第六話
朝。拓斗はいつもの日課であるランニングを終え、学校へと向かう。しかし、その時間はいつもよりも五十分早く、しかも学校へと直接向かってはいない。
結局、良明に頼み込んで毎日は回避された拓斗のシフトであったが、最初の尾行は部長である拓斗がやるべきだと全会一致で決まってしまい、こうやって朝から学校の最寄駅でもない、他人の家の最寄駅に寄らないといけなくなった。
しかし、これも探偵の仕事だし、仕方ない。やる気出して行こう。
「……にしても眠い」
人間、眠気には勝てない。どんな好奇心も、どんな熱意も眠気の前には効果がない。人間は寝ている時が一番幸せなのである。おっと、また真理に一歩近づいてしまったぜ。
「……なんか、考えてて自分で悲しくなるな」
ツッコミ役がいないと、ボケもそのまま流れてどこかへ行ってしまう。ツッコむ人もいないのに、ボケるもんじゃない。
そんなこんなで西谷徹也の住む街の駅までたどり着く。ちなみに、その駅は拓斗の最寄駅から学校を通り越して二駅だ。乗り越し料金はあとで領収書にツケといてやるからな、覚悟しとけよ。……え、払うのはもちろん西谷さんですよ? まさか女の子に払わせるなんてことないですよねぇ。
「ふむ、家が駅から徒歩五分で助かった……。これがバスとか使わないと無理! とかだったら絶対断ってたな、間違いなく」
時計を見ると時刻は七時四十分。よし、この時間なら大丈夫だろう。さすがにもう家を出てるなんてことはないはずだ。そう思った拓斗は、西谷の家の目の前の公園のベンチに座って、西谷が出てくるのを待つ。
我ながら好位置をゲットしたもんだ。ここからなら、西谷が出てくるのは絶対に逃さないし、向こうからはまさか自分がつけられているとは思うまい。
それにしても、今日は自分がいないので良明は和泉と二人きりで登校できるはずだ。よかったな、良明。ファイト、良明。
ああ、暇だな。でも、後は出てくるのを待つだけ。待つだけなんだ、待つだけ…………、ムニャ。
「で、それで、何だって?」
一年二組の教室。一時間目の授業が終わった後、社会科学部の面々は全員が二組の教室に集合し、拓斗の尾行の成果を聞こうとしていた。
そもそも、拓斗は遅刻してきたのだ。ちなみに本日二組の社会科学部の面々は全員遅刻。先生にも呆れられました。
なので朝は成果報告できず。そこで、こうやって一時間目が終わった後にみんなが集まっているわけなのだが――、
「ええと、……見張っていたら、寝ちゃってました、テヘ」
「うわぁ、……こんなやつがうちの部長だなんて、信じられない」
廣瀬が頭を抱える。良明ははあ、とため息をつき、末次はうんうん、と廣瀬に同調する。そして、和泉は苦笑いを浮かべていた。
「ま、まあ、でも仕方ないじゃん。拓斗、朝はいっつもランニングしてるもんね、そりゃあ、眠たくなるよね」
和泉さん、ありがとう。でも、こればっかりはフォローしようがないと思うんだ。
「……すいませんでしたあああああ!」
とりあえず、全力で謝っておこう。勢いに任せるしかない。
そして放課後になる。放課後は和泉のシフトだったが、朝の責任を取って、拓斗もそれに同行することとなっていた。
「今日は、瀬田さんはどうしてるんだ?」
拓斗は、隣を歩く和泉に尋ねる。クラスのホームルームが終わってすぐに、二年生の教室へと向かうこととなっていたが、ちょうど同じタイミングで二組と三組のホームルームが終わり、こうやって二人で歩いている。
「えっとね、確か友達とショッピングに行くとか言ってたよ、まかせっきりでごめんなさいって」
「いや、それはいいんだけど……。友達ってあれか? 稲田さん」
「たぶん、そうだと思う」
ふーん、と言いつつ拓斗は瀬田にとっての稲田という存在について考える。稲田は、瀬田とおそらくかなり仲のいい友達なのだろう。そして、現在浮気のことについて相談できる唯一の同級生。今日も、稲田が消沈しているであろう瀬田のことを気遣ったのだろうか。だとしたら、よくできた友達である。
だけど、……そうじゃないとしたら?
もし、稲田が違う意図で瀬田を西谷から遠ざけているのだとしたら?
いや、……やめておこう。あらゆる言動の裏を探ってしまうのは、拓斗の悪い癖であった。拓斗は、厄介なことにそれを自覚していたのだ。
「それにしても、よかったよね。拓斗にとっては、初めての探偵らしい案件だったじゃない?」
「まあ、確かにそうだけど……」
和泉が拓斗をこの社会科学部に誘ったのは、ここが探偵事務所の擬似的な行動ができるから。今までは、ただの頼まれごとだったが、今回は探偵業務に限りなく近い、というよりそのものなのだ。
「でも、ちょっと悲しいよね」
「そうだよな……」
浮気調査なんてもっと愛憎入り乱れたものであるはずなのだ。妻と夫があーだこーだと罵り合い、結果として裁判沙汰にすらなることもある、そんなものであると思っていた。
しかし今回は違う。彼女は彼氏を疑い切れない。真実は、瀬田の心に深い傷を残すかもしれないのだ。
それでも、拓斗たちは真実を追い求めることを求められているのだ。
「それでも、やるしかないもんね」
和泉も、意外にも同じ覚悟だったようだ。
「……ああ」
拓斗は頷く。気が付くと二年四組の教室へとたどり着いていた。
さりげなく教室の中を確認すると、写真で何度も確認した西谷の姿はまだあった。友達と何やらわいわいと話し込んでいる。正直、ホッとした。朝に続きここでも取り逃がしてしまうと、さすがに面目が立たない。
「ちょっと、遠くから見ておこうか。……今度は寝ないようにね」
「寝るかよ!」
さすがにもう寝ないさ。絶対、寝ない。寝るもんか…………、ってあれ、これデジャヴ?
「拓斗、さすがにそのノリは期待していない」
「……ですよねー」
そんな会話をしていると、遠目に見ていた四組のクラスからブレザーの集団から出てくる。その中に、西谷の姿があった。
「行こう」
その拓斗の一言で二人は動き出した。