運が良かったのかもしれない。
認識を操作してバレずに進入した後、この部屋へとあがる階段と下の階との間に見えざる壁を作り、さらに、応援を呼ばれないよう、内と外を遮断する結界も張った。
見張りの2人が動ける範囲は、門の入り口から階段までの間だけだった。
「……汝、本当に人間か?」
外では、陽が雲の後ろに隠れた。
「一応。」
少年の答えに、不服そうに辺りを見回し、幼い魔女は反論する。
「人間がこんな、大規模な結界を張れるはずがないわ。」
魔女は瞼をおろし、結界の強度や範囲、数などを感じた。
「汝は──魔女ね」
「だとしたら何なんだい? 森の魔女」
その挑発するような物言いは、本当に、挑発していたのだろう。
幼い魔女は、挑発に乗った。
“森”の魔女の名のとおり、その魔女は、自然物を操る魔法に長けていた。
この門も、木製である。
木は切られてもなお生きている。
門の素材となっている木の一部を操り、幼い魔女は、少年へ攻撃を加えようとした。
少年はそれを迎え打つべく結界を張ろうとした。
自然物を変形させただけの物理攻撃は、少年の結界の前に、たやすく防がれるはずだった。
だが、実際にそれを遮ったのは、明かりとりから差し込む淡い陽光を纏った、青年だった。
少年にかけられた魔法の効力が弱まって自分で解除できるようになるまでに時間がかかり、今まで駆けつけることができなかったのだろう。
だが場所は、どうやって見つけたのだろうか。
青年は、少年の前に両手を広げ、幼い魔女との間に割って入った。
とっさの事にまぶしくて目を閉じていた少年は、目を薄く開いた。
「! 魔女様ッ!」
少年の方へは目もくれず、青年は言葉を発する。
「──我は、陽の魔女。」
青年は魔女の女性へと姿を変え、身に纏うは陽色のドレス。
手袋に包まれた両手を、光合成をするために──生きるために葉を広げる木々のように、強くのばす。
その身いっぱいに陽を浴びるために。
自身の魔力を限界まで高め、圧縮し、より大きな魔法を使用するために。
目の前の魔女を倒し──同胞を、護るために。
「すべての同胞が、陽に脅えることがないよう……陽に喜びを感じるよう計らうことこそ、我が役目──」
その言葉に応えるかのように、隠れていた陽は顔をのぞかせ、影を薄めた。
「陽は同胞を加護し、祝福しようぞ。
──そして、我が同胞に徒なす者を、決して逃しはせぬ」
それが魔法発動のための唱句であったかのように、その言葉が終わると同時、彼女を中心に、陽の色をした光が広がった。
陽の魔女の光は暖かく、この大地すべてを包んだとも思えるほどの広い範囲に、それは観測された。
包まれた同胞の傷は癒え、敵対する者は、光に呑まれていった。
洗脳されていた村人は意識を失い、配下は能力を失った。
すべてが陽の魔女の思うように改変され、彼女は、その場にくずおれた。
「──我は陽に灼かれ、皆を永遠に見守ろうぞ……。」
魔力の枯渇により、彼女の体は、徐々に魔力へと変換されていっていた。周囲の魔力量を一定に調整するためにも、補給が必要なのだ。
元々、陽光を直接魔力に変換する彼女の性質は、陽光に限ったことではなかった。魔力の元となるすべてのもの──有機物でさえも、彼女は変換できた。
普段は、自分の体を高密度の魔力で覆うことにより変換を妨げていたが、自身の魔力が枯渇し、妨げるもののなくなった今、彼女自身の変換が、始まった。
少年には、生まれ持った性質を変化させるような魔法は使えない。外からではなく、内から浸食する性質に、抗う術はない。
だが、大人しく見守ることを、少年はしなかった。
「助けに入らなくて、よかったのに。」
陽の魔女を仰向けに寝かせ、まだ形がはっきりと残っている腹部に少年は両手を乗せ、“吸収”の、唱句を呟く。
「──君のような優良な能力をみすみす失うなんて、そんなこ
とはできない。
最後にごめん、魔女様──陽の魔女殿。
君の体が陽に溶ける前に、僕の能力を持って、君の能力を、もらうよ。」
陽の魔女は驚きに目を見開き、すぐに、柔らかく笑んだ。
「いやな最後だ。」
「そういってもらえて本望だ。」
少年も、わざとらしい言葉と自然な笑みで応えた。
やがてすぐに、陽の魔女は跡形もなくなり、彼女の魔力は空間を漂い始めた。
魔力を目視できる少年には、この空間が陽の光で満たされているかのように見えた。
幼い魔女に向き直り、少年は、普段の無表情さが嘘であるかのように、不敵に嗤う。
「じゃ、魔力も補給できたことだし、すぐに済ませるよ。」
少年のその言葉どおり、森の魔女は、瞬きするよりも早く、抵抗することさえできない内に、二重の結界に囚われた。
目の前の魔女は魔法で作り出した幻影かとも疑いたくなるほどの、呆気なさだった。
幼い魔女は玉座に座したまま、動かない。
もがこうが喚こうが、少年には届かないし、外に影響を及ぼすこともないのだが。
少年は、電子すら通さない物理結界と、魔力探知を防ぐ結界をさらに、この部屋を覆うように張った。
目の前の魔女が万一魔法を使った場合でも、外に被害がでないようにするためだ。
立方体の空間の中に捕らえられた魔女には、魔法を使う気配はなかったが。
「尋ねてもいいかな」
幼い魔女の周囲の結界を変質させ、音と光を通すものに変更し、歩み寄りながら、少年は声をかけた。
この程度の魔法、本来少年には、媒介は必要がないのだ。
「何かしらぁ?」
魔女は素直に応答する。
「なぜ、魔女狩りなんて始めたんだ?」
囚われながらも、魔女は笑う。
「応える必要、ないわねぇ~」
「すぐに消滅させてあげるよ」
「脅しは効果無いわよぉ?」
「脅しじゃないさ。
魔女と人間の共存を脅かすものは、僕が消滅させる。これは決定事項だ。」
「──僕?」
心なしか、幼い魔女の顔には、外見相応の怯えが見て取れるような気がする。
「どうかしたのか?
僕が自分を僕と言って、何がおかしい?」
「あなた、“本”の……」
「不服ながら、“本”の魔女と呼ばれているね。」
それは長い間、“吸収”の魔女と共に、魔女たちの間で忌まれている呼び名だった。
「どうして、そんなのが……」
ここにいるの?
「人間は、生きたい所にいる。それは、おかしいのか?」
「汝は、魔女なのでしょう……?」
「魔女じゃない。
魔法が使えるだけの、ただの人間。──魔導師さ。」
少年は、はっきりと、自分が魔女であることを否定した。
「なら、どうして、こんなに大規模な結界魔法が使えるの?」
それは、幼い魔女に新たな困惑を抱かせた。
再び、同じ疑問を投げかけてしまうほどに。
「こんな膨大な魔力が、人間1人の内にあるなんて信じられないわッ」
「1人じゃないから」
「……? 何を言っているの?
仲間がいるからとか、根性論とかではないわよね?」
「もちろん。」
少年は頷いた。
「自己紹介でも、させてもらおうか。」
「──暢気ね」
魔女の呟きに、少年は律儀にも反応を返した。
「君はもう、僕を攻撃しない。」
「そう信じれるなんて、おめでたいわ。」
「僕は、おかしいから。」
「自分で言ったか。」
幼い魔女は、外見相応の顔で、クスクスと笑った。
「では改めて。
僕は“吸収”の魔女様の弟子の、一応人間だ。つまり、魔導師。
その影響で、吸収に関する魔法が得意。吸収の魔女様が得意だった結界魔法も得意。」
森の魔女は何も口を挟まず、微笑ましそうな顔で聞いていた。
「元々、僕は魔力を多く持っていたらしい。そう、吸収の魔女様には言われたから。陽の魔女様には、人外だと言われたし。
それにプラスして何人もの魔女様の魔力を“吸収”して溜めているから、魔力量だけならほとんどの魔女様に負けないと思う。」
森の魔女は、顔色を変えた。
「なぜ、何人もの魔女の魔力を奪う?」
怒りの表情へ。
結界に、放出された魔力が触れてスパークする。
自然から魔力を供給される魔女といえど、自身が元々有している魔力が費えれば命はない。
魔力を吸収するということは、命を奪うこととほぼ同義なのだ。
「魔女と人との共存を邪魔されるから」
つまり、
気に食わなかったから。
ただそれだけの理由で、少年は、何人もの魔女の命を奪ってきた。
「……汝も、似たようなものなのだな。」
幼い魔女は、外見には不釣り合いな──年齢には釣り合いのとれた表情を浮かべた。
そして、魔女狩りを始めるに至った経緯を、簡単に述べた。
「──そっか。
君も、思うとこはあったんだね。」
森の魔女の反応は、あまりなかった。
「そのまま、死にたいか?」
少年のその質問に、幼い魔女は、首を振った。
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森の魔女は、幼い頃、他の魔女と共に人間と共存していた。
外見では今でも幼いが、あれで大人である。
幼い頃というのはもちろん、年齢的に幼い頃のこと。
本格的な魔女狩りは彼女が始めたことだから、もちろんそのころは存在していない。
だが、時々、間違ったものは行われていた。
親しくしていた少年が、魔女に殺された、その時も。
うっかり殺してしまった魔女にとっては軽い遊びのつもりで放った魔法だったのだが、少し威力が強く、人間は脆いものだった。彼女やその村の周辺に住んでいた魔女たちの治癒、回復魔法では、少年は助からなかった。
少年をとても好いていた彼女は、まだ幼く純粋で、いつか絶対にくる自然の摂理が早まっただけだとは思えず、魔女に復讐を決意した。
すべての魔女を殺し、やがては自分も死ぬことで、少年のような被害をなくしたかった。
だから、そのころ村に及び始めていた魔女狩りの風潮に乗って、まずは少年の死の直接の原因となった魔女を殺害し、付近に住む魔女たちを殺していった。
魔力も知識もあった幼い魔女には、たやすいことだった。
少しずつ移動し、罪も無い魔女を殺していった。
殺されかけたことも、死にかけたことも、もちろんあった。
自分も少年の元へいけるのかと、喜んだときもあった。
だが、罪無き者を殺しすぎた自分には、いけないかもしれない。そんな不安もあった。
自分に治癒をかける度、どうして少年は助からなかったのだと自分を責めた。
あのとき自分にもっと高度な治癒が使えれば、少年は助かったのかもしれないのに。
そして、彼女は魔女を殺し続けた。400年という長い時がたっているとも、気づかぬままに。
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――数年後
屋敷の長い廊下を並んで歩きながら、少年は、隣を見る。
「それにしても……」
頭一つ分小さい隣の人物へと目線を向けて。
「だいぶ、変わったね」
以前とは違い表情が豊かになった少年は、隣に立つ幼い魔女──森の魔女の纏うドレスに対し、困惑した顔で、そう感想を述べた。
「あれは動きにくかったもの。」
森の魔女が纏うのは、以前の派手派手しさがない、簡素なデザインの新緑色のドレス。
派手ではないが、露出は多めである。
「話し方も、変わった?」
「そうかしら? 変わっていないつもりだけれど──」
「何の話をしてるんだい?」
割り込んできたのは、籠の外にでるようになった少女。
彼女も、シンプルな白いドレスを身につけている。
「この子が変わったって話だ。
君も、変わったね。」
少女は、陽の魔女が消えたあの日、何かを感じたらしく、少年が森の魔女を連れて屋敷に帰る頃、地下室の扉の外に座って待っていた。
さすがに見知らぬ屋敷内を彷徨く勇気はでなかったようだったが。
「君もかなり、変わったよね。
──それよりも、昨日の続きを教えてくれないかい?」
最近は、少女に魔法を教えるのが二人の日課になっていた。
「僕じゃなくて、この子に言ってくれ」
「お師匠様、お願いしますっ」
「承ったわ。」
この呼び方は、森の魔女が世間知らずな少女に刷り込んだもの。
「自然物のことなら、我に任せなさい♪」
昨日からは、陽の魔女が得意としていた光に関する魔法を、森の魔女が教えていた。
「その前に、墓参りだ」
3人が歩いているのは、屋敷の裏手にある魔女の墓へ向けてだった。
「そうね。」
「あの魔女様も、いる?」
「もちろん」
少女がそこへ行くのは、今日が初めてだ。
挿絵はもちろんうさぎサボテン様に依頼させていただきました。
僕生意気ですね、はい。
そのうちボツになった話も投稿するつもりです。